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アドニス
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あれから二週間経った。
アーケイイック側の用意は着々と進んでいる。
「陛下、魔法石の交易は議会を通さなくて良かったのですか?」
目録を確認していたイールがそう言ったが、議会を通すようなものでは無い。
「あれは私が個人的に集めてたものだ。
国庫ではなく私財だから問題なかろう」
「いつの間に…」
「実験用や実用を兼ねて私が収集してたものの一部に過ぎんよ。
鎧や剣は議会を通してる。
議会では問題ないとして、各部族から供与できる物を国庫で買いあげる事は了承済みだ」
先代の王・グランス様の時代からコツコツ集めていた魔石が役に立った。
国庫から出すのは王の私の一存では決められないので、各部族からの議員に確認を取っている。
賛成が多ければ可決できるし、反対されれば強行採決はしない。
通るように話を持っていくだけだ。
議会は二部制で本院と仮院とし、仮院で可決された事案を本院で可決する。
各部族の長が仮院の投票権を持ち、さらにその上に各部族長を束ねる種族長が本院の権利を持つ。
どの部族であろうと一票は一票だ。
多少有利不利があるのは否めないが、皆概ねそれで納得している。
本院の招集は年に一度と定めているが、それ以外の招集は基本無い。
議会も余程のことがなければ意見さえ出さない。
アーケイイックはまだまだ発展途上なのだ。
それでも私がこの国に来た時に比べればだいぶマシにはなった。
「ドワーフ属からの供与がダントツに多いですね。
当然といえば当然ですが…」
「何にせよ助かる。
質のバランスが気になるが…まあ、数を集めるように頼まれたから問題なかろう」
現時点で剣が二千本、槍が八百本、弓も矢もふんだんに用意した。
武器の半分は国庫からの提供分だが、それでもよく集まったものだ。
武器も防具も結局は消耗品だ。
戦争とは金がかかる…
「カストラに頼んでおいた貨物船は用意できたか?」
荷物を積むために大きめの飛竜船を作らせていた。
中に空間魔法を施せば一度に沢山運ぶことが出来る。
問題は重量にどれだけ耐えられるかだ。
そのためのテストの飛行もしなければならない。
飛竜船の建設もイールのところに報告が上がるようになっている。
「あと少しで完成です。
ご覧になりますか?」
「後で見学させてもらおう」
第二王子のカストラはインフラの管理が主な仕事だ。
口数の少ない男だが、仕事は丁寧だし、細かなところまでこだわる職人気質なエルフだ。
何を考えているのか分からないところも多々見受けられるが、無害なので好きにさせている。
「今朝ルイから第二保管庫もいっぱいになったと連絡がありました。
第四保管庫までは用意できてますが、まだ保管庫は増やしますか?」
「もう十分だろう。
増やしすぎても運ぶのに難儀するからな。
片付けだって手間がかかる」
「かしこまりました。
とりあえずまだ二週間あります。
矢は消耗が激しいですし、供出はしばらく続けさせて多めに用意しておきます」
「まあ、腐るものでは無いしな…
よろしく頼む」
こういうことも、実践の訓練になる。
一応正当な報酬を与えて買い上げているので各部族も損のない話だ。
アーケイイック側もだいぶ潤うはずだ。
「ちゃんと自分たちの必要な分は残すように伝えてくれよ」
「心得てます。
略奪者に対する備えは怠らぬように通達しています」
アーケイイック内部に入り込み、希少な動植物や奴隷にするために亜人を攫う冒険者をそう呼んでいた。
彼らは一定数いるし、人間の国が不安定になるとその数も増える。
アーケイイック側も対策はしているがいたちごっこになっているのが現状だ。
全く…力ずくでなくとも、アーケイイックを国と認めて交易するならある程度譲歩してやるものを…
まあ、無理だろうな…オークランドとはそういう国だ…
「私は武器管理責任者のルイの所へ視察に行く…」
「かしこまりました。
そうだ、ルイに字が汚いと伝えてください。
報告書なのか暗号文書なのか分からないもので…」
そう言ってイールが差し出してきた報告書は酷い乱筆だった…
確かに統括する側のイールが苦言を呈したくなるのも無理はない。
「…だいぶ疲れてるんじゃないか…」
「陛下から休むように伝えてください。
不死者と同じレベルで仕事がこなせるわけがないんですから」
「…それはすまん」
「陛下は普段通りかもしれませんが、そのペースで仕事を振るのは無理があります。
多少自重してください」
なるほど、このハイペースな仕事はぶりは私のせいなのか…
「ルイに比べれば、私は関係なく寝ますし、食事も取ってます。
ルイは不器用で真面目すぎるので、一人で戦争でもしてるような状態になってます。
ずっと仮眠と補給しかしていませんよ」
「それは困ったな…」
あいつ二週間ずっと働いてたのか?
