黒い森、白い影

大秦頼太

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 星々が散りばめられた空の下。地にぼっかりと穴が空いたように座り込む黒の森。
 森の周囲を流れる風の音が聞こえてくる。ガサガサと木々の葉の揺れる音が強くなると、風の音が声のように聞こえてくる。
「黒い森には入ってはいけない」
「黒い森では口笛を吹いてはいけない」
「黒い森では嘘をついてはいけない」
「黒い森では生きていてはいけない」


 
 外はこれ以上ないくらいの青空。雲ひとつなくどこまでも澄み切っている。
 大隈中学校五十余年の歴史を持つ伝統校で十数年前にコンクリート製の三階建ての新校舎が建った。昨年、耐震化補強をしたが、所々にひび割れや汚れも目立つ。

 二年二組のプレートが掲げられた騒がしい教室内では、年のいった男性教師は生徒を注意することなく授業を進めている。生徒たちが談笑する中、一人の少女の周りだけは時間が止まったように静かだった。

「学校では、『死と絶望のルーレット』がぐるぐるぐるぐる回っている。生徒達はそれを回避するために生贄を用意する。それが、鈴木鈴菜(わたし)だった」

 誰も鈴菜を見ようとはしない。体やカバンがぶつかっても、見もしない。ここにいない存在のように扱われている。

「私には、生まれてきた時から居場所がなかった。小さな頃は、両親が忙しく父方の祖母の家に預けられていた。そこはここと比べ物にならないくらいのど田舎で、電車も無ければバスも1日3本くらいしか通っていない辺境の地だった。仕事が一段楽したのか三歳を過ぎた頃に両親と一緒に暮らすようになった。だが、程なくして妹の祐美が生まれ、両親は子育ての喜びを彼女で知ることになった。妹を可愛がる両親を見て、私はやっぱり自分には居場所がないのだと確信をした」

 教室の中で彼女に話しかける者は一人もいない。まるで雑草。空気や石ころのようだ。

「私は知っている。当然のように、ここにも私の居場所はない。そのためにみんなが私をいないものとして意識している。変な話だけれど、いないことを意識しているのだ。この異質な取り組みは、まさに死と絶望のルーレットだ。私側、こちら側、いわれなき敗者側に回れば、たちまちのうちにイジメの対象になる。だから、誰も救いには来ない。下手に触れば今度は自分の番だからだ。これは卒業か、私が死ぬまで代わりは現れない。交代はない。たとえ代わりが現れても、私が救われることはない。そして、例え私が死んでもそれは変わらない。もし、私が死んだら……。おそらくはクラスメイトは、この毎日のちっぽけな罪悪感から逃れることが出来てほっとする事だろう。彼らは、決して変わらない。私自身が変わることが無いように。いなくなったらいなくなったでまた次のルーレットが回り始めるだけだ。だから、私は自殺なんか絶対にしない。彼らに少しの安堵感を与えたりしたくない。そんなこと絶対にごめんだ」
 鈴菜は窓の外を見る。校庭の木に花が咲いている。
「あれは、なんて名前の花かな? おばあちゃんだったら、すぐ分かるのになぁ」
 ため息をつく鈴菜。
「本当の私はどこにいるのだろう」
 心の中でつぶやくのにも慣れた。窓の外の空はどこまでも高い。
「この世に幽霊なんかいない。もしいるのなら、今の私がまさにそれだ。ここにいるのに誰にも相手にされていない。いないものと思われている。もし本当に、私が幽霊だったら、こいつら全員に嫌がらせしてやれるのに……」
 鈴菜の背中に消しゴムが当たる。振り返るが、誰も鈴菜を見ていない。床に落ちた消しゴムをじっと見る鈴菜。
 足元に転がっている消しゴムはちょっとだけ転がった。
「消しゴムはけっして自分から飛ぶことは無い。文字を消せる力を持っているのにその力を自分で行使しようとしない。最高に受身な奴だ。だから、消しゴムには罪は無い。いや、そもそも何の罪だろうか?」
 クラスメイトの一人が近づいてきて、消しゴムを拾おうとする。鈴菜はそれよりも先に消しゴムを拾い上げて、クラスメイトに差し出す。クラスメイトは少しだけ身を引いたが鈴菜を無視して消しゴムを奪い取っていった。



