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9話・境界の軋む音
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9話・境界の軋む音
リーシャは、あまりの情報の奔流に、一度ぎゅっと目を閉じました。そして大きく深呼吸をすると、震える足を一歩踏み出し、カイルとの距離を再び詰めました。
「……何が『否定』で、何が『別物』なんですか。正直、さっぱり分かりません!」
彼女の言葉に、カイルは面食らったように目を見開きました。
「リーシャ……? 俺は、もう君の知っている魔法使いじゃないんだぞ。気味が悪いとは思わないのか?」
「それは……正直、さっきのは怖かったです。でも、たとえ力が何だろうと、私の知ってるカイルさんは、私を助けてくれたカイルさんです! それ以外の誰でもありません!」
彼女は腰に手を当て、毅然と言い放ちました。恐怖が完全に消えたわけではありませんが、それ以上に「カイルが自分を切り離そうとしていること」への反発が勝ったようです。
「だから、その『別物の力』っていうのが何なのか、もっと詳しく説明してください。はぐらかさないで。私、カイルさんのこと、もっと知りたいんです」
そのまっすぐな瞳に射抜かれ、カイルは毒気を抜かれたように肩の力を落としました。
それから、庭の縁側に腰を下ろし、ぽつりぽつりと話し始めました。魔力とは根本的にルールが違うこと。猫に導かれて「視点」を変えることで、この世界の現象に干渉できること。
話を聞き進めるうちに、リーシャの表情から怯えが消え、代わりに奇妙な輝きが宿り始めました。そんな彼女を見守りながら、猫は庭の端で前足を揃えて座り、まるで興味深い劇を観る観客のように、細くしなやかな尾を地面でリズミカルに叩いていました。
(隠す? 諦めさせる? ……滑稽ね。この娘(こ)の好奇心と執着心は、あなたが思っているよりもずっと深いのよ。……さあ、どうなるかしら)
猫の黄金の瞳には、カイルが必死に守ろうとしている「かつての温かな日常」が、リーシャという毒によって崩れ去っていく未来が、最初から透けて見えていました。
「……つまり、この世界が『こうあるべきだ』って決めているルールを、カイルさんは『そうじゃない』って書き換えてる……ってことですか?」
「まあ……正確には書き換えというより、その場所だけルールを無効化している、という感じだが」
「……すごい」
リーシャは自分の手のひらを見つめ、それからカイルの膝元で丸くなっている猫をじっと見つめました。彼女の好奇心は、もはや恐怖を追い越していました。
「ねえ、カイルさん。……それって、私にも扱えるようになりますか?」
「えっ……?」
カイルは耳を疑いました。猫は、これまでにないほど愉快そうに、喉をごろごろと鳴らして笑いました。
『あら……いい度胸ね。ねえ、カイル。教えてあげたら? この「理」を知ることは、今まで信じてきた世界を半分捨てることだって。……それでも、この子をこちら側に引きずり込みたい?』
カイルは、期待に満ちたリーシャの眼差しを前に、激しい葛藤に襲われました。
「ダメだ、リーシャ。これだけは絶対にダメだ」
カイルは椅子から立ち上がり、強く首を振りました。自分の指先に残る、あの「世界を削り取るような冷たい感触」を彼女に味わせるわけにはいかない。
「これは魔法じゃないんだ。一度足を踏み入れれば、二度と普通の幸せには戻れない。君には、この世界の温かい光の中で生きていてほしいんだ」
「……嫌です」
リーシャは、まるで子供のように頬を膨らませ、カイルの袖をぎゅっと掴んで離しませんでした。
「どうしてカイルさんだけが、そんな辛いものを一人で抱えなきゃいけないんですか? 『戻れない』っていうなら、私も一緒に戻れなくなればいいじゃないですか!」
「何を言ってるんだ、君は……!」
「説明してって言ったのは私です。興味を持ったのも私です。カイルさんが隠し事をするなら、私、明日からご飯作りませんからね! 洗濯物も、カイルさんの分だけわざと生乾きにします!」
