魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

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意地っ張り

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王都より東に進むと、《魔の森》と呼ばれる広大なアーケイイックフォレストが広がる。

どっかの貴族の道楽に付き合って、仲間達と略奪者の真似事をするためにアーケイイックに向かった。

「あまり欲張るなよ」と仲間に釘をさして、国境警備隊に依頼書を渡した。

他の奴らより遅れている。

もう手頃なエルフの村は望み薄だが、俺たちの目標は別のものだ。

そのために必要な物を揃えていたら出遅れてしまった。

「メイナード!」

いつの間にか物見の塔の上に登っていた、仲間のレイモンドが叫んだ。

登って来いという。

塔の上が騒がしい。

歓声と言うより悲鳴だ…何事かね?

塔に登って仲間が遠眼鏡を「見ろ」と渡してきた。

彼らの視線の先には、森から抜けて少し開けた場所に集まっていた。

「…何だ…」

遠眼鏡を通してその付近を確認すると、目が覚めるような赤が映った。

赤い血溜まりの中に人だったと思われる肉塊を見てゾッとした。

地面にめり込んで潰れた身体は、まるで服を着たヒキガエルだ…

「あいつだ!」と悲鳴のような声が上がった。

守備兵の指した方向に眼鏡を合わせると、その先にいたのは鈍く光る甲冑を全身に纏った騎士だった。

剣は握っていないが、その手には血に汚れた大きな盾が握られている。

あれで潰されたのか?!

あの騎士、上背も相当あるが、盾はその体をカバー出来るくらいの大きさだ。

とても片手で持ち上げられるような代物じゃない…

対峙してる男はオークランドの傭兵のようだったが、もう彼以外は肉塊になってしまったようで、立っているのは彼だけだ。

「おい!誰か応援に…」

そう叫んだ時にはもう遅かった。

騎士は全身の甲冑の重さもものもとせず、男に肉薄した。

剣を振るって迎え撃つ男を大盾でいなし、腹に篭手をはめた拳を叩き込んだ。

男の着込んだ鎧が相手の拳の形に凹む。

また兵士達に戦慄が走った。

騎士はそのまま大盾を操り、拳でも掲げるように軽々と盾を持ち上げて倒れた男に目掛けて振り下ろした。

血飛沫と肉塊が飛ぶ様を遠眼鏡を通して目の当たりにする。

地面にめり込んだ死体の理由はこれか…

よもや化け物だ…

アーケイイックにはこんなのばかり居るのか?

人の体をいとも簡単に挽肉に変えた盾の騎士を観察していると、その姿から甲冑がポロポロと剥がれ落ち、盾もいつの間にか消えていた。

正確には魔装と呼ばれる魔力を具現化させた武装を解除したのだろうが、それにしても驚愕すべきことだ。

《全身魔装》が出来るのは一部の限られた頂点の魔導師レベルの奴らだ。

何者か?魔王に近い存在か?

魔装の下から現れたのはエルフでも鬼人でも獣人でも無かった。

恐らく人間だ。

癖のある金の髪を短く切り揃え、女のような整った顔をしていた。

返り血を浴びた服は赤黒く染まっていたが、洒落た良い身なりだった。

魔装を解いた騎士は潰れた死体に手をかけると、死体から何かを取り上げて近くの木に歩み寄った。

その木には死体が縫い付けられていた。

彼は死体を木に縫い付けていた短剣を抜き、自分の腰に水平に差した鞘に納めた。

全てを終えた騎士は踵を返すと、アーケイイックの暗い森に消えて行った。

残された俺達は呆然とその姿を見送ることしか出来なかった。

「…何だったんだ?何者だ、あいつ…?」

「森から戻った傭兵の小隊を追って、黒い狼の群れが出てきまして…」と初めから様子を見ていた若い兵士が説明した。

その群れに足止めを食らっていたようだが、少し遅れて、あの騎士が特別大きな狼の背に乗って現れたらしい。

そして傭兵たちが捕まえていたエルフを強奪し、狼達を森に帰すと残った者達をも襲ったという。

その結果があれだ…

信じたくないがそれが真実だった。

「メイナード、あれって人間だったよな?」

仲間のレイモンドが俺に問いかけた。

「人間が魔王に味方するのか?

