魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

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別れ

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満月が煌々と夜空を照らしている。

待ち焦がれた満月だ…

「…マリーに会える?」

夜明け前にアーケイイックに向かうと教えてやると、カッパーは意味を理解して私に訊ねた。

「そうだ、君は帰れるよ」と答えてやると、彼は目を伏せて手元の絵本を見つめた。

「ウィルも来る?」

「私も侯爵を迎えに行くから、一緒にアーケイイックに行く」

「アーケイイック、一緒?ずっと?」ヘイリーの顔で彼は首を傾げた。

私もアーケイイックに留まると思っているのだろうか?

カッパーは餌を与えて世話をする私によく懐いてくれた。

「カッパー、私は君とはお別れだ。

元々そういう約束だ」

「…お別れ?」

「そうだ、よく我慢したなカッパー。

絵本も持って帰っていい。それは君にあげるよ。

私から師匠せんせいに話しておこう」

怖い思いもさせたが、彼は自分の役目を果たしてくれた。

公務で顔を出す必要もあったが、言いつけ通り沈黙を守って何とか乗り切った。

彼の働きに敬意を払って、気に入った絵本くらい持ち帰らせても良いだろう。

「寂しい」とカッパーが呟いた。

「マリー殿下に会えるだろう?」

「ウィル、いなくなる…」

灰色の瞳が寂しげな光を含んでいた。

頭と背中を撫でてやると、彼は顔を上げて私の顔を覗き込んだ。

彼はヘイリーじゃない。

私のヘイリーは一人だけだ…

カッパーに優しく話しかけた。

初めの頃なら、こんな風には話せなかっただろう。

私も彼もこの一ヶ月で少しだけ変わったようだ…

寂しいのは仲良くなったからだ、良いことではないか?

私はこの奇妙な生き物の事が好きになっていた。

「少しの間は寂しいだろうけど、君は元いた場所に戻るだけだろう?

私も君のいない元の生活に戻るだけだ。

すぐに忘れて、元の生活に戻れる」

私の言葉に、カッパーは返事をしなかった。

ただ、アーケイイックを去った時のように、ハトのような声で、クークー、と寂しげに喉を鳴らした。

✩.*˚

「どうしたんだね?

一ヶ月で随分老け込んだんじゃないか?」

不死者の王は再会の挨拶もそこそこに、私の顔を眺めて驚いたようにそう口にした。

苦笑しながら「心労が重なったもので…」と陛下に言葉を返した。

一ヶ月というのはこんなに長かったかと思う。

よく白髪にならなかったものだ…

そんな私の様子を見て、陛下は白い手で私の肩を叩いた。

「そっちはそっちで色々あったようだね…

あぁ、そうだ。

イールが世話になった。

息子を無事に返してくれた礼がまだだった」

「礼など…

我々の不手際で、殿下には大変ご不快な思いと不自由をおかけ致しました…

誠に、謝罪の言葉も見つかりません」

「そうかね?

