魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

文字の大きさ
7 / 35

ヘルリヒト

しおりを挟む
翌日、朝食後に帰国するワルター達を見送った。

「ミツル、少しいいかな?」

出立前にワルターは僕を呼び寄せた。

「君には色々嫌な思いをさせてすまなかったね。

私の印象は最悪だろう?」

「そんなことは無いよ」

「本当かね?それなら嬉しいが…

お詫びに今度来る時お土産を用意するよ。

何かこの国で手に入らないもので欲しいものはあるかね?」

ありがたい申し出だが、欲しいもの…

急に言われても思いつかないな…

嗜好品とか?

「この世界にはコーヒーってあるのかな?」

こっちに来てからご無沙汰だ。

紅茶はよく飲むけどコーヒーはまだお目にかかってない。

「南から輸入する薬の中にあったと思うが…

あれが欲しいのか?随分変わってるな?」

「僕の世界では一般的な飲み物だよ。

コーヒー豆を焙煎して砕いて、お湯で成分を抽出して飲むんだ」

「なるほど、分かった、探しておこう」

ワルターは不思議そうな顔をしていたが了承してくれた。

コーヒーはこの世界じゃ薬の扱いなんだな…

「あと、これは私も気になっているからついでになるのだが…

オークランドのアトラス侯について何か情報があれば探っておこう」

「本当に!」

「あぁ、約束だ。

私が有能だというところを君には見せなければね。

私に惚れ込んで貰えるように、君を口説く材料を用意しておくよ」

「随分と羽振りがいいじゃないか?」

僕らの話にアンバーが割り込んでくる。

アンバーの後ろに居心地悪そうなアレンが居た。

「私にも何か約束しておくれよ」

珍しくアンバーが人に頼み事をしている。

一体なんだろう?

「何がお望みで?」と彼が応じると、アンバーは望みを言った。

「オークランド人の母子を攫ってこちらに引き渡して欲しい」

「なにかしたんですか?その親子は…」

「このアレン・サッチャーの妻子だ。

バレてるついでにお願いしようと思ってね」

「よろしくお願い致します」

アレンが深深と頭を下げる。

やっぱり家族のこと気になってたんだ…

「それは不可能ではないだろうが、なかなかリスクの高いお願いだな…

私達のメリットがない…」

ワルターはアレンのお願いをつっぱねた。

アレンも断られるのは予測していたのだろう。

それでも彼は諦めなかった。

「もちろんです。

私は貴方に命に等しいものを差し上げます」

「ほう?何かな?」

「私は地図が作れます。

妻と子を救い出してくれるなら、できる限り正確な、オークランドの地図を作ってお渡し致します」

アレンの言葉にワルターの顔色が変わった。

アレンはアーケイイック側に捕まった時、アンバーが驚くほど正確な地図を作っていた。

彼なら記憶をたどって自国の地図を作ることは可能だろう。

でもそれはオークランドへの完全な背信行為だ。

返事を決めかねているワルターにアンバーが囁いた。

「この男の覚悟を無下にできるほど君は冷たい男じゃないだろう?」

「確かに、地図は魅力的です…

しかし、私がその男を信用する理由が見当たりません」

「そうかね?

なら、地図を渡してから人質を受け取るのはどうだ?」

「…いや…いや、ちょっとお待ちを…

一旦その件のお返事は後日という事に…」

「聞いてやれよ、ヴェストファーレン」

不意にヴェルフェル侯が話に割り込んできた。

彼はワルターの肩を叩きながら明るく言った。

「地図は助かる。

こちらにあるのは商人たちが使う信頼性の低いもので不揃いなんだ。

虫食いだらけの地図で戦をするのは心許こころもとない。

是非お願いできないか?」

「では…妻と娘は…」

「私の力の及ぶ範囲で保証しよう。

申し訳ないが、もう死んでしまったりしてたら私には何も出来ないからね。

それで良ければ手配する」

「本当ですか?!

あぁ…ありがとうございます!」

ヴェルフェル侯の言葉にアレンは崩れ落ちるように平伏して頭を下げた。

え?この人思ってたより結構いい人なのか?