しかも手練だ、普通の人間じゃない。

もしかするってぇと、あれが…」

「俺らの《依頼》かもしれねぇな…」

魔王が異世界から召喚した《勇者》…

極わずかな情報しかないが、オークランドは魔王に《勇者》を横取りされたらしい。

ごく一部の人物しか知らない話だが、俺達にその依頼が降りてきたのは傭兵ギルドからだった。

オークランドの傭兵団は冒険者をかけ持ちしている場合が多い。

俺達が名前を連ねる傭兵団・《金の百舌鳥ゴールデン・シュライク》も例外ではないが、俺達のお得意様はこの国で一番権力を持ってる御仁だ。

成功を重ね、信頼を得れば盗賊上がりの俺でも騎士になれる可能性だってある。

傭兵と騎士じゃ雲泥の差だ、悪い話じゃない。

だからこの危険な仕事を引き受けたのだ。

《魔王城探索と勇者の存在確認》

「仕事が半分終わったようなもんだな」と言うとレイモンドも頷いた。

塔を降りると、同じパーティーの仲間が待っていた。

「何か良いものでも見れました?」と下で待っていたリチャードが訊ねた。

一緒にいたロビンとイーノックの視線にも好奇心の色があった。

俺とレイモンドが顔を見合わせて苦笑いする。

「良い見世物だったと言いたいところだが、グロいショーを見せられて吐きそうだ」

「メイナードらしくない」と口数の少ないイーノックも驚いていた。

「行く道で見るだろうけど吐くなよ」

「オエー…マジでなんなのさ?

入る前からヤバいなアーケイイック…」

後衛の魔法使いのロビンは嫌そうな顔で黒く長い前髪を指先で弄んだ。

幼さが抜けきらない顔立ちの陰気そうな青年の灰色の瞳は不安げだ。

このパーティーの最年少で経験も少ない。

実力はあるが知識と実践経験が足りないので、まだ魔法使いに毛の生えた程度だ。

「お前だってコレで実績作って魔導師目指すんだろ?頼りにしてるぜ」

「僕だってアンバー・ワイズマンに憧れる一人だからね。

美味しそうな餌に釣られたけど、失敗かな?」

「ははっ!傭兵なんてそんなもんだ!」とレイモンドが笑い飛ばした。

「お前はやることやれば良いんだよ、頼りにしてるぜ、ロビン」

そう言ってリチャードがロビンの背を叩いた。

よろけたロビンが恨みがましい視線を彼に向ける。

リチャードは巨躯を揺らしながら豪快に笑った。

彼は盾役タンクとだけあって力も半端ない。

俺達が話してる間にも続々と他の傭兵のパーティーが到着する。

話題はさっきの見世物で持ち切りだ。

その話を聞いて引き返していく奴らもいた。

俺らだって命は惜しいが、金も名誉も欲しい。

「準備はいいか?」と頼もしい仲間達に尋ねた。

俺の小隊は他の奴らと毛色が少し違うが、それでも強い小隊だと自負していた。

全員腹を括った良い顔をしている。

「しばらく森でサバイバルだ。

根性見せろよ!」

「今更抜けるやつなんかここには居ねえよ」とレイモンドが笑った。

「レイモンドの言う通り!

戻ったら金持ちだ!抜ける理由がない!」

「公認でアーケイイックに入れる機会なんてなかなか無いですからね。

僕だって魔法使いの端くれだ、期待してますよ」とリチャードに次いでロビンも応える。

「お前も来るだろ、イーノック?」

「乗ったからには最後までやりきるさ」

口数の少ない彼は頷いて静かな声でそう応じた。

今日は彼にしてはノリが良い方だ。

「目指すは魔王の城だ。

情報は少ないが、無いわけじゃない。

先遣隊の情報を精査して、恐らくこの辺りという目星はついてる」

「その先遣隊って?」

ロビンに訊ねられて苦い気持ちで肩を竦めて答えた。

隠すことでもない。

「どうやらお偉い宮廷魔導師やら騎士を投入したらしいが失敗したらしい。

戻ったヤツらはうわ言で《魔王》と《勇者》の単語を口にしたらしい」

「《魔王》と《勇者》に遭遇したのか?」

「だろうな。

でもやっぱり情報は少ないから振り出しだ。

だから俺達が来た」

「まだ誰も成功してないってこと?」

「ワクワクするだろ?」

俺達は似たもん同士だ。

「行くぜ!アーケイイック!」

檄を飛ばすと皆「応」と応えた。

当然だ!こんなヤマは滅多にない。

「戻ったら今度こそお前も《英雄》の仲間入りだな」とレイモンドが肩を叩いた。

「なるさ、今度は俺を邪魔するお坊ちゃまはいないしな」

苦い記憶が頭を過る。

《祝福》持ちが全て英雄になれるわけじゃない。

《祝福》を持っていても埋もれているやつの方が多いんだ…

五年前、俺は《英雄》になり損なった。

俺の輝かしい活躍は《神速の騎士》アドニス・ワイズマンの陰に隠れて光を失った。

「今度こそ《英雄》だ」

成り上がってやる!こんな泥臭い傭兵なんかで終わってたまるか!