イールはそんな事一言も口にしなかったよ。

ただ、少し男らしい、いい顔になって戻って来た。

アーケイイックを出て、フィーアを見ることで思うところもあったのだろう。

君がそんなに畏まって謝ることではないさ」

不死者の王は恐縮する私に寛大に答え、「それに」と言葉を続けた。

「私の方こそ、君に謝罪しなければならない。

君の大切なお嬢さんを危険に晒し、大切な部下を死なせてしまった…

不手際を謝罪するのは私の方だ」

「陛下が御心を痛めることではございません。

刺客に気付かずに送り出してしまった私にこそ責がございます…

部下や娘の事で陛下の御心を徒に乱しましたこと、謹んでお詫び申し上げる所存です」

そう言って詫びる私に、陛下は寛大な態度で応じた。

「ヴェストファーレン殿、謝罪は君からの手紙で受け取っている。

それにもう済んだことだ。

そろそろ謝罪合戦は終わりにしよう。

それより、いつものようにハグをして、もっと建設的な話し合いをしようじゃないか?」

全くこの人は…

魔王などとは程遠い、寛大な父親のような人物だ。

確かに、私も息子になるなら、自分より彼の方がいいに決まっている。

提案を受け入れてハグをした。

「これで、私と君は対等だ」

「感謝致します、陛下」

礼を述べた私の肩を骨の腕が抱いた。

陛下は親しい友人のように親しげに私に語りかけた。

「さぁ、約束の日だ。

君の大切な子供達との再会を喜びたまえ」

「侯爵の様子はいかがでしょうか?」

「あぁ、元気だよ。

ミツルに手を出されないかとヒヤヒヤしたがね。

まぁ、そこは彼も思い留まってくれて、私もミツルもほっとしたよ」

苦い笑みが漏れる。

ヘイリーは《勇者》を諦めたのだな…

この王様が相手ならそれも当然か…

「子供達が仲良くしていることは喜ぶべきことだ。

我々も父として、子供らの行く末を見守ろうじゃないか?」

「左様ですな」と笑って答えた。

私のような不完全な男が、陛下と並び父を名乗るのはおこがましいが、悪い気はしなかった。

✩.*˚

カッパーを連れた私は、師匠せんせいより一足先にマリー殿下の元に案内された。

前回訪ねた時にも歩いた廊下を、獣人の兵士に案内されて進んだ。

もうヘイリーの姿をする必要が無いカッパーは、黒い大きな蛇の姿で私の腕の中に納まっている。

廊下をチラチラと眺め、舌をチラつかせるカッパーは嬉しそうだ。

蛇が嬉しそうだとか、そういう事を感じ取れるほど彼を知った。

この生き物を手放すのが少しだけ惜しくなっていた。

「どうぞ」と、薬の匂いが満ちたあの部屋に通された。

「マリー!」カッパーが鳥のような声で鳴いた。

私の腕から飛び出した彼は、仮面を付けた少女の元に腹這いになって進んだ。

「カッパー君!」黒い光沢のある手袋がカッパーを拾い上げた。

「ただいま、マリー!」

蛇の姿のカッパーはじゃれるように少女の腕に首に絡まった。

見ようによっては襲われてるみたいでハラハラするが、彼らは再会を喜んでいた。

「お喋り上手になったわね!いい子にしてた?」

「うん、カッパー、いい子」

「良かったね、マリー」

再会を喜ぶカッパー達の傍らで、彼は祝福の声を贈った。

煌めくダイヤのような灰色の瞳が私を見て笑った。

「どうしたんだい、ウィル?

お化けでも見たような顔で…」

一目で分かるほど、彼は顔色が良くなっていた。

どことなく死の影がチラついていた顔は、血色の良い少年のような顔色に変わっていた。

私が隣で見てきたどんな時より、健康そうに見えた。

望んだ姿のはずなのに、都合の良い絵画でも見ているようで現実味がない。

近付いて触れようとしたら、やっぱり夢だったとか、そういう類の幻なのかもしれない…

ドアの前で固まってしまった私に、ヘイリーが苦笑いを見せた。

「私の傍に一番に駆け寄ってくると思ってたのに、君はカッパーより遅いんだね」

言葉も出ない情けない男に、彼の方から歩み寄った。

左の手が顔に触れた。

「どうしたんだい、マウス?

私は生きてるよ」

「閣下…」

「どうしたんだい?

あんな情熱的な手紙をくれた君らしくない。

再会を楽しみにしてたのは私だけかい?」

「化粧で隠してませんか?」

「心外だな、そんなわけないだろ?

