魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

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耳飾り

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「本当に爺さんみたいだ」と、私の部屋を訪ねてきた彼女は私の姿を笑った。

長い時間関節外されていたから、あの夜から三日も経ったのになかなか元に戻らない。

無理すると関節が外れそうになるので、今も杖で支えていないと転びそうになる。

右肩もしばらく固定していなければならない。

不便で仕方ない。

でもそれ以上の問題がある。

「…すまない、ヒルダ」

「何が?」彼女が首を傾げて問い返した。

オリーブ色の瞳が不思議そうに私の顔を覗き込んでいる。

「《耳飾り》…間に合いそうにない…」

「…あぁ、何だ、そんなことか」と彼女は言ったが、残念そうな顔をしていた。

「無理するなよ、《耳飾り》なんかよりあんたの方が大事だ」と嬉しい言葉をくれるが、私の心は晴れない。

あと数日すれば彼女の迎えが来る。

そうなれば二度と私達に接点は出来ない…

彼女の手が伸びて、顔に触れると唇を重ねた。

「気持ちだけで嬉しいよ。

ありがとう、イール」

私を抱きしめて、ヒルダは優しくそう言った。

この耳元で囁く声ももう聞けなくなると思うと苦しくなる。

彼女の背中に自由になる腕を回した。

応えるように、私を抱きしめていた彼女の手が私の頭を撫でた。

「愛してるのは変わらないからさ…

あたしもあんたも…そうだろ?」

「そうだな…」と答えると、彼女は少し体を離して笑って見せた。

「それとな、大きな問題ができちまった」と言って彼女は自分の耳たぶに触れた。

穴のない耳たぶを見せながら、彼女は苦笑いして私に告げた。

「防殼が強くなりすぎて、飾りを通す穴が空けられないって気付いた。

あたしは洒落た格好も許されないらしい」

「それは…」盲点だった。

確かに耳たぶに穴を通すのは身体を傷つける行為だ。

彼女の防殼が反応してもおかしくない…

彼女は残念そうに「これで十分さ」と首飾りを見せて笑った。

白い肌に映える、赤い石の付いた金のチェーンの首飾り。

彼女のために作ったものでは無いが、私の手製の品だ。

気に入ってくれているならそれで諦めるべきなのだろう…

「愛してるよ」と彼女は言った。

「あたしが愛したのは宝石を貢いでくれる男じゃない。

あたしを愛してくれた、この世で一番とびきりキレイな良い男だ。

あんたを連れ帰るのは無理だけど、思い出だけ連れて帰るよ」

そう言って彼女はまた私の身体をその腕に抱いた。

力強い腕と背の高い身体に身を預けた。

抱きしめる腕は暖かく、包みこむような胸から心臓の音を聞いた。

「あたしを覚えてて…ずっと、忘れないでよ、イール…」

悲しい声を聞いて、目頭が熱くなる。

私達に残された未来は「さよなら」だけだ…

✩.*˚

「イール、お節介せっかいに来たよ」と先に断っておいた。

これで多少お節介焼いても予防はバッチリだ。

「何でお前は私と同じく関節を外されたのに平気なんだ?」とイールが恨めしそうに睨んでくる。

「《祝福》で治ってるもん。

便利な能力だよね」

「相変わらずイライラさせるやつだな…」そう言って彼は宝飾品の細工台の前の椅子に座った。

まだ松葉杖をついているのを見ると、やっぱりまだ治ってないようだ。

「マリーやペトラに治してもらえばいいじゃん」

「もうやったが、すぐに関節が外れそうになるんだ!

すぐに無茶する誰かさんみたいに、悪い癖がついてしまった!」

「ははは…それって僕のこと?」と笑うと彼は不機嫌そうに「他に誰が?」と僕を睨んだ。

助けてあげたのにそれは無くない?