俺の肩を叩いたレイモンドは「あんたならなれるさ」と嬉しい言葉をくれた。

✩.*˚

「お兄様、はい、これ」

廊下でマリーに呼び止められて嫌な予感がしたが、やはり用事を言われた。

「ヘイリーの薬に必要なの。

このメモの薬草取ってきて」

「…人を小間使いのように…」

イラッとして彼女を睨んだが、マリーは金の髪を指先で弄びながら素知らぬ顔だ。

「だって、ルイに頼めないんだもの」

「だからなんで私なんだ?」

「薬師の子でしょ?

その薬草の群生地は魔獣が多いから誰も近寄れないけど、イールお兄様なら行けるでしょ?

誰か暇な人連れて行ってもいいのよ。

もう約束の期限まで二週間切ってるし私は忙しいの」

そう言って当たり前のように「お願いしまーす」と軽いノリでマリーが立ち去る。

「なっ!おい!まだ行くとは…」

「行かないとも聞いてないわ、よろしくねー」

あいつも随分図太くなったな…

ミツルが来てから、マリーの方から私に用事を持ってくるようになった。

それまではお互い避けているところがあったのに…

「…全部ミツルのせいだ」

全く《勇者》の存在というのは面倒なものだ…

耳飾りの制作途中だと言うのに…

私の部屋に訪ねてきたと思ったら、図々しくも、『ペトラに耳飾りを渡すから』と私に言った。

作り方を尋ねたので教えたが、これがなんと恐ろしく不細工なものしか作れない。

聞きしに優る不器用だ…

あそこまで行けば不器用もある種の才能ではないかと思う。

この私が白旗を上げるのに時間がかからなかった…

最大譲歩して、デザインを手伝い、造形に手を貸した。

魔石のカットも私がやった。

ほぼ全部出来上がった状態で、パーツの組み合わせだけあいつにさせることになってる。

でもそれってほぼ私が作ったことにならないか?

それでもあの麗しの姉上に不細工な耳飾りをさせる訳にはいかない。

姉上ならミツルから貰ったと、喜んで耳飾りを身につけるはずだ。

《求婚の耳飾り》は姉上の憧れだったから…

人間に耳を短く切られた後も、ずっと憧れてたのを知っている。

耳の先端に着けるのは叶わなくとも、愛の重さは変わらないだろう。

それを知っているから、私も耳飾りに拘っているのだ。

ヒルダに贈る耳飾りの制作が遅れている。

こっそり作っているから思うように進まない。

煙草入れの象嵌の鳥をモチーフにしているが、なかなか難しい。

それでも時間をかけ過ぎれば、彼女はフィーアに帰ってしまうし、彼女が着けてくれる姿を見たい。

それさえ叶えば、私は彼女との別れを受け入れるつもりでいた。

私は耳飾りとして彼女に寄り添える。

マリーの使いのせいでまた時間が削られる。

急いで用事を済ませて制作に戻りたかった…

部屋に外出用の外套を取りに戻ると、ミツルの姿を見て少しだけガッカリした。

「何だ、お前か…」あからさまな態度にミツルは困惑したようだった。

「え?何?」

「まだできてないぞ」

「あぁ、違うよ催促に来たんじゃないって、ちょっと話があってさ」

そう言いながら勝手に部屋の中まで付いてくる。

馬鹿な犬みたいに後ろに着いて回るので鬱陶しい。

「何だ?私は忙しいんだ、もう出掛けるからな」

外套と杖を手に取って部屋を出ていこうとすると、やっぱりミツルは着いて来た。

「今度はどこ行くの?」

「マリーに侯爵の薬に使う薬草を取ってこいと言われた、夕刻には戻る」

「ヒルダは?」とミツルが訊ねた。

何故その名前が出たのか分からず、驚いて振り向いた。

「ペトラが心配してるよ」

ミツルは余計なことは一切言わずに核心に触れた。

姉上がミツルに話したのだろうか?