不器用にも程がある…
全く、可哀想なことをしてしまった…
「とりあえずルイの所に行く」
そう言って転移魔法用の魔法陣を展開させた。
イールは何も言わずに深々と頭を下げて私を見送った。
転移魔法陣をくぐった先は開けた場所だった。
白い大きな天幕が並び、兵士たちが武器の目録作りをしながら、点検をしている最中のようだ。
他の兵士に指示を出している背の高い影を見つけた。
「これは陛下。
お迎えにも上がらす申し訳ございません」
「いや…一人で戦争でもしてたようななりだな…」
「…申し訳ありません…」
私の言葉の意味が分かったようで、彼は居心地悪そうに頭を掻いた。
獣臭が鼻につく。
服も毛も埃を被っていて薄汚れてる。
毛並みも不健康そうに見えた。
「そろそろひと段落着くだろう?
一度宿舎に戻ってしっかり休んだ方がいい」
「しかし、兵士たちは文字の読み書きが苦手な者が多いので、私が抜けると困ります」
「お前が倒れても皆困るんだ。
それに見ろ、イールが報告書が読めないと文句を言っていたぞ」
そう言って預かっていた紙を渡すと「これ私の字ですか?」と心底驚いていた。
しかし署名が自分のものなので納得せざるを得なかったらしい。
「後でベティを迎えに寄越す。
その時に一緒にアルベールを寄越すから引き継いで帰りなさい」
アルベールは王付きの右筆として出仕している若いエルフだ。
この荒っぽい兵士達の中に放り込むのは少し可哀想だが何事も経験だ。
「お前が真面目なのは助かるが、もう少し上手く立ち回らないと大変だぞ。
手が足りないなら必要な人材を送る。
今度から必ず私に伝えて欲しい」
「申し訳ありません、陛下」
「そう気にするな、お前も私の大切で有能な息子の一人だ」
彼は他の兄弟と自分を比べすぎる傾向がある。
十分結果を出しているというのに、他の兄弟に比べて結果を出していないように感じているらしい。
彼の働きぶりに私は十分満足しているのだがな…
身を固めれば少しは落ち着くかと思うが、どうだろうか?
ベティをグレ族の族長の養女にして貰えるように打診しているのだが、なかなか良い返事が貰えない。
ルイは私の養子で王子の身だからどこの部族にも属していないベティを妻に迎えるのはハードルが高い。
妻として迎えれなければ非公式な関係になってしまう。
子供だって嫡子にはならないから庶子だ。
それではさすがに祝ってやれないし、二人が可哀想だ。
二人が結ばれるためにはベティの身元が保証される必要がある。
私の娘にするわけも行かないし、やはり順当に考えるとグレ氏にお願いするしかない。
「ベティとの件、後回しになってすまんな。
必ず何とかする」
「私事で陛下を煩わせて申し訳ありません」
彼はそう言って頭を下げた。
謝るのは私の方だ。
こうなることを見通していれば、もっと早くベティをグレの氏族に加えておくべきだった。
「何を言う。
お前がベティを大事にしてくれると言うなら私としても喜ばしいことだ。
彼女は私にとっても可愛い娘のような存在だからな」
「恐れ入ります」
「お前はどうも真面目すぎる。
ルイ、お前はもっと王子として自信を持つべきだ。
あと、肩の力を抜くことも覚えなさい」
「ありがとうございます。
未熟者ですが、精進致します」
硬いなぁ…
顔には出ないが、腹の中で苦笑いしてしまう。
これも彼のいい所なのだろう。
無理して変える必要もない。
さっさと保管庫の確認をして帰るとしよう。
ルイの案内で白い天幕の中に入ると、整頓された武器がぎっしりと並んでいた。
全てに記録番号が付けられ、どこから、いつ持ち込まれたものか等の情報と、等級も記されている。
なんだ、いい仕事してるじゃないか…
ここも概ね問題なさそうだ。
私の子供達は皆優秀だな…
私の出る幕は無さそうだ。
このままのペースで行けば来週までには完璧だろう。
問題を抱えているのは私とマリーの二人だけらしい…
✩.*˚
赤いポピーの花畑。
『こっちにおいで』と笑う少女。
緩やかなウェーブのかかった金の髪は、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
青空の色の瞳で僕を見つめて、彼女は手招きしていた。
『アドニス、こっちよ』
『待ってよ、アンナ』
五つ年上の従姉は実の姉のようで、優しくて明るく、いつも僕と遊んでくれた。
『こっちの木の上に小鳥の巣があるの。
アドニスにも見せてあげる』
『アンナ、木に登ったらまた伯父様に叱られるよ』
『いいのよ。
木登りってワクワクするでしょ?』
いたずらっぽく笑う従姉に手を引かれ、ポピーの咲き乱れた花畑を進んだ。
彼女のお気に入りの大きな樫の木。
記憶の中では少しも色褪せない。
笑う彼女も少女のままだ。
お転婆な従姉は随分前に他家に嫁いだ。
愛なんかない政略結婚だった。
三人目の妻として親子ほど年の離れた王族に連なる貴族に輿入れした。
『さよなら』と挨拶した時の彼女の目は赤かった。
自由な小鳥は鳥籠に入れられてしまったのだ…
もう会えないと思っていたが、騎士団長を拝命した日に一目だけ彼女を見た。
彼女は死んだ目をしてた…
あの青空のような瞳には影が宿り、祝辞を述べて微笑む姿も無理をしてるようだった。
私達は大人になってしまったのだ…
子供たちは自由を失い大人になった…
彼女の悲しい顔が白い靄に消え、視界が明るくなった。
カーテンの隙間から朝日が直接差し込んだのだ。
…だるい…身体が重い…
頭が冴えずにどこか夢に似た感覚のまま視線だけを巡らせた。
「あら、お目覚めかしら?」
少女の声。
長い金髪が目の前を過ぎった。
「…アンナ?」
そんなはずないのにその名を呼んでしまった。
「残念ね、その子が誰かは知らないけど、一応目が覚めた事はおめでとうと素直に祝福してあげる」
白い仮面がにっこり笑う。
表情を映す仮面を着けた少女は彼女と似ても似つかない…
「…マリー…さま…?」
「そうよ、私よ。
気が付いたならその水槽から自分で出てくれない?
