短き者達

雨彩 色時

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屋上

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便


 1人と1匹が屋上にいる。全員、最初の言葉を放ったのは人だと思うだろう。否である。

「俺も頭がおかしくなったんだな。皮肉な幻聴が聴こえる」
「幻聴ではない。私がちゃんと喋っている」


 彼は柵に背中を預け、空を見上げて自分に呆れた。薬だけは頼らずに彼はここまで生きてきたのだ。頼っても頼らなくても幻聴が聞こえるなら、一度くらい頼れば良かったと思ってしまう。
 携帯電話で時間を確認する。きっと、この時間に自分は死ぬのだと自覚する為だろう。

「やれやれ、君はどうやら順応では無いな」
「幻聴に付き合うのは初めてでね。許してくれ」
「猫は普通喋らない生き物だ。謝ることはない」
「それもそうだな。で?何か用か?」


 猫を受け入れたと言うよりも考えることが、面倒になったのだろう。用件を聞く。
 しかし、そもそも猫と呼んで良いモノなのか?自称猫と人間は、やっとコミュニケーションを始める。

「君は多分、ここから飛び降りて死ぬのだろう?」
「ああ、そのつもりだ。心配してくれるのか?」
「いや、私が過去に見てきた経験を活かして問いただけだ。慰めの言葉が良かったか?」


 やり取りはしているが、お互いに目は合わさない。彼は変わらず独り言の様に空を見上げて喋り、猫は毛繕いをしながら喋る。第三者からしたら、猫に喋りかけている異常者に見えるだろう。

「まぁ、今日が俺の最後だ。猫に慰めてもらうのも悪くないな」
「どのみち死ぬ君に慰めは、勿体無い気もするが」
「それもそうだな」
「君はなぜ、死を決断したんだ?」
「猫なのに人間の生死が気になるか?ご主人様でもあるまいし」


 世界は目まぐるしい程に廻っている。彼と猫が居る屋上の下には数十人もの人間が今も働いてるし、上から見下ろしたら、数えれない人間が1歩1歩動いている。
 彼は、その1本を今止めているのだ。動くとしたら、死ぬ為の1本だろう。

「なら、久しぶりに人間になろう」
「おいおい…幻聴の次は幻覚か。これから死ぬ人間ってのは、こんなにもおかしくなれるんだな」
「どうだ? 姿形は君を模倣したが、スーツの色を変えてみた。似合うか?」
「残念だが俺は、真っ赤なスーツを着る勇気は無い」


 猫だったモノは、彼の姿人間になった。さすがの彼も柵に預けていた背中を離して、凝視する。彼は黒のスーツしか持っていない。

「再び問う。君はなぜ死を決断したんだ?」
「その前にお前は何者だ」
「ふむ。難しい問いだな。この世界で言うところの神様と言うモノだと思うが…。いかんせん、人間の言語は難しいから答えを持ち合わせていない」
「お前が神か。神様に死を問われるなんて、光栄だな」


 自分の幻聴幻覚もここまで来れば愉快なのか、彼は真っ赤なスーツ姿の自分を嘲笑う。まるで、自分が神様を自称してる様に見える。誰だって、笑いたくもなるだろう。

「まぁ、神様に近いと言うだけだ。そう期待されても困る」
「質問に答えてやるよ。アンタが作った世界がうんざりだから、死を決断したんだよ」
「君の世界を作ったのはご両親だろう?君が産まれなければ、世界を見ずにすんだ。私のせいにするのはお門違いだと思うがね」
「アンタが世界なんて、人間なんて、作らなければ良かった話だ。責任は十分にある」


 苦労して、苦悩して、彼が決断したモノが死だった。身を投げ出せば、苦労も苦悩もしなくて良いと自分なりの答えを出したから、この屋上に彼はいるのだ。

「そうか。なら、私が責任を取ろう。君の存在をこの世から消してやることが出来るが?」
「……それ、本気で言ってるのか?」
「ああ、本気だ。正しておくべきことが1つあるが、私の声は幻聴でもなく、私の姿は幻覚でもない。そして、責任を取れる程の力は持ち合わせているつもりだ。それとも、どうした? 存在は残して置きたいのか?」
「……」
「沈黙は肯定と言う言葉があるぞ…?」


 これは現実なのだと彼は改める。自称神様の妄言もここまで過ぎれば信じてしまう。望みを自問自答する。別に彼も好きで死にたい訳ではない。
 彼は人に頑張ったと言われるくらいには努力したのだ。沢山、苦労してきたのだ。だからこそ、苦悩したのだ。もう頑張ったの一言では、物足りない程に生きている。

「俺は…愛する人がいた」
「いたのか。それは良い事だな。美しい思い出は嫌いじゃないぞ」
「その人を生き返ら__
「無理だな」


 言い終わる前に答えを言われる。これは残酷なことである。微かな希望を彼は見えてしまった故の望みだった。彼は身体の力を抜いて、また柵に背中を預ける。

「何が神様に近いだ。1人でごっこ遊びでもしてろ」
「人間が思っている程に神様は全知全能では無い。私にも…いや、この世界にもことわりがあるんだ。死すことに問題は生じない。だが、死んでいる生命体を生き返られるのは理から外れてしまう。理解してくれ」
「出来るけど、しないってか? そんなの口だけなら、何とでも言える!!! もう自分の幻聴に付き合うのも飽きたな。俺は死ぬ!!!!」