「よろしいのですか?そのような約束を軽々しく結んで…」

「大袈裟な。

好きだろ?人助け?」

「…本当に地図が欲しいのですか?」

「地図も欲しいが、一番欲しいのは勇者からの信頼と色良い返事かな?」

「…」

もはや下心丸出しなので何も言えん…

いっそ清々しいわ。

こっち向くな…

ウインクするな…

こっち来んな…寒気がする…

「せっかく知り合えたのに、君とのお別れは寂しいね。

一緒に来てくれて構わないんだよ」

「遠慮しまぁす…」

そんな王子様みたいなキラキラオーラ出してもなびかんぞ!

「閣下、これ以上遅れるとご帰還が予定より遅れます」

ありがとう!ワルター!心の声だけどありがとう!

「じゃあまた」と言ってヴェルフェル侯は手を振って飛竜ワイバーンに跨った。

三人とも飛竜で帰るらしい。

まあ、その方が早いもんな…

アーケイイックは道路がまだ完全ではなく、森の場所も多い。

遠回りを強いられる陸路より、突っ切れる空路の方が楽なのだ。

でも、荷物はどうやって運ぶんだろう?

後でアンバーに訊いてみよう。

モーントメンシェンは旗のついた長い槍を手にしている。

一際目を引く緋色の旗には、狼を踏む一角獣の紋章が刺繍されているのが見えた。

まず旗を持った彼が飛び立ち、続き、ヴェルフェル侯の飛竜が飛んだ。

最後にワルターの飛竜が羽ばたいた。

彼らが見えなくなるまで見送って、全員が大きなため息を漏らした。

間違いなく安堵のため息だろう…

「…さあ、仕事仕事…」

アンバーがそう呟きながら城に向かって歩き出す。

僕も彼の後に続いた。

「なんの仕事?」

「いや、君に内緒のやつだ」

アンバーはそう言って口元に人差し指を当てた。

何だろう?内緒って…

「アレンはしばらく私が預かる。

君はしばらく暇で退屈するだろうけど、いい機会だ。

ベティに付き合ってもらって飛竜に一人で騎乗できるようになるという宿題を出しておくよ」

「…本気で言ってる?」

下手したら死ぬやつだぞ…

「苦手だからっていつまでも出来ないままなのは君のためにならないからね。

せいぜい頑張りたまえ、勇者よ」

アンバーはそう言ってアレンを連れて城の中に戻って行った。

彼が何をしようとしているのか僕には全く見当がつかなかった…

✩.*˚

自身の父の背中に憧れた子供は少なくないはずだ。

それでも私は父には憧れなかった。

幅の広い、逞しいはずの父の背を私は覚えていない…

五歳の時に戦死した父の記憶は、広間に飾られた絵画の中の人物によく似ていた。

でも、それ以上何も父との接点を見出すことが出来なかった。

『お父様にそっくりですよ』と周りは私に言うが、気を使っているだけだろう。

肖像画の父は凛々しく、逞しく、健康的に見えた…

そう…私は似ていない…

「ヘイリー、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ…」

途中、飛竜を休めるためにアーケイイック領内に降り立った。

飛竜を降りてすぐに異変に気づいたウィルが私に駆け寄って顔に触れた。

「また熱がありますよ」

「そう、いつもの事だ…」

「ちょっと久しぶりの遠出でしたからね。

はしゃぎすぎたんじゃないですか?

ちゃんとお薬飲みましたか?」

「辛くなるから嫌なんだ、あの薬」

「何言ってるんですか?!