私の細い腕であんたを持ち上げたら、ものの見事に折れてしまうわ」
彼女はそう言って水槽の周りにタオルを敷き始めた。
私は何でここにいる?
「そんなことより、何で私がマリー様の部屋に居るのか教えて下さいませんか?」
ベタベタするスライムのような粘着質な水槽に付け込まれている現状が理解できない。
何とか出ようと藻掻くが、体が重く、出るのは容易では無かった。
その時、自分の腹の火傷のような傷を見た。
血が凍るような感覚を覚える。
「思い出した?
教える必要は…なさそうね?」
「…私は…死んだんですか?」
私の問いに彼女は「死にたかった?」と質問に質問で返した。
性格の悪い人だ…
「ヴェストファーレンはどうなりました?」
「残念、傷一つ無かったわ。
さすが《南部の防壁》はダテじゃないわね」
「…なるほど」
「あんた随分他人事みたいに言ってるけど、自分がどれだけ迷惑かけたか分かってるの?」
マリー様の指摘は尤もだ。
それにしても何故助けたのだろう?
「ミツルとお父様にお礼を言うことね。
あと、私を崇拝するほど感謝しなさい」
「意味が分かりません」
私はどうしてしまったのだろう?
なんの感情も湧かない…
空っぽの感覚…これは何だ…
「あんた、ちょっと…大丈夫?」
マリー様が困った顔で私の顔を覗き込む。
皮の手袋を着けた手がひたひたと私の顔に触れる。
「…合成しすぎたのかしら…?
今どんな気分?怒ってる?悲しんでる?」
「何も…強いて言うなら何も感じません…」
スッキリとした感じではない。
意識は靄がかかったような、麻痺したような感覚だ。
「私があんたの身体を弄ったのよ。
臓器を取り替えて半分ホムンクルスにしたの。
どう?ムカついた?」
マリー様は私を怒らせようとしているのだろうか?
私は頭を左右に振った。
何か大切なものを無くしてしまったのかもしれない…
彼女は慌てた様子で部屋から色々掻き集めて私に見せた。
「これは花よ!綺麗でしょう?」
綺麗?
「宝石!素敵でしょう?」
素敵?
「この剣は?何か感じない?」
何も思わない。
以前なら手を伸ばすくらいしたはずなのに…
命を繋いだ代わりに、感情が死んでしまったのだろうか?
果たして私は生きているのだろうか?
「嘘よ…」
マリー様が力なくその場に蹲った。
私はその姿を見ている事しか出来なかった…
✩.*˚
マリーからアドニスの目が覚めたと知らされた。
「…ごめんなさい」
「何で?助かったんだろ?」
謝る意味が分からず、僕は慌ててマリーに尋ねた。
彼女は視線を床に落としたまま呟いた。
「あれはもう人間じゃないわ…」
「え?」
「あの怒りっぽい性格は問題だったけど、今では懐かしいわ…
彼、感情を一切無くしたみたいなの…」
「は?え?どういうこと?」
「会ったら分かるわ。
でも、会わない方があんたのためだと思うわ、ミツル」
マリーはそう言ってため息を吐いた。
いつもの自信たっぷりの様子は影を潜め、泣きそうな様子で謝る彼女の姿に胸の中がざわめくのを感じる。
アドニスはどうなっちゃったんだ?
「アドニスはどこにいるの?」
「私のラボに居るわ」
「会わせて」
彼に会って教えないといけない。
ワルターが約束してくれたのを伝えなきゃ…
マリーに頼み込んでアドニスに会いに行った。
マリーの部屋にはアンバーも居た。
彼はアドニスに色々話しかけているようだったが、アドニスからの返事は小さく生気のないものだった。
「アドニス!」
僕の声に反応したアドニスは顔を上げて僕を見た。
その顔は確かにアドニスでだったが、別人かと思う様相だった。
まるでマネキンか蝋人形のようだ…
ロボットの方がまだ感情がある。
瞬きするだけの目は生気がなく、僕の顔を見ているのかどうかも分からない。
今の彼に比べたらアンバーの方が生き生きしている。
「…ア、アドニス」
彼に近づいて、人形じゃないかと確かめたが、そんなタチの悪い冗談でもない。
救いを求めて僕はアンバーに視線を向けた。
「アンバー、アドニスはどうしちゃったんだよ?」
「マリーの処置は完璧だ。
彼はゾンビやアンデットじゃない。
人間と同じ状態だし、記憶も残ってる。
しかし、どういうことか、感情だけが抜け落ちている…
こんな事初めてだ…」
「治るよね?
