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一章 二見興玉神社で太陽の神を知る
興玉とは沖から登る光の玉(太陽)のこと
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「つまりこの二見興玉神社という名前は、二度見するほど美しい浜から見た、沖から昇ってくる光の玉であり、それはつまり水平線から昇る太陽って意味なんですね」
「簡単に言うとそうなるわね」
まだ秋は始まったばかりではあるけれど、早朝の海から吹く風はすでに冷たく、立ち止まるとつま先から冷えが上がってくる。
朝の七時前にホテルを出て、伊勢市駅から列車に乗ると、無人駅になっていた二見浦駅に降り立ったのは七時四十分頃だった。
小雨の降る中を、夫婦岩を模した硝子張りの駅舎を背に海に向かって進む。
十分ほどで海岸までたどり着いたが、そこから第一鳥居まではまあまあの距離だった。
篠突く雨の中、海風を防ぐように一本道に沿って植えられた松並木の下をてくてく歩いてきた。
それでも鳥居を潜り、崖が道を遮ってその先が見えなかった海岸線の向こうに、夫婦岩が見えた時は思わず声を上げてしまった。
岩場に打ち付ける波に耐えるようにあちこちにカエルの像が置かれている。
とうとうあの有名な夫婦岩の前まで来た。繰り返し岩に打ち付ける白い波頭を見るだけで、やっとここまで来れたと胸が熱くなる。
守谷真里夜は、師匠と仰ぐ海風亜美に、この岩の間から遠い海を見ながらたった今しがた教わったことを簡単にまとめて言葉にする。
「アウトプットしてこそ覚えるものだから、今のをまとめて説明してみて」亜美はいつもそう微笑む。
師匠の名前はどこかの歌劇団の芸名のようだが本名らしい。ちなみに海風はうみかぜとは読まず「かいふ」と読む。
海や風の神様がらみのような由緒ある苗字で羨ましい。
初めて会った時に真里夜が自分の苗字について
「先生のようなロマンのある苗字じゃなくて、きっと、ご先祖様が谷でも守っていたんですよ」と自虐的に話したことを覚えている。
「それにもりやまりやってまるで漫才師のコンビ名みたいじゃないですか。親もふざけ半分でつけたんですよ。名前の由来を聞いたら、もりやに合うのはまりあじゃなくてまりやでしょって真剣に言われたときは、ああこの人終わっているなって」
しかし亜美は「韻を踏んでいるみたいで素敵よ」と微笑むと、
「それにたしか守谷って、日本武尊に由来したのじゃなかったかしら」
と脳内イメージをカッコよく書き換えてくれた。
「そんな日本のヒーローが関わっているなら嬉しいですけど」
と苦笑いしたが、亜美さんは「それは良かった」と明るく言った。真里夜がほんとうに喜んでいると思ったのだろうかと、慌てて、「ええ、ほんとうに」と付け加えることを忘れなかった。
だけど、ええ、ほんとうにと答えた時から、ヤマトタケルノミコチとか神話に出てくる人が関わっていたってどうでもいいと思っていたはずなのに、ちょっとだけ苗字に拍が着いた気がした。もちろんそんなことで拍はつかないのは承知しているのだけれど。
それでも相手のことを常にリスペクトして、よい方向に話を持っていく姿に感銘を受けた。それだけでも十分感謝に値する出来事だったのに、驚いたことにその日の夜に亜美は、
『日本武尊が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て嘆賞せられ、「森なる哉」といわれました。
これを漢訳して音読し「森哉」となったという説があります。
また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。
しかし、そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであったと思われます』