そうでなければこんな事言うはずがない。

「ヒルダは友人だ」

「ペトラにもそう言ったの?」

「あぁ、そう説明した。

何か問題か?」

「好きなんじゃないの?」

コイツは本当にお節介だ。

そんな事聞いて、お前になんになるって言うんだ?

「うるさいぞ、ミツル…」

いくら友人でも、踏み込んでいい問題と悪い問題がある。

これは後者だ…私は彼を拒絶した。

「お節介もいい加減にしろ!

私が友人と言ったら友人だ、それ以上を望めるものか!

それ以上私の前で彼女の事を口にするな!絶対だ!」

「イール!」

「もう行く!お前は無駄な詮索をするな!このお節介!」

自分で言って自分で傷付いたのをミツルのせいにした。

好きなのに、あんなに愛してるのに…

彼女は友人だ…それ以上望めない…

焦燥感が胸の中でジリジリと痛みを発した。

ミツルの顔を見れない。

あいつは私より傷ついた顔をしてるだろう…

私だって…辛いと言うのに…

早足でその場を後にした。

ミツルは着いてこなかった。

置き去りにしたのは私なのに、彼を突き放したことを心の底で後悔した。

✩.*˚

ペトラの言った通りだった。

イールは本当に彼女の事好きなんだ…

「…何でさ…」

君は人間が嫌いだったんだろ?

随分変わったんだな…

良い方に変わったと思いたいけど、それが彼を苦しめてるわけで、やっぱり僕は余計なお節介を焼いて彼を怒らせてしまったようだ。

結局、分かったことはただ一つ。

イールがヒルダのことを好きってことだけだ。

じゃあヒルダは?彼女はイールのこと好きなのかな?

イールの部屋の前で立ち尽くしていると、「何してるんだい?」とヒルダが現れた。

「イールなら出かけたよ」と伝えると、彼女は一瞬驚いた顔をして、「あっそ」と誤魔化すように素っ気ない返事をした。

「で?そんな所で帰ってくるの待ってるのか?

犬みたいだな」と彼女は笑った。

僕よりずっと高い位置にある顔が明るい笑顔で朗々と笑う。

確かに彼女は美人だ。

この身長と髪型、話し方のせいで男みたいだけど、パリコレみたいなかっこいい系の美人だと思う。

僕の世界ならモデルとかやってそう。

ヴォイテクの話を思い出す。

王族の血を引いてたら美人でもおかしくないか…

「ヒルダって美人だよね」と口にした。

「はあ?なんだよ藪から棒に?

褒めたってなんにも出ないよ」

短い髪を無造作に掻き上げながら拗ねたような顔をする。

「ホントの事だよ」と笑うと彼女は「変な奴」と応えた。

「なんだよ?からかって…頭でも打ったのか?

いいか?美人ってのはこんな髪してないし、胸だってこぼれそうなほどあるもんだ。

背丈だって男を見下ろすようなもんじゃねえ。

唇に綺麗な赤い紅引いて、白粉はたいて、ヒラヒラしたドレスや宝石に身を包んで、クリクリした目で男の顔を覗き込むのが美人って奴だ」

彼女はジェスチャーまで交えて皮肉っぽく美人について語った。

「そうかな?」

「そうさ、なんならお前の方があたしより美人かもな」

そう言って彼女は茶化すように笑った。

「イールが留守なら帰るさ」と言って彼女は踵を返した。

違和感を覚えて彼女を呼び止めた。

「ヒルダは彼の事イールって呼んでるの?」

彼女の足がピタリと止まった。

「前は殿下って呼んでたのに?」

「何だよ?悪いか?」

笑って誤魔化そうとする彼女は困ったような顔をしてた。

「口が滑っただけさ…失礼した、忘れてくれ」

「特別だから?」と尋ねると、彼女は「参ったな」と壁に背を預けてため息を吐いた。

天井を仰いで、手のひらで顔を覆う。

「あんたお節介だな」と僕に向けて言った。

「よく言われるよ」

「自覚あるんだ?いい事じゃないよ、長生き出来ない」

彼女がそう言ったと思ったら、ゆらりと動いた長身から伸びた手で壁に押し付けられた。

女の人に壁ドンされた…

「忘れな、それが一番だ」

高い位置からの鋭い視線に射抜かれた。

「誰にも言うなよ、イール殿下にもだ。

あんたとあたしの秘密だ」

威圧的な態度が答えか…

照れ隠しとかそんなんじゃない…こっわぁ…

「そんなこと言ったって誤魔化されないから!

