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第1章 大賢者様の秘書になりました
66.明日になれば<side:焔>
しおりを挟むそれは偶然だった。
梨里の部屋から帰ってきて、全然進まない仕事をこなしながら悶々と考え込んでいれば、気がつけば夜になっていて。
アルトは梨里のところに置いてきてしまったから、と、ひとり夕食を取るため食堂へと向かった俺に、声を掛けてくる人物がいた。
「……あれ?もしかしてイグニス?」
気安い声に振り返って見れば、そこに居たのは梨里の友人。
「何、夕飯?ひとりで出てきてるなんて珍し――うおっ」
「オリバー」
すかさず、がしりと両肩を掴めば驚きの声が上がる。
「ちょっと話でもしないかい?」
「……お、おう?」
――と、こんな出会いをしたオリバーを相手に、夕食を取りつつ相談ごとを聞いてもらうことになったのだ。
「……なるほど、そういう訳で大賢者様とオリバーがいらっしゃいましたのね」
優雅に紅茶を傾けながら、シャーロットがひとつ頷いた。
「せっかくですから、私もご一緒してよろしいでしょうか?もしも差し支えなければ、ですけれど」
「差し支えなんてないから、ロイアーも話聞いてくれたらありがたいな。相談って程でもない話なんだけどさ……」
「それなら私も、微力ながらお力になりますわ。……ところでそのお話とやらですけれど、今日リリーのことを見かけませんことが関係しているのではありませんか?」
……さすが、女の勘というやつなのか。
さらりと言い当ててきたロイアーに、ひとつ大きな溜息が零れた。
「鋭いね……」
「やっぱりそうでしたのね」
「なんだ珍しい。喧嘩でもしたのか?」
意外だと言いたげに目を丸くするオリバーに、軽く首を振って応えた。
「いや。……実は彼女、熱を出してしまって……今日は仕事、休みなんだ」
「まぁ、大変。大丈夫ですの?」
「うん、一応食事の差し入れをしに行ったけれど、そこまで深刻なものではなさそうだったから、大丈夫だとは思う」
「そっか。……なんだろうな、疲れでも出たのかな」
オリバーがほっとしつつも零した言葉に、ぐっと息が詰まった。
「そうですわね。リリー、とても頑張り屋さんでしたから……ずっと色々なことを詰め込み気味でしたし、慣れない舞踏会で疲れが出てしまったのかもしれませんわね」
「……うぐ」
次いでロイアーの言葉も、心にぐさっと刺さる。
やっぱり、という思いに、更に身体が重くなった気がして――行儀が悪いとわかっていながらも、目の前のテーブルに突っ伏した。
「……君たちもそう思う?」
視界の外で、ふたりが顔を見合わせたのが気配でわかる。
ああもう、身体が重い……。
体調が悪いわけでも、寝不足なつもりもないのに。
何故だか、胸の辺りを中心にして……身体がぐっと重くなったように感じていた。
「そうだよね……。リリーの熱って、僕のせいだよね……」
「……なるほど。大賢者様はそうお考えになって、落ち込んでいらっしゃるのですか……」
「あー、なるほどねぇ」
ぽんぽん、と励ますように肩を叩いてきたのは、オリバーだろう。
励まされるというより、情けない気持ちに拍車が掛かるような気がしながら溜息を吐く。
そこへ軽い咳払いの音がした。
「大賢者様。私からひとつよろしいでしょうか?お顔を上げてくださいませ」
「うん……」
言われるまま顔を上げると、ちょっと眉尻を下げつつも真剣な眼差しをしたロイアーがこちらを見つめていた。
「リリーが熱を出したということについて、上司である大賢者様が自分の責任だと思われることは良ろしいのですが……全てがご自分のせいだと思っていらっしゃるのなら、それは間違っていらっしゃると思いますわ」
「……でも、僕のためにってリリーは無理して……」
俺の言葉に、ロイアーは静かに首を振る。
「そのように考えてはいけませんわ。リリーは強要されたのではなく、自ら貴方の為にと努力していたのですから」
「……」
「少し冷たい言い方かもしれませんけれど、決して無理をしすぎることなく、休むときにはきちんと休み、自身の体調管理をすることも、大切な仕事の一部ですわ。その点において、リリーにも多少の落ち度はあると、私は思いますの」
ロイアーの冷静な声が、じわりと染みこんでくる。
確かにそれは、正論だった。
