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ゴーストライター

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 クラブ『モスキート』を出たぼくは、力なく歩みを進めた。
 鍛島に「お前は価値がない」という旨のことを言われたのはショックだったが、落ち込んでいる場合ではない。やれることをやらないと、近い内に本当に大変なことになってしまう。
 ビップルームを出る間際、鍛島は最後に教えてくれた。

「線引屋といえば、なんだかよくわからねえが、芸術家集団とかいうのの仲間入りしたらしいな? 知ってるか? 確か『ファランクス』とかいう名前の連中で、動画もアップされてるようだぜ」
 その動画ならぼくも見た。盗まれた線引屋の衣装を着た何者かが、壁にタグを打つ姿が映し出された動画だ。
「なんだ、もう見たのか。それじゃあ、イベントのことも知ってるんだな?」
「え?」
 ぼくは聞き返した。その話は初耳だ。
「そこまでは知らないんだな。だったら調べてみるといい。『ファランクス』の公式ホームページにも掲載されているが、それよりも『ティーンズ・ティアラ』とかいうアイドルグループの一人がそのイベントのことを宣伝していたとかで、ネットで話題になってるぜ」
 ティーンズ・ティアラ……宗田さんのことを言っているのだろう。
 そんなことよりも、気になったことがあった。
「……鍛島さん、線引屋には興味ないんじゃなかったんですか?」
「ああ、興味ねえよ」
 その割には、随分と詳しく調べているじゃないか。
「勘違いするな。俺はグラフィティライターって人種がそもそも好きじゃねえ。だから興味だって初めからねえさ。ただ、今回の線引屋の一件、裏でどうも『麒麟児』の門倉の野郎が糸を引いて―――って、これはお前には関係ねえ話だったな」
 鍛島は、それだけ言うとぼくに部屋から出て行くように言った。
 線引屋に興味がないみたいなこと言っておいて、しっかり調べているじゃないか。
 だがそのお陰で、ぼくのやるべきことがなんとなく見えてきたような気がする。
 ぼくはスマホで鍛島さんから聞いたイベントのことを調べてみた。ネットで検索すると、『ファランクス』という芸術家集団のホームページが一番上に現れる。その次にヒットしたのが、『ティーンズ・ティアラ』のみんとす―――宗田明都のブログだ。
 『ファランクス』が、線引屋の衣装を着た偽物の描くグラフィティ動画を配信し、その『ファランクス』のイベントを告知するような書き込みを宗田がしている。わかりきっていたことだが、やはりコスプレイベントでぼくのカバンを奪って線引屋の衣装を盗んだのは宗田明都で間違いないようだ。『ファランクス』と宗田明都は裏で繋がっていたのだろう。
 さらにブログの内容を詳しく見ていくと、『ファランクス』が次に行うイベントというのが、線引屋によるグラフィティだというのだ。もともと線引屋はイリーガルなライターだというのに、イベントの場所と日時までしっかりと告知されている。いったいなにをするつもりなんだ?
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 さっき鍛島と話してみてわかった。やはり、ぼくには線引屋というもう一つの顔が必要なんだ。ただの間久辺比佐志に、誰かを救う力などない。ましてや街を守ることなんて不可能だ。
 やはり、取り戻すしかないだろう。もう一つの顔を―――線引屋の存在を。
 そう思いながら、ぼくはイベントの日時を見て驚愕する。
 線引屋がイベントでグラフィティを行うのは、明日の夕方頃らしい。
 これは、あまりにも急すぎる。明日行われるという線引屋のイベントがどんなものかわからないが、少なくとも言えることは、違法性のない健全なグラフィティだということだ。もしも椎名清香がイリーガルなライティングを行うつもりだとしたら、宣伝などするはずがない。落書き行為の取り締まりは現行犯が基本のため、これでは捕まえてくれと言っているようなものだ。つまり、大々的に宣伝をしている時点で、これは違法性のないグラフィティが行われることは間違いない。過去にぼくがやった、リバースグラフィティのような類のものか、あるいは壁の所有者にグラフィティの許可を貰っているかのどちらかだろう。
 果たして、そんな客に媚びるようなグラフィティに価値があるのだろうか。少なくとも、そんな線引屋には魅力はないと、ぼく自身は思ってしまった。
 まあ、成功するにしろ、失敗するにしろ、イベントが無事に行われてしまった時点で線引屋の存在はこれまでの力を失うことになるだろう。『ファランクス』という芸術家集団のイベントに線引屋が参加するということは、線引屋が自ら芸術家であると名乗っているようなものだ。そうなれば、一般大衆の興味は引けても、アンダーグラウンドに生きる若者の支持は一気に離れていくことになるだろう。少なくとも、不良たちから一目置かれることはなくなるに違いない。
 そうなってしまった後で線引屋の存在を奪い返してしまっても、意味がない。
 暴力が渦巻くアンダーグラウンドの理不尽に、暴力以外の力で太刀打ちできるだけの力、それがいまのぼくには必要なんだ。
 夜の街を歩きながら、ぼくは自分にできることを必死に考えてみる。
 明日のイベントまでに線引屋の存在を奪い返すことが果たしてできるだろうか。
 衣装を持っている『ファランクス』という団体に、「それはぼくの物だから返せ」と言いに行くか?
 そんなことをしたら、自分が線引屋だと名乗っているようなものじゃないか。現実的じゃない。
 では、どうする。少し手荒な方法を使うにしても、ぼく一人ではどうすることもできない。荒事と言えばアカサビさんや侭さんが頼りになるが、あまりトラブルに巻き込むのは気が進まないし、なにより時間がなさすぎる。
 
 夜通し考えてみたが、結局、次なる一手は思い浮かばず、気付くと朝を迎えていた。
 学校へ行くため身支度を整え、部屋を出ると、丁度妹が制服姿で廊下を歩いている姿が見えた。その足には包帯が巻かれていて、痛ましい傷を想起させた。
「おはよ、兄貴」
「うん、おはよう。足の方は大丈夫なの?」
「ん。平気。でも一応、今日はお母さんが学校まで送って行ってくれるって」
 そうか。普段電車を使って通学している妹が、この時間まで家にいるのはそういう理由か。
「お母さん、車で待ってるみたいだから、もう行くね」
 そう言って、絵里加は階段を下りて行った。
 学校。そうか、学校だ!
 ぼくから線引屋の衣装を盗んだのは、宗田明都。彼女も絵里加と同じ中学に通っているというのなら、放課後、正門の前を見張っていれば会うことができるかもしれない。
 ドラッグの対処は依然、どうしたらいいかわからないままだが、少なくとも線引屋の衣装を盗んだことについては、彼女を問いただす必要があるだろう。上手くすれば、奪い返すこともできるかもしれない。
 そうと決まれば、今日は学校を早退して妹の学校に行くことにしよう。
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