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前編
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「まるで溺れてるみたいだね」
人は誰でも、忘れられない言葉を胸に秘めているだろう。
あの日、微笑みながらお前に言われたセリフの意味を、半年経った今でも考えてる。
チャイムが鳴り、生徒たちがバッグを手に次々と教室を出て行く。
雪代匠(ゆきしろ・たくみ)はそれを尻目に、隣の席の七海和人(ななみ・かずと)を眺めていた。
その視線に気付き、七海が顔を上げる。
「どうしたの、雪代くん。帰らないの?」
「んー…」
「早く帰って宿題済ませちゃおうよ。そのあとで一緒に動画見る約束したじゃん。ほら、帰ろ」
「んー……」
手を差し出すと「しょうがないなぁ」と七海がくすくす笑いながら引っ張ってくれる。
強く引っ張られたフリをして「おっと」なんてワザとらしく言いながら七海に抱きついた。
「わっ、びっくりした。大丈夫、雪代くん」
ぽんぽんと背中を叩かれその首元に擦り寄る。ふわりと、大好きな香りが漂った。
「ちょっ、体育あったし汗くさいから離れて!」
「七海はいつもいい匂い」
「もー、雪代くん。僕だからいいけどさ、そういうの女の子には言っちゃダメだよ? 勘違いされるんだから」
お前は勘違いしてくれないのか?
じっと見つめると七海は小首を傾ぐ。その姿がかわいらしくて、きゅん、と胸が震えた。
「ほら、帰ろうよ」
腕の中の七海からそう声が上がるけど、まだ堪能していたい。
「あー、持病のナントカカントカが痛い」
「え? なに?」
「なんでもない。腹減ったから七海食う。あーん」
「ちょ、ちょっとホントに噛む真似しないで!」
「ちょっとだけ。ちょっと噛むだけだから」
「そんなんで小腹は満たされないしそもそも僕は食べられないからね!?」
「七海だったらいけそうな気がする」
「えぇー…ちょっ! いった! この子ホントに噛んできた! 痛い! ほっぺたちぎれる!」
腕の中の七海が暴れ出したため、名残惜しいが手を離した。
教室から外へ出て、ふたりで寮までの短い道のりを歩く。
「自習室空いてるかなー」
「空いてなかったら俺の部屋で宿題しよう」
「じゃあココア持って行くね。お湯沸かしといてもらっていいかな?」
頷くと、よろしくね、と七海は可愛らしく笑ってくれる。雪代は嬉しかった。
ここは全寮制のN学園高校。雪代と七海はここで寮生活を送りながら高校へ通っていた。
ふたりは同じ1年1組。席が隣同士で自然と仲良くなり、共に行動をすることが多かった。
七海が空を眺める。
「もう秋だねー。結構涼しいや」
「俺寒いのニガテ。夜は長袖着て寝てる」
「えっ、僕まだ半袖…」
「え」
「そして半ズボン…」
「え」
顔を見合わせて声を出して笑う。こんななんでもない時間が雪代にとってかけがえのないものだった。
「寒いから手ぇ貸してくれ」
「どうするの?」
「こうする」
差し出した手のひらをぎゅっと握りしめる。七海の顔が少し赤く染まった。
「ちょ、ちょっ」
「こっちの方がいいか。これが恋人繋ぎ」
「知ってるよ! そうじゃなくて…」
「俺すげー寒いからあっためてくれ」
ぎゅっと握られた手越しに、な? と微笑むと七海は観念したようだ。
「んもー。…雪代くんって末っ子感あるよね」
「残念。三兄弟の長男でした」
「うそっ! 雪代くん絶対末っ子だよ…」
「こんなでっかい末っ子いらねぇ」
「身長どれくらいあるの?」
「この間百八十超えた」
「いいなー! 僕なんてまだ百六十センチないんだよ…」
「かわいいサイズ」
ぽんぽんと頭を撫でると、む、と七海が唇を尖らせる。
かわいい。本当にかわいい。食べられるものなら色々な意味で食べたい。