体重だって少し増えたんだよ」と彼は私の手を掴んで自分の顔に近づけた。

指先が彼の肌を少し擦ったが、化粧は付かずに、ただ擦った場所が少し赤みを残したのみだった。

ヘイリーがいたずらっぽく笑って「ほらね」と自慢げに呟く。

「毎日決められた食事も食べたし、薬も飲んだ。

運動がてら散歩もしたし、規則正しい生活を心掛けたよ。

それに、自分で服も着れるようになった」

そう言って彼が見せたのは右手だった。

右手を見て息を呑んだ。

私が彼の命と引き換えに奪ったものだ…

「どうだい?本物みたいだろ?」と言いながらヘイリーは右手をヒラヒラと振って見せた。

本物のように繊細に指先まで動く義手は、本物のように爪も指紋も付いていて、温もりさえ感じられる。

五年もの間、胸に引っかかっていた重りが、プツリと音を立てて切れた…

「…あ…ぁあッ」

安堵のようなものが溢れ、支えられなくなった身体が崩れ落ちた。

最愛の人を傷付けた…

消えやしないが、その罪が軽くなった気がした。

慟哭と涙が、暴れる河のように、濁った感情を伴って決壊した。

「ウィル…もういいんだ」とヘイリーの声がした。

顔を上げた私の前に、膝を着いたヘイリーがいた。

「私はとうに君を許してたんだから…

君も自分を許して…罪悪感は捨てて、子供の時のように純粋に私を愛してくれ」

私を見つめる、光を抱擁したダイヤモンドの瞳も潤んでいた。

お互いに腕を伸ばした。

久しぶりに抱き締めた彼は、私が知っていた彼より、少し大きく力強くなった気がした。

君は約束したもんな…

生きてまた私に抱かれるという約束。

アーケイイックに救われたのは私の方だったのかもしれない…

✩.*˚

「…何だよ?

死んだ人間でも見たような顔して…」

久しぶりに会ったヒルダの姿に思わず言葉を飲み込んだ。

彼女は不機嫌そうな視線で私を睨み、拗ねたように組んだ足の上に頬杖を着いた。

「陛下、やっぱり男装の正装を用意してくれよ」

「いやいや、よく似合ってるよヒルダ。

お父上は君の美しさに言葉を失っているだけだ。

ヴェストファーレン殿、君も何か気の利いた一言でもかけてやりたまえ。

お嬢さんがへそ曲げて、せっかくのドレスが台無しになってしまうよ」

「ペトラ殿下とミツルの顔を立てて着ただけだ」とヒルダはボヤいていた。

金髪と白い肌に薄紅色のドレスがよく似合っていた。

柔らかい生地で仕立てられたドレスは、女性のパーツを際立たせながら、筋肉質な身体を隠す、絶妙なバランスでヒルダを女性に仕立てあげている。

腰の辺りに巻いた金のベルトは彼女の腰にくびれを作り、足元にはヒールのないサンダルを履いていた。

首元の赤い石の首飾りや黄金に輝く耳飾りは彼女を煌びやかに彩った。

「…いつぶりだ?」と彼女に訊ねた。

最後にドレスを着たのは、ヴェストファーレンとして社交界にお披露目した時だ。

彼女は当時、背こそ高かったが素晴らしく目を引く美少女で、お披露目の後、何件も縁談を持ち込まれた。

全て破談にしたのは、私から見て彼女に見合う相手がいなかったからだ。

親のひいき目と言われるかもしれないが、彼女はそれほど美しく、手放すには惜しかった。

それから程なくして、彼女は美しかった長い髪を切り、男の服しか着なくなった。

髪を切った理由も、男の真似事も、煙草の理由も何も答えてくれなかった。

彼女を自慢した事が悪かったのか…

そもそも、私が彼女の父を名乗ったことが悪かったのか…

「十七からだから…十六年ぶりだな」と彼女は答えた。

ここに居ない彼女の世話係の顔が頭を過った。

「ライナーが見たら…喜んだろうな…」

「かもな」

「気の利かない父ですまん…」

「いいよ、そういう反応になるって分かってたから…」

そう言って彼女は顔を逸らした。

「いつまでボケーッと立ってるつもりだよ?