「……っ」
あまりにも世俗的で、それでいて逃げ場のない脅しに、かつての英雄は絶句しました。足元で、猫がひっくり返って腹を見せながら、くすくすと笑い転げています。
『あはは! 傑作ね! 世界の理を否定する男が、生乾きの靴下には勝てないなんて。……いいわよ、カイル。そんなに彼女がやりたがってるなら、入り口くらい覗かせてあげたら?』
「……本気か?」
『ええ。でも、タダじゃないわよ。……ねえ、お嬢さん。私の「試練」を受けてみる?』
猫はひょいと起き上がり、黄金の瞳を怪しく光らせました。庭の月光草を前足でトン、と叩きます。
『この花を見て「ただの枯れ草」だと思えたら、合格。……やってみる?』
カイルの制止も聞かず、リーシャは猫の前に膝をつきました。
『じゃあ……深呼吸して。目を閉じて。……私が「今よ」って言ったら、この花が「何に見えるか」教えて頂戴』
猫のしっぽが、リーシャの額をそっとなぞりました。その瞬間、庭の空気が一変します。温度が消え、音が吸い込まれ、世界の彩度が急激に落ちていく――。
「……目を開けてごらんなさい」
猫の声が響くと同時に、庭を包んでいた空気の密度が、薄氷を割るような鋭さで変化しました。
「…………これ」
リーシャの声に、苦悶の色はありませんでした。
「……ただの、カサカサした塊ですね。さっきまで綺麗だと思ってたのが不思議なくらい……。なんだか、光のメッキが剥がれたみたい」
リーシャが指先で触れた瞬間、月光草はただの灰色の物質へと成り下がりました。
「……成功、なの?」
カイルは、目の前で起きたあまりに静かな現象に言葉を失いました。
自分があれほど苦しみ、のたうち回りながら掴み取った理。それを彼女は、ごく自然に、あっさりとやってのけたのです。
「……え? いえ、全然。むしろ、なんだかすっきりしました。カイルさんが練習してた時、隣にいるとたまに『ツーン』とするような、静かな感じがしてたじゃないですか。あの感覚をちょっと思い出してみたら、すんなりいけちゃって」
彼女はケロッとした顔で、灰になった花の残骸を指で突きました。
リーシャは、あまりの情報の奔流に、一度ぎゅっと目を閉じました。そして大きく深呼吸をすると、震える足を一歩踏み出し、カイルとの距離を再び詰めました。
「……何が『否定』で、何が『別物』なんですか。正直、さっぱり分かりません!」
彼女の言葉に、カイルは面食らったように目を見開きました。
「リーシャ……? 俺は、もう君の知っている魔法使いじゃないんだぞ。気味が悪いとは思わないのか?」
「それは……正直、さっきのは怖かったです。でも、たとえ力が何だろうと、私の知ってるカイルさんは、私を助けてくれたカイルさんです! それ以外の誰でもありません!」
彼女は腰に手を当て、毅然と言い放ちました。恐怖が完全に消えたわけではありませんが、それ以上に「カイルが自分を切り離そうとしていること」への反発が勝ったようです。
「だから、その『別物の力』っていうのが何なのか、もっと詳しく説明してください。はぐらかさないで。私、カイルさんのこと、もっと知りたいんです」
そのまっすぐな瞳に射抜かれ、カイルは毒気を抜かれたように肩の力を落としました。
それから、庭の縁側に腰を下ろし、ぽつりぽつりと話し始めました。魔力とは根本的にルールが違うこと。猫に導かれて「視点」を変えることで、この世界の現象に干渉できること。
話を聞き進めるうちに、リーシャの表情から怯えが消え、代わりに奇妙な輝きが宿り始めました。そんな彼女を見守りながら、猫は庭の端で前足を揃えて座り、まるで興味深い劇を観る観客のように、細くしなやかな尾を地面でリズミカルに叩いていました。
(隠す? 諦めさせる? ……滑稽ね。この娘(こ)の好奇心と執着心は、あなたが思っているよりもずっと深いのよ。……さあ、どうなるかしら)
猫の黄金の瞳には、カイルが必死に守ろうとしている「かつての温かな日常」が、リーシャという毒によって崩れ去っていく未来が、最初から透けて見えていました。
