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Act 9. 歯車が狂いだす鳥

ヒグラシの鳴く夏の終わり

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「そろそろ時間だから」

 そう言って隆二は帰って行った。
 送ろうか、と言ってくれた隆二の申し出を断って、一人墓の前で立ち尽くしていた。

 夕暮れ時になっても、夏の日差しはまだまだ止むことを知らず、じっとりとシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。

 嫌に綺麗になった墓。
 線香はまだ火を灯しており煙が揺蕩い、花も綺麗に咲き誇ってる。

「隆二の、バカ。俺はここにいないのに」

 ここで隆二が俺に語りかけている内容も、時間も、想いも知るすべはない。まして自分が隆二に対して出来ることだってない。

「俺は間違っていたのかな……」

 幸せになってほしい。そう願った。
 隆二は結婚して、幸せになったのだろうか。何処かさみしげな空虚感を残す眼差しから、隆二の幸せな家庭生活というのが想像出来なかった。
 ヒグラシが空虚感を代弁するかのように遠くで鳴いていた。

 ため息をついて、頭を軽く振る。
 隆二が幸せになったかなっていないかなんて、隆二が決めることだから俺には分からないんだから。

 何かに言い訳をするように頭の中で呟いて、通りでタクシーを拾うべく霊園の出口に向かって歩いている途中だった。

「織?」

 居るはずもないその声が聞こえた時、急速に身体が冷えて行くのを感じた。

「織?」

 もう一度確かめるかのような伊吹の声のした方を振り向けば、無表情の伊吹がこっちを向いて立っていた。

「伊吹……」

 どうして、ここに?
 俺のことをつけてきたのだろうか?

 疑問は場の空気を前にして音になることが叶わなかった。

「忘れ物って、霊園に?」

 感情を殺したような伊吹の淡々とした声に思わずぞくっと寒気がする。言葉だけ聞けば問いかけているだけだが、笑っていない顔と声を聞けばそれが疑いを含んでいるのは明らかだった。

「……」

 ああ。

 そう頷こうと思ったが、今の伊吹を前にして嘘が通用するとは思えない。

 俺が黙っていると、伊吹は更に続けた。

「忘れ物って、理事長に会う約束のこと?」

 やはり、と思った。出口で隆二を見たのか、それとも俺と隆二が2人で話しているところを見たのか、どちらかは分からないが確実にどちらかは見ていたんだろう。

「……理事長にはたまたま会ったんだ」

「へえ、たまたま、ね」

「本当に約束をしていたわけじゃないんだ」

「じゃあ、織は何を忘れたの?」

 そのことの言い訳を考えれば考える程、嘯いているようにしか感じられず結局口からついてきたのは苦し紛れとしか思えない言葉だった。

「なんとなく、もう一度来てみたくなって」

「お墓に?」

「……ああ」

「ふうん」

 冷め冷めとした返答に汗がどんどん冷えていく。

 どこからか飛んできたアブラゼミが鳴き始める。その鳴き声はじりじりと追いつめられる様を嘲笑っているかのようだった。

「なんで隠すの? 普通に理事長と約束してたって言えばいいじゃん」

「約束してない。本当に会ったのはたまたまなんだ」

「それを僕に信じろっていうの? 忘れ物もしてないのに忘れ物って言った織に、隠し事がないって、僕が信じられると思ってるの?」

 返す言葉もなく黙り込むしかなかった。

 忘れ物がないのに、意味もなく霊園に来るはずがない。
 一般的に考えればそうだ。伊織と寛人の関係性など、薫を通しての僅かな部分でしかないのだ。
 理事長が同じ墓の前に現れたとなれば、約束をしていたと考えるのもおかしくない。

「織って時々ひどく残酷なことするよね。それも無意識に」

 伊吹の潤んだ目は俺の視線から外されて、哀しげにそう呟いた。
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