このままってことは無いよね?」
「だといいが…
今はなんとも言えないな…」
えぇ…アンバーにも分からないとかお手上げじゃないか…
「困ったな…今は彼に構ってる時間はないぞ」
アンバーもマリーも忙しい身だ。
次のフィーア王国からの訪問も控えている。
「しばらくしたら感情も戻るかもしれないし、様子を見るしかないだろう」
「申し訳ありません、お父様…」
「いや、マリーはよくやってくれた。
とりあえず生きているから大丈夫だろう。
今後経過を観察して処置しよう」
マリーを慰めてアンバーは僕に向き直った。
「ミツル、すまないが、しばらく彼の面倒を見てやって欲しい。
私もマリーも今は仕事が山積みでね。
後回しになってすまないが、アドニスをよろしく頼む」
「分かった」
僕が彼を助けて欲しいとお願いしたんだから、協力は惜しまないつもりだ。
僕はアドニスに歩み寄って、しゃがんで顔を覗き込んだ。
彼はまだ裸で、大きい布にくるまってる状態だった。
「アドニス、立てる?」
「はい、可能です」
本当にロボットみたいな返事だ。
「僕の部屋まで行ける?」
「行けます。
部屋は覚えています」
「マリー、彼の服は?」
「あるわ、これ着せて。
意欲っていうものが無くなっちゃったから、自分から服も着ないの。
命令されれば多分着れるわ。
あと、食事とかも多分お腹すいても自分から言わないから面倒見てあげて」
だいぶ厄介だな…
「服は自分で着れる?」
「着れます」
返事はちゃんとするし、服も前後ろ間違えたりしないところを見ると、頭の問題ではなさそうだな…
やっぱり精神的に何か大切な部分が抜け落ちちゃったのかな…
まあ、アンバーの言う通り、生きてるだけでマリーに感謝だ。
「マリー、アドニスを助けてくれてありがとう」
「何かあったらすぐ行くわ。
あんたも無理しちゃダメよ!」
やっぱりマリーは良い奴だ。
僕は笑顔で手を振って彼女の部屋を後にした。
幽霊のようなアドニスを連れて部屋に戻ると、ベティはかなり驚いた様子だった。
「…静かなアドニスは気持ち悪いですね」
「そんなにはっきり言わないでよ」
ベティの言葉に苦笑いするが、確かに気味が悪い。
彼はすごく溌剌とした印象の人間だったし、よく感情を表に出す人だった。
今思えば、怒りっぽいだけじゃなくて、ちゃんと喜怒哀楽がはっきりした人だったと思う。
今の彼からは想像できない。
全くの別人だ。
「アドニス、ヴェストファーレンは分かる?」
僕の問いかけに、彼は静かに「はい」と答えた。
「彼が、君の伯父さんの事を調べてくれるって言ってくれたよ。
何か分かると思う」
以前の彼なら喜ぶなり怒るなりして大声を出していたはずだが、返ってきたのは「そうですか」という短い返事だった。
それがベティの癇に障ったらしい。
「アドニス!貴方ミツル様のご好意に『そうですか』ってそれだけなの?!
きちんとお礼申し上げなさい!」
「ちょ、ちょっと、そんなに怒らないでよ」
「いいえ、ダメです!」
すごい剣幕で怒るベティは、静止する僕を無視してアドニスの胸ぐらを掴んで彼に怒鳴りつけた。
「しゃんとしなさい!
真っ直ぐミツル様を見て頭を下げて『ありがとうございます』とお礼なさい!
それとも貴方は礼儀まで無くしたの?」
いきなり掴み掛かられたのに、彼は相変わらず驚きもせずに死んだ目で真っ直ぐベティを見た。
不気味すぎる彼の様相に、さすがのベティも少し怯んだ。
「申し訳ありません」という無機質な声が彼の口から漏れた。
電子音だってもっと温かみがある…
「…ほんとに…どうしちゃったのよ…」
みんなそう思うよな…
ベティは黙って手を引いた。
アドニスは服を整えることもせずに空を見つめたまま直立していた。
彼自身から何か動くことも無い。
全てが受動的で、まるで植物のようだ。
「…かわいそう」
「うん…」
ベティの言葉に頷くことしか出来ない。
何か奇跡が起きない限り、彼はこのままなのだろうか?