「……つまり、この世界が『こうあるべきだ』って決めているルールを、カイルさんは『そうじゃない』って書き換えてる……ってことですか?」
「まあ……正確には書き換えというより、その場所だけルールを無効化している、という感じだが」
「……すごい」
リーシャは自分の手のひらを見つめ、それからカイルの膝元で丸くなっている猫をじっと見つめました。彼女の好奇心は、もはや恐怖を追い越していました。
「ねえ、カイルさん。……それって、私にも扱えるようになりますか?」
「えっ……?」
カイルは耳を疑いました。猫は、これまでにないほど愉快そうに、喉をごろごろと鳴らして笑いました。
『あら……いい度胸ね。ねえ、カイル。教えてあげたら? この「理」を知ることは、今まで信じてきた世界を半分捨てることだって。……それでも、この子をこちら側に引きずり込みたい?』
カイルは、期待に満ちたリーシャの眼差しを前に、激しい葛藤に襲われました。
「ダメだ、リーシャ。これだけは絶対にダメだ」
カイルは椅子から立ち上がり、強く首を振りました。自分の指先に残る、あの「世界を削り取るような冷たい感触」を彼女に味わせるわけにはいかない。
「これは魔法じゃないんだ。一度足を踏み入れれば、二度と普通の幸せには戻れない。君には、この世界の温かい光の中で生きていてほしいんだ」
「……嫌です」
リーシャは、まるで子供のように頬を膨らませ、カイルの袖をぎゅっと掴んで離しませんでした。
「どうしてカイルさんだけが、そんな辛いものを一人で抱えなきゃいけないんですか? 『戻れない』っていうなら、私も一緒に戻れなくなればいいじゃないですか!」
「何を言ってるんだ、君は……!」
「説明してって言ったのは私です。興味を持ったのも私です。カイルさんが隠し事をするなら、私、明日からご飯作りませんからね! 洗濯物も、カイルさんの分だけわざと生乾きにします!」
「……っ」
あまりにも世俗的で、それでいて逃げ場のない脅しに、かつての英雄は絶句しました。足元で、猫がひっくり返って腹を見せながら、くすくすと笑い転げています。
『あはは! 傑作ね! 世界の理を否定する男が、生乾きの靴下には勝てないなんて。……いいわよ、カイル。そんなに彼女がやりたがってるなら、入り口くらい覗かせてあげたら?』
「……本気か?」
『ええ。でも、タダじゃないわよ。……ねえ、お嬢さん。私の「試練」を受けてみる?』
猫はひょいと起き上がり、黄金の瞳を怪しく光らせました。庭の月光草を前足でトン、と叩きます。
『この花を見て「ただの枯れ草」だと思えたら、合格。……やってみる?』
カイルの制止も聞かず、リーシャは猫の前に膝をつきました。
『じゃあ……深呼吸して。目を閉じて。……私が「今よ」って言ったら、この花が「何に見えるか」教えて頂戴』
猫のしっぽが、リーシャの額をそっとなぞりました。その瞬間、庭の空気が一変します。温度が消え、音が吸い込まれ、世界の彩度が急激に落ちていく――。
「……目を開けてごらんなさい」
猫の声が響くと同時に、庭を包んでいた空気の密度が、薄氷を割るような鋭さで変化しました。
「…………これ」
リーシャの声に、苦悶の色はありませんでした。
「……ただの、カサカサした塊ですね。さっきまで綺麗だと思ってたのが不思議なくらい……。なんだか、光のメッキが剥がれたみたい」
リーシャが指先で触れた瞬間、月光草はただの灰色の物質へと成り下がりました。
「……成功、なの?」
カイルは、目の前で起きたあまりに静かな現象に言葉を失いました。
自分があれほど苦しみ、のたうち回りながら掴み取った理。それを彼女は、ごく自然に、あっさりとやってのけたのです。
「……え? いえ、全然。むしろ、なんだかすっきりしました。カイルさんが練習してた時、隣にいるとたまに『ツーン』とするような、静かな感じがしてたじゃないですか。あの感覚をちょっと思い出してみたら、すんなりいけちゃって」
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