君だってイールのこと…」

全部言う前に手が伸びて口を塞がれた。

「そんな野暮なこと言うなよ?

やりたいわけじゃないが、あんたくらい黙らせるのは簡単なんだからな」

ヒルダの長い指に圧がかかる。

顎の骨がミシミシと軋む感じがあった。

本気で物理的に黙らされる…

見下ろす彼女の目は怒りと一緒に、別のものが見え隠れしていた。

「あと一週間ちょっとしたらあたしはフィーアに帰るんだ…

それまでに騒ぎになったらあいつの顔さえ見れなくなる…

分かるか?二度と会えないんだ…

分かったら黙ってろ、お節介勇者」

そう吐き捨てて彼女は僕の顎を砕く前に手を離した。

ビビってその場に座り込んでしまった僕を残して、彼女はまた踵を返した。

広い背中に哀愁が漂っていた。

背中に投げたい言葉があったが、顎がガタガタで言葉にならない。

でも彼女の気持ちも知った。

なんだよ、二人とも好き同士じゃないか…

そんな終わり方で良いのかって訊ねたら、今度こそ顎砕かれそうだった。

ヒルダの背中を見送ることしか出来ずに、約立たずの僕は廊下に座り込んで、ガタガタになった顎をさすることしか出来なかった。

✩.*˚

八つ当たりした…

ミツルには悪い事をしたが、騒がれたら困るのは本当だ。

あと少し…

もう少ししかアーケイイックには居られない。

フィーアに帰りたくないわけじゃない。

あたしの帰るべき場所で、守るべきものがそこにある。

首元の首飾りに触れた。

別れを思うと辛くなる。

二人で意地を張り合って、口に出すことができないだけだ。

どちらかが折れればいいのにと願っている。

もし帰ればもう二度と会えない。

会う理由がないから…

あたしとイールを繋ぐものなんてあっちゃいけないんだから…

あいつは綺麗な王子様で、あたしは血濡れの《英雄》だ…

イールの前では精一杯強がって見せたのに、あたしは自分で思っていたよりずっと女々しいんだと知った。

胸が傷んで壁に寄りかかった。

このバカでかい身体を支えていられない…

アーケイイックに来て強くなったはずなのに、心は弱くなった…

好きな男に抱かれて女になったからなのか?

愛なんか求めたからなのか?