拗ねた顔も笑った顔も、全部好きだ。七海、大好きだーー雪代は半年前のことを思い出していた。
ーーまるで溺れてるみたいだね。
クォーターのせいで青く輝く目のことを、七海は微笑みながらそう表現した。
今までたくさんの人に綺麗と言われたこの目に対して、初めてそんな表現された。
溺れてるみたいって、どういうことだ。聞くタイミングをいつも逃している。
でも、そのおかげで七海を知れた。忘れられない言葉のおかげで、七海から目が離せなくなった。好きだと自覚するには時間はかからなかった。
そしてあの言葉の意味を…半年経った今でもまだ考えている。
「…俺、七海に聞きたいことある」
「ん? なに?」
「入学式の時、俺の青い目見てお前が…」
「あ、ゆう君! ごめん雪代くん! ちょっと待ってて!」
ぱっと嬉しそうな顔になり、七海が駆け出す。その先には隣のクラスの男がいた。
男の周りを七海がちょろちょろと走り回るが、男は一切気にも留めず歩みも止めず、顔の表情も崩さないまま片手を上げて歩いていった。
残念そうな顔で七海が戻って来るのを雪代は白い目で見ていた。
…またか。
「今日もゆう君に無視されたー!」
「…もう話しかけるのやめたら?」
「うーん…昔はねー、結構話してくれたんだけどねー、最近は全然ダメだ。あ、ゆう君っていうのは…」
「知ってる。幼馴染なんだろ。隣のクラスの工藤優(くどう・ゆう)」
「うん、小中と一緒でね。まさか高校まで一緒になるとは思ってなかったんだ。ゆう君、どこの学校受けるとか全然教えてくれなくて…」
「もういい加減諦めたら? 七海、あの男のこと好きなんだろ」
ハッキリ告げると、途端に七海の顔が真っ赤に染まる。
すごくかわいい光景なのに、その顔色が自分に向けられたものではないからイライラする。
七海はわかりやすく体をもじもじさせ「知ってたの?」と消え入るような声でそう言った。
当たってしまった。できれば外れていてほしかった。
俺の気のせいで済ませたかった。
「見てたらわかる。脈ないのもわかる」
「…だよね。わかってる、よ。ゆう君全然僕のこと見てくれないし…。そもそもゆう君、人に興味ないの僕知ってるから…」
七海を目で追っていると、嫌でも工藤のことも目に入った。七海がどれだけ話しかけても無視するが、大抵の人間に対しても同じことをしていたので、人に興味がない、という言葉は一番しっくりくる。
沈黙が訪れた。
頬を赤らめあの男のことを考えている七海にさらにイライラは募るばかりだ。
「俺、七海が好きだ」
今言うはずのない、今言うべきではない言葉を気付けば吐いていた。
七海の目が、大きくなる。
しまったと思ってももう遅い、言葉は止まらない。
「俺を意識してほしい。俺を好きになってほしい。俺と付き合ってほしい。七海が好きだ」
「降ってるなぁ。どうしよう。走るべきか待つべきか」
大雨の外を見て、うーん、と七海は迷っていた。カサを忘れたのだ。
寮まで走ればすぐだけど、でもズブ濡れになるのは確実だ。しかし少し待って止むような雨量でもないし…。
「…ちょっと待とうかな」
七海は壁にもたれて、灰色の空を見上げた。
(雪代くんと話してないなぁ…)
突然の告白から二週間。一度も会話をしていない。隣の席だしあれだけ毎日一緒に行動していたのに。
話しかけられることもなければいつものように戯れつかれることもない。
(寒くなってきたなぁ。雪代くん、風邪ひいてないかなぁ)
寒いのは苦手と言っていた。ここ数日でぐっと冷え込んだから、少し心配である。
(…僕に心配する権利なんてないのにな)
避けているのは自分だ。
友達だと思っていた。…本当は思い込んでいただけかもしれない。
ふとした瞬間に抱きしめられることも、戯れるにしては大げさすぎることも、なんてことないように手を握られることも。