飲んでください!」

ウィルに叱られた。

副作用の強い薬で一時的に倦怠感や目眩が現れる。

酷い時には幻覚が出る時もあった。

あれじゃ薬じゃなくて毒だ…

「これじゃ薬に殺される…」

「いい歳した大人がバカ言ってないで、ちゃんと飲んでください」

そう言ってウィルは私に無理矢理薬を握らせた。

命を繋いでくれる有り難い薬だが、どうしても好きになれない。

ウィルが見てることもあり、逃げ場もないので仕方なく薬を口に含んだ。

独特の匂いと苦味が口に広がる。

吐き出したい…

差し出された水筒の水で一気に嚥下したが、気持ち悪さが口の中に残って消えない。

「…あ…ぁあ…」

目眩で視界が歪む感覚が襲ってくる。

何度も薬を変えたが、効く薬はどれも副作用が出た。

うずくまる私にウィルが寄り添う。

背中に伸びた彼の手が、私を労わるように優しく撫でた。

「大丈夫、すぐに治まりますから…

深呼吸でちゃんと呼吸を整えて…楽になるまで続けて…」

目眩が治まってもこのままでいたい…

彼だけが私の辛さを知っている。

「もう大丈夫ですか?」

「嫌だ、もう少しこのままがいい」

「…ワガママですね」

彼は呆れて笑ったが、嫌ではなさそうだった。

ウィルは、私の冷や汗で張り付いた髪を手櫛で梳いて整え、ついでに視線を落とした。

彼は私の力なく垂れ下がった右腕を見ていた。

「右腕は?辛くありませんか?」

「正直に言うと少し痺れがある」

私の答えに彼はため息を吐いたが、すぐに私の服を脱がせて右腕を確認した。

私の右腕は肘から先がない。

先の戦争で失った。

もう五年程前の話だ。

戦争には勝ったが、そのせいで暗殺されかけた。

右腕を犠牲にしたが、何とか生きながらえた…

私は死神に好かれているのか嫌われているのかよく分からない。

「もっと早く言ってください。

上空の寒さで血の巡りが悪くなったようですね。

義手も冷たくなってるし、一度外して、様子を見てから付け直しましょう」

ウィルに小言を言われるのはいつもの事だ。

自分では着脱できない不便な義手だが、ある程度細かい動作もできるし、剣だって握れる。

場合によっては盾にもなる優れものだが、重さがあるので、どうしても腕が辛くなる。

普段は外しているが、いざ使う時はどうしても彼の手を煩わせるしかない。

「どうした?痛むのか?」

飛竜に水を飲ませていたヴェストファーレンが私の様子を見に来た。

「冷えただけです」

「冷えると身体が弱る。

お前は身体が弱いんだから無理すべきじゃない」

「分かってます」

「どうかな?

ウィル、大丈夫そうか?」

私が無理をしてると感じているのか、ヴェストファーレンは腕を確認しているウィルの方に問いかけた。

「軟膏を塗ってマッサージすれば楽になると思います。

それでも早めに主治医に見せた方が良さそうですね」

「飛竜には乗れそうか?」

「大丈夫ですよね、ヘイリー?」

「飛竜に乗るのは慣れているから片腕でも乗れる。

師匠せんせいは心配しすぎだ…」

「そうか」とヴェストファーレンは呟いて私の頭を撫でた。

広い掌で乱暴に撫でる。

無骨な父親の手だ…

「父親が子供を心配して悪いかね?