という、茨城県守谷市の公式サイトからの文章をLINEで送ってくれた。
「日本武尊も平清盛もどちらも勇敢な武功を挙げた方だから、ご先祖様も立派な方だったと思うわよ。
それにご先祖様のお仕事が『谷を守る』だったとしても、それは勇敢で愛がなければできないことでしょう。素敵ね」
などとコメントをつけて。
自分のことだけではなくご先祖様まで褒めてくださるなんて。
ちょっと天然が過ぎるというか、やりすぎると嫌味になることなのに、亜美はいつも神剣で一生懸命だったので、こちらまで襟を正さなくてはと思ってしまう。
それが彼女の持ち味なのだ。
亜美のことは偶然知った。いや、この世界に偶然はないらしいから、何か大きな力で導かれたのだと思う。そう信じたい。
あの三月の大きな震災があった後のこと。プライベートで離婚やら職場の上司のパワハラやら色々あって。さらに追い討ちをかけるように父親が認知症で母がしょっちゅう電話をしてきて自分に辛く当たるようになったことも重なり、真里夜の心は少しずつ壊れはじめて、肋骨の内側に錘が垂れ下がっているみたいに身体がだるくて、家に閉じ籠り気味になった。
働かなければ暮らせない一般市民だったから、仕方なく会社に行くけれど月曜日は特に気が滅入り、生理痛などと嘘をついてズル休みをしては、朝から晩まで陰謀論やら大きな投稿サイトばかり読み耽っていた時期がある。
まるでゴミ溜みたいな言葉が行き交い、さらに心も目も汚れていくようなネットの世界で、たまたま清らかな一筋の光を見た気がした。なんてことない言葉だったのだけれど、ああ、これは光だ。光っていると感じた。
それが亜美のブログだった。
亜美のブログは眩し過ぎず善過ぎず光過ぎず、いわゆるスピリチュアル過ぎない程よい距離感で、優しく寄り添ってくれる言葉が溢れていた。
スピリチュアル系のブログは必要以上に優しい言葉がやたらに並んでいて、否定的な表現がひとつも見当たらなかったかと思うと、その逆で耳を塞いで唇を噛み締めたくなるような厳しい現実を突きつけたりしてくる内容のものなど、割と極端なことが多かった。
「あなたはそのままでいいのです」「世界は愛で満ちているのです」
などと言われても、なんだ、そうだったのね!と浮かれて会社に行ったとしても、やはり前の日と同じように、なんでもない出来事から人格を否定される暴言を吐かれるか、聞こえるように嫌味を言われ息が苦しくなるか。
そんな現実はブログでよい文章を読んだくらいでは簡単に変わることはない。
もう少し自分を改善したいと探したブログでは、「すべてはあなたが引き寄せたことであるのです」と書いてあった。または「世界は鏡であり、あなたが嫌だなぁと感じることは、あなたが気が付かない自分を映し出しているのです。だから目の前の人を恨むのではなく、教えてくれてありがとうと感謝しましょう」などと書いてある。
そうかもしれない。
世界はほんとうにその通りなのかもしれない。
だからきっとあなたたちは正しいと思うよ。
でもね、とてもじゃないけど、そんな簡単に気持ちに切り替えられないの。
わかるよ、あなたたちのいうことは理解できる。
自分の価値を認められないから、そんなタイプの人ばかりが寄ってくるんでしょ?
「私は素晴らしい人間」「私は私が大好きだ」とかって毎朝唱えればいいんでしょ?
でもね、実際問題、そんな言葉を口に出そうとすると、心臓がギュッとなって、息が上手く吐けなくなるの。
そんな人の気持ちがわかる?
あなたはきっと正しくて強くて自分のマイナスと向き合い、しっかり乗り越えてきたのよね。だから今はそんなふうに、豪華なホテルで見た目が美しく配膳されたランチを、素直で一生懸命でまじめで成長がうかがえるクライアントさんと一緒に食べながら、あなたもね、こうなれるのよ、すべては自分次第なの。だからもっと頑張って!とか言ってくるのよね!