本当はすごくドキドキしていた。そんな感情向けられることなんてなかったから、もしかして、なんて思うのもおこがましく感じられて、ずっと蓋をしていた。
突然視界が遮られびっくりしていると、工藤がカサを差していた。
「あ、ゆう君」
長身からちらりと見下ろされ、あ、久しぶりに目が合ったな、なんて思っているとカサを半分差し出された。
「入っていいの?」
何も言わず工藤が歩き始めたため、慌てて七海も歩調を合わせた。
七海はドキドキしていた。
ーーこれって相合傘だ。
カサに弾かれた雨粒の音が、真上に広がる。
(ゆう君ってこういうところ優しいんだよなぁ)
ぶっきらぼうで最近は全く会話にならないが、でも、こういう優しいところは昔からだ。
「ゆ、ゆう君」
七海の足が止まり、工藤の足も止まった。
雨が降る。
先ほどよりも強まった。
「僕、ね…ずっと前からゆう君のことが…」
スマホの着信音がうるさい。
でも、操作する気にもなれず床に転がしていた。
寒い。体がどんどん冷えていく。
寮の自分の部屋の玄関でしゃがみ込んだまま、ずぶ濡れの七海は動けずにいた。
ーー結果ぐらい、わかりきっていたはずなのに。
こんなにも痛みを感じている自分はバカだーー部屋のドアがノックされ、七海はびくっと体を震わせた。
「七海? 大丈夫か?」
雪代だ。
「電話出てくれねえから心配だ。大丈夫か?」
二週間も話なんてしていないのに、なんでこんなときに限って来るのだ。
「七海? まさか倒れてねえよな?」
コンコン、とノックされる高い音が、ドンドン、という低い音に変わり、このまま居留守を使えば突き破ってくるのではと慌てて立ち上がってそっとドアを開けた。
「よかった。…七海?」
「ごめん。今、無理」
「ずぶ濡れじゃねえか。カサ忘れたのか? …泣いてるのか?」
「無理だって言ってるじゃん…。ごめん、お願いだから帰って」
ドアが閉まる。
「帰ってって言ってるじゃん…」
なんで内側にいるんだよ。
「こんな状態の七海置いて帰るほどボケてねえ」
「こういうときに長男気質発揮しないでよ…」
小さく笑ってしまった。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、ラクになった気がした。
ーー寮の風呂へ入って帰ってくると、部屋には雪代が待っていた。
「ちゃんと乾かしたか?」
「長男…」
「俺は別に七海の兄ちゃんになりたいわけじゃねえ。なりたいのは恋人だ」
狭い部屋のベッドに腰掛ける雪代の隣に座りかけて、七海は床に座った。
七海は膝を抱える。
「…なんで電話かけてきたの」
二週間も会話なんてしていないのにこんなときに限って。
「んー、直感? わりぃ、ウソついた。…後ろからずっと見てた」
七海が勢いよく顔を上げた。こくりと雪代が頷き「ごめん」と謝られ、また顔を伏せる。
「そっか、見られてたんだ…。……ありがと、ごめんって、久しぶりにゆう君の声聞いた」
「…そのあとお前がひとりで走って帰って行くの見て、そっとしておくべきだと思ったんだけどな…わりぃ、無神経なことしてる。今も、二週間前も」
「すっごい無神経」
「わりぃ。でも、ホントにわりぃ。……今、俺、棚ぼたってこういうことなんだなって実感してる」
「棚ぼた?」
「いや、棚から特大ホールケーキかもしれねえ」
キミ甘いもの好きだもんね、でも意味がわかんないと顔を上げた七海は驚く。
雪代は顔を真っ赤にしている。
「…うん?」
なんで赤くなってるんだろう?
「ここで今、フラれた七海を慰めたら俺のこと好きになってくれるんじゃねえか、って…すげー悪いこと考えてる。わりぃ、自分勝手でホントわりぃ」
雪代は大きな手で自分の顔を隠す。
七海はきょとんとした。
(今…僕の話してるんだよね?)
話題を取られた気がする。いや、根掘り葉掘り聞かれても困るけど…会話泥棒では?