あたしは見世物じゃないよ」

「そうだな」と答えて彼女に歩み寄って、不機嫌そうな娘の前に膝を着いた。

驚いたように見開くオリーブ色の瞳と視線が重なる。

白く長い手を取って、女性にするように指先にキスをした。

「お前が娘で残念だ…

娘じゃなかったら口説いていた」

「今更遅すぎるよ」と彼女は笑った。

「あたしはフィーアで一番良い女だよ。

二十年も一緒にいたくせに、あんた随分鈍い男だね」

「知ってるさ、だからお前を引き取ったんだ」

あの日、木の影でお前を見送ったあの時…

他の男に手を引かれて、物陰に攫われた時の怒りも覚えている。

子供を憐れんだということもあったはずだが、認めたくない嫉妬という感情があったことも事実だ。

「お隣に座ってもよろしいかね、お嬢さんフロイライン?」

目の前の美女に相席を願った。

彼女は照れくさそうに笑って、身体を少しずらすと、私のために座る場所をこしらえた。

「どうぞ、ミスターヘル

あんたのための特等席だ」

堂々とした女王のような口振りで、彼女は私に相席を許した。

隣に座る許可は貰ったが、陛下より先に座るのは礼に欠く。

不死者の王に視線を向けると、彼は向かいの席に歩み寄った。

ご機嫌の様子で、彼は向かいの席を所望した。

「ヒルダ、私にもフィーアで一番の美女が見える、向かいの特等席を頂戴できるかね?」

「陛下の御心のままに」とヒルダは偉そうに答える。

「ありがとう」と陛下が席に着き、私も一礼してそれに倣った。

「やあ、これは絵になる風景だ」と不死者の王は私達父娘おやこを眺めて満足気に笑った。

✩.*˚

「陛下から聞いたぞ、シャルル」

長い濃い灰色の毛並みをした従弟を呼び止めた。

立ち止まって振り返った彼は、「バレましたか」と少しだけ困ったように笑って頬を搔いた。

「決心は固いのか?」

「えぇ、ルイ…

私はフィーアに行きます」

シャルルはいつものように穏やかな口調ではっきりと私に答えた。

数少ない一族の同胞で、私に最も近い親類だ。

優秀な男だっただけに惜しい…

「ヴェストファーレン殿の元で軍隊や国家を学んで参ります。

既に陛下とヴェルフェル侯爵の許可を頂戴しております。

何年かかるか分かりませんが、必ず知識を修めてアーケイイックに戻ります」

「私とベティの式も待たずにか?

存外お前は冷たいのだな?」

私の言葉に、彼は尖った耳を寝かせて申し訳なさそうな顔をした。

「申し訳ありません、ルイ…

でも心からお祝い申し上げます。

エドナ様の娘を幸せにして下さい。

異国の地で良い報せを首を長くしてお待ちしておりますよ」

「…全く、勝手な奴だ」

ため息と一緒に言葉を吐き出した。

「何故お前がこの役に志願した?

我々は人の国では異形だ…

覚悟しているのだろうな?」

明らかに異形である私達は差別や迫害の対象だ。

リュヴァン族はそうやって故郷から追われた…

逆行しようとする彼の酔狂さに少し呆れた。

自分でもそれが分かっているのだろう。

彼は自嘲するように小さく笑った。

「もちろんですよ。

覚悟がなければ出来ないお役目です」

「過酷と知っているのに、何故アーケイイックを離れる?

確かに、ヴェストファーレン殿ならお前を無下に扱ったりはしないだろう。

しかし、人間から受け入れられる保証もないのだぞ」

「心得ております。

しかし、誰かが引き受けねばならないのもまた道理です。

オリヴィエには家族がいます。

ヴォイテクは年老いました。

アンドレやマルセルはまだ若い…彼らには荷が重いでしょう?