勝手に人様のブログを自分からのぞいて、一方的に妬んで恨んで。だけどやっぱり変わりたいからとがんばって真似しようとして苦しくなって。
ブログに貼られた美しいホテルでの映えるランチの写真を見て、あまりに今の自分と違う世界の景色に目が眩みそうになる。
私はどこで間違ったのだろうか。
それなりにね、頑張ってきたつもりだよ。
なのに気づけば四十年もたっているの。
そんなにもの長い時間、同じような場所でうろうろして、同じような悩みを抱えて成長もせず、そんな愚かで上手く世間を渡れなくて、みじめで…。
なんなの、もう。
苦しくてもう何も見たくないし誰とも関わりたくなんてない。
あの頃の自分を思い出し、あれはもしかして鬱病になりかけていたのかもしれないなんて思ってみる。
あのまま進んでいたら、きっとほんとうにそうなっていた。
そんな時にたまたま亜美さんのブログを見つけた。
亜美さんは押し付けもせず、ただ人の痛みに寄り添っていた。
時に自分も傷つき、悲しみ、それでも世界にはきっと光があるからと、なんとかその一筋の光を見つけだそうともがいていて、その光があると信じるだけで明日も生きていけるから。
そんなことを綴っていた。
だけどハードな内容ばかりじゃなく、日常のなんでもない平和なやり取りとか、昨日の失敗談とか、あまりスピリチュアルなことを押し付けていなかった。
なのに、さらっとスピリチュアルな生き方をしていた。
愛を持って生きようなんてわざわざ書いたりしない。
だけど、愛を持って人と接することがどういうことなのかを、体験で知らせていた。
もしかして無自覚で体現しちゃっているのかなと思った。
実際に会ってみて、それは確認にかわるのだけれど。
愛で生きている人はそのことに無自覚なのだとはじめて知った。
こんな人になりたい。
そんな風に思ったことが救いとなった。
生きる指針が見つかった。
成長がないと嘆くのではなく、成長するための理想像を見つければよかったのだ。
そんな簡単なことを知った。
なぜ私の心にこんなにも寄り添ってくれるのだろうと不思議に思った。彼女はただ自分の体験を書いているだけだったのに、とても救われていくことが不思議だった。
亜美のブログを読み漁り、亜美さんと私の過去が似ていることを知った。
『いろんなことがいっぺんに起きて、こんがらがった糸の束を見て逃げたくてしんどくなったけどね、少しずつでいいから、たっとひとつでいいから解いていこうって。
そんな日を送っていたら、こんがらがっていたはずの糸は、いつの間にかずるずると一本の流れに戻ったよ。
だからあなたも大丈夫じゃないかな。
とりあえず今目の前にあることだけ片付けて、あとはお昼寝でもしちゃおうよ。
いいんだよ、そんな感じで。
だって私はそれでここまで浮上してこれたんだもん。
前にさえ進んでいれば、いつか必ずゴールが目の前にきちゃうから。
歩くために休むことが必要だからお昼寝するの。
理にかなっているでしょう?』
亜美の紡ぐ言葉は暖かく、優しい。
それをぼんやりとした状態で読んでいるだけで、真里夜の深い場所にあった暗闇に、ほんのわずかだけ明かりがともった気がした。
これだけやることにする。
それを終われば今日はもうよしとしよう。
それでも昨日よりはひとつ進んでいる。
そんなことでよかったんだ。
真里夜の固まった心が溶けていった。
それから亜美がブログで勧めいていた本を読み、亜美のブログに書かれたコメントを読んで、同じように苦しんでいる人が他にもいるのだと知ってさらに救われた。
亜美と直接話してみたくて、簡単な占いを申し込んだ。
亜美は占い師でセラピストだったのだ。
最初はメールでのやり取りだけ。そのうちにネットの無料電話でセッションを何度か受けた。
その声や話し方のスピードや言葉の選び方など、その人となりに惹かれていった。
亜美は同じ札幌に住んでいるのは知っていた。しかも時々オフ会のようなランチ会を開いており、ある時勇気を出して会いに行った。
そこにいたのはごく普通の生活を送るごく普通の五十代の女性だった。
ただちょっと年齢の割に若くみえたし、笑顔が少女みたいで、清潔感があった。そして肌が二十代の子みたいにすべすべで綺麗だった。
それを褒めると、きっとたくさん寝るからだと笑っていたが、ブログを読んでいるので知っている。女性が味わう苦労のほとんどを経験し、それでも挫けずに一つ一つ乗り越えてきたことを。
