カイルとリーシャと異世界の理

エルザ

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27話・救済の拒絶

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27話・救済の拒絶





カイルが住処にしている古びた家屋の裏手。そこで彼は、相変わらず剣を振っていた。
魔力がない。属性もない。この世界の「強者」の定義から外れた今の彼にとって、残されたのは己の肉体と、徹底的に磨き上げた技術だけだ。

「……998、999、1000」

鋭い風切り音と共に、木刀が空を裂く。魔力を一切乗せないその一撃は、しかし、並の属性持ちが放つ風の刃よりも正確に一点を射抜いていた。

「カイル……さん……?」

背後からかかった震える声に、カイルは動きを止めた。
振り返ると、そこには見覚えのある、だが記憶の中よりも少しだけ成長した少女が立っていた。

「ミラ……か?」

「あ……よかった、覚えててくれた……。探したんですよぉ、ずっと」

ミラはボロボロになった旅装束のまま、その場にへたり込んだ。カイルが「悪を尽くしていた」時代、文字通り気まぐれで命を助けた少女。彼女はカイルが魔力を失い、世間から「無能」と蔑まれて姿を消したと聞き、必死でその行方を追っていたのだ。

「カイルさん、あの……ひどい噂を耳にしたんです。その、器官が枯れて、魔法が使えなくなったって……」

ミラは泣きそうな顔でカイルの手を取った。かつて雷を纏い、天災のように敵をなぎ倒していた「輝かしいカイル」の面影を、彼女は今の彼の中に必死に探そうとしている。

「あの方たちが言ってることなんて、嘘ですよね? 属性を失うなんて、そんなの、カイルさんにとっては死ぬのと同じくらい辛いことのはずです。だから、私……!」

必死に訴えかけるミラを、カイルは冷めた目で見つめていた。
かつての自分なら、その同情に耐えきれず、絶望に打ちひしがれていたかもしれない。だが、今の彼は違う。

「……別に、噂通りだ。今の俺に魔力はない」

「そんな……。でも、大丈夫です! 私、見つけたんですよぉ。カイルさんの力を、あの凄かった頃の属性を、元通りに……いえ、前よりもずっと強くする方法を!」

ミラの瞳には、狂信的なまでの使命感が宿っていた。
彼女はカイルを「元の世界(属性持ちの頂点)」へ引き戻すことこそが、唯一の救いだと信じて疑わない。

だが、その必死な誘いを聞きながら、カイルの脳裏には別の光景が浮かんでいた。
「不衛生ですね」と呟きながら、神の理不尽な雷をただのゴミとして拭い去った、あの少女の姿だ。

「カイルさん、行きましょう! その場所はもう、準備ができてるんです。これさえあれば、また『上』に戻れるんですよぉ!」

ミラの言葉は、カイルにはもう届かなかった。
異世界の理という、この世界の物差しを根底から覆す「真理」に触れてしまった彼にとって、ミラが差し出す救いは、壊れたおもちゃの修理を持ちかけられているような、滑稽なものにすら感じられていた。

「……ミラ。悪いが、今の俺にはそんなもの興味がない」

カイルは静かにミラの腕を解くと、再び木刀を構えた。その背中は、かつて彼女が憧れた「属性の覇者」のものとは、全く別の異質な威圧感を放っていた。


「そんな……嘘、嘘ですよぉ! 興味がないなんて、カイルさんが言うはずありません!」

ミラは震える声で叫び、カイルの服の裾に縋り付いた。その手は、険しい道中を越えてきた証か、泥と擦り傷で汚れている。

「だって、思い出してくださいよ! カイルさんが雷を纏って戦う姿、あんなに綺麗だったじゃないですか! みんなが震え上がって、跪いて……あの圧倒的な力こそが、カイルさんだったはずです! なのに、今は魔法も使わずに、ただの木の棒を振るなんて……そんなの悲しすぎます!」

彼女にとってのカイルは、空から雷を降らせる「選ばれた強者」でなければならなかった。属性という天賦の才を持ち、世界の序列の頂点に君臨する存在。それが魔力のない「ただの人」として満足しているなど、彼女の常識が許さない。

「お願いです、私を信じてください! その場所へ行けば、またあの頃の……みんなが憧れた『属性持ち』のカイルさんに戻れるんです! あの力があれば、もう誰にも舐められません。また世界を支配することだって……!」

「ミラ、落ち着け」

カイルは、縋り付く彼女の手を優しく、だが拒絶の意志を込めて引き剥がした。その動作には一分の無駄もなく、魔力を使わずとも周囲の空気を支配するような鋭さがある。

「支配……か。確かに、前はそんなことばかり考えていたな」

カイルは遠い目をして、ふっと自嘲気味に笑った。
かつては属性こそがすべてで、魔力量の多寡が人間の価値だと信じて疑わなかった。だが、今は違う。

「でもな、ミラ。今の俺には、魔力なんてものは……ただの『ノイズ』にしか見えないんだ」

「ノイズ……? そんな、力そのものをノイズだなんて……!」

ミラは絶望したように顔を覆った。彼女には理解できない。この世界の住人にとって、魔力は呼吸と同じくらい重要なもので、それを自ら拒むなど、正気の沙汰ではないからだ。

「……そもそも、お前の言う『元の力』なんて、あの娘の『お掃除』のついでに消えちまう程度のものだろうしな」

カイルが独り言のように呟いた、その時だった。

「お待たせしました、カイルさん。お茶が入りましたよ。……あら、お客様ですか?」

家の影から、エプロン姿のリーシャがひょっこりと顔を出した。その手には、お盆に乗せられた湯呑みが二つ。彼女はミラの必死な形相や、その場に漂う重苦しい空気に気づいているのかいないのか、いつものマイペースな足取りで歩み寄ってきた。

「なんだリーシャ、休憩か」

「はい。それよりカイルさん、このあたり少し埃っぽいですよ。後でしっかり掃き清めないと」

リーシャはそう言って、ミラの足元に溜まったわずかな砂埃をじっと見つめた。

ミラはその場に立ち尽くし、カイルの隣に当たり前のように佇む少女を、呆然と見返した。自分とは全く違う、どこかこの世界の空気と馴染んでいない、浮世離れした雰囲気。

「カイルさん、この人が……? この人が、カイルさんをたぶらかして、魔力を戻すのを邪魔してるんですかぁ!?」

ミラは叫び、リーシャを指差した。彼女にとって、魔力を拒むカイルなどあり得ない存在だ。ならば、この得体の知れない少女が、カイルに何かおかしな呪いでもかけて、弱いままでいさせようとしているに違いない――そう確信したのだ。

「邪魔……? いえ、私はただ、カイルさんの周りを綺麗にしているだけですよ」

リーシャは首を傾げ、不思議そうにミラを見つめた。その瞳には敵意も悪意もなく、ただ純粋な「戸惑い」だけが浮かんでいる。

「嘘です! カイルさん、騙されないで! 私と一緒に来てください。あの魔法陣さえあれば、また最強になれるんです!」

ミラは再びカイルの手を掴もうとした。だが、カイルはその手を、もはや見る必要すらないと言わんばかりの最小限の動きでかわした。

「ミラ、もういい。お前の言う『最強』がどれほど脆いか、俺はもう知ってしまったんだ」

カイルは、傍らに立つリーシャの、何の変哲もない「掃除道具」を見つめた。あの神の雷すら消し去った、異世界の理の象徴。それに比べれば、魔法陣から得られる魔力など、確かにただの「ノイズ」に過ぎない。
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