幾つになっても君達は私の手のかかる子供達だ」

紫の瞳は子供を見るような優しい温かさがある。

「出立できそうなら教えてくれ」

そう言ってヴェストファーレンは私達に背を向けた。

広く逞しい大きな背中…

子供の頃に憧れたのは彼の背中で、それは今も変わらない。

獅子のように気高く、身一つで騎士を拝命するまでのし上がり、百年もフィーア王国の南の土地を守り続けた守護神の背は少しも衰えない。

彼の背が曲がる時は子供を愛でる時だけだ…

それに比べ、侯爵家に生まれながら貧弱で、誰かの支えなしでは生きられない自分は何と惨めな事か…

「また嫌なことを考えてませんか?」

ウィルが苦笑いしながら私の顔を撫でた。

「劣等感ってやつが顔に張り付いてますよ、ヘイリー」

「そうかな?」

「君も私も憧れてる相手が悪かったですね」

肩を竦めてウィルが笑った。

彼を私に紹介したのはヴェストファーレンだ。

その頃の彼は、小汚い、目付きの悪い貧民街から来た少年だった。

一方、その頃の私は、病気のせいで皮膚はボロボロ、包帯だらけで、所々血の滲んだ服を着た気味の悪い少年だった。

『お前病気か?』

口を開いた彼はいきなりそう言った。

ヴェストファーレンに頭を叩かれて叱られていたのを思い出す。

腫れ物を触るように育てられていた私は、不敬な彼の物言いには驚かせられた。彼はその後も、歯に着せぬ物言いで私を驚かせた。

『その病気治るのか?』

『いつになったら外に行ける?』

『お前ホントに貴族なのか?』

よく分からないことから傷つくようなことまでからの口からポンポン飛び出してきた。

私が微笑んではぐらかしても彼はお構い無しだった。

でも、私にとって初めての同世代の友人で話し相手のウィルを遠ざける気にはならなかった。

ヴェストファーレンが何度か彼を引き離そうとしたこともあったが、私は泣いて懇願して彼を引き留めた。

彼のように何も気にせず、友人として話せる人間が他にいるはずが無い…

お互いに傷ついた者同士、見えない絆で結ばれていた。

ウィルは私にとって特別になっていた…

彼のために辛い治療も耐えた。

苦い薬も飲んだし、焼けるような痛みを伴う軟膏も塗った。

やっと人前に出れるような身体になった時、彼は『私のおかげでしょう?』と笑って言った。

誰もが強い侯爵家当主を求めている中、彼だけが弱い私を認めてくれる。

私は彼に依存して、彼も私を世話することを求めてる。

多少歪んでいるかもしれないが、私にとってこの関係が何よりも心地の良いものだった。

まだ私は病魔に屈する時ではない。

死ぬ前にしなければならない事も、やりたい事も残っている。

「ねえ、ウィル、覚えているかな?」

「何ですか?」

腕をマッサージをしていたウィルが顔を上げて応えた。

「昔、だいぶ昔に療養でゼーアドラー港に行った時のこと…」

まだ病気が酷かった時に、気分転換と療養のために海の見える港町の別邸を訪ねた時だった。

「貴方は帆船に夢中でしたね。

海に出たいとせがんでみんなを困らせた…」

「あの時は本当に乗りたかった。

今でも乗りたいと思ってる。

この病気と、家督のことさえなければ船に乗って世界を見たかった…」

船乗りたちは話をせがむと、病気の私を不憫に思って色々な話をしてくれた。

自由のない私にはそれが何よりも羨ましく、海の外の世界に憧れた。

「私はこの命が尽きる前に海に出たい。

あの時みたいな大きな船に乗って、船乗りたちの旅した土地をこの目で見たい…

密航でもしなければ不可能だろうけど、その時は君も一緒に来てくれるかい?」

「いいですよ」

彼はそんな不可能な夢を笑顔で快諾した。

「地獄にだってお供すると言ったでしょう?

貴方の行く先どこへだってお供します。

置いていこうとしても無駄ですよ。

私はそのためにいるんですから…」

そう言って手を伸ばし、頭を撫でる手は硬くて広くて包み込むようで優しい。

「あぁ、でもね」

不意にウィルが思い出したように、苦笑いを浮かべて悪戯っぽく呟いた。

「浮気は…良くないなぁ…」

「…それは…ごめん」

多分勇者のことだろう。

あれはあれで結構本気だったのだが、そんなことを言えば火に油だ。

「貴方の恋人パートナーとは破格の待遇ですね。

今回はライバルが辞退して頂けて助かりましたが、私にこんなに依存してるくせに他の恋人が必要ですか?」

「…可愛かったろ?」

「観賞用だとしても、私からヘイリーを奪う相手が勇者だなんて笑えませんよ。

嫉妬のせいで貴方をまっすぐ見れなくなった。

だからこんなになるまで、貴方の体調に気付けなかったんですから…」

随分妬いてるじゃないか?

「もっと私に依存して下さい。

私無しじゃ生きられないくらいに頼ってください」

「もうなってるよ。

私達はそういう関係だろ?」

私は君無しでは生きられないし、君は私無しでは満たされないのだから…

与える愛ではなく、依存するという歪んだ愛が私達を繋いでいる。

「分かってるなら良いんですよ」とウィルは私の頭を撫でた。

「腕はどうです?まだ痺れますか?」

「大丈夫。

君と話してるうちに楽になったよ。

右腕にも体温が戻った」

「まだアインホーン城まで遠いですよ。

一人で飛竜に乗れますか?」

彼に子供扱いされて肩を竦めて苦笑いした。

「乗るしかないだろ?