「…末っ子」
「俺は長男だ」
キリッと澄まし顔で返されて、七海は吹き出した。
「あはははっ! 雪代くんってホント末っ子! あはははっ! ……あー…だめだっ、お腹痛い…笑いすぎた…っ」
さっきまで泣いていたのに最終的には腹痛である、我ながらバカバカしい。
しばらく腹痛に耐えたが気づくと沈黙だった。どうすればいいんだろうと考えていると、ぽつりと雪代が呟いた。
「俺、諦めてねえから」
「何を?」
「七海のこと」
「…フラれたばっかの人に対して無神経だと思うよ」
「俺もそう思う。でも、このままなかったことにされたくないし、今話さないと絶対に話が流れる」
七海としては流そうとしていた。しかし見抜かれていたようだ。
ため息を吐いた。
「雪代くんってホント雪代くんだよね」
「…褒めて、る?」
「まさか」
「…頭撫でてもいいか?」
「さすがに無神経すぎる」
「……でも俺、諦めねえから。絶対七海に意識させる。絶対好きになってもらう。だから…俺のこと見てほしい」
じっと雪代に見つめられる。前に聞いたことがある。
雪代の青い目は祖父の血ということを。
(僕はいつも…この青い目で見つめられてたなぁ)
登校するときも、学校で隣の席で授業を受けるときも、休憩中も、学食でお昼を食べるときも、寮まで帰る道のりも、一緒に宿題をするときも…この青い目でずっと見つめられていた。
綺麗な、青。
(初めて見たとき、この青い瞳に…)
顔が近づく。
青い瞳がそっと閉じられて、もっと見ていたいんだけどなあと不満に思ったところで我に返った。
「ストップ! ストップ!!」
慌てて手で顔を隠すと、甲に雪代の唇がぶつかる。
「雪代くん今なにしようとしたの!?」
「キス」
「は!?」
「このままキスできると思った。チッ」
悔しそうに雪代が舌打ちするのを見て、七海の顔が真っ赤に染まる。
ーーな、なにそれ。
「そんな雪代くん知らない…!」
ちょっと甘えん坊な末っ子気質なのに、いきなり豹変するなんて。
びっくりして固まっていると、二人の間を遮る七海の手を取り、雪代にその指先をべろりと舐められた。
続いて小指と薬指の間を、つつつ、と赤い舌先で見せつけるように舌が這う。七海の背筋がゾクゾクと震えた。
ちゅ、ちゅ、と指一本一本に口付けられる。人差し指だけ強く噛まれ「んんっ」と思わず甘い声が漏れてしまった。
「ぁ、あ…ゃ、やめてよ…」
「やだ」
青い瞳に睨みつけられた。
「七海が思ってる以上に俺…性欲強いから」
覚悟してて。
耳元で囁かれた。
七海は硬直したまま動けなかった。
ーーなにこのひと。え、これ、あの雪代くん?
背の高い甘えん坊な末っ子気質のかわいい子だとずっと思ってた。
さらに七海の顔が赤くなる。それを見た雪代がにっこり笑った。
「お、意識させるの成功した」
これからの学校生活が怖いと、七海は素直に恐怖を感じた。
人は誰でも、忘れられない言葉を胸に秘めているだろう。
あの日、微笑みながらお前に言われたセリフの意味を、半年経った今でも考えてる。
チャイムが鳴り、生徒たちがバッグを手に次々と教室を出て行く。
雪代匠(ゆきしろ・たくみ)はそれを尻目に、隣の席の七海和人(ななみ・かずと)を眺めていた。
その視線に気付き、七海が顔を上げる。
「どうしたの、雪代くん。帰らないの?」
「んー…」
「早く帰って宿題済ませちゃおうよ。そのあとで一緒に動画見る約束したじゃん。ほら、帰ろ」
「んー……」
手を差し出すと「しょうがないなぁ」と七海がくすくす笑いながら引っ張ってくれる。
強く引っ張られたフリをして「おっと」なんてワザとらしく言いながら七海に抱きついた。
「わっ、びっくりした。大丈夫、雪代くん」
ぽんぽんと背中を叩かれその首元に擦り寄る。ふわりと、大好きな香りが漂った。
「ちょっ、体育あったし汗くさいから離れて!」
「七海はいつもいい匂い」
「もー、雪代くん。僕だからいいけどさ、そういうの女の子には言っちゃダメだよ? 勘違いされるんだから」
お前は勘違いしてくれないのか?