《祝福》も帰る場所も、大切な人も失って、自分すら失った英雄はもう人間とは呼べなくなっていた。
そしてそれは僕のせいなのだ…
勇者さえ、僕さえこの世界に来なければ、アドニスは悲劇の英雄にならずに済んだのに…
アーケイイック側の用意は着々と進んでいる。
「陛下、魔法石の交易は議会を通さなくて良かったのですか?」
目録を確認していたイールがそう言ったが、議会を通すようなものでは無い。
「あれは私が個人的に集めてたものだ。
国庫ではなく私財だから問題なかろう」
「いつの間に…」
「実験用や実用を兼ねて私が収集してたものの一部に過ぎんよ。
鎧や剣は議会を通してる。
議会では問題ないとして、各部族から供与できる物を国庫で買いあげる事は了承済みだ」
先代の王・グランス様の時代からコツコツ集めていた魔石が役に立った。
国庫から出すのは王の私の一存では決められないので、各部族からの議員に確認を取っている。
賛成が多ければ可決できるし、反対されれば強行採決はしない。
通るように話を持っていくだけだ。
議会は二部制で本院と仮院とし、仮院で可決された事案を本院で可決する。
各部族の長が仮院の投票権を持ち、さらにその上に各部族長を束ねる種族長が本院の権利を持つ。
どの部族であろうと一票は一票だ。
多少有利不利があるのは否めないが、皆概ねそれで納得している。
本院の招集は年に一度と定めているが、それ以外の招集は基本無い。
議会も余程のことがなければ意見さえ出さない。
アーケイイックはまだまだ発展途上なのだ。
それでも私がこの国に来た時に比べればだいぶマシにはなった。
「ドワーフ属からの供与がダントツに多いですね。
当然といえば当然ですが…」
「何にせよ助かる。
質のバランスが気になるが…まあ、数を集めるように頼まれたから問題なかろう」
現時点で剣が二千本、槍が八百本、弓も矢もふんだんに用意した。
武器の半分は国庫からの提供分だが、それでもよく集まったものだ。
武器も防具も結局は消耗品だ。
戦争とは金がかかる…
「カストラに頼んでおいた貨物船は用意できたか?」
荷物を積むために大きめの飛竜船を作らせていた。
中に空間魔法を施せば一度に沢山運ぶことが出来る。
問題は重量にどれだけ耐えられるかだ。
そのためのテストの飛行もしなければならない。
飛竜船の建設もイールのところに報告が上がるようになっている。
「あと少しで完成です。
ご覧になりますか?」
「後で見学させてもらおう」
第二王子のカストラはインフラの管理が主な仕事だ。
口数の少ない男だが、仕事は丁寧だし、細かなところまでこだわる職人気質なエルフだ。
何を考えているのか分からないところも多々見受けられるが、無害なので好きにさせている。
「今朝ルイから第二保管庫もいっぱいになったと連絡がありました。
第四保管庫までは用意できてますが、まだ保管庫は増やしますか?」
「もう十分だろう。
増やしすぎても運ぶのに難儀するからな。
片付けだって手間がかかる」
「かしこまりました。
とりあえずまだ二週間あります。
矢は消耗が激しいですし、供出はしばらく続けさせて多めに用意しておきます」
「まあ、腐るものでは無いしな…
よろしく頼む」
こういうことも、実践の訓練になる。
一応正当な報酬を与えて買い上げているので各部族も損のない話だ。
アーケイイック側もだいぶ潤うはずだ。
「ちゃんと自分たちの必要な分は残すように伝えてくれよ」
「心得てます。
略奪者に対する備えは怠らぬように通達しています」
アーケイイック内部に入り込み、希少な動植物や奴隷にするために亜人を攫う冒険者をそう呼んでいた。
彼らは一定数いるし、人間の国が不安定になるとその数も増える。
アーケイイック側も対策はしているがいたちごっこになっているのが現状だ。
全く…力ずくでなくとも、アーケイイックを国と認めて交易するならある程度譲歩してやるものを…
まあ、無理だろうな…オークランドとはそういう国だ…
「私は武器管理責任者のルイの所へ視察に行く…」
「かしこまりました。
そうだ、ルイに字が汚いと伝えてください。
報告書なのか暗号文書なのか分からないもので…」
そう言ってイールが差し出してきた報告書は酷い乱筆だった…
確かに統括する側のイールが苦言を呈したくなるのも無理はない。
「…だいぶ疲れてるんじゃないか…」
「陛下から休むように伝えてください。
不死者と同じレベルで仕事がこなせるわけがないんですから」
「…それはすまん」
「陛下は普段通りかもしれませんが、そのペースで仕事を振るのは無理があります。
多少自重してください」
なるほど、このハイペースな仕事はぶりは私のせいなのか…
「ルイに比べれば、私は関係なく寝ますし、食事も取ってます。
ルイは不器用で真面目すぎるので、一人で戦争でもしてるような状態になってます。
ずっと仮眠と補給しかしていませんよ」
「それは困ったな…」
あいつ二週間ずっと働いてたのか?