歩いて帰れる距離じゃないから根性で何とかするさ。

最悪荷物として縛り付けてもいいよ」

「良くないですよ、そんな不名誉な帰還が知れたら恥ですよ」

「じゃあ、君が責任もって運んでくれよ。

はぁ…何だか残念だな…

今回のアーケイイック行きはとても楽しかったから窮屈な城に帰るのが辛くて堪らないよ…」

空から見た大地、連なる山々、大地を蠢く獣の群れ、そして極めつけに伝説に語られる勇者にも会えた…

どれも珍しく心が踊った。

もっと逗留したかったが、彼らとの約束を守るために帰らねばならない…

「一ヶ月後にまた来ましょう」

ウィルがそう言って手を差し出した。

「そうだね」と笑って彼の手を取る。

また一ヶ月後に来れるよう、体調を整えなければならない。

憂鬱な課題だが、それを凌駕する喜びがこの地にある。

ウィルヘルム、私はまた君と楽しい旅がしたいんだ。

私が消えても忘れられない思い出を君に刻むために…

✩.*˚

「♪トゥルラッタッタ、贈り物にリボンをかけよう。

♪トゥルラッタッタ、中身は秘密。

♪トゥルリララ、魔法をかけよう、魔法をかけよう

♪蓋を開けたら終わっちゃう

♪開かない箱の幸せな魔法…」

子供の頃に聞いた《魔法の小箱》という童歌わらべうた

今でも時々口ずさむ…

この体の何処から声が出るのだろう?