どちらにしろ、あたしの心は誰にも見せれないほどグチャグチャになっていた。

ただ、あの綺麗な顔を見たくなって、引き摺るように身体を壁から離した。

弱い自分をこれ以上誰にも晒したくなかった…

✩.*˚

狼の群れに辺りを警戒させながら薬草を調達した。

相手が魔物なら《魔獣使い》の自分の敵では無い。

魔獣達は進んで私に道を譲った。

ある程度知能のある魔獣なら戦いを避けるし、私が勝てる相手でないとも見て取れる。

弱いものならアヴァロムを見ただけで逃げ出してくれる。

マリーの人選はあながち間違いではないが、それがまた癇に障る。

こんなことをしてる時間はない。

早く帰って耳飾りを作りたかった。

マリーの言ってた通り、時間が無いのだ…

ヴェストファーレンが迎えに来てから渡す訳にはいかなかった。

彼は私達の文化を知っているから、私が彼女にそれを贈れば不審がるだろう。

「戻るぞ、群れを影に戻せ」

アヴァロムに命じると、彼は遠吠えで群れを集め、私の影に誘導した。

群れが戻ったのを確認して、アヴァロムの背に乗り、飛竜を預けた最寄りの集落に戻ることにした。

『…何でしょうか?』と集落の方を見ながらアヴァロムが立ち止まった。

私では何も感じ取れずに「どうした?」と彼に訊ねた。

『血と煙の匂いが…』とアヴァロムが答える。

先日の略奪者のことを思い出した。

まさかこんな奥深いところまで入り込んでると思わなかった。

勘違いならいいが、もしそうだとしたら…

数頭を影から出して先行させた。

ここはアーケイイックの国境から150km以上離れてる。

略奪者がこんなにも奥深くに入って来ているはずがない。

そんな願いも虚しく、先行させた狼達の遠吠えが聞こえてきた。

『預けてた飛竜を盗られました。

死傷者が出ております!』

「クソ!略奪者か?!」

『五人程度ですが手練のようです』

「アヴァロム、急げ!」彼を急かして、一度影に沈めた群れをもう一度呼び出した。

「先行したヤツらと合流して集落の者達を助けろ!」

『御意』と応えて狼の群れが同じ方向に駆け抜ける。

一頭だけ小柄な若い狼に城に走るように命じた。

かなり距離があるが、万が一を考えて使いとして送った。

《報せ》までは連れてなかったので失敗した。

呼んでいる暇もない。

集落に戻ると、狼の群れと土人形が人間を取り囲んでいた。

人間の腕の中には、集落の子供の姿があった。

「また…」苦々しい声が漏れる。確かに人質を取るなら小柄な子供の方が扱いやすいだろう。

それでもその行為を肯定する気にはならない。

狼の群れも土人形も、子供を人質に取られている状況で手を出せずにいる。

「イール殿下!」怪我を負ったエルフの男性が進み出た。

集落の代表のジューリオだった。

土人形も彼の使役してる精霊魔法だ。

「ジューリオ殿、無事か?」

「何とか…申し訳ございません、飛竜を奪われました」

「そんなものどうにだってなる!

早く他の者達を下がらせろ!子供は私が何とかする!」

「あー…あんたお偉いさんかね?」

狼に囲まれた略奪者の男が口を利いた。

軽装で革の鎧を身に着けた男は手にロープを持っていたが、そのロープの先端には重りが付いていた。

狩猟用のボーラという投擲武器だ。

使いようによっては剣なんかよりずっと厄介な武器だ。

「まさか《サンベルナ》を拝めるなんてな、驚いたぜ」

リーダー格の男がそう言うと、他の奴らも驚いたように私を見た。

「あれが《サンベルナ》?

希少種中の希少種じゃないか?」

「白いエルフはよく見るけど、黒いのは初めて見た!」

私に好奇の目が集まる。

狼の群れに取り囲まれているというのに奴らは余裕綽々だ…気味が悪い…

「相場は知らんが、《サンベルナ》には五倍以上の値が付くだろうな…

それに今、殿下って言ったよな?

魔王の縁者だな?」

「だから何だ?」

背の高い無精髭の男を睨めつけた。

男は相変わらず余裕の態度を崩さずに、私にとんでもない要求を突きつけた。

「魔王の城は何処か案内してくれよ」

「…何を言って…」

「メイナード、黒い狼の群れはいるが、あの背の高い奴が居ない」と男の仲間が口を挟んだ。

男も頷いている。

「だな…油断するな。

イーノック、周囲はどうだ?」

「まだ異常ないが、逃げたエルフ達が狼煙をあげるのを阻止できなかった…

応援が来るかもしれない…」

黒ずくめの覆面の男がメイナードと呼ばれた男に答えた。

その返答を聞いて、メイナードはボーラを片手に持ったまま、短めの剣を抜いた。

「分かった、じゃあさっさとずらかるか」

「ガキは?」と子供を捕まえていた男が確認した。

メイナードは口元に嫌な下卑た笑みを浮かべながら私を値踏みするように眺めて言った。

「要らん。あっちの方が金になるし、なんたって魔王の縁者だ、情報もありそうだ」

「希少種の《サンベルナ》だしな…」

「レイモンド、手枷を用意しろ。

あと顔に傷つけるなよ?足元見られるのはゴメンだ」

「了解」

「メイナード、あんたの《重圧》なら狼共を抑え込めるだろう?」と言って大男が盾を構えた。

あのリーダー格のメイナードという男は《祝福》持ちか特殊能力持ちなのか?厄介だ…

「大人しく捕まるなら今のうちに投降しろよ、《サンベルナ》」

「断る」要求を頑として跳ね除け、狼の戦列を縮めた。

「投降するのはお前たちの方だ。

その子に手をかけたらその時点で狼の餌にしてやる」

「へぇ、子供が大事かい?