私以上の適任はおりません。

ルイ、私はあなたの従弟として、立派にその役目を果たして参ります。

私はアーケイイックのために生きることこそが至上の喜びなのです」

「…どうしてもか?」

「えぇ、どうしても」とシャルルは堂々とした面持ちで答えた。

戦士として、友として、家族として、お互いに長い時を過ごした。

彼の穏やかな態度の裏側にある、鋼のような精神を説得する方法は見つからなかった。

「分かった」とだけ告げて、彼と固く抱擁を交わした。

「お前を誇りに思う」

「ありがとうございます、ルイ。

アーケイイックをよろしく頼みます」

「あぁ、任せておけ」

拳を作って彼に向けて手の甲を差し出した。

シャルルもそれに倣い、同じく拳を出して手の甲を打ち合った。

お互いを認める戦士の挨拶だ。

このまま送り出すのも癪なので、少しだけからかってやった。

「一つ確認だが、振り向かない女の尻を追って行くわけではあるまいな?」

「まさか!」とシャルルが腹の底から笑った。

吹っ切れたように笑った彼は「あなたは意外とロマンチストだ」と私を評した。

「私に恋の勝算ははこれっぽっちもありませんよ。

彼女の心は別の方向を向いていますからね」

「そういえば、好いてる男が居ると言っていたな…」

「えぇ、私なんかじゃ噛ませ犬にもなりませんよ」

ふふっと少しだけ寂しそうな顔をしたが、


「それでも、リュヴァン族は一途なんですよ」


と意味深な言葉を呟いて彼は笑って見せた。

✩.*˚

満月の照らす庭に食事を運んで、お別れの晩餐会が開催された。

ヘイリー達とお別れの会のはずなのだが、二人の美女の存在感で男性陣は霞んでいた。

ペトラは相変わらず女神様のような、神々しいまでの美しさを見せていた。

銀色の髪に月光が跳ね返り、天使の輪が出来ている。

「綺麗だね、ペトラ」

素直に彼女を褒めた。

僕の乏しい語彙力では、彼女を正確に形容する言葉が見つからない。

こういう気の利かない、不器用なところがモテない原因だろう。

それでも彼女は僕の欠点に目を瞑ってくれた。

「ありがとうございます、ミツル様」

嬉しそうにはにかむ笑顔が可愛い。

彼女の耳元には、僕の贈った《耳飾り》が煌めいている。

耳にコンプレックスがあるはずなのに、彼女は迷わず《耳飾り》を身に着けてくれた。

その決断が嬉しかった。

君はその傷跡から自由になったんだね。

《耳飾り》を贈って良かったよ。

「ペトラのエスコートは君に任せるよ」とアンバーは僕に大役を譲った。

もう一人の美女のエスコートはワルターだった。

イールはその様子をカウチに身体を預けて眺めていた。

また脚だか腰だかを痛めたらしい…

本当に踏んだり蹴ったりだな…

「ヒルダ、綺麗だね」とこっそり耳打ちすると彼は嬉しそうに「あぁ」と頷いた。

ワルターと並んでいると、父娘というより、恋人同士みたいだ。

美男美女で羨ましい…

ペトラは美女だが、エスコート役が役不足だ。

「姉上と並ぶとまるで従者のようだな」とイールが僕を皮肉った。

彼らしい辛辣な物言いに少しだけ笑った。

「何だい?楽しそうじゃないか?混ぜておくれよ」

ワルターの隣を離れてヒルダが僕らのところにやって来た。

月明かりが短い金色の髪を銀色に縁どっている。

柔らかな生地を重ねた薄紅色の長いドレスは、彼女によく似合っていた。

「君の話をしてたんだ」とイールが彼女に答えた。

「何だよ、悪口か?感心しないよ?」

「違うよ、美人だって話してただけさ」と僕が答えると彼女は「よく言うよ」と鼻で笑った。

「あんたには美人の定義を教えてやったろ?

あんたの隣で腕を絡めてるのが本当の美人ってやつだ。

あたしは違うよ」

「そんなことは無い、君は十分美しい」とイールが間髪空けずに彼女を褒めたが、ヒルダは困ったように笑った。

「殿下、月明かりで誤魔化されてるだけさ。

明るいところで見たら腰を抜かすよ」

「もう痛めた後だからな…」とイールは困ったように笑った。

ヒルダがバツが悪そうに眉を寄せて苦笑いしながら肩を竦めた。

彼女の耳元に《耳飾り》が揺れた。

大きく目立つものでは無いが、彼女は髪が短いからどうしても目を引いてしまう。

「親父殿がなかなか座らせてくれなくてさ。

座ってもいいかい?」

「もちろんだ」と、イールが頷いて、自分が身体を預けていたカウチに、ヒルダを招く空間を用意した。

イールに身体を向けてヒルダは斜構えに座った。

彼らは視線が合うと恋人同士みたいに微かに微笑んだ。

「ミツル様、お腹すきませんか?」

ペトラがそう言って僕の腕を引いた。

さっきまでちょこちょこ摘んで、僕より食べてたじゃないか?

その細い体のどこに入っているのさ?