「それよりさ、ちょっと話そうよ」

「何を?」と彼が訪ねたので核心に触れる言葉を投げた。

「ヒルダ帰っちゃうよ、いいの?」

「…お節介が…」

イールの苦々しい声を聞いた。

また怒るかと思ったが、彼はため息を吐いて、椅子の背もたれに身体を預けたまま僕に答えた。

「…いいわけないだろ」

彼の本心を聞いた。

そんなにあっさり白状すると思ってなかったから驚いた。

「それでも私はアーケイイックを離れられないし、彼女もフィーアに帰らねばならない。

これが現実だ…覆せるものか…」寂しげにそう言って彼は机の引き出しに手を掛けた。

彼は引き出しを机に置いて中身を見せてくれた。

「彼女に渡すつもりだったが…間に合わなくなってしまった…」

「これって…《耳飾り》?」僕の問いかけに彼は頷いた。

ピアスのような留め具と、黄色と緑のグラデーションの宝石が二つずつ並んでる。

一緒に作りかけの小さい鳥のようなパーツがあった。

作りかけだけど、凄く綺麗で丹精込めて作られているのが伝わってきた。

イールは目元を抑えながら机にもたれて沈黙した。

アイビス族が《耳飾り》を贈るのは結婚相手だけだろう?君だってそう言ってたじゃないか?

そんなに好きなくせに、諦めるのか?

僕の方が泣きそうだ…

「…まだ間に合うよ」と言うと、イールは唇を噛んで、震える声で答えた。

「無理だ…こんな腕で…彼女をガッカリさせてしまう」

浅黒い頬に涙が流れた。

何だよ、泣くくらいなら諦めるなよ。

彼の目元を抑えていた手を掴んだ。

驚いたような瞳が僕を見た。

ペトラとそっくりな顔だ。

君の悲しい顔も見てられないよ。

「手伝うよ」

僕の言葉に彼は驚いた顔を見せて、その後ガッカリしたような顔をした。

「お前じゃ無理だ」

「何だよ!不器用だけど、手伝うくらいできるよ!」

「…それなら片手で作る方がマシだ」

「はぁ?!手伝ってあげるって言ってるだろ?失礼だな!」

そりゃぁ、超絶不器用だけど抑えたりするくらいならできるよ!

僕がブツブツ文句を言ってると、イールは泣き顔のまま笑った。

「ありがとう、ミツル」

珍しく礼を言われた。

イールは袖で涙を拭った。少しいい顔になっていた。

「間に合うか分からないが、作るよ」

「うん、いいと思うよ」

僕の返事を聞いて、イールは僕に作業用の手袋を渡してきた。

「抑えててくれるか?」

彫金用の道具を机に並べながら、イールが僕に訊ねた。

僕は頷いて手袋を履いた。

✩.*˚

葡萄街道トラウベシュトラーセに広げた露店を覗いた男の顔を見返して驚愕した。

「よお、店主。

俺に似合のいい女に贈るような逸品は有るかい?」

「どのような品をお探しで?」

昂る気持ちを抑えて問い返した。

男は「そうだなぁ」と左右の色の違う瞳で、広げられた装飾品を眺めた。

剣鬼シュピアデーモン》トリスタン・フォン・ヴェストファーレン。

アインホーン城周辺の《蜘蛛》を捕らえて暴れ回った挙句にラーチシュタットに戻ったはずだ。

何でこんな所にいる?

連れている小柄な女に「どれが良い?」と訊ねている。

腰の辺りに手を回し、随分親しげだ。

女はベール付きの帽子で顔を隠していたが、赤く笑う口元だけ覗いていた。

髪飾りを手に取った彼女に、「帽子が邪魔だな」と笑って、若いヴェストファーレンは帽子を取り上げた。

女の顔を見て更に驚いた。

「久しぶりね、《お父さん》」

昔、父娘役で一緒に仕事をした事のある《蜘蛛》だ。

蜜蜂ビーネ》はヴェストファーレンに始末された奴らの中に入っていたはず…

「へぇ、あんたが《お父さん》?」

《剣鬼》の口元がニヤリと歪んだ。

危険を感じとって、商品を並べた棚をひっくり返して逃げ出した。

勝てる見込みのない《剣鬼》相手に戦うつもりなど更々無い。

人混みの中に身を投じた。

この人混みの中、剣を振り回すほど奴も馬鹿じゃないはずだ。

「ミア、いい子にしてな」と言って、彼は私を追い掛ける素振りを見せた。

《蜜蜂》は言いつけを守って、ポツンとその場に立って《剣鬼》を見送った。

「待ってくれよ《お父さん》」

ふざけた奴だ!