 柵に両手を乗せて体重をかけて、脚を上げる。しかし、彼は自分に止められる。初めて身体が接触した。自分で死のうとしてるのに自分に止められる。これ程に皮肉な光景はない。

「何なんだよっ!! いい加減にしろよっ!?」
「責任は十分にある。君が私に言った言葉だ。言ってしまった以上、その言葉にも責任がある。私に責任を取らしてから死んでくれないか?」
「分かったよ。じゃあ、殺してくれ」
「どう殺されたい?」
「は? 好きにしてくれ」
「んー…。私は別に好んで生命を殺めることはしないからな。それは困る」


 彼は座り込んだ。自称神様は自分の姿をして、困っている。融通が効かないことに彼は苛立つ。そして、神様の責任を考える。

「…じゃあ、過去に戻ることは出来るか?」
「それもダメだ。時間は有限と君達の言葉でもあるだろう? 時間は無限では無い。すまない」

 彼は神様を上手く使って、女性に会おうとする。これから死のうとしている彼の時間は伸びていく。
 そして、彼は1つの望みを思い付いた。脚に力が入り、立ち上がる。

「お前はどんな姿形でも変形出来るのか?」
「それは造作もない。私は何者にでもなれる」
「……この人になって欲しい」


 ポケットから携帯電話を取り出して、1人の女性を写真で見せた。この女性は彼が愛していた人だろう。偽物でも良い。それ程までに彼女にもう一度、会って触れたいのだろうか。彼にとっては、死の選択を濃くする出来事だったのだろうか。

「この女性に変形は出来るが、その人間の声を私は知らない。それにこの声は長年使って1番しっくりきているから、あまり変えたくはない」
「ああ、そんな贅沢は言わないさ…。彼女に会えるのなら……偽物だって構わないっ!!!」
「では、その望みで責任を取らせてもらおう」


 瞬き1つ終えた時、もう姿形は彼女になっていた。彼はもちろん、目を見開く。彼女と過去にどんな出来事があったのか、我々にはまだ分からない。
 神様も1人1人の人生まで覚えてはないだろう。彼だけが今、主役なのだ。

「俺は……。君を愛していたよ。いや、今もまだ愛している。けど、君はもう居ない。受け入れようと沢山のことをした。だけど…俺の頭の中には必ず君がいる。居ないのに居るんだ……あはは、可笑しな話だよな」


 彼女を見たのは最初だけで、後は俯いて独り言のように話す。携帯電話の画面には、彼女の笑顔が映っている。指で横へ操作しても笑顔、笑顔、笑顔だ。
 彼にしか、その想いは分からないのに我々は想像してしまっているはすだ。ここまで彼に干渉してしまったのだから。

「なぁ…。笑ってくれるか?」


 何も言わずに笑みを作る。彼女が映っている携帯電話が手から離れて床へ落ちる。
 彼は涙した。膝から崩れ落ちた。拳を強く握り腕を振るい上げて、声を荒げる。

「…望むんじゃなかった!! …彼女はそんな笑顔じゃない!! …偽物でも良いなんて、そんな訳ないじゃないか……。もう俺は本物を沢山、知ってるんだよ!! 慰めにもならなかった!! クソったれ!!!!」


 コンクリートの床を拳で殴る。殴る。殴る。彼を誰も止めない。死を止めた神様も理由があったから、止めただけだ。ただ、作った笑みで傍観している。

「救われないな。やはり、人間の構造は便利だが…それ以外のモノが不便だな」


 姿形を変えて、猫がまた喋る。彼は呼吸を整える。同時にゆっくり、ゆっくりと感情もコントロールした。顔を上げて、猫と目が合う。

「…あはは。そうだろ? 人間は不便なんだよ。さぞ滑稽に見えるだろ? だから、俺は死を決断したんだ。これが本当の答えだよ。満足か?」
「満足…?と言うよりも納得したな。しかし、1つだけ教えておく。死んだら天国や地獄に行く、無になるやらと色々と説があるようだが、本当は死んだら__ 」


 言葉を止めて、猫は毛繕いをする。焦ったいことをする。我々が1番に気になる事だ。

「おい、本当は何なんだ? なぁ、おい!」


 猫は男の脚に擦り寄り、エサを欲しがるように鳴いた。彼は察する。これは本物の猫だ。やはり、さっきの出来事はストレスによる症状。馬鹿馬鹿しいモノを見てしまった。そして、空を見る。次に時計を見る。彼は気付く。

「時間が……経ってない」


 数秒の狂いもない。体感では、数時間も経っていたはずだ。涙を流した跡が乾いている。拳からはまだ少量の血が出ている。小さな証拠が自分自身の体にある。
 結局、死後に一体なにが起こるのか分からない。人間はなぜ、死を躊躇して生に執着するのか?それは本能である。そして、未知であるからだ。
 この世に溢れているモノは、人間が作り上げたのが多くある。天国やら地獄やらもその1つである。生を正しく生きる為に。迫る死の恐怖を除く為に。

「なぁ、お前。俺と一緒に生きるか?」


 彼はそう言うと猫を持ち上げる。猫の返事は言葉ではなく、鳴き声だった。
 1人と1匹は、屋上から居なくなった。
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