 壊れたブロックや廃材が放置されている空き地の中、コンクリートブロックの上に腰を下ろしている鈴菜がいる。彼女が見上げる夕焼けは、オレンジ色や紫に分かれている。
「なれるものなら、本当に幽霊になってみたい。そうしたらこの世のいろんなところを廻ってみたい。映画を見るのだって無料だ。好きな音楽を好きなときに聞くことは出来ないだろうけど、コンサートやライブだって見放題。なんだか、生きている人間よりもずっと楽しめそうな気がしてくる。いっそのこと死んだ方が人生はすばらしいんじゃないんだろうか?」
 そんな鈴菜に近づいてくる人影があった。
「鈴木、お前ってここ本当に好きだよな」
 鈴菜は振り返る。直ぐ側に隣のクラスの岩井和也が立っていた。鈴菜はすぐに空に視線を戻す。
「私の居場所はここしかないからね」
「林が嫌がらせしてるんだろ?」
「違うよ。みんなだよ」
 岩井はバッグを投げるように置いて鈴菜と少し距離をとってブロックの上に座る。
「あんな色。人間には絶対出せないよね」
 鈴菜は笑って見せるが、岩井の反応が悪いのでため息をついて空を見上げる。
「そうか? 今の映像技術ってすごいんだぞ?」
「へー」
 気のない鈴菜の返事。岩井は鈴菜と空を見る。
「悪いな」
「何が?」
「なんとなく」
「あんたってさあ、バカじゃないの?」
「お前よりはましだよ」
「そうかもね」
「なんかあったのか?」
「何も無いよ。何も無い。あたしにはさぁ、何も無いんだよね」
 夕焼けを見つめる二人。
「あんた他にやること無いの?」
「たとえばなんだよ?」
「たとえば?」
 鈴菜は岩井を見る。岩井も鈴菜を見ている。鈴菜はすぐに視線をはずす。
「まぁ、彼女を作ってどっかに行くとかね」
「いつもべったりなんて疲れるぜ」
「あー、それは言えるねー。一人きりって案外心地いいもんね」
「お前、どうすんの?」
「なにが? つまんない彼氏はいらないかなぁ。ぶっさいくな金も持ってない男を捕まえても意味ないしね」
「そんな話じゃないよ。進路だよ。進路。将来の夢とかあるだろ?」
「あぁ、進路か。西高か、ぜーんぜん別な知らないところかな。夢は無いねぇ。岩井くん。大体、夢は寝てから見るものだよ」
「はいはい。別な知らないところってどこだよ」
 岩井は苦笑いをする。岩井は立ち上がり、バッグに手をかける。鈴菜は寝転がり天を仰ぐ。
「留学でもするかな。あたしには日本は狭すぎるよ。と、本州から出たことも無い女が言いますよっと」
 岩井はカバンを肩に担ぎ、鈴菜に声をかける。
「なぁ、本屋寄るけど来るか?」
「マンガばっか読んでないで、受験勉強しろよー」
「俺は頭が良いからいいんだよ」
「あたしは頭が痛いからねぇ」
「で、どうする?」
 少し考える鈴菜。
「今日、家帰って塾に行くからいい」
「そっか」
 何か言いたげにしている岩井。不審に思って身を起こし、鈴菜は不思議そうに岩井を見る。
「何?」
「なんでもない」
 岩井はそう言うと、空き地から去っていった。その岩井の背中を見送る鈴菜。
「変な奴」