不器用にも程がある…
全く、可哀想なことをしてしまった…
「とりあえずルイの所に行く」
そう言って転移魔法用の魔法陣を展開させた。
イールは何も言わずに深々と頭を下げて私を見送った。
転移魔法陣をくぐった先は開けた場所だった。
白い大きな天幕が並び、兵士たちが武器の目録作りをしながら、点検をしている最中のようだ。
他の兵士に指示を出している背の高い影を見つけた。
「これは陛下。
お迎えにも上がらす申し訳ございません」
「いや…一人で戦争でもしてたようななりだな…」
「…申し訳ありません…」
私の言葉の意味が分かったようで、彼は居心地悪そうに頭を掻いた。
獣臭が鼻につく。
服も毛も埃を被っていて薄汚れてる。
毛並みも不健康そうに見えた。
「そろそろひと段落着くだろう?
一度宿舎に戻ってしっかり休んだ方がいい」
「しかし、兵士たちは文字の読み書きが苦手な者が多いので、私が抜けると困ります」
「お前が倒れても皆困るんだ。
それに見ろ、イールが報告書が読めないと文句を言っていたぞ」
そう言って預かっていた紙を渡すと「これ私の字ですか?」と心底驚いていた。
しかし署名が自分のものなので納得せざるを得なかったらしい。
「後でベティを迎えに寄越す。
その時に一緒にアルベールを寄越すから引き継いで帰りなさい」
アルベールは王付きの右筆として出仕している若いエルフだ。
この荒っぽい兵士達の中に放り込むのは少し可哀想だが何事も経験だ。
「お前が真面目なのは助かるが、もう少し上手く立ち回らないと大変だぞ。
手が足りないなら必要な人材を送る。
今度から必ず私に伝えて欲しい」
「申し訳ありません、陛下」
「そう気にするな、お前も私の大切で有能な息子の一人だ」
彼は他の兄弟と自分を比べすぎる傾向がある。
十分結果を出しているというのに、他の兄弟に比べて結果を出していないように感じているらしい。
彼の働きぶりに私は十分満足しているのだがな…
身を固めれば少しは落ち着くかと思うが、どうだろうか?
ベティをグレ族の族長の養女にして貰えるように打診しているのだが、なかなか良い返事が貰えない。
ルイは私の養子で王子の身だからどこの部族にも属していないベティを妻に迎えるのはハードルが高い。
妻として迎えれなければ非公式な関係になってしまう。
子供だって嫡子にはならないから庶子だ。
それではさすがに祝ってやれないし、二人が可哀想だ。
二人が結ばれるためにはベティの身元が保証される必要がある。
私の娘にするわけも行かないし、やはり順当に考えるとグレ氏にお願いするしかない。
「ベティとの件、後回しになってすまんな。
必ず何とかする」
「私事で陛下を煩わせて申し訳ありません」
彼はそう言って頭を下げた。
謝るのは私の方だ。
こうなることを見通していれば、もっと早くベティをグレの氏族に加えておくべきだった。
「何を言う。
お前がベティを大事にしてくれると言うなら私としても喜ばしいことだ。
彼女は私にとっても可愛い娘のような存在だからな」
「恐れ入ります」
「お前はどうも真面目すぎる。
ルイ、お前はもっと王子として自信を持つべきだ。
あと、肩の力を抜くことも覚えなさい」
「ありがとうございます。
未熟者ですが、精進致します」
硬いなぁ…
顔には出ないが、腹の中で苦笑いしてしまう。
これも彼のいい所なのだろう。
無理して変える必要もない。
さっさと保管庫の確認をして帰るとしよう。
ルイの案内で白い天幕の中に入ると、整頓された武器がぎっしりと並んでいた。
全てに記録番号が付けられ、どこから、いつ持ち込まれたものか等の情報と、等級も記されている。
なんだ、いい仕事してるじゃないか…
ここも概ね問題なさそうだ。
私の子供達は皆優秀だな…
私の出る幕は無さそうだ。
このままのペースで行けば来週までには完璧だろう。
問題を抱えているのは私とマリーの二人だけらしい…
✩.*˚
赤いポピーの花畑。
『こっちにおいで』と笑う少女。
緩やかなウェーブのかかった金の髪は、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
青空の色の瞳で僕を見つめて、彼女は手招きしていた。
『アドニス、こっちよ』
『待ってよ、アンナ』
五つ年上の従姉は実の姉のようで、優しくて明るく、いつも僕と遊んでくれた。
『こっちの木の上に小鳥の巣があるの。
アドニスにも見せてあげる』
『アンナ、木に登ったらまた伯父様に叱られるよ』
『いいのよ。
木登りってワクワクするでしょ?』
いたずらっぽく笑う従姉に手を引かれ、ポピーの咲き乱れた花畑を進んだ。
彼女のお気に入りの大きな樫の木。
記憶の中では少しも色褪せない。
笑う彼女も少女のままだ。
お転婆な従姉は随分前に他家に嫁いだ。
愛なんかない政略結婚だった。
三人目の妻として親子ほど年の離れた王族に連なる貴族に輿入れした。
『さよなら』と挨拶した時の彼女の目は赤かった。
自由な小鳥は鳥籠に入れられてしまったのだ…
もう会えないと思っていたが、騎士団長を拝命した日に一目だけ彼女を見た。
彼女は死んだ目をしてた…
あの青空のような瞳には影が宿り、祝辞を述べて微笑む姿も無理をしてるようだった。
私達は大人になってしまったのだ…
子供たちは自由を失い大人になった…
彼女の悲しい顔が白い靄に消え、視界が明るくなった。
カーテンの隙間から朝日が直接差し込んだのだ。
…だるい…身体が重い…
頭が冴えずにどこか夢に似た感覚のまま視線だけを巡らせた。
「あら、お目覚めかしら?」
少女の声。
長い金髪が目の前を過ぎった。
「…アンナ?」
そんなはずないのにその名を呼んでしまった。
「残念ね、その子が誰かは知らないけど、一応目が覚めた事はおめでとうと素直に祝福してあげる」
白い仮面がにっこり笑う。
表情を映す仮面を着けた少女は彼女と似ても似つかない…
「…マリー…さま…?」
「そうよ、私よ。
気が付いたならその水槽から自分で出てくれない?