それなのに肌荒れもせず、少女のように笑える人。
優しいだけじゃなくきっと強い心を持っているのだろう。
そんな人と知り合えて嬉しい。
亜美は元々は愛知県出身で、それなりに歴史のある家の生まれらしかった。しかし若い頃に親が離婚して母の実家のある北海道に渡って以降、愛知にある父親の実家のことはよく知らないらしい。
「でもね、苗字が変わっているから、興味があって調べたの」
海風は父方の苗字らしい。離婚した時になぜか母親は旧姓に戻らず、田舎にある自分の実家にも戻らず、札幌で暮らし始めたそうだ。
苗字から調べて、日本の歴史に興味を持ち、学生の頃から図書館に通っては古い資料を読み漁るうち、特に古代の日本史に深い興味を持ったそうで。
それが講じて今では実際に古い神社仏閣や遺跡などを周り独自に研究していると話していた。
本当は前世でも古い時代の歴史を調べていたみたいなんどけどね。と冗談っぽく口にしたけれど、本当にそんな気がする。
「もしかしたら私も前世で亜美の研究を手伝っていたのかもしれないです』と笑って答えたけれど、真里夜もまた本気でそう思っていた。
残念ながらなんの根拠もないのだけれど。
そんなふうに少しずつ時間を重ね,、今では一緒にパワースポットツアーに行くようにまでなったわけで。
今回は「正しい順序でお伊勢参りツアー」なる、亜美企画のパワースポット旅行であり、札幌から同行しているのは真里夜だけで、後ほど外宮からあと二人ほど参加予定になっている。
時間の都合で朝早いこの二見興玉神社は間に合わないことは気の毒だと思うが,そのおかげでなかなかないパワースポットで亜美を独り占めする機会を得ることができた。
しょっちゅう神社めぐりをするようになって、自分も運気が上がってきたのだと真里夜は嬉しくなった。
「それじゃあ拝殿まで進みましょう」
伊勢神宮にお参りする前に立ち寄るこの神社での禊をするために、誰もいない境内をあちこちで写真を撮りながら進んでいった。
「簡単に言うとそうなるわね」
まだ秋は始まったばかりではあるけれど、早朝の海から吹く風はすでに冷たく、立ち止まるとつま先から冷えが上がってくる。
朝の七時前にホテルを出て、伊勢市駅から列車に乗ると、無人駅になっていた二見浦駅に降り立ったのは七時四十分頃だった。
小雨の降る中を、夫婦岩を模した硝子張りの駅舎を背に海に向かって進む。
十分ほどで海岸までたどり着いたが、そこから第一鳥居まではまあまあの距離だった。
篠突く雨の中、海風を防ぐように一本道に沿って植えられた松並木の下をてくてく歩いてきた。
それでも鳥居を潜り、崖が道を遮ってその先が見えなかった海岸線の向こうに、夫婦岩が見えた時は思わず声を上げてしまった。
岩場に打ち付ける波に耐えるようにあちこちにカエルの像が置かれている。
とうとうあの有名な夫婦岩の前まで来た。繰り返し岩に打ち付ける白い波頭を見るだけで、やっとここまで来れたと胸が熱くなる。
守谷真里夜は、師匠と仰ぐ海風亜美に、この岩の間から遠い海を見ながらたった今しがた教わったことを簡単にまとめて言葉にする。
「アウトプットしてこそ覚えるものだから、今のをまとめて説明してみて」亜美はいつもそう微笑む。
師匠の名前はどこかの歌劇団の芸名のようだが本名らしい。ちなみに海風はうみかぜとは読まず「かいふ」と読む。
海や風の神様がらみのような由緒ある苗字で羨ましい。
初めて会った時に真里夜が自分の苗字について
「先生のようなロマンのある苗字じゃなくて、きっと、ご先祖様が谷でも守っていたんですよ」と自虐的に話したことを覚えている。
「それにもりやまりやってまるで漫才師のコンビ名みたいじゃないですか。親もふざけ半分でつけたんですよ。名前の由来を聞いたら、もりやに合うのはまりあじゃなくてまりやでしょって真剣に言われたときは、ああこの人終わっているなって」
しかし亜美は「韻を踏んでいるみたいで素敵よ」と微笑むと、
「それにたしか守谷って、日本武尊に由来したのじゃなかったかしら」
と脳内イメージをカッコよく書き換えてくれた。
「そんな日本のヒーローが関わっているなら嬉しいですけど」
と苦笑いしたが、亜美さんは「それは良かった」と明るく言った。真里夜がほんとうに喜んでいると思ったのだろうかと、慌てて、「ええ、ほんとうに」と付け加えることを忘れなかった。