人の波をかき分けて逃げる私の後ろに余裕で追いすがってくる。

少しだけ後ろを向いて毒針を投げた。

異なる色の瞳が驚いたように見開いたが、彼は魔法を放って一瞬で毒針を消し炭にした。

《剣鬼》が魔法を放ったことで、周りの人混みが異変に気付いたようだ。

蜘蛛の子を散らすように我先に逃げ出した。

「こんなところで危ないね、《お父さん》。

殺したいくらい娘の彼氏が嫌いかね?ショックだな…」と冗談を言って、ヴェストファーレンが意地悪く笑う。

目立つことを避けてきたが、こうなっては仕方ない。

依頼も大事だが、自分の命も大事だ。

毒針を続け様に《剣鬼》に向けて放った。

飛んで行った針はことごとく彼の間合いで叩き落とされた。

「やれやれ、舅とは上手くいきそうにないね」

《剣鬼》はふざけた態度を崩さずに剣を構えた。

十分に間合いはあるが、剣は届かなくても、魔法を放てば届く距離だ。

再び針を構えた。

投げようと思った次の瞬間、《剣鬼》の姿が視界から忽然と消える。

「…何処に…」呟いた次の瞬間、視界がひっくり返った。

首のない自分の身体と、その背後に立つ男の姿を見た。

「悪いな、ミアは俺が大事にしてやるよ」

それが私の聞いた最後の言葉だった…

✩.*˚

レギーナから《蜘蛛》の始末がついたと連絡を受けた。

まだ《蜘蛛》が湧いてくることも考えられたが、とりあえず手近な奴らの始末はついたようで安心する。

「トリスタンも一応役に立ちましたね」とウィルが複雑な面持ちで言った。

《ミア》を与えた事は正解だったのかは未だに分からないが、《蜘蛛》の裏切り者である彼女を守るために動いたのだろう。

あいつは思っていた以上にあの娘を気に入っていたようだ。

「結果的に私の役に立っただけだ。

あいつは私に遠慮や配慮をする男じゃないからな」

たった一人の女で満足するなんて安いやつだ…

こんなことなら、さっさと満足できる嫁でも与えるべきだったか?

「約束の日まであと数日だ。

カッパーの様子は?」

「いい子ですよ」とウィルが答えた。

彼もまた機嫌がいい。

それもそうだろう。

アーケイイックに残してきた愛しのヘイリーに会えるのだから…

「出立は四日後の夜明け前としよう。

それまでに準備が必要だな」

手土産を考えねばな…

「ヒルダはどうしてますかね?」とウィルが訊ねた。

「…どうかな?分からんよ」

ライナーの事を思うと暗い気持ちになるが、ヒルダは上手く気持ちを整理出来ただろうか?

もし自分で乗り越えることができないなら、彼女をラーチシュタットから下げるつもりでいた。

誰か好きな男と添えるなら、その男にヴェストファーレンを譲っても構わないと思う。

彼女は今まで私のためによく働いてくれた。

戦列から下がったとしても、彼女は変わらず私の自慢の娘だ。

短所も多いが、長所はそれを目に瞑って余りある。

「二人とも元気だと良いがな…

この一ヶ月色々あり過ぎた。

これが終わったらゆっくり湯治にでも行きたい気分だ…」

「まるで年寄りみたいですよ、師匠せんせい」とウィルが笑った。

✩.*˚

「どうかしら?