レイモンド、そのガキの首を締めろ」

メイナードの合図を受けて、子供を抑えていた男の手が細い首を締め上げた。

奴らは全く躊躇しない。

「なっ!止めろ!」

「助けて見せろよ《サンベルナ》」

私の動揺を誘った男はニヤけた顔で前に進み出た。

盾持ちの男とリーダーが狼達と距離を縮める。

「《肉体強化》、《攻撃上昇》、《速度上昇》…」

後衛の魔法使いが前衛の二人に強化魔法を付与した。

後衛の魔法使いには、三日月のような双剣を手にした黒ずくめの男が付いている。

『イール様、下がってください!』

群れを預かるアヴァロムが男たちの前に立ち塞がり、ゲイルが私の外套を引いた。

「でも、子供が…」

男達が「モタモタしてると死んじまうぞ」とさらに挑発する。

前列の狼と盾がぶつかった。

小柄な体躯の狼が宙に舞い、血が飛び散った。

野蛮人め!

杖を構えようとした私の前にアヴァロムが立ち塞がる。

『ゲイル!早くイール様を逃がせ!』

『イール様!』

『他も逃げる時間を稼げ!』アヴァロムが群れに檄を飛ばした。

略奪者目掛けて狼達が襲いかかる。

ゲイルに襟首を咥えられて森の方に引き摺られる。

「待て!アヴァロム!まだ何も…」

『相手は勝てる算段があります!

子供は残念だが諦めてください!』

「てめぇ!コラ!逃げるな!」

狼に取り囲まれた男が吠えた。

私に目掛けてボーラを投げる。

阻んだアヴァロムの身体にボーラが巻き付いた。

「《着火イグニッション》」

ボーラがアヴァロムに絡まったのを確認して男が指を弾いて鳴らした。

ボーラが爆発してアヴァロムと周りの狼が巻き込まれる。

轟音に驚いた狼達が飛び退いた。

「アヴァロム!」

「どうだ!」

勝ち誇ったように男が叫んだ。

目の前の大きな黒い身体がゆっくり地面に倒れ込んだ。

黒い硬い毛皮が裂け、抉られた肉から血が溢れた。

アヴァロムが倒れたので群れがパニックになる。

『イール様!お早く!』

アヴァロムが倒れたのを見たゲイルが私を急かした。

男はまた新しいボーラを手にした。

「逃がすか!」

身を乗り出したメイナードの足に、倒れて動けないアヴァロムが食らいついた。

男はすんでのところで足を失うのを避けた。

「あっぶねぇな!まだ生きて…」

「アヴァロム!」

『逃げて…』黒い背中越しに、私にしか聞こえないアヴァロムの声を聞いた。

届かない手を伸ばした。

いつも私を運び、守ってくれた黒い大きな背中はボロボロになり、血溜まりに沈んだ。

『イール様!』

ゲイルが吠えた。

男の手からまたあの凶器が放たれる。

今度は少しだけ形状が違う。

私を庇ったゲイルの首に巻き付いた。

「《重化オーバーウェイト》!」

ゲイルの身体が地面にめり込んだ。

立ち上がろうと藻掻くが、絡まったボーラにかかった魔法がそれを阻んだ。

「ゲイル!」

阻むものが無くなった私にメイナードが迫った。

「《切り裂けラクリマム》」

咄嗟に杖を構えて風魔法を放ったが、上手くかわされた。

この男随分場馴れしてる。

至近距離での咄嗟の反撃だったから威力も低かった。

「お前、魔法も使えるのか?」

「くっ!」

後がなくて剣に手を伸ばした。

接近戦は苦手なのに…やむを得ない…

「おいおい、腰後引けてるぞ!

もっと踏み込めよ!」メイナードの剣が嘲笑うように迫った。

片手で相手をしながら、鞄の中から新しいボーラを手にしている。

「うわっ!」

メイナードの放ったボーラが足に絡まった。

そのまま転倒した私にメイナードの手が伸びる。

「捕まえた」首に腕をかけられてゾッとする声を聞いた。

「レイモンド!ガキを離していいぞ!」

「相変わらず手際いいな」と笑いなら子供を抑えていた男が手枷を持って歩み寄ってくる。

抵抗したが男らの方が力が強かった。

あっという間に手枷をかけられて拘束された。

「お前ら!ご主人様が大事なら着いてくるなよ!」

狼達が二の足を踏んで、波が引くように距離を作った。

群れを預かる二頭がやられて私も捕まった。

彼らに命令を出すものがいなくなってしまう。

「他が来る前に引くぞ!」メイナードの号令で略奪者達が撤退する。

盾持ちの大男に担がれた。

魔法を使えなくする手枷のせいで魔法石の指輪も腕輪もガラクタになった。

抵抗という抵抗も出来ずに連れ去られた。
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