だけど、ええ、ほんとうにと答えた時から、ヤマトタケルノミコチとか神話に出てくる人が関わっていたってどうでもいいと思っていたはずなのに、ちょっとだけ苗字に拍が着いた気がした。もちろんそんなことで拍はつかないのは承知しているのだけれど。
それでも相手のことを常にリスペクトして、よい方向に話を持っていく姿に感銘を受けた。それだけでも十分感謝に値する出来事だったのに、驚いたことにその日の夜に亜美は、
『日本武尊が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て嘆賞せられ、「森なる哉」といわれました。
これを漢訳して音読し「森哉」となったという説があります。
また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。
しかし、そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであったと思われます』
という、茨城県守谷市の公式サイトからの文章をLINEで送ってくれた。
「日本武尊も平清盛もどちらも勇敢な武功を挙げた方だから、ご先祖様も立派な方だったと思うわよ。
それにご先祖様のお仕事が『谷を守る』だったとしても、それは勇敢で愛がなければできないことでしょう。素敵ね」
などとコメントをつけて。
自分のことだけではなくご先祖様まで褒めてくださるなんて。
ちょっと天然が過ぎるというか、やりすぎると嫌味になることなのに、亜美はいつも神剣で一生懸命だったので、こちらまで襟を正さなくてはと思ってしまう。
それが彼女の持ち味なのだ。
亜美のことは偶然知った。いや、この世界に偶然はないらしいから、何か大きな力で導かれたのだと思う。そう信じたい。
あの三月の大きな震災があった後のこと。プライベートで離婚やら職場の上司のパワハラやら色々あって。さらに追い討ちをかけるように父親が認知症で母がしょっちゅう電話をしてきて自分に辛く当たるようになったことも重なり、真里夜の心は少しずつ壊れはじめて、肋骨の内側に錘が垂れ下がっているみたいに身体がだるくて、家に閉じ籠り気味になった。
働かなければ暮らせない一般市民だったから、仕方なく会社に行くけれど月曜日は特に気が滅入り、生理痛などと嘘をついてズル休みをしては、朝から晩まで陰謀論やら大きな投稿サイトばかり読み耽っていた時期がある。
まるでゴミ溜みたいな言葉が行き交い、さらに心も目も汚れていくようなネットの世界で、たまたま清らかな一筋の光を見た気がした。なんてことない言葉だったのだけれど、ああ、これは光だ。光っていると感じた。
それが亜美のブログだった。
亜美のブログは眩し過ぎず善過ぎず光過ぎず、いわゆるスピリチュアル過ぎない程よい距離感で、優しく寄り添ってくれる言葉が溢れていた。
スピリチュアル系のブログは必要以上に優しい言葉がやたらに並んでいて、否定的な表現がひとつも見当たらなかったかと思うと、その逆で耳を塞いで唇を噛み締めたくなるような厳しい現実を突きつけたりしてくる内容のものなど、割と極端なことが多かった。
「あなたはそのままでいいのです」「世界は愛で満ちているのです」
などと言われても、なんだ、そうだったのね!と浮かれて会社に行ったとしても、やはり前の日と同じように、なんでもない出来事から人格を否定される暴言を吐かれるか、聞こえるように嫌味を言われ息が苦しくなるか。
そんな現実はブログでよい文章を読んだくらいでは簡単に変わることはない。
もう少し自分を改善したいと探したブログでは、「すべてはあなたが引き寄せたことであるのです」と書いてあった。または「世界は鏡であり、あなたが嫌だなぁと感じることは、あなたが気が付かない自分を映し出しているのです。だから目の前の人を恨むのではなく、教えてくれてありがとうと感謝しましょう」などと書いてある。
そうかもしれない。
世界はほんとうにその通りなのかもしれない。
だからきっとあなたたちは正しいと思うよ。
でもね、とてもじゃないけど、そんな簡単に気持ちに切り替えられないの。
わかるよ、あなたたちのいうことは理解できる。
自分の価値を認められないから、そんなタイプの人ばかりが寄ってくるんでしょ?