粉だと味がキツイって言うから固めて錠剤にしたの。

外もコーティングしてあるから匂いも味も気にならないはずよ」

マリーがそう言って錠剤をヘイリーに渡した。

どんなもんか、僕もちょっと味見した。

鬼か!って言うほど不味かったので糖衣錠剤を提案したら採用してくれた。

「いいね、飲みやすいから助かるよ」と彼は喜んでいた。

今までクソマズな薬だったんだもんね…

よく我慢したな…僕には無理だ…

「帰りまでにはもっと用意しておくわ。

定期的に必要な分用意するわね」

マリーも結果が出たことに満足気だ。

「薬はまだ未完成よ。

完成にはまだしばらくかかるわ。

今のは病状を安定させて悪化を防ぐ程度にしか役に立たないから無理しないでね。

ちゃんと健康的な生活をしなさい。

あと、できることなら、エマヌエル病の被検体になりそうな子供を何人か欲しいわ。

探してこっちに送ってちょうだい。

悪いようにはしないから」

「ヴェストファーレンならすぐに見つけてくれるだろう。

アーケイイックには大きな借りができた」

「いいのよ、私もいい経験になったわ」

ヘイリーの言葉に、マリーの仮面がにっこりと微笑んだ。

ヘイリーが僕の方を向いて「君にも世話になったね」と礼を言った。

「もうすぐ帰っちゃうんだね、寂しくなるなぁ…」

「おや?じゃあ私の近侍として着いてきてくれるかい?」

「無理だよ」と秒で断ると、ヘイリーは「残念」と笑った。

「ウィルに会えるね」と僕が言うと彼は嬉しそうに頷いた。

「元気になったから驚くだろうね。

胸を張って会えるよ」

「来た時よりずっと元気だもんね」

「本物そっくりの義手もあるしね。

これを見たらウィルも驚くよ」

そう言って彼は右手を振って見せた。

アンバーの五本目にして最高傑作だの義手だ。

ヘイリーの義手はまるで本物のように指先までヒラヒラと動いた。

どんな魔法を使えるのか分からないが、魔法も使用できるらしい。

字を書くのは練習が必要だけど、かなり細かい動作が可能になったとの事だ。

ボタンも留められるようになったのは凄いと思う。

彼は嬉しそうに義手を眺めて「少しは彼も救われる」と小さく呟いた。

意味は分からなかったが、嬉しそうなその姿を見てたらあれこれ詮索するのは野暮だ。

彼らの中で分かり合えているならなんの問題もない。

「落ち着いたら君もフィーアにおいで。

色々案内してあげるよ。

ヴェストファーレンが何と言おうと、私が責任持って君をアーケイイックに帰してあげるから」

「本当に?」

「あぁ、約束だ」とヘイリーは頷いた。

「君とは友達だからね。

《勇者》の友と名乗れるのを誇りに思うよ。

だから君も私との約束を覚えていておくれよ?」

「何?約束って?」とマリーが首を傾げた。

「二人の秘密さ」とヘイリーがいたずらっぽく笑う。

彼の《祝福呪い》を解いてあげるという約束…

まだずっと先のことになりそうだけど、それが彼の生きる希望になるのなら、それもありだと思う。

マリーが僕に「教えなさいよ」と言ったが、ヘイリーと顔を見合わせて、僕らは笑って誤魔化した。

✩.*˚

「ペトラ、話があるんだ」

夕食の後、ミツル様がそう言って私を外に連れ出した。

ほぼ満月の夜の庭園を散歩すると、心地よい風が吹いた。

ミツル様は陛下が歩くのと同じ道順を歩いて、バラ園の噴水に腰を下ろした。

「イールの事だけど」とミツル様が切り出す。

「バタバタしてて話せてなかったろ?