 鈴菜の家は、築四十年の木造二階建ての一軒家。猫の額ほどの庭には、薄汚れた犬小屋がある。が、そこに犬の姿は無く、今現在の主人は蜘蛛だけである。
 そこへ鈴菜がトボトボと帰ってくる。玄関ドアを開けて家の中に入る。
「ただいまー」
 ちょうどその前を妹の祐美が横切る。鈴菜は靴を脱ぎ捨てて、妹の出て来た方へ走る。そっちは台所だ。
 鈴菜は台所に飛び込んでくる。
「ちょっと祐美!」
 テーブルの上におかず。ラップがかけられているが、不自然に偏っている。廊下のほうに振り返り、大声を出す鈴菜。
「あんた、またつまみ食いしたでしょ!」
 返事が無いので、持っていたバッグを廊下に投げつける。転がるバッグ。
「お母さんに怒られても知らないからね!」
 ようやく返って来る祐美の声。階段の上から抗議の声だ。
「ママなら出かけたもん!」
 階段を挟んで怒鳴りあう姉妹。
「どこに行くって?」
 すぐに返ってこない返事に鈴菜は舌打ちをする。カバンを拾って階段を駆け上がる鈴菜。

 鈴菜が勢い良く部屋に飛び込んでくる。二段ベッドと勉強机が対照に並んでいる。一方の机は綺麗なのにもう一方はかなり散らかっている。
 祐美はベッドの下段に寝転がって、少女マンガ雑誌を読んでいる。
「パートの田中さんたちとカラオケだって」
 鈴菜はバッグを綺麗な机の上に投げて置く。
「えー、私、今日塾なんだけど」
「一人でいきなよ」
 妹は姉を見ようともしない。鈴菜は、意地になって声を張り上げる。
「あのねぇ、私が心配してるのは、あんたのことよ!」
「大丈夫よ。6時にはパパも帰って来るんだし」
 人を食ったような妹の切り返しに対し、鈴菜の怒りと呆れの混ざるため息。
「ベル鳴っても出ちゃダメよ」
「なんで? 留守だと思われて、泥棒が入ってきたらどうするの?」
「あんたさ、人の言うこと聞けないの?」
「もうわかったから、早くいきなよ」
「可愛くない奴」
「お姉ちゃんに好かれてもいいこと無いもん」
「あっそ。晩御飯お父さんと一緒に食べてよ? あと、ラップもきちんとしておいて、中途半端なつまみ食いはバランス悪いよ」
「うるさいなぁ」
「それから、少しは机、綺麗にしなさいよ」
「もう、うるさい!」
 祐美は、鈴菜に読んでいた雑誌を投げる。よける鈴菜。床に落ちた雑誌を、拾い上げて、今度は逆に怒鳴り散らす。
「これ私の本なんだから! きちんと読めないなら、もう読まないでって言ってるでしょ!」
「お姉ちゃんの本なんか、もう頼まれたって読まないから!」
 祐美、泣き出す。
 鈴菜、無視してバッグにノートやワークを詰めなおす。



 RF進学塾は駅前ビルの三Fにテナントで入っている進学塾。蛍光灯が煌々と付いている。

 鈴菜のクラスはルーム三で一般コースで難関校対策はしていない。静かな室内。四十名ほどの生徒が黒板を見て男性講師の話に集中している。
 授業は淡々と進んでいく。だが、鈴菜はいまひとつ身に入っていない様子で、余所見をしたりノートに落書きをしたりしている。

「塾があるのに、学校なんて意味がない。ある人は言う。学校の友達と違う友達が出来るから塾はあったほうがいい。その友達同士でお金を払ってまで蹴落とし合いを演じるのだから、私たちはとてもおめでたい生き物である。それに友達のいない私にとって、塾も学校も同じものでしかない。それでもこっちのほうが居心地がいいのは、別に私がいてもいなくてもどっちでもいいからだ。学校ではそうはいかない。私は、いないけれど意識されてる。いないように意識されている。だから、かえって気持ちが悪い。だから居心地が悪いのだ。だから私は、自分のことを幽霊なんだと思うのだ」