「私は素晴らしい人間」「私は私が大好きだ」とかって毎朝唱えればいいんでしょ?
でもね、実際問題、そんな言葉を口に出そうとすると、心臓がギュッとなって、息が上手く吐けなくなるの。
そんな人の気持ちがわかる?
あなたはきっと正しくて強くて自分のマイナスと向き合い、しっかり乗り越えてきたのよね。だから今はそんなふうに、豪華なホテルで見た目が美しく配膳されたランチを、素直で一生懸命でまじめで成長がうかがえるクライアントさんと一緒に食べながら、あなたもね、こうなれるのよ、すべては自分次第なの。だからもっと頑張って!とか言ってくるのよね!
勝手に人様のブログを自分からのぞいて、一方的に妬んで恨んで。だけどやっぱり変わりたいからとがんばって真似しようとして苦しくなって。
ブログに貼られた美しいホテルでの映えるランチの写真を見て、あまりに今の自分と違う世界の景色に目が眩みそうになる。
私はどこで間違ったのだろうか。
それなりにね、頑張ってきたつもりだよ。
なのに気づけば四十年もたっているの。
そんなにもの長い時間、同じような場所でうろうろして、同じような悩みを抱えて成長もせず、そんな愚かで上手く世間を渡れなくて、みじめで…。
なんなの、もう。
苦しくてもう何も見たくないし誰とも関わりたくなんてない。
あの頃の自分を思い出し、あれはもしかして鬱病になりかけていたのかもしれないなんて思ってみる。
あのまま進んでいたら、きっとほんとうにそうなっていた。
そんな時にたまたま亜美さんのブログを見つけた。
亜美さんは押し付けもせず、ただ人の痛みに寄り添っていた。
時に自分も傷つき、悲しみ、それでも世界にはきっと光があるからと、なんとかその一筋の光を見つけだそうともがいていて、その光があると信じるだけで明日も生きていけるから。
そんなことを綴っていた。
だけどハードな内容ばかりじゃなく、日常のなんでもない平和なやり取りとか、昨日の失敗談とか、あまりスピリチュアルなことを押し付けていなかった。
なのに、さらっとスピリチュアルな生き方をしていた。
愛を持って生きようなんてわざわざ書いたりしない。
だけど、愛を持って人と接することがどういうことなのかを、体験で知らせていた。
もしかして無自覚で体現しちゃっているのかなと思った。
実際に会ってみて、それは確認にかわるのだけれど。
愛で生きている人はそのことに無自覚なのだとはじめて知った。
こんな人になりたい。
そんな風に思ったことが救いとなった。
生きる指針が見つかった。
成長がないと嘆くのではなく、成長するための理想像を見つければよかったのだ。
そんな簡単なことを知った。
なぜ私の心にこんなにも寄り添ってくれるのだろうと不思議に思った。彼女はただ自分の体験を書いているだけだったのに、とても救われていくことが不思議だった。
亜美のブログを読み漁り、亜美さんと私の過去が似ていることを知った。
『いろんなことがいっぺんに起きて、こんがらがった糸の束を見て逃げたくてしんどくなったけどね、少しずつでいいから、たっとひとつでいいから解いていこうって。
そんな日を送っていたら、こんがらがっていたはずの糸は、いつの間にかずるずると一本の流れに戻ったよ。
だからあなたも大丈夫じゃないかな。
とりあえず今目の前にあることだけ片付けて、あとはお昼寝でもしちゃおうよ。
いいんだよ、そんな感じで。
だって私はそれでここまで浮上してこれたんだもん。
前にさえ進んでいれば、いつか必ずゴールが目の前にきちゃうから。
歩くために休むことが必要だからお昼寝するの。
