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16話・魂の抜けた器へ、命を吹き込む
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16話・魂の抜けた器へ、命を吹き込む
リーシャに付き添い、カイルと旦那様が部屋の中へ入ると、そこには窓から差し込む夕日に照らされて、眩いばかりの輝きを放つオルゴールが置かれていました。
旦那様は、息を呑んでその歩みを止めました。
「これは……本当に、私のオルゴールなのか?」
震える手で、彼はその木彫りの蓋に触れました。かつての傷も、色褪せた塗装も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去り、そこにあるのは「完璧な状態」そのものでした。
旦那様が恐る恐るゼンマイを回すと、カチリ、と澄んだ音が響き、ゆっくりと円盤が回り始めました。
室内に流れ出したのは、天上の調べかと思うほどに純粋で、透明な音色。
掠れも、音飛びも、軋みもない。
それは、旦那様が若き日に亡き妻と一緒に聴いた、あの日のままの――いいえ、記憶の中の音よりもさらに鮮やかな響きでした。
「ああ……ああ、これだ。この音だ……」
旦那様の目から、大粒の涙が溢れ出しました。
彼は膝をつき、子供のように肩を震わせて泣き始めました。何十年もの間、彼を縛り付けていた「喪失」という名の汚れが、その音色によって洗い流されていくようでした。
「君は……君は、一体どれほどの奇跡を起こしたんだ。王都の技師たちが『魂が抜けた器だ』と諦めたこのガラクタに、どうやって命を吹き込んだ……?」
リーシャは、旦那様のあまりに激しい反応に少し戸惑いながら、後ろに控えるカイルをチラリと見ました。カイルは「だからやりすぎるなと言ったんだ」という顔で額を押さえていましたが、泣き崩れる老人を前に、リーシャは優しく微笑んで答えました。
「奇跡なんて、そんな……。私はただ、ずっと大切にされていたこの子が、少しだけ『お疲れ様』って汚れていたように見えたので。それを、元の綺麗な姿に戻してあげただけですよ」
「元の姿に……? 掃除の範疇で、これが直せると言うのか……?」
旦那様は涙を拭い、畏怖の念すら込めてリーシャを見上げました。もはや彼女を「ただの清掃員」として見ることは、誰にも不可能でした。
一方その頃、屋根裏から降りてきたアトラは、柱の陰でガタガタと震えながらその光景を見ていました。
(……掃除? 汚れ? 嘘よ、あんなの嘘……! あの女、さっき『壊れているという事実』そのものを消したのよ。そんなこと、この世界の神様にだって許されていないはずなのに……!)
アトラは、自分の飼い主が心酔している「奇跡」の正体が、この世界の理を根底から覆す「恐怖」であることを、たった一人で理解してしまったのです。
そこへ、キルケが音もなくアトラの背後に忍び寄りました。
『あら、随分と顔色が悪いわね。お上品な飼い猫さん』
アトラは飛び上がるほど驚き、キルケを見ました。
「ひっ……!」
『……あんた、見たんでしょう? リーシャの「お掃除」。……ふふ、ようやく理解したかしら。あんたが「野良」だと見下していた私たちの主が、どれほどデタラメな存在か』
キルケは、黄金の瞳に嗜虐的な光を宿し、絶望に染まったアトラを見下ろしてニヤリと笑いました。
キルケは、震えが止まらないアトラを一瞥すると、それ以上は何も言わずにしなやかな動作で背を向けました。
『……せいぜい、その高い首輪が外れないように気をつけることね』
念話でそれだけを残し、キルケはリーシャの足元へと戻っていきました。アトラが見た「世界のバグ」とも言える光景。それを口外すれば、アトラ自身の存在意義すら危うくなることをキルケは見抜いていたのです。
一方、広間では旦那様がようやく涙を拭い、立ち上がりました。
「……すまない。取り乱した。このオルゴールがどうやって直ったのか、私には到底理解できない。……だが、追求はしないよ。理解しようとすること自体が、この美しい音色への不敬に思えるからね」
老紳士は、その洗練された理知ゆえに悟ったのです。これ以上深追いすれば、この少女を「ただの女の子」としてこの村に留めておくことはできなくなる。彼はリーシャへの感謝を胸に、それ以上の質問を自らに禁じました。