私の細い腕であんたを持ち上げたら、ものの見事に折れてしまうわ」
彼女はそう言って水槽の周りにタオルを敷き始めた。
私は何でここにいる?
「そんなことより、何で私がマリー様の部屋に居るのか教えて下さいませんか?」
ベタベタするスライムのような粘着質な水槽に付け込まれている現状が理解できない。
何とか出ようと藻掻くが、体が重く、出るのは容易では無かった。
その時、自分の腹の火傷のような傷を見た。
血が凍るような感覚を覚える。
「思い出した?
教える必要は…なさそうね?」
「…私は…死んだんですか?」
私の問いに彼女は「死にたかった?」と質問に質問で返した。
性格の悪い人だ…
「ヴェストファーレンはどうなりました?」
「残念、傷一つ無かったわ。
さすが《南部の防壁》はダテじゃないわね」
「…なるほど」
「あんた随分他人事みたいに言ってるけど、自分がどれだけ迷惑かけたか分かってるの?」
マリー様の指摘は尤もだ。
それにしても何故助けたのだろう?
「ミツルとお父様にお礼を言うことね。
あと、私を崇拝するほど感謝しなさい」
「意味が分かりません」
私はどうしてしまったのだろう?
なんの感情も湧かない…
空っぽの感覚…これは何だ…
「あんた、ちょっと…大丈夫?」
マリー様が困った顔で私の顔を覗き込む。
皮の手袋を着けた手がひたひたと私の顔に触れる。
「…合成しすぎたのかしら…?
今どんな気分?怒ってる?悲しんでる?」
「何も…強いて言うなら何も感じません…」
スッキリとした感じではない。
意識は靄がかかったような、麻痺したような感覚だ。
「私があんたの身体を弄ったのよ。
臓器を取り替えて半分ホムンクルスにしたの。
どう?ムカついた?」
マリー様は私を怒らせようとしているのだろうか?
私は頭を左右に振った。
何か大切なものを無くしてしまったのかもしれない…
彼女は慌てた様子で部屋から色々掻き集めて私に見せた。
「これは花よ!綺麗でしょう?」
綺麗?
「宝石!素敵でしょう?」
素敵?
「この剣は?何か感じない?」
何も思わない。
以前なら手を伸ばすくらいしたはずなのに…
命を繋いだ代わりに、感情が死んでしまったのだろうか?
果たして私は生きているのだろうか?
「嘘よ…」
マリー様が力なくその場に蹲った。
私はその姿を見ている事しか出来なかった…
✩.*˚
マリーからアドニスの目が覚めたと知らされた。
「…ごめんなさい」
「何で?助かったんだろ?」
謝る意味が分からず、僕は慌ててマリーに尋ねた。
彼女は視線を床に落としたまま呟いた。
「あれはもう人間じゃないわ…」
「え?」
「あの怒りっぽい性格は問題だったけど、今では懐かしいわ…
彼、感情を一切無くしたみたいなの…」
「は?え?どういうこと?」
「会ったら分かるわ。
でも、会わない方があんたのためだと思うわ、ミツル」
マリーはそう言ってため息を吐いた。
いつもの自信たっぷりの様子は影を潜め、泣きそうな様子で謝る彼女の姿に胸の中がざわめくのを感じる。
アドニスはどうなっちゃったんだ?
「アドニスはどこにいるの?」
「私のラボに居るわ」
「会わせて」
彼に会って教えないといけない。
ワルターが約束してくれたのを伝えなきゃ…
マリーに頼み込んでアドニスに会いに行った。
マリーの部屋にはアンバーも居た。
彼はアドニスに色々話しかけているようだったが、アドニスからの返事は小さく生気のないものだった。
「アドニス!」
僕の声に反応したアドニスは顔を上げて僕を見た。
その顔は確かにアドニスでだったが、別人かと思う様相だった。
まるでマネキンか蝋人形のようだ…
ロボットの方がまだ感情がある。
瞬きするだけの目は生気がなく、僕の顔を見ているのかどうかも分からない。
今の彼に比べたらアンバーの方が生き生きしている。
「…ア、アドニス」
彼に近づいて、人形じゃないかと確かめたが、そんなタチの悪い冗談でもない。
救いを求めて僕はアンバーに視線を向けた。
「アンバー、アドニスはどうしちゃったんだよ?」
「マリーの処置は完璧だ。
彼はゾンビやアンデットじゃない。
人間と同じ状態だし、記憶も残ってる。
しかし、どういうことか、感情だけが抜け落ちている…
こんな事初めてだ…」
「治るよね?