じっと見つめると七海は小首を傾ぐ。その姿がかわいらしくて、きゅん、と胸が震えた。
「ほら、帰ろうよ」
腕の中の七海からそう声が上がるけど、まだ堪能していたい。
「あー、持病のナントカカントカが痛い」
「え? なに?」
「なんでもない。腹減ったから七海食う。あーん」
「ちょ、ちょっとホントに噛む真似しないで!」
「ちょっとだけ。ちょっと噛むだけだから」
「そんなんで小腹は満たされないしそもそも僕は食べられないからね!?」
「七海だったらいけそうな気がする」
「えぇー…ちょっ! いった! この子ホントに噛んできた! 痛い! ほっぺたちぎれる!」
腕の中の七海が暴れ出したため、名残惜しいが手を離した。
教室から外へ出て、ふたりで寮までの短い道のりを歩く。
「自習室空いてるかなー」
「空いてなかったら俺の部屋で宿題しよう」
「じゃあココア持って行くね。お湯沸かしといてもらっていいかな?」
頷くと、よろしくね、と七海は可愛らしく笑ってくれる。雪代は嬉しかった。
ここは全寮制のN学園高校。雪代と七海はここで寮生活を送りながら高校へ通っていた。
ふたりは同じ1年1組。席が隣同士で自然と仲良くなり、共に行動をすることが多かった。
七海が空を眺める。
「もう秋だねー。結構涼しいや」
「俺寒いのニガテ。夜は長袖着て寝てる」
「えっ、僕まだ半袖…」
「え」
「そして半ズボン…」
「え」
顔を見合わせて声を出して笑う。こんななんでもない時間が雪代にとってかけがえのないものだった。
「寒いから手ぇ貸してくれ」
「どうするの?」
「こうする」
差し出した手のひらをぎゅっと握りしめる。七海の顔が少し赤く染まった。
「ちょ、ちょっ」
「こっちの方がいいか。これが恋人繋ぎ」
「知ってるよ! そうじゃなくて…」
「俺すげー寒いからあっためてくれ」
ぎゅっと握られた手越しに、な? と微笑むと七海は観念したようだ。
「んもー。…雪代くんって末っ子感あるよね」
「残念。三兄弟の長男でした」
「うそっ! 雪代くん絶対末っ子だよ…」
「こんなでっかい末っ子いらねぇ」
「身長どれくらいあるの?」
「この間百八十超えた」
「いいなー! 僕なんてまだ百六十センチないんだよ…」
「かわいいサイズ」
ぽんぽんと頭を撫でると、む、と七海が唇を尖らせる。
かわいい。本当にかわいい。食べられるものなら色々な意味で食べたい。
拗ねた顔も笑った顔も、全部好きだ。七海、大好きだーー雪代は半年前のことを思い出していた。
ーーまるで溺れてるみたいだね。
クォーターのせいで青く輝く目のことを、七海は微笑みながらそう表現した。
今までたくさんの人に綺麗と言われたこの目に対して、初めてそんな表現された。
溺れてるみたいって、どういうことだ。聞くタイミングをいつも逃している。
でも、そのおかげで七海を知れた。忘れられない言葉のおかげで、七海から目が離せなくなった。好きだと自覚するには時間はかからなかった。
そしてあの言葉の意味を…半年経った今でもまだ考えている。
「…俺、七海に聞きたいことある」
「ん? なに?」
「入学式の時、俺の青い目見てお前が…」
「あ、ゆう君! ごめん雪代くん! ちょっと待ってて!」
ぱっと嬉しそうな顔になり、七海が駆け出す。その先には隣のクラスの男がいた。
男の周りを七海がちょろちょろと走り回るが、男は一切気にも留めず歩みも止めず、顔の表情も崩さないまま片手を上げて歩いていった。
残念そうな顔で七海が戻って来るのを雪代は白い目で見ていた。
…またか。
「今日もゆう君に無視されたー!」
「…もう話しかけるのやめたら?」
「うーん…昔はねー、結構話してくれたんだけどねー、最近は全然ダメだ。あ、ゆう君っていうのは…」
「知ってる。幼馴染なんだろ。隣のクラスの工藤優(くどう・ゆう)」
「うん、小中と一緒でね。まさか高校まで一緒になるとは思ってなかったんだ。ゆう君、どこの学校受けるとか全然教えてくれなくて…」
「もういい加減諦めたら? 七海、あの男のこと好きなんだろ」
ハッキリ告げると、途端に七海の顔が真っ赤に染まる。
すごくかわいい光景なのに、その顔色が自分に向けられたものではないからイライラする。
七海はわかりやすく体をもじもじさせ「知ってたの?」と消え入るような声でそう言った。
当たってしまった。できれば外れていてほしかった。
俺の気のせいで済ませたかった。
「見てたらわかる。脈ないのもわかる」
「…だよね。わかってる、よ。ゆう君全然僕のこと見てくれないし…。そもそもゆう君、人に興味ないの僕知ってるから…」
七海を目で追っていると、嫌でも工藤のことも目に入った。七海がどれだけ話しかけても無視するが、大抵の人間に対しても同じことをしていたので、人に興味がない、という言葉は一番しっくりくる。
沈黙が訪れた。