君もずっと気にしてるといけないから少し話そうと思って…」

「そうでしたね…」と返すと、ミツル様は私の不安を表情で読み取って優しく笑った。

「アンバーにも話してないけど…

ぶっちゃけると、二人とも好き同士だよ。

僕らと一緒だ」

はっきりとそう言って、ミツル様は私の手を握った。

「でもね、二人とも話し合って、イールはアーケイイックに留まって、ヒルダはフィーアに戻るって決めてるらしい。

だからあと少しだけ目を瞑っててくれないかな?

二人で過ごせる時間はあと少ししかないんだ…」

「それは…そうですけど…」

「僕らだって、一緒にいられる時間は限られてるだろ?

イールの気持ちを、一番よく分かってるのは君のはずだ、ペトラ」

ミツル様の言葉に胸が傷んだ。

その意味はよく分かってる。

隣にいても、私達の時間は平等では無い…

「また泣くんだ」と困ったような声でミツル様が言った。

堪えきれずに、涙が頬を伝っていた。

ミツル様が笑って、ポケットを探るとハンカチを取り出して私に見せた。

「今日はちゃんと入れてきたよ」とこんな時なのに何故か自慢げだ。

変な人…でも優しい…

涙を拭いて、ミツル様はまた私の隣に座り直した。

少し気恥しそうにはにかむと、私の手を握った。

「イールはヒルダに《耳飾り》を渡したいって本気で言ってた。

僕も作るのを手伝ったから同罪だ、ごめんよ」

「あの子…そんなに彼女の事…」

「うん、本気なんだってさ」と何故かミツル様は嬉しそうに言った。

本当なら私が祝福してあげなければいけないはずなのに、私の代わりにミツル様は喜んでくれていた。

「二人とも、あれはあれでお似合いだと思うよ。

だから、あと少し二人で過ごさせてあげよう?

《耳飾り》の事は目を瞑ってあげてよ。

お願いだからさ」

彼から頼まれたら嫌とは言えない。

人懐っこい笑顔に騙されて、私は「はい」と答えてしまった。

ミツル様のためだ…と自分に言い聞かせた。

本当は、私も許せる理由を探してた…

彼は受け入れた私に嬉しそうに「ありがとう」と言って抱きしめてくれた。

「良かった…

ダメって言われたら、僕だけ渡せないもんね」

そう言ってミツル様はまたポケットを探った。

出てきたのは青緑の小箱だった。

「もうちょっと水色っぽいのが良かったんだけど、ティファニーブルーの色は見つからなかったんだ。

だからこの色にした」

そんなことを言いながら、彼は照れくさそうに小箱を開いて見せた。

月明かりに、しずく型にカットされた透明な宝石がキラキラと反射した。

絡まるような金の装飾が宝石を支えている。

緩い螺旋の飾りが付いた《耳飾り》を見て、思わず息を呑んだ。

「素敵な《花籠》をありがとう。

シンプルすぎるけど、返事の《耳飾り》には違いないよね?」

「私に?」

「君以外に他に渡す人なんていないよ」とミツル様が困ったように笑って言った。

青緑の小箱を私に差し出して手のひらに乗せた。

「やっぱりこういうのって恥ずかしいね」と他人事のように笑う。

「イールと一緒に作ったんだ。

僕が不器用すぎて、ほとんど彼が作ったようなもんだけど、一応僕の手作りだよ。

着けてくれるかな?」

「…でも…私の耳は…」

子供の頃、人間の奴隷にされそうになった時に、エルフの長い耳を切り落とされた。

母のような《耳飾り》は望めないと思っていたのに…

「知ってるよ」と目の前の優しい男性は笑った。

手が伸びて短くなった耳に触れた。

無意識に身体が強ばり、その手を拒否した。

「君の耳を治してあげられたらいいけど、それは出来ないもんね」と寂しそうに手が引っ込む。

行き場を失った手は、青緑の小箱に伸びた。

片方を手に取った指先は、また耳元にその手を伸ばした。

「やっぱりキレイだ」

顔のすぐ横で、シャラン、と金属の擦れる音がした。

鼻が痛くなるのは涙の予兆だ。

目頭が熱くなって、呼んでいないのに涙が押し寄せた。

私は…この耳は醜く無いのだろうか?