理にかなっているでしょう?』
亜美の紡ぐ言葉は暖かく、優しい。
それをぼんやりとした状態で読んでいるだけで、真里夜の深い場所にあった暗闇に、ほんのわずかだけ明かりがともった気がした。
これだけやることにする。
それを終われば今日はもうよしとしよう。
それでも昨日よりはひとつ進んでいる。
そんなことでよかったんだ。
真里夜の固まった心が溶けていった。
それから亜美がブログで勧めいていた本を読み、亜美のブログに書かれたコメントを読んで、同じように苦しんでいる人が他にもいるのだと知ってさらに救われた。
亜美と直接話してみたくて、簡単な占いを申し込んだ。
亜美は占い師でセラピストだったのだ。
最初はメールでのやり取りだけ。そのうちにネットの無料電話でセッションを何度か受けた。
その声や話し方のスピードや言葉の選び方など、その人となりに惹かれていった。
亜美は同じ札幌に住んでいるのは知っていた。しかも時々オフ会のようなランチ会を開いており、ある時勇気を出して会いに行った。
そこにいたのはごく普通の生活を送るごく普通の五十代の女性だった。
ただちょっと年齢の割に若くみえたし、笑顔が少女みたいで、清潔感があった。そして肌が二十代の子みたいにすべすべで綺麗だった。
それを褒めると、きっとたくさん寝るからだと笑っていたが、ブログを読んでいるので知っている。女性が味わう苦労のほとんどを経験し、それでも挫けずに一つ一つ乗り越えてきたことを。
それなのに肌荒れもせず、少女のように笑える人。
優しいだけじゃなくきっと強い心を持っているのだろう。
そんな人と知り合えて嬉しい。
亜美は元々は愛知県出身で、それなりに歴史のある家の生まれらしかった。しかし若い頃に親が離婚して母の実家のある北海道に渡って以降、愛知にある父親の実家のことはよく知らないらしい。
「でもね、苗字が変わっているから、興味があって調べたの」
海風は父方の苗字らしい。離婚した時になぜか母親は旧姓に戻らず、田舎にある自分の実家にも戻らず、札幌で暮らし始めたそうだ。
苗字から調べて、日本の歴史に興味を持ち、学生の頃から図書館に通っては古い資料を読み漁るうち、特に古代の日本史に深い興味を持ったそうで。
それが講じて今では実際に古い神社仏閣や遺跡などを周り独自に研究していると話していた。
本当は前世でも古い時代の歴史を調べていたみたいなんどけどね。と冗談っぽく口にしたけれど、本当にそんな気がする。
「もしかしたら私も前世で亜美の研究を手伝っていたのかもしれないです』と笑って答えたけれど、真里夜もまた本気でそう思っていた。
残念ながらなんの根拠もないのだけれど。
そんなふうに少しずつ時間を重ね,、今では一緒にパワースポットツアーに行くようにまでなったわけで。
今回は「正しい順序でお伊勢参りツアー」なる、亜美企画のパワースポット旅行であり、札幌から同行しているのは真里夜だけで、後ほど外宮からあと二人ほど参加予定になっている。
時間の都合で朝早いこの二見興玉神社は間に合わないことは気の毒だと思うが,そのおかげでなかなかないパワースポットで亜美を独り占めする機会を得ることができた。
しょっちゅう神社めぐりをするようになって、自分も運気が上がってきたのだと真里夜は嬉しくなった。
「それじゃあ拝殿まで進みましょう」
伊勢神宮にお参りする前に立ち寄るこの神社での禊をするために、誰もいない境内をあちこちで写真を撮りながら進んでいった。
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