震わせるはずの声帯も、発音するための舌も、声を放つ唇も何も無いというのに…

私は自分の姿が大嫌い…

骨だけの体はおおよそ乙女らしさがない。

骨になったら男も女も分からない。

骨盤を見れば分かるけど、専門家でないとお手上げだろう。

骨だけの体になった私だけど、唯一の救いはこの金の長い髪が残ったことだ。

螺旋階段のようにクルクルと巻いた長い髪が、私が女の子だと主張している。

見た目には気を使ってる。

頭にはレースの帽子。

詰襟で丈の長いドレスと可愛いステップを刻めるヒール。

腕を隠せる長い皮の手袋。

大嫌いな髑髏の顔を覆う仮面。

この姿だけ見れば可愛い女の子だろう…

開かない箱の幸せな魔法だ…

中身は知らない方がいい。

「人間、知らない方が幸せなことの方が多いものよね…

ねえ、アドニス…貴方もそうでしょ?」

私は水槽に沈めた人間の男に声をかけた。

羊水に浮かぶ胎児のように、彼は水槽に満たされた魔素水に体を委ねている。

顔だけは水槽から出ているが、まるで溺死体のように反応がない。

彼はもう人間じゃない…

その身体は彼の大嫌いな魔物に近いものになっていた。

人造人間ホムンクルスの要領で欠けたパーツを作って繋げた。

何度も心臓が止まるので、仕方なく心臓も替えた。

そのパーツを馴染ませるために魔石と薬剤を溶かしこんだ魔素水に漬け込んでいるのだ。

「あんたはつくづく可哀想な人ね、アドニス」

人間として貴族として生まれ、将来を嘱望された若者であったはずだ。

それでも勇者になんか関わってしまったのが運の尽き…

勇者奪還のため魔物の国に送り込まれ、助けるはずの勇者に裏切られ、人の国にも帰れずにこんな所で燻っていた。

人生に絶望しても無理はない。

さらに、彼にとって大切な人が彼の不在中に誰かに殺されたと知ったとなれば、多少気がおかしくなっても致し方のないことだ。

「気持ちは分かるわよ…

でもあんたはまだいい方…私の方が可哀想よ」

十二歳まで何不自由なく育てられ、本とオシャレが大好きな少女が、家族を殺されて、人買いに売られ、悪魔の生贄にされた…

しかもそれが失敗と来たものだ…

本当に救いがない…

とんでもない呪いをかけられて、私は不死者リッチになった。

こんな姿で生きるだなんて、死ねと言われるより辛い…

森に隠れて彷徨い歩き、ついにアーケイイックに辿り着いた。

驚いたことに、この国では私は歓迎された。

どうやら、彼らにとって不死者という存在が恐怖の対象にならなかったようだ。

理由はすぐに分かった。

『不死者は珍しいと言うのに、君みたいな小さな不死者は初めてだ』

私を娘として迎えてくれたこの国の王は、私と同じ姿をしてた。

同じ不死者のお父様の存在がどれだけ心強く、孤独と心の傷を癒してくれたか分からない。

私は必要とされたのだ。

今では不死者としての力を遺憾無く発揮し、王女として内政を支えている。

主に医療や教育関連の仕事が多い。

それに対してやりがいも感じてる。

私の居場所はこのアーケイイックをおいて他にない。

分厚い薬学書を手に取り、お気に入りの椅子を持ってきてアドニスの水槽の前に置いた。

刺繍の入った天鵞絨の生地の上にちょこんと座ると足が着かずに宙ぶらりんになる。

行儀悪いけど足をパタパタさせるのが好き。

お気に入りの椅子に座って、お父様から借りた本を開く。

お父様の友人がまとめていたという薬学書は、ペトラお姉様の字によく似た読みやすい筆跡で、所々に水彩スケッチもある。

世界に一冊しかない学術的にも貴重な本だ。

本を読んでいると、足元を這っていたカッパー君もスルスルと椅子を登って首元に擦り寄ってきた。

小さな頭を指先で撫でるとうっとりした表情をするのが可愛い。

「マ、マ…リィ」

カッパー君の口から、たどたどしいオウムのような声がした。

「なあに?」

「カッパー…マ、リ…シュキ」

「ありがとう、いい子ねカッパー君。

たくさん言葉を覚えてね」

カッパー君は簡単な単語なら組み立てれるようになっていた。

三つくらいなら言葉にできる。

私の独り言を聞いて真似するので、試しに教えてみたら意外と学習した。

蛇の姿だと滑舌が悪いが、人型になればもう少し上手に喋れる。

「カッパー君、書見台になって欲しいの。

お願い出来る?」

「ショ…ショケン、ダイ…ホン…ノセル」

「そうよ。

本を読むための道具よ」

私がそう言うと、カッパー君は部屋にあった書見台と同じ姿に形を変えた。

開いたままの本をそっと置くとカタカタと少し揺れたが、すぐに本物のように動かなくなった。

カッパー君は書見台が動かないことを知っているのだ。

「ほお?面白いことが出来るのだな…」

不意に背後から声がした。

気づかなかったが、随分珍しいお客様だ。

「お父様。

レディの部屋に勝手に入るのは良くない行為よ。

私がお着替え中だったらどうするの?」

「すまないね、ノックしたのだが返事がなかった」

「あら?それは失礼致しました」

気づかなかった…

いつもならカッパー君がドアを見張っているのだが、私が彼を書見台にしていたので動けなかったのだろう。

椅子から降りてドレスの裾を摘んで会釈する。

「その本が必要になってね。

返してもらっても構わないか?」

「《シークの薬見本》ですか?