この人の目には私は美しく映っているのだろうか?

「僕のお嫁さんになってくれる?」

子供みたいな間の抜けたプロポーズ。

声が出なくて、ミツル様に抱きついた。

「おわっ!」

抱きついた勢いで、二人揃って噴水の縁から落ちた。

噴水とは違う水しぶきが辺りに飛び散って、石畳を濡らした。

「冷たっ!寒っ!」びちゃびちゃになったミツル様が悲鳴を上げて噴水から逃げ出した。

噴水の縁から中に残っていた私に手を伸べる。

「ペトラ、大丈夫かい?」

「…ごめんなさい」そんなつもりは無かったのだが、二人とも派手に濡れてしまった。

こんな時なのに自分の失態が恥ずかしい。

濡れた服が体に張り付いて気持ち悪い。

私を噴水から引き上げて、ミツル様は私から目を逸らした。

怒ってるのかしら?

「ごめんなさい、ミツル様」

「参ったな…そんな格好見てられないよ」と言う彼の顔は月光に照らされて真っ赤になっていた。

ミツル様は、自分の上着を脱いで絞ると、足元を見たまま濡れてくしゃくしゃになった服を私に差し出した。

「ちょっ…服…透けてるから…」

ボソボソと恥ずかしそうそう言って、濡れた上着を差し出す姿の彼を思わず抱きしめた。

濡れた冷たい服の下から、火照った身体の温もりが肌に伝わる。

彼の呼吸を、鼓動を、熱を感じた…

「ダメだって、アンバーに叱られるよ!」

「何でですか?」

「僕だって男だよ!」

「…?」何を言ってるのだろう?

「あぁ!もう!」と半ばヤケになったように叫んでミツル様が私を抱き締めた。

密着して意味が分かる。

確かに、彼は男の人だ…

「…分かった?」バツ悪そうに拗ねた口調でミツル様が訊ねた。

「…は、はい…」恥ずかしい。

こういう時ってなんといえばいいのだろうか?