そんなことを思ったが、ペトラの瞳を見て、お腹が空いただけじゃないことに気付く。

彼女は僕に寂しげな笑顔を見せて、ヒルダに声をかけた。

「ヒルダ、イールの事、少しだけお願いできるかしら?」

「あたしかい?」と彼女は目を丸くしてペトラを見つめた。

「私とミツル様は少し席を外すわ。

イール、何か食べたいものはある?」

「そうですね…果物を少し」

「給仕ならあたしがやるよ、殿下にさせる訳には…」

カウチから立とうとしたヒルダを制して、ペトラが言った。

「イールは好き嫌いが多いから、私が持ってきた方が早いわ」

「確かに…」好みにうるさいからな、彼は…

ペトラはヒルダに有無を言わさず、「行きましょう」と僕の腕を引いた。

「…そうだ、ヒルダ」と少しだけペトラが二人を振り返った。

カウチに腰掛けた二人に、ペトラは女神みたいに微笑んで見せて彼女に告げた。

「《耳飾り》よく似合ってるわ」

「…あんたほどじゃないさ、殿下」

「ありがとう」

ヒルダの返答にペトラは明るい声で応えた。

でも、隣にいた僕だけが、彼女の少し潤んだ瞳に気付いていた。

「行こうか?」

彼女の腕を引いた。

二人に涙は見せたくないよね?

彼女の腕に少しだけ力がこもった。

「ありがとう、ペトラ」

身体を密着させた彼女に、気を利かせてくれた事の礼を言った。

独り言のような小さな声だったが、彼女は僕の声を拾って頷いた。

涙が一粒だけ、雫になって落ちた。

ポケットの中で、出番を待っていたハンカチは無駄にならなかったらしい…

✩.*˚

姉上とミツルを見送って、ヒルダと視線を交わした。

「何だよ?」

彼女は初めて出会った頃と変わらない、明るい笑顔で笑った。

「いいのかい?

姉さんを給仕係のように扱って?」

「君は主賓だ。

もてなした客に給仕をさせるよりマシだろう?

君が慣れないドレスを汚してしまうのでは、とハラハラしなくて済む。

それに、残念ながら私は腰を痛めてしまってこのザマだ」

「意地悪な言い方だな」頬杖をついて彼女は苦笑いした。

紅を引いた唇が魅了するように笑った。

「それよりも父君はいいのか?」

「いいよ。

親父殿は今、陛下と長いお話中だ。

退屈で仕方ないから脱走してきた」

「居なくなったのに気付いたら探しに来るのでは?」

「そんなわけないだろ?