……それでも、冷静に物を考える思考とは別のところで、罪悪感にも似た重苦しい気持ちが消えないのは……何故なのだろう。
「……確かにロイアーの言う通りだと思う。けど……」
「けれど?」
「なんだろう……ずっと、もやもやしてさ。すっきりしないんだ」
上手く言えない気持ちに、もどかしさが募る。
「あー……それはやっぱり、リリーの事、心配してるってことなんじゃないのか?」
オリバーが早くも自分の分の夕食を完食しながら言った一言は、シンプルながらも妙に納得出来る気がした。
……そうか。梨里のことが心配なのか、俺は。
「うん、心配は……してる」
「私も心配ですわ。彼女は、同僚である前に私たちの友人ですもの」
「だよなぁ」
「明日には元気になってくださっているといいのですけど」
「うん、しっかり休んでもらわないとなー。お茶の時間にいないの、やっぱ寂しいし。イグニスも寂しいだろ?」
「そう、だね……うん」
ふたりの言葉に、ちょっとだけ微笑みを返した。
その後は二人の仕事の話などを聞きながら、いつもとは違う夕食の時間を過ごした。
たまにはこういうのもいいかもしれない、なんて思うけれど……。
賑やかな会話の中にいても、やはりどこか寂しく感じるのは、彼女がこの場にいないせい、なのだろうか。
――少し前までは、食事はひとりで取るのが当たり前だったのに。
(「あ、焔さん……!このサンドイッチ、とっても美味しいですね!」)
ふと思い出してしまうのは、一緒に食事をするときの梨里の笑顔。
いつの間にか、彼女がいない食事はどうしてか、物足りないものになってしまったようだった。
しばらくして、戻ってもう一仕事する、というロイアーに合わせて、解散することになった……その別れ際のことだった。
「いやー……それにしてもさ」
なんとはなしにオリバーが、うんと伸びをしながらこんなことを言った。
「リリー、ほんとに今まで大変だったじゃん?まさかだけど、こんな仕事いやだーなんて辞めるとか言い出したりして――」
ふと耳に届いた言葉に、その場に縫い止められたようにぴたりと足が止まった。
――え?
「はぁ……オリバー、貴方何言ってますの?リリーがそんな腑抜けたこと仰るわけがないでしょう?」
心底呆れたようなロイアーの声が、遠くに聞こえる。
なんだか、周りの音が急に遠くなったような。
ぐらりと意識が揺れて、突然視界が狭まったような……そんな感覚に息が止まった。
梨里が……辞めるって、言い出す?
確かに、沢山無理をさせた――ような気は、薄々していたけれど。
舞踏会まであんなに苦労をさせてしまって、随分疲れていたようだったし。
彼女が好きな事をする時間は、身体を休める時間は――ちゃんと取れていたのだろうか。
そういったことを、自分はちゃんと気遣えていただろうか。
……考えれば考えるほど、自分の対応が全然だめだったんじゃないかと思えてくる。
「あら――やだ、ちょっとオリバー……!貴方のせいですわよ!」
「えっ……うわ、大丈夫かよイグニス!ちょ、ちょっとした冗談!冗談だから――」
こちらの様子がおかしいことに気づいたのか、慌てたふたりが何か言っている気がするけれど……先ほどの言葉の衝撃が強すぎて、耳に入ってこない。
「イグニス!……イグニスってば、ああもう、本当に悪かったって……!」
「大賢者様、しっかりなさってください!あのリリーに限って、そんなこと言うわけがありませんわ!」
梨里が辞めるって言い出したら……また以前までのように、あの場所で――最奥禁書領域で、ひとり寒く毎日を過ごすようになるのだろうか。
あの温かな食事の時間がなくなって、人と話す機会がなくなって……。
想像しただけで、心の隅が冷たく凍っていく気がした。
「明日、元気になったリリーに聞いてみればいいだろ!大丈夫、絶対そんなことないって言うから!絶対だから……!」
微かに耳に届いた声に、そうか、と口が動いた。
「明日に、なれば――」
そうだ。
明日になったら、きっと彼女は元気になってるはずだから。
会った時に、聞いてみよう。
彼女の気持ちなんて、彼女にしか分からないのだから……直接聞けばいい。
聞いて――、どんな答えが返ってきたとしても、それをちゃんと受け止めなくちゃいけない。
はじめから、すべては俺の我が儘だったのだから――。
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