男女の経験も知識が乏しい自分が恨めしい。

いたたまれなくて、手のひらで顔を覆ったが、無かったことにはできない。

二人とも下手に動けず、気まずい時間が過ぎる…何か言わなくては…

熱でクラクラする頭では全然何も思いつかない。

でもこのままだと…

「あっ!」と急に声を上げたミツル様が私から離れた。

手からこぼれ落ちた上着を拾って、何事かと彼の背を目で追った。

噴水に駆け寄ったミツル様は慌てて水底をさらった。

「《耳飾り》落としちゃった!」

手に持っていた片割れを無くしたことに今更気付いたらしい。

片方はまだ私が手にした箱に納まっているが、こんな大切なものを無くしてしまうなんてなんとも彼らしい…

「一緒に探して…」と慌てて振り返るミツル様に顔を寄せた。

《勇者》に不意打ちの接吻を贈ったのを、月だけが見ていた。

✩.*˚

「イール殿下のところに行ってくる」

「こんな時間に?」と寝巻き姿のヘイリーが眉を顰めた。

あんたが寝てる間にも何回か出入りしてるよ。

今まで言わなかっだけだ。

明日親父殿が迎えに来るからな…

「帰る前に酒をご馳走してくれるんだ。

良いだろ?野暮なことは言いっこなしだよ」

「恥を晒すような真似だけは勘弁してくれよ」

「あたしが酔った姿見たことあんのかよ?」

酒はすこぶる強い方だ。

ヘイリーもそれを知ってる。

やれやれと頭を振るヘイリーを部屋に残してイールの部屋に向かった。

夕食の後、ミツルを通して伝言を貰ってた。

最後に二人で会いたいと…

あたしも同じ気持ちだ。

服越しに、首元の装飾品に触れた。

今夜でお別れか…

親父殿の目を盗んで会うのは無理だしな…仕方ない…

ドアノブに手をかけるのに少しだけ躊躇した。

《さよなら》は目の前だ…

ガラにもなく怯んだ…

「…イール」

来たよ、と言おうとして、部屋にミツルの姿を見つけて言葉を失う。

お前、ちょっと遠慮しろよ…

「私が呼んだんだ」と椅子に座ったイールが口を開いた。

あたしに向かって呼び寄せるように手を伸ばした。

その手に吸い寄せられるように彼の元に足を運んだ。

「何とか間に合った」と言って、イールは机に並べられた装飾品に視線を向けた。

彼は、「君のだ」と勿体づけた言い方をして笑った。

一対の《耳飾り》が目の前にあった。

「手伝ってくれた奴が思ってた以上に不器用だったから、どうなるものかと案じたが…何とか形になった。

《贈るなら一番良いものを》という父の教えには反するが、これが今の私に出来る最善だ。

受け取ってくれないか?」

「…でも、あたしじゃ着けられない」

勝手に発動する厄介な防殻が邪魔して、着けるための穴が穿てない。

「分かってる。

だからミツルに来てもらったんだ」とイールがミツルに視線を向けた。

「こういう使い方違う気がするけどね」と言ってミツルは剣を抜いた。

暗い部屋の中、真珠色に煌めく刀身がミツルの手の中でぼんやりと輝いている。

実用性よりも装飾品のような剣は、先日見たものだ。

ミツルは生き物にでも話すように剣に向かって語りかけた。

「《凪》、不本意かもしれないけど、ちょっとだけわがまま聞いてよ」

ミツルの呼び掛けに応じて、《凪》の刀身が一瞬煌めいて形を変えた。

「ヒルダ、耳を…」

イールの手に耳飾りを通す細い道具が握られている。

言われるがまま、椅子に腰掛けたイールの前に膝を着いた。

「《破魔の凪》」ミツルが剣の能力を解放した。

あたしの周りから《金剛》の防殻が砕けて消えた。

驚いて視線を動かそうとしたあたしに、「動かないで」とイールが制した。

僅かに痛みを伴って、耳たぶに針が通った事に驚く。

イールは手早く反対の耳にも穴も開けた。

穴の空いた耳たぶに熱を感じる。

「もういい?」とミツルが訊ねた。

イールが満足そうに頷いて見せる。

ミツルは《凪》を鞘に収めた。

「今のって…」

「《凪》だよ。

魔法以外は斬れないけど、どんな魔法でも解除できる。

直接触れなくても、僕の周りの魔法を解除する《破魔の凪》なら《祝福》を奪わなくても一時的に防殻を消せると思ったから。

上手くいってよかったね」とミツルは笑っていた。

「…なるほど、あれはお前のせいか…」

あの時 《黒金剛シュヴァルツァ・ディヤモント》が勝手に解除された理由が分かった。

「《英雄殺し》な能力だ」

「そうだね」とミツルは困ったように笑った。

「アドニスの《祝福》は僕が奪ったから、彼には可哀想なことをしてしまったよ」

「あんた、あいつに剣で勝ったのか?

信じられないな…」

五年も前だが、トリスタンが最も苦戦した相手だ。

まんまと逃げ切られた。

あれからあいつは騎士団長になったと噂で聞いた。

あの時よりずっと腕を上げていたはずだ…

「相性が良かったんだ」と答えてミツルは謙遜した。

「じゃあ、邪魔者は帰るよ」

そう言って彼は踵を返して出て行こうとした。

「あ、そうだ…」と思い出したように振り返る。

「責任の取れないようなことするなよ?」

「うるさい!さっさと行け!」

お節介を焼いた《勇者》は部屋主から追い出された。

何なんだ、あいつ…

笑ってしまった。

「全く…ゲイル、あのお節介が戻ってこないようにドアを見張ってろ」

イールの影からズルリ、と狼が這い出した。

アヴァロムより少し小さい奴だ。

賢そうな目をしていた。

手を伸ばすと、擦れ違いざまに鼻先を擦りつけてドアの方に歩いて行った。

「新しいリーダーだ」とイールが言った。

彼もアヴァロムのように大きくなるのだろうか?