頬を赤らめあの男のことを考えている七海にさらにイライラは募るばかりだ。
「俺、七海が好きだ」
今言うはずのない、今言うべきではない言葉を気付けば吐いていた。
七海の目が、大きくなる。
しまったと思ってももう遅い、言葉は止まらない。
「俺を意識してほしい。俺を好きになってほしい。俺と付き合ってほしい。七海が好きだ」
「降ってるなぁ。どうしよう。走るべきか待つべきか」
大雨の外を見て、うーん、と七海は迷っていた。カサを忘れたのだ。
寮まで走ればすぐだけど、でもズブ濡れになるのは確実だ。しかし少し待って止むような雨量でもないし…。
「…ちょっと待とうかな」
七海は壁にもたれて、灰色の空を見上げた。
(雪代くんと話してないなぁ…)
突然の告白から二週間。一度も会話をしていない。隣の席だしあれだけ毎日一緒に行動していたのに。
話しかけられることもなければいつものように戯れつかれることもない。
(寒くなってきたなぁ。雪代くん、風邪ひいてないかなぁ)
寒いのは苦手と言っていた。ここ数日でぐっと冷え込んだから、少し心配である。
(…僕に心配する権利なんてないのにな)
避けているのは自分だ。
友達だと思っていた。…本当は思い込んでいただけかもしれない。
ふとした瞬間に抱きしめられることも、戯れるにしては大げさすぎることも、なんてことないように手を握られることも。
本当はすごくドキドキしていた。そんな感情向けられることなんてなかったから、もしかして、なんて思うのもおこがましく感じられて、ずっと蓋をしていた。
突然視界が遮られびっくりしていると、工藤がカサを差していた。
「あ、ゆう君」
長身からちらりと見下ろされ、あ、久しぶりに目が合ったな、なんて思っているとカサを半分差し出された。
「入っていいの?」
何も言わず工藤が歩き始めたため、慌てて七海も歩調を合わせた。
七海はドキドキしていた。
ーーこれって相合傘だ。
カサに弾かれた雨粒の音が、真上に広がる。
(ゆう君ってこういうところ優しいんだよなぁ)
ぶっきらぼうで最近は全く会話にならないが、でも、こういう優しいところは昔からだ。
「ゆ、ゆう君」
七海の足が止まり、工藤の足も止まった。
雨が降る。
先ほどよりも強まった。
「僕、ね…ずっと前からゆう君のことが…」
スマホの着信音がうるさい。
でも、操作する気にもなれず床に転がしていた。
寒い。体がどんどん冷えていく。
寮の自分の部屋の玄関でしゃがみ込んだまま、ずぶ濡れの七海は動けずにいた。
ーー結果ぐらい、わかりきっていたはずなのに。
こんなにも痛みを感じている自分はバカだーー部屋のドアがノックされ、七海はびくっと体を震わせた。
「七海? 大丈夫か?」
雪代だ。
「電話出てくれねえから心配だ。大丈夫か?」
二週間も話なんてしていないのに、なんでこんなときに限って来るのだ。
「七海? まさか倒れてねえよな?」
コンコン、とノックされる高い音が、ドンドン、という低い音に変わり、このまま居留守を使えば突き破ってくるのではと慌てて立ち上がってそっとドアを開けた。
「よかった。…七海?」
「ごめん。今、無理」
「ずぶ濡れじゃねえか。カサ忘れたのか? …泣いてるのか?」
「無理だって言ってるじゃん…。ごめん、お願いだから帰って」
ドアが閉まる。
「帰ってって言ってるじゃん…」
なんで内側にいるんだよ。
「こんな状態の七海置いて帰るほどボケてねえ」
「こういうときに長男気質発揮しないでよ…」
小さく笑ってしまった。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、ラクになった気がした。
ーー寮の風呂へ入って帰ってくると、部屋には雪代が待っていた。
「ちゃんと乾かしたか?」
「長男…」
「俺は別に七海の兄ちゃんになりたいわけじゃねえ。なりたいのは恋人だ」
狭い部屋のベッドに腰掛ける雪代の隣に座りかけて、七海は床に座った。
七海は膝を抱える。
「…なんで電話かけてきたの」
二週間も会話なんてしていないのにこんなときに限って。
「んー、直感? わりぃ、ウソついた。…後ろからずっと見てた」
七海が勢いよく顔を上げた。こくりと雪代が頷き「ごめん」と謝られ、また顔を伏せる。
「そっか、見られてたんだ…。……ありがと、ごめんって、久しぶりにゆう君の声聞いた」
「…そのあとお前がひとりで走って帰って行くの見て、そっとしておくべきだと思ったんだけどな…わりぃ、無神経なことしてる。今も、二週間前も」
「すっごい無神経」
「わりぃ。でも、ホントにわりぃ。……今、俺、棚ぼたってこういうことなんだなって実感してる」
「棚ぼた?」
「いや、棚から特大ホールケーキかもしれねえ」
キミ甘いもの好きだもんね、でも意味がわかんないと顔を上げた七海は驚く。
雪代は顔を真っ赤にしている。
「…うん?」
なんで赤くなってるんだろう?