「カイル君、彼女を大切にしてあげなさい。……そして、これが正当な報酬だ」
手渡されたのは、当初の掃除代とは比較にならないほどの重みがある袋でした。
数日後。
村のギルド掲示板には、奇妙な現象が起きていました。
「おい、聞いたか? 『黄金の風』のアルヴィンたちが言ってた、あの荷物持ちの娘……」
「ああ、旦那様のところの『開かずのオルゴール』を、一晩……いや、一瞬で直したらしいぜ!」
「お掃除」の実績を作っていたはずが、いつの間にか噂は**「直せないものはない修理屋」**として一人歩きを始めていました。
「リーシャさん、これ! おじいちゃんの代から動かない時計なんですけど、お掃除のついでに見てくれませんか!?」
「こっちの、真っ二つに割れた家宝の皿も! 洗えばくっつくって噂を聞いて!」
ギルドの前に、壊れた品々を抱えた冒険者や村人が列をなし始めます。
「ちょっとカイルさん! 私、お掃除の依頼を受けたいのに、みんな『これ洗ってください』って、壊れたものばっかり持ってくるんですけど!」
リーシャが頬を膨らませて抗議すると、カイルは頭を抱えて唸りました。
「……お前がオルゴールをあんな『完璧すぎる状態』に戻すからだ。あんなもん、新品より輝いてたじゃないか」
「だって、中が汚れてたから……」
「いいか、リーシャ。これからは『修理』じゃなく、あくまで『徹底的な洗浄』の結果、たまたま直ったことにするんだ。いいな?」
その横で、最近すっかり大人しくなったアトラを連れた旦那様が、時折ギルドを訪れては、リーシャの活躍を遠くから満足げに眺めていました。
キルケは、以前のような傲慢さを失い、遠くから自分たちを怯えた目で見つめるアトラに対し、鼻でフンと笑いながら、一番高い棚の上で優雅に毛繕いをするのでした。
リーシャに付き添い、カイルと旦那様が部屋の中へ入ると、そこには窓から差し込む夕日に照らされて、眩いばかりの輝きを放つオルゴールが置かれていました。
旦那様は、息を呑んでその歩みを止めました。
「これは……本当に、私のオルゴールなのか?」
震える手で、彼はその木彫りの蓋に触れました。かつての傷も、色褪せた塗装も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去り、そこにあるのは「完璧な状態」そのものでした。
旦那様が恐る恐るゼンマイを回すと、カチリ、と澄んだ音が響き、ゆっくりと円盤が回り始めました。
室内に流れ出したのは、天上の調べかと思うほどに純粋で、透明な音色。
掠れも、音飛びも、軋みもない。
それは、旦那様が若き日に亡き妻と一緒に聴いた、あの日のままの――いいえ、記憶の中の音よりもさらに鮮やかな響きでした。
「ああ……ああ、これだ。この音だ……」
旦那様の目から、大粒の涙が溢れ出しました。
彼は膝をつき、子供のように肩を震わせて泣き始めました。何十年もの間、彼を縛り付けていた「喪失」という名の汚れが、その音色によって洗い流されていくようでした。
「君は……君は、一体どれほどの奇跡を起こしたんだ。王都の技師たちが『魂が抜けた器だ』と諦めたこのガラクタに、どうやって命を吹き込んだ……?」
リーシャは、旦那様のあまりに激しい反応に少し戸惑いながら、後ろに控えるカイルをチラリと見ました。カイルは「だからやりすぎるなと言ったんだ」という顔で額を押さえていましたが、泣き崩れる老人を前に、リーシャは優しく微笑んで答えました。
「奇跡なんて、そんな……。私はただ、ずっと大切にされていたこの子が、少しだけ『お疲れ様』って汚れていたように見えたので。それを、元の綺麗な姿に戻してあげただけですよ」
「元の姿に……? 掃除の範疇で、これが直せると言うのか……?」
旦那様は涙を拭い、畏怖の念すら込めてリーシャを見上げました。もはや彼女を「ただの清掃員」として見ることは、誰にも不可能でした。
一方その頃、屋根裏から降りてきたアトラは、柱の陰でガタガタと震えながらその光景を見ていました。
(……掃除? 汚れ? 嘘よ、あんなの嘘……! あの女、さっき『壊れているという事実』そのものを消したのよ。そんなこと、この世界の神様にだって許されていないはずなのに……!)