「楽しみだな」と前向きに答えると彼は嬉しそうに笑った。

「《耳飾り》着けれるか?」とイールがあたしに訊ねた。

「着けてよ」と答えて彼に顔を寄せた。

耳に触れた指先がくすぐったい。

耳たぶの穴にすんなりと留め具が通った。

耳元に手を持っていくと、《耳飾り》が揺れながら指先に触れた。

「ありがとう」

自然と言葉が漏れた。

手のひらで感触を確かめる。

魔石の飾りは硬質な冷たさではなく、柔らかい熱を帯びていた。

「《太陽の加護》を持つ魔石だ。

右の魔石は陽の当たる所なら君に魔力を与えてくれる。

左は…注文通りだ」と言葉を濁した。

「へぇ…」

左の指先に魔力を流した。

魔力を感知した魔石が愛を囁いた。

そうだ、これでいい…十分だよ、上出来だ…

イールを抱き締めて「満足だ」と感想を伝えた。

ヤバいな、泣きそうだ…

「喜んで貰えて良かった…」と彼は小さく笑った。

少し寂しげなその声に涙腺が緩んだ。

「…帰るんだな」

「…うん」

「私の妻では不服か?」

「またそれを持ち出す…ズルい言い方だ」

強がって見せたが、別れを前に心が揺れてる。

今なら彼の願いに応えてしまいそうな自分がいる。

「ズルく言ってるんだ。

君を帰したくないから…」

開き直るのもズルい…

唇を噛み締めた。

泣かないつもりだったのに、バカ…

身を引いて、彼を手放した。

イールの手があたしを追ったが、すぐに諦めた。

自分で手放したくせに、引き止めて欲しいなんて虫がいいよな…言えるわけない…

「ヒルダ」

「お前だって、あたしのためにフィーアに来ることできないくせに…

ズルい事ばかり言って…

あたしだって…あたしだって女なんだ…」

涙が溢れた。

今のあたしは、女みたいに啜り泣くことしか出来ない。

その場で膝を着いて泣いた。

惚れたのは手に入らない男だ。

あたしを傷つけたのはあたし自身の高望みで、乙女みたいに、現実を捨てて恋をするには今のあたし身は重すぎた…

《ヴェストファーレン》も《盾の乙女》も、あたしの身を重く縛り付けて放さない。

燕の旗の元に戻らなければならない…

でもあたしは…

「…お願い」

言うべきじゃないって分かってる…

この願いもどうせ叶わないって知ってる…

イールは王子様で、あたしは薄汚い血に汚れた醜女だ。

「フィーアに…ラーチに来て…ずっと待ってるから…」

「ヒルダ…」イールの声が近くで聞こえた。

暖かい手のひらが、涙で汚れた顔に添えられた。

「あたしに会いに来て…生きて、待ってるから…」

好きな男の前で無様な泣き顔晒して…みっともないったらありゃしない。

でも…本当にあんたのこと好きなんだ…愛してる…

膝を着いたあたしの体を、包むようにイールが抱き締めた。

「分かったよ、ヒルダ…ありがとう」

イールはそう言ってエメラルドの瞳であたしを見下ろした。

あたしなんかより、ずっと綺麗な顔をしてる。

深緑の瞳が優しく微笑んだ。

「必ず会いに行く、約束だ…

だから君も、生きて、私を待っていてくれ」

「本当に?」

「嫌か?」

「そんなわけないだろ?意地悪…」

文句を言うあたしにイールが接吻くちづた。

《耳飾り》からじゃなく、彼の口から「愛してる」と聞いた。

やっぱり生で聞く声の方がずっと良い…

どちらともなく、何度も唇を重ねた。

今日はまだ「さよなら」には早いよな?

今夜は二人で肌を重ねて、「愛してる」の言葉を交わす夜にしよう…
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