「ここで今、フラれた七海を慰めたら俺のこと好きになってくれるんじゃねえか、って…すげー悪いこと考えてる。わりぃ、自分勝手でホントわりぃ」
雪代は大きな手で自分の顔を隠す。
七海はきょとんとした。
(今…僕の話してるんだよね?)
話題を取られた気がする。いや、根掘り葉掘り聞かれても困るけど…会話泥棒では?
「…末っ子」
「俺は長男だ」
キリッと澄まし顔で返されて、七海は吹き出した。
「あはははっ! 雪代くんってホント末っ子! あはははっ! ……あー…だめだっ、お腹痛い…笑いすぎた…っ」
さっきまで泣いていたのに最終的には腹痛である、我ながらバカバカしい。
しばらく腹痛に耐えたが気づくと沈黙だった。どうすればいいんだろうと考えていると、ぽつりと雪代が呟いた。
「俺、諦めてねえから」
「何を?」
「七海のこと」
「…フラれたばっかの人に対して無神経だと思うよ」
「俺もそう思う。でも、このままなかったことにされたくないし、今話さないと絶対に話が流れる」
七海としては流そうとしていた。しかし見抜かれていたようだ。
ため息を吐いた。
「雪代くんってホント雪代くんだよね」
「…褒めて、る?」
「まさか」
「…頭撫でてもいいか?」
「さすがに無神経すぎる」
「……でも俺、諦めねえから。絶対七海に意識させる。絶対好きになってもらう。だから…俺のこと見てほしい」
じっと雪代に見つめられる。前に聞いたことがある。
雪代の青い目は祖父の血ということを。
(僕はいつも…この青い目で見つめられてたなぁ)
登校するときも、学校で隣の席で授業を受けるときも、休憩中も、学食でお昼を食べるときも、寮まで帰る道のりも、一緒に宿題をするときも…この青い目でずっと見つめられていた。
綺麗な、青。
(初めて見たとき、この青い瞳に…)
顔が近づく。
青い瞳がそっと閉じられて、もっと見ていたいんだけどなあと不満に思ったところで我に返った。
「ストップ! ストップ!!」
慌てて手で顔を隠すと、甲に雪代の唇がぶつかる。
「雪代くん今なにしようとしたの!?」
「キス」
「は!?」
「このままキスできると思った。チッ」
悔しそうに雪代が舌打ちするのを見て、七海の顔が真っ赤に染まる。
ーーな、なにそれ。
「そんな雪代くん知らない…!」
ちょっと甘えん坊な末っ子気質なのに、いきなり豹変するなんて。
びっくりして固まっていると、二人の間を遮る七海の手を取り、雪代にその指先をべろりと舐められた。
続いて小指と薬指の間を、つつつ、と赤い舌先で見せつけるように舌が這う。七海の背筋がゾクゾクと震えた。
ちゅ、ちゅ、と指一本一本に口付けられる。人差し指だけ強く噛まれ「んんっ」と思わず甘い声が漏れてしまった。
「ぁ、あ…ゃ、やめてよ…」
「やだ」
青い瞳に睨みつけられた。
「七海が思ってる以上に俺…性欲強いから」
覚悟してて。
耳元で囁かれた。
七海は硬直したまま動けなかった。
ーーなにこのひと。え、これ、あの雪代くん?
背の高い甘えん坊な末っ子気質のかわいい子だとずっと思ってた。
さらに七海の顔が赤くなる。それを見た雪代がにっこり笑った。
「お、意識させるの成功した」
これからの学校生活が怖いと、七海は素直に恐怖を感じた。
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攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
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「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
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希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
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いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
恋が始まる日
一ノ瀬麻紀
BL
幼い頃から決められていた結婚だから仕方がないけど、夫は僕のことを好きなのだろうか……。
だから僕は夫に「僕のどんな所が好き?」って聞いてみたくなったんだ。
オメガバースです。
アルファ×オメガの歳の差夫夫のお話。
ツイノベで書いたお話を少し直して載せました。
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