このままってことは無いよね?」
「だといいが…
今はなんとも言えないな…」
えぇ…アンバーにも分からないとかお手上げじゃないか…
「困ったな…今は彼に構ってる時間はないぞ」
アンバーもマリーも忙しい身だ。
次のフィーア王国からの訪問も控えている。
「しばらくしたら感情も戻るかもしれないし、様子を見るしかないだろう」
「申し訳ありません、お父様…」
「いや、マリーはよくやってくれた。
とりあえず生きているから大丈夫だろう。
今後経過を観察して処置しよう」
マリーを慰めてアンバーは僕に向き直った。
「ミツル、すまないが、しばらく彼の面倒を見てやって欲しい。
私もマリーも今は仕事が山積みでね。
後回しになってすまないが、アドニスをよろしく頼む」
「分かった」
僕が彼を助けて欲しいとお願いしたんだから、協力は惜しまないつもりだ。
僕はアドニスに歩み寄って、しゃがんで顔を覗き込んだ。
彼はまだ裸で、大きい布にくるまってる状態だった。
「アドニス、立てる?」
「はい、可能です」
本当にロボットみたいな返事だ。
「僕の部屋まで行ける?」
「行けます。
部屋は覚えています」
「マリー、彼の服は?」
「あるわ、これ着せて。
意欲っていうものが無くなっちゃったから、自分から服も着ないの。
命令されれば多分着れるわ。
あと、食事とかも多分お腹すいても自分から言わないから面倒見てあげて」
だいぶ厄介だな…
「服は自分で着れる?」
「着れます」
返事はちゃんとするし、服も前後ろ間違えたりしないところを見ると、頭の問題ではなさそうだな…
やっぱり精神的に何か大切な部分が抜け落ちちゃったのかな…
まあ、アンバーの言う通り、生きてるだけでマリーに感謝だ。
「マリー、アドニスを助けてくれてありがとう」
「何かあったらすぐ行くわ。
あんたも無理しちゃダメよ!」
やっぱりマリーは良い奴だ。
僕は笑顔で手を振って彼女の部屋を後にした。
幽霊のようなアドニスを連れて部屋に戻ると、ベティはかなり驚いた様子だった。
「…静かなアドニスは気持ち悪いですね」
「そんなにはっきり言わないでよ」
ベティの言葉に苦笑いするが、確かに気味が悪い。
彼はすごく溌剌とした印象の人間だったし、よく感情を表に出す人だった。
今思えば、怒りっぽいだけじゃなくて、ちゃんと喜怒哀楽がはっきりした人だったと思う。
今の彼からは想像できない。
全くの別人だ。
「アドニス、ヴェストファーレンは分かる?」
僕の問いかけに、彼は静かに「はい」と答えた。
「彼が、君の伯父さんの事を調べてくれるって言ってくれたよ。
何か分かると思う」
以前の彼なら喜ぶなり怒るなりして大声を出していたはずだが、返ってきたのは「そうですか」という短い返事だった。
それがベティの癇に障ったらしい。
「アドニス!貴方ミツル様のご好意に『そうですか』ってそれだけなの?!
きちんとお礼申し上げなさい!」
「ちょ、ちょっと、そんなに怒らないでよ」
「いいえ、ダメです!」
すごい剣幕で怒るベティは、静止する僕を無視してアドニスの胸ぐらを掴んで彼に怒鳴りつけた。
「しゃんとしなさい!
真っ直ぐミツル様を見て頭を下げて『ありがとうございます』とお礼なさい!
それとも貴方は礼儀まで無くしたの?」
いきなり掴み掛かられたのに、彼は相変わらず驚きもせずに死んだ目で真っ直ぐベティを見た。
不気味すぎる彼の様相に、さすがのベティも少し怯んだ。
「申し訳ありません」という無機質な声が彼の口から漏れた。
電子音だってもっと温かみがある…
「…ほんとに…どうしちゃったのよ…」
みんなそう思うよな…
ベティは黙って手を引いた。
アドニスは服を整えることもせずに空を見つめたまま直立していた。
彼自身から何か動くことも無い。
全てが受動的で、まるで植物のようだ。
「…かわいそう」
「うん…」
ベティの言葉に頷くことしか出来ない。
何か奇跡が起きない限り、彼はこのままなのだろうか?
《祝福》も帰る場所も、大切な人も失って、自分すら失った英雄はもう人間とは呼べなくなっていた。
そしてそれは僕のせいなのだ…
勇者さえ、僕さえこの世界に来なければ、アドニスは悲劇の英雄にならずに済んだのに…
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