アトラは、自分の飼い主が心酔している「奇跡」の正体が、この世界の理を根底から覆す「恐怖」であることを、たった一人で理解してしまったのです。
そこへ、キルケが音もなくアトラの背後に忍び寄りました。
『あら、随分と顔色が悪いわね。お上品な飼い猫さん』
アトラは飛び上がるほど驚き、キルケを見ました。
「ひっ……!」
『……あんた、見たんでしょう? リーシャの「お掃除」。……ふふ、ようやく理解したかしら。あんたが「野良」だと見下していた私たちの主が、どれほどデタラメな存在か』
キルケは、黄金の瞳に嗜虐的な光を宿し、絶望に染まったアトラを見下ろしてニヤリと笑いました。
キルケは、震えが止まらないアトラを一瞥すると、それ以上は何も言わずにしなやかな動作で背を向けました。
『……せいぜい、その高い首輪が外れないように気をつけることね』
念話でそれだけを残し、キルケはリーシャの足元へと戻っていきました。アトラが見た「世界のバグ」とも言える光景。それを口外すれば、アトラ自身の存在意義すら危うくなることをキルケは見抜いていたのです。
一方、広間では旦那様がようやく涙を拭い、立ち上がりました。
「……すまない。取り乱した。このオルゴールがどうやって直ったのか、私には到底理解できない。……だが、追求はしないよ。理解しようとすること自体が、この美しい音色への不敬に思えるからね」
老紳士は、その洗練された理知ゆえに悟ったのです。これ以上深追いすれば、この少女を「ただの女の子」としてこの村に留めておくことはできなくなる。彼はリーシャへの感謝を胸に、それ以上の質問を自らに禁じました。
「カイル君、彼女を大切にしてあげなさい。……そして、これが正当な報酬だ」
手渡されたのは、当初の掃除代とは比較にならないほどの重みがある袋でした。
数日後。
村のギルド掲示板には、奇妙な現象が起きていました。
「おい、聞いたか? 『黄金の風』のアルヴィンたちが言ってた、あの荷物持ちの娘……」
「ああ、旦那様のところの『開かずのオルゴール』を、一晩……いや、一瞬で直したらしいぜ!」
「お掃除」の実績を作っていたはずが、いつの間にか噂は**「直せないものはない修理屋」**として一人歩きを始めていました。
「リーシャさん、これ! おじいちゃんの代から動かない時計なんですけど、お掃除のついでに見てくれませんか!?」
「こっちの、真っ二つに割れた家宝の皿も! 洗えばくっつくって噂を聞いて!」
ギルドの前に、壊れた品々を抱えた冒険者や村人が列をなし始めます。
「ちょっとカイルさん! 私、お掃除の依頼を受けたいのに、みんな『これ洗ってください』って、壊れたものばっかり持ってくるんですけど!」
リーシャが頬を膨らませて抗議すると、カイルは頭を抱えて唸りました。
「……お前がオルゴールをあんな『完璧すぎる状態』に戻すからだ。あんなもん、新品より輝いてたじゃないか」
「だって、中が汚れてたから……」
「いいか、リーシャ。これからは『修理』じゃなく、あくまで『徹底的な洗浄』の結果、たまたま直ったことにするんだ。いいな?」
その横で、最近すっかり大人しくなったアトラを連れた旦那様が、時折ギルドを訪れては、リーシャの活躍を遠くから満足げに眺めていました。
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