調合なら私が…」

「ヴェルフェル侯の薬の調合を頼まれた。

ヴェストファーレン殿の話では深刻なエマヌエル病との事だが、エマヌエル病は直接効く薬が無い。

シークの本に何かヒントがあるかもしれない」

「エマヌエル病…」

驚いた。

悪魔の病気とも呼ばれる原因不明の病だ。

発症すれば徐々に体が弱り、そのほとんどが合併症で死ぬ。

主な症状は全身の炎症や発熱だが、ヴェルフェル侯はそんな風には見えなかった。

肌も綺麗だったし、少し色白だったが割と元気そうに見えた。

お父様はポケットから封筒を取り出して中身を見せてくれた。

中から出てきたのは軟膏と粉薬だ。

原料などを書かれたメモを見て驚愕する。

「こんなの薬じゃないわ!」

「かなり強い薬を服用していた。

軟膏は皮膚を破壊して再生させる一般では禁止されたものだし、飲む薬も毒をもって毒を制するような劇薬だ。

さすがにこれは見ていられない…」

あの若い侯爵を哀れんでいるのだろう。

お優しいお父様は肩を落として悲しそうな色を滲ませていた。

「でもエマヌエル病は難病よ。

研究するにも時間がかかるわ」

「分かっている。

実はもっと前から相談は受けていたのだが、こんなに深刻なものとは知らなかった。

ヴェストファーレン殿もヴェルフェル侯の病を公にはできなかったのだろう。

ヴェルフェル侯は後継者問題も抱えてるから、彼が早世すると非常にまずいことになる。

私もそれは困る」

ヴェルフェル侯はご子息は確か十歳にも満たない幼子だったはず。

後見人を立てるにしても不安すぎる…

つまらない権力争いが目と鼻の先で起こるのはご勘弁願いたい。

彼が死んだら不可侵条約もフイになる可能性がある。

お父様はまた随分厄介な荷物を抱え込んでしまったのね…

「分かったわ」

ため息混じりに頷いて、シークの薬学書をお父様に返した。

「すまないね」と言って受け取ろうとするお父様に、私は本を離さずに条件を突きつけた。

「今度ヴェルフェル侯が来たら、エマヌエル病の研究のために私の預かりにして。

期間は一ヶ月」

「マリー!相手は侯爵だぞ!

その辺の子供をサンプルとして預かるのとは訳が違う!」

「私にとってはただの患者よ。

貴族だろうが罪人だろうが関係ないわ。

エマヌエル病の根本治療に役立つかもしれない。

そうなればまた一つこの国が他国から抜きん出るわ。

医学の女神が不死者の姿をしてるなんて皮肉が効いてると思わない?」

そうよ。

やるなら徹底的にやるわ。

「しかし…一ヵ月は長いぞ…

そんな長い間預かるのはいいが、フィーア側が黙ってないぞ」

お父様は困った様子だ。

「私に妙案があるわ」

私はそう言って目の前の書見台を示した。

お父様は驚いた様子で私と書見台を見比べて「嘘だろ?」と私に問いかけたが、私は本気だ。

変身する蛇ムータンス・アングイースは覚えさせたらどんなものにも変身できるわ。

それにカッパー君は簡単なお喋りくらいはできるわ」

「一ヵ月だぞ!」

「それはヴェストファーレン様が上手くするでしょ?」

「それは…いや、しかし…」

難色を示すお父様だが、それ以上の妙案が無いのか閉口している。

「…ヴェストファーレン殿が…承諾するだろうか?」

「そこはお父様にお任せするわ。

私だってかなり譲歩しての一ヵ月よ。

本当は半年くらい時間が欲しいけど、それは難しそうだものね」

私はそう言いながら書見台を撫でた。

書見台が嬉しそうにカタカタと動く。

私だって大きな犠牲を払うのだ。

「カッパー君、マリーのお願い聞いてくれる?」

私の一番大事なお友達…

書見台から元の姿に戻ったカッパー君は赤い瞳で私を見上げた。

カッパー君は蛇なのに、何故か暖かい目をしてる。

「マ…リィ…スキ…オネガイ…イイ…ヨ」

カッパー君…

貴方に無茶なお願いをする我儘な私を許してね。

私の仮面が今どんな顔を映しているのかは分からない。

それでも、涙も出ない身体でよかったと、初めてこの不気味な姿に感謝した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します

桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

【完結】国外追放の王女様と辺境開拓。王女様は落ちぶれた国王様から国を買うそうです。異世界転移したらキモデブ!?激ヤセからハーレム生活!

花咲一樹
ファンタジー
【錬聖スキルで美少女達と辺境開拓国造り。地面を掘ったら凄い物が出てきたよ!国外追放された王女様は、落ちぶれた国王様゛から国を買うそうです】 《異世界転移.キモデブ.激ヤセ.モテモテハーレムからの辺境建国物語》  天野川冬馬は、階段から落ちて異世界の若者と魂の交換転移をしてしまった。冬馬が目覚めると、そこは異世界の学院。そしてキモデブの体になっていた。  キモデブことリオン(冬馬)は婚活の神様の天啓で三人の美少女が婚約者になった。  一方、キモデブの婚約者となった王女ルミアーナ。国王である兄から婚約破棄を言い渡されるが、それを断り国外追放となってしまう。  キモデブのリオン、国外追放王女のルミアーナ、義妹のシルフィ、無双少女のクスノハの四人に、神様から降ったクエストは辺境の森の開拓だった。  辺境の森でのんびりとスローライフと思いきや、ルミアーナには大きな野望があった。  辺境の森の小さな家から始まる秘密国家。  国王の悪政により借金まみれで、沈みかけている母国。  リオンとルミアーナは母国を救う事が出来るのか。 ※激しいバトルは有りませんので、ご注意下さい カクヨムにてフォローワー2500人越えの人気作    

処理中です...