 配られる成績表。鈴菜は、それを見てため息。講師が手を叩いた。
「はい、では席替え!」
 部屋の奥の一番後ろの席につく鈴菜。それは成績が悪いという証拠。講師はクラスを見回す。
「えー、勉強は自分との戦いです。受験は周りとの戦いです。この二つの戦いに勝つためには、努力をしなければなりません。努力ができるというのも才能です。自分は頑張っていると、出来ないやつほど言います。その言葉が周りから努力の熱を奪います。出来ないならそれでいい。だけど、人の熱を奪う前に去って欲しい。ここにはそういう人はいらないんです。戦えない奴はいらないんです。今よりも前の席に来るように各自もっと努力をしてください。このクラスで一位になれば、上のクラスが君を待っています。逆に、どんどんどんどん落ちていくようなそんな敗者はここにはいらないんです」

 鈴菜はクラスを後ろから眺めて思う。
「それでは問題です。敗者の行くべきところはどこなんでしょうか?」

 塾が終わると、鈴菜は人がまばらなホームに立つ。
「この競争に負けてしまったなら、あたしはどうなるんだろう」
 ホームに近づいてくる電車。一歩前に出る鈴菜。
「勝ち負けなんて、興味が無いよ……」
 止まる電車。開く扉から乗り込む鈴菜。



 台所に入ってくる鈴菜。
 父と妹がテレビを見ている。母は流しで洗い物をしている。
 誰も顔を向けない。鈴菜は母の背中に声をかける。
「ただいま」
「おかえり。遅かったじゃない」
「うん。ちょっとね」
「彼氏じゃない?」
 彼氏と言う言葉に反応する父親。
「何? どんな奴だ」
「違うわよ」
「ホントに?」
「成績のことで先生と話してたの」
「なあに? 下がったの」
「違うわよ。志望校、上げてみないかって」
「あら、上がってるの?」
「どこにしろって?」
「……断ったわよ。最初から決めてるんだし」
「国際交流もいいけど、日本に住んでる方が楽よ」
「外人の彼氏なんか来たら、困るなぁ」
「日本人でも同じでしょ」
 笑う家族。食事の支度をする鈴菜。
「ばかね」
 と口に出して言ってみたが、心の中では別の言葉をつぶやいていた。
「日本には私の居場所がない。だから、大学に行って出て行くのよ」
 母が不思議そうな顔を向けてくる。
「何黙ってるの?ホントに彼氏がいるんじゃないの?」
 そう言いながら少しにやけ顔をする母。
「今度、連れてきなさいよ」
「そりゃ、困る」
「何うろたえてるのよ」
「これこれ、この芸人が面白いのよ」
 テレビを指差す祐美。父親も母親もそれにつられる。
 一人食事をする鈴菜。その間、家族はテレビを見て笑っている。
「じゃあ、宿題するね」
 電話が鳴る。母親が手を拭いて、受話器を取る。
「はい鈴木です。あ、山口さん? お久しぶり」
 鈴菜、台所から出て行く。電話に出る母の声を聞きながら廊下においてあるカバンを拾い上げて階段を上っていく。
「あたしには何も無い」
 鈴菜、深いため息をつく。



 教室に入ってくる鈴菜。誰も鈴菜を見ないようにしている。
 席につく鈴菜。カバンの中のノートや教科書を机の中にしまう。
 突然、背中に激痛が走る。石が床に落ちる。
「痛い!」
 振り返るが、誰も鈴菜のことを見ない。
 床に落ちたい石を見つめる鈴菜。
 ピンポン玉くらいの大きさの石。
 かすかに笑い声がする方を見れば、クラスメイトの林が鈴菜から視線を外すちょうどその瞬間と重なった。
「和也はなんて言ってたっけ……」
 鈴菜は岩井の声を思い出す。岩井の声が思い出される。
「林が嫌がらせしてるんだろ?」
「でも、なんで? ……そんなのどうでもいいか。理由がわかったところで、これが変わるわけじゃないし」
 前を向いても、次の石が飛んで来ることはとりあえずなかった。