もしそうだとしても、途中で手頃な美女に寄り道するさ。

あの人は花を見つけたら寄り道する、蝶みたいな男だから…」

「残念ながら、ここには君より目立つ美女は居ない。

陛下との話が長引けばいいがな」

そう言って陛下の姿を探した。

少しだけ高くなった白い円形のテラスに、二人の姿があった。こちらにはまだ気付いてないようだ…

「その様子じゃ、明日は見送ってくれそうにないね」

不意に彼女の声に引き戻された。

「まぁ…そうだな…」

「無理するから」と彼女は意地悪く笑った。

「無理だってするさ。

私だって男だ」

君と最後の夜だ。

愛し合った事は後悔してないが、腰を痛めたことは不甲斐なく思っている…

「少しだけ早いけど《さよなら》を言いに来た」と彼女は私に告げた。

「あと、《ありがとう》も…」

寂しげな彼女を抱きしめたかったが、ここは人目が多すぎる。

この場の全ての目を盗んで、彼女を腕の中に招くのは到底不可能だ…

《愛してる》の言葉さえ、誰かに聞き咎められるのが怖くて口にできない。

らしくない彼女の横顔にかける言葉を探したが、適当な言葉が見当たらない。

残り少ない時間が二人の前を無慈悲に通り過ぎた。

ヴェストファーレンが辺りを見回して、私の隣に娘の姿を見つけた。

陛下に何やら断りを入れ、早足でテラスを後にすると、私達の元に訪れた。

「ヒルダ、何をしている?」

「何って?」と彼女は悪びれずに上目遣いでヴェストファーレンに訊ね返した。

彼女の返答にヴェストファーレンは眉をひそめて、今度は私に向いて謝罪した。

「殿下、娘がご無礼を致しました。

申し訳ございません、直ぐにお引き取り致します」

「何故だ?彼女は疲れて座るところを探してただけだ。

私が座るのを許可した。

彼女は無礼など何もしていない」

「寛大なお言葉ありがとう存じます。

このような華やかな場所に不慣れな娘です。

無作法にも殿下のお席にお邪魔して、お恥ずかしい限りでございます」

「そのようなことは無い、ヴェストファーレン殿。

彼女は動けない私の元に、わざわざ別れの挨拶に来てくれたのだ。

私はそれを無作法とは呼ばない」

私はヴェストファーレンにそう告げ、不機嫌そうに養父を睨むヒルダに笑いかけた。

彼女はまるで、まだ遊びたくて帰るのを拒む少女のようだ。

「ヴェストファーレン殿、子供達を大切にしてやってくれ。

あの白い石の並ぶ庭園に、彼女と弟を送らぬように、よろしく頼む」

「…私もそれを望んでおります」

「私は貴殿に、子供もいない身のくせに偉そうな口をきいた。

私こそ無礼を謝罪する。

貴殿は、厳しいが良い父だ」

ヴェストファーレンは驚いた顔をしたが、恭しく頭を下げて「もったいないお言葉です」と謙遜した。

ヴェストファーレンに無言で頷いて見せて、私の隣で拗ねている美女に声をかけた。

「ヒルダ、父君がお迎えだ、行きたまえ」

「…でも」もう会えないから、彼女は別れを躊躇した。

その気持ちだけで嬉しい。十分だ…

「君との時間は楽しかった。

姉よりお転婆な女性は初めてだ」

そう言って、できるだけ自然に自分の左耳を触って見せた。

彼女にはそれで伝わった。

「じゃあ、またどこかで」とヒルダの体重がカウチから消えた。

《さよなら》じゃなくて《また》なんだな…

君らしい…

差し出された養父の腕に手をかけて立ち去る彼女を見送った。

彼女の温もりの残るカウチは、彼女が来た時より広く感じた。

一人で座るには広すぎる。

糸杉のようにピンとした背中を見つめていると、彼女は少しだけ私に振り向いた。

その手は左耳のピアスに触れてる。

《愛してる》

満月の明かりのイタズラか…唇がそう動いたように見えた…

✩.*˚

「全く…お前は男性との距離感というものが分からないのか?」

ヒルダを回収して、小言を伝えると、彼女は「あんたには言われたくないよ」と応えた。

「何だよ?エルフの可愛い姐さん方がいるだろ?