 鈴菜は工事フェンスの前で立ち止まる。
「え?」
 空き地だった場所には、工事フェンスが立っており中に入れないようになってしまっていた。
 急に行き場を失ってしまい立ち尽くす鈴菜だった。

 がっくりと肩を落としながら、玄関から入ってくる鈴菜。
 散らかった靴を見て、
「ちょっと、祐美!」
 玄関を飛び上がり台所に飛び込んでゆく。
 誰もいない。
 廊下に飛び出し階段を見上げて、佑美に向かって怒鳴る。
「靴くらいきちんとしなさいよ!」
 返事がないので階段を駆け上がる。

 部屋に入って行くと二段ベッドの下段でポテトチップを食べながら雑誌を見ている祐美がいる。意識して無視をしているのがよく分かる。
 鈴菜は雑誌を無理やり取り上げる。佑美が抗議の声を上げる。
「何するのよ!」
「人の本をお菓子を食べながら見ないでよ!」
「口で言えばいいでしょ!」
 鈴菜の手から雑誌を取り返そうとする祐美。姉妹の間で雑誌が取り合いになる。雑誌は無残にも引き裂かれてしまう。
 半分になった雑誌は床に投げ捨てられる。
 床に落ちた雑誌を見つめる二人。
「いい加減にしてよ!」
「何よ! 少しばっか先に生まれたからって、偉そうにしないでよ! あたしはお姉ちゃんよりも友達だって多いんだからね!」
「な……」
 鈴菜は言葉につまる。
「お姉ちゃんなんか、ずっとおばあちゃんの所にいればよかったのよ!」
「何よ! そんなに嫌なら出てけばいいでしょ!」
 祐美は鈴菜にポテトチップの入れ物を投げつける。宙を舞うポテトチップ。
「お姉ちゃんなんかいらない! あたしは一人っ子が良かったのに! 友達もいないくせに、お姉ちゃんなんか消えちゃえばいいのよ!」
 鈴菜は塾のカバンを手にとって、
「自分で片付けなさいよ! お母さんに怒られるのはあんたなんだからね!」
 鈴菜は部屋を出て行く。



 鈴菜は部屋の一番後ろの席で、ぼーっとしている。
 終業ベルが鳴る。帰り支度をする塾生たち。
 鈴菜に講師が呼びかける。
「鈴木鈴菜。少し残れるか?」
「え? あ、はい」
 みんなが帰っていく中、講師が近づいてくる。そして、無造作に成績表を見せてくる。
 通り過ぎる生徒たちがそれをチラッと見てクスクスと笑い去っていく。
 鈴菜は軽くため息をついた。
 講師もそれに気がついた。
「ため息か。俺も同じ気持ちだ。このクラスで成績落ちているのは、お前だけなんだ。一人でも付いて来れない奴がいると、授業のスピードが落ちるんだよね。きちんと予習と復習やってるのか? 学校の宿題なんかいいから、こっちを優先しろよ。 このままじゃ進学する高校のレベル下げなきゃいけなくなるからな。いいか? やりたくないなら辞めてくれよ。その方がクラスの授業が進むんだ。やる気がない奴がいるとクラスのレベルが下がるんだ。月謝を払ってるから、お前にも来る権利があると思ってるだろうけど、お前のせいでクラスのレベルが下がると俺の評価が下がるんだよ。俺の評価が下がったら、俺の給料が少なくなるわけだ。だったらいっそのこと辞めてくれた方が俺的にはいいんだけどな」
 鈴菜は顔を下げて、講師の非難を延々と浴び続けた。

 鈴菜は電車を待っている。鈴菜の他にホームに人影は無い。ふと上を見上げる鈴菜。ホームとホームの間に空が見える。
「星、見えないかな?」
 口笛で『キラキラ星』を吹く。
 すると、不意に祖母の顔が思い浮かんでくる。
「夜に口笛を吹くと、黒いバケモノがやってくるのよ」
 はっと気がつき、口笛を吹くのをやめる。
「夜に口笛吹いちゃいけなかったんだっけ」
 電車が来る。



 鈴菜、改札を出てくる。
 岩井の姿を見つける。声をかけようと近づこうとする。が、すぐに動きを止めて人ごみに隠れる。
 岩井と鈴菜のクラスメイト林が、一緒にいる。
「なんだ。そういうことだったんだ」
 人混みに隠れたまま逃げるようにその場を去った。

 玄関のドアを開けて鈴菜が入ってくる。閉じたドアに鍵をかける鈴菜。
「ただいまー」
 奥から母の声が聞こえてくる。どうやら電話をしているようだった。
「本当に? お継母さんが? いつですか?」

 テーブルの台所の上には、鈴菜一人分の料理が残されている。
 受話器を持って立ち尽くす母、それを怪訝そうに見ている父。テレビを見てのんきに笑っている祐美。そこへ、鈴菜が入ってくる。
「母さんがどうかしたの?」
「おばあちゃんがどうしたの?」
「え? ああ、おかえり。あのね」
 母は、受話器を手でふさいで答える。
「亡くなったんですって、今朝ですって」
「え」
「はぁ? 今朝の話? なんで夜になって連絡して来るんだ? それもこんな時間に」
 祐美の笑い声が、緊張感無く響く。
「ちょっとテレビ消して」
 鈴菜は、リモコンを手にとって電源を切る。
「ああ、今面白いところだったのに」
 祐美、リモコンを奪い取ろうとする。鈴菜、片手で祐美の頭を押さえながら、阻止する。
「おばあちゃんが亡くなったの!」
「おばあちゃんは物じゃないから、無くならないよ」
「バカ! 死んだってことよ!」
 祐美、止まる。鈴菜はテーブルの上にリモコンをおいて、椅子に座る。
「また兄貴の奴か」
「どうする?」
「どうせいつもの嫌がらせだよ。出来の悪い弟は、母親の通夜にも来ないでくれって、言いたいだけさ」
「いくらお義兄さんでも、そこまでするのかしら?」
「俺たちの結婚式だってドタキャンしただろ? あいつは俺を嫌ってるんだ」
 父、リモコンを取ってテレビをつける。
「もしもし? お通夜は…。ええ、申し訳ございません。明日ですか? 明日は…」
 母は、チラリと父を見る。
「明日は重要な会議だからダメだな。代わりに行っといてくれ」
 母、受話器をふさぐ。
「私だって、急に仕事抜けられないわよ。今朝だったらまだ都合がつけられたかもしれないけど。今からじゃ無理だわ。明日出てみてなんとかしてみるけど」
「じゃあ、兄貴に通夜はそっちでやっといてくれって言ってくれよ」
「でも手伝いがいるみたいよ」
「まったく……」
「私、行こうか?」
「ん?」
「そうね。お願いできる? 仕事終わったらすぐ向かうから」
 母親は、再び電話口。
「先に鈴菜をやりますんで……。はい、ええ、ええ、では、失礼します」
 受話器を下ろす母。小さなため息をつく。
「おばあちゃんち行くの?」
「遊びじゃないんだから、あんたは来なくていいの」
「そうだ。祐美も連れて行って」
「えー、嫌だよ。邪魔だもん」
「お姉ちゃんなんだから、出来るだろ」
「好きでなったんじゃない」
「私だって好きで妹になったんじゃないもん」
「あんたねぇ」
「とにかくよろしくね」
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