あたしを連れ回す必要なんて無いじゃないか?」

「お前は気づいてないようだが、私がエスコートしていない時は軍服の時のように大股で歩いている。

私や侯爵が恥をかくんだ。

せめてドレスを着ている時くらい淑やかに振舞え」

「そんなことないけどなぁ」とぼやくが本当の話だ。

動きを制限するためにヒールを履かせるべきだろうが、これ以上背が高くなるのも困るし、何よりそんなサイズの靴があるはずがない。

「全く…」苦笑いが漏れる。

なんとも残念な美女だ…

私が言いつけたにしても、彼女の世話を引き受けていたライナーの苦労が思いやられる…

「…そういえば、これを渡すのを忘れていた」

ポケットから出したハンカチに包んだ箱を取り出して彼女に差し出した。

「お前のだ」と手渡すと、彼女はハンカチを捲った。

中から現れた煙草入れを見て「あっ」と声を上げた。

「これ…貰っていいのか?」

「あぁ、お前用に急ぎ作らせた。

この一ヶ月で二つ目だぞ、もう無くすなよ?」

「…燕だ」彼女は漆塗りの筐体に描かれた燕の象嵌を指先でなぞった。

ヴェストファーレンにとって燕は特別な鳥だ。

「意味は分かるな?」

「…うん」とヒルダが頷く。

燕は決められた時期に決められた場所に向かう渡り鳥だ。

迷うこと無く、仲間を連れて必ず戻る鳥。

代を変えても、危険な旅路にも耐えて故郷に戻る。

この不思議な鳥を私の印として与えた男はもう居ないが、その約束は未だ生きている。

彼の子孫はまだ絶えてはいない…

「お前たちは生きて私のところに戻って来い。

それが何よりの吉報だ」

「難しいことを言う」とヒルダが困ったように笑った。

「優秀な兄貴達が無理だったのに、あたしらには随分厳しいじゃないか?」

「できるさ、お前たちは私の自慢の娘と息子だ」

「仕方ないね、もう貰っちゃったもんな」そう言って彼女は煙草入れを手のひらで弄んだ。

「まあ、足掻いてみせるさ。

アーケイイックで無駄に過ごしたわけじゃないんだ。

後で腰が抜けるような凄いもん見せてやるよ」

「お前のドレス姿ほどではないだろう?」

自信満々な娘にそう言って茶化すと、彼女は小さく肩を竦めた。

オリーブ色の瞳がいたずらっぽく輝いた。

「じゃあ、親父殿をビビらせたら秘蔵のワインから好きなのを頂戴しよう」

「困ったな…お前は遠慮を知らんからな…」

「《赤鷲ロータ・アドラー》のあたしと同い年のやつが眠ってるはずだ」

「…何で知ってる…」

本邸の書斎の床下に隠してるやつだぞ…

「ふふん、鼻の利く弟が教えてくれたよ」とヒルダが鼻を指して笑う。

「あたしらのために取っておいてくれるなんて優しい親父殿だ」

彼女は図々しくそう言って、私の左腕に両の腕を絡めた。

高い位置から笑みがこぼれる。

笑う度、耳元で耳飾りが光って揺れた。

彼女の目の色と同じ緑の宝石が目を引いた。

「その耳飾りと首飾りはペトラ王女から借りたのか?」と娘に訊ねた。

「違うよ、貰ったんだ」

「誰から?」

「さあね、誰がいい?」と逆に訊ねる彼女に、「エルフの殿方でなければいいさ」と答えた。

「何でエルフの男だとダメなんだよ?」と訊ねるところを見ると意味は知らないらしい。

「エルフの殿方からなら《求婚》だ。

私の父は母に《腕輪》を贈っていた。

贈る装飾品は部族によって異なるようだが、とにかく装飾品を贈るそうだ。

タダより怖いものは無いからな、気をつける事だ」

「おやおや、大変だ。

帰れなくなるところだった」

彼女は笑って左の耳に触れた。

「安心しなよ、嫁に行く気なんかないからさ」

「それはそれで困るのだが…」

「親父殿には一生あたしの面倒見てもらうよ」

「やれやれ…とんでもない娘だ…」

結局、装飾品の出元は分からないままだったが、まあいいだろう…

恐らく、ドレスにあつらえてアーケイイック側が用意してくれたのだと思う。

彼女が無事私の元に戻ったという事実に安心して、私は追求を緩めてしまった。

「もう勝手にどこにも行くなよ」と釘を指したが、彼女は何処吹く風だ。

「やだね、それはあたしの勝手だよ」

明るく笑い飛ばした自由な美女は、月と一緒に私を見下ろした。

少しくすんだ緑の瞳が月の光を含んで、金粉でも撒いたかのように煌めいた。

「あたしは、夏の空に閃く稲妻のように生きるのさ。

嫌でもあんたの目を引いてやる」

✩.*˚

「やあ」と気さくに挨拶したのは夢の住人だ。

「なかなか成仏しないんですね」と言うと、彼は不思議そうな顔で首を傾げた。

「…成仏?はて、聞いたことないね、どういう意味かな?」

「うーん…未練を残さずにこの世を去る、みたいな?

僕の国の宗教観念ですよ」

「成程」と彼は納得したように頷いた。

金色に淡く輝く髪がサラリと揺れた。

青い澄んだ空のような瞳が優しく笑っている。

グランス様は、僕の夢に現れる時はいつも人の形をしてる。

辺りには白く光る神秘的な靄が立ち込めて、彼だけがくっきりと見える不思議な空間だ。

「私は神の末席に連なる者だよ。

未練を引きずる亡霊なんて安っぽいものじゃないさ。

今のこの姿は、君に譲った《祝福》に残る残滓といったところかな?」

そう言って彼は僕のそばに歩み寄った。

僕の傍らにはいつの間にか、あの白い双子が顕現していた。

グランス様は大きな手を伸ばして二人の頭を撫でた。

「《凪》と《嵐》はどうかね?

君の役に立ちそうかな?」

「うん」と頷いた。

「良かった…

この子達も君を気に入ってくれたようだ。

手放さないように気を付けるんだよ」

僕が彼らを置いてけぼりにした事を言ってるようだ。

グランス様は二人を撫でながら、僕に「新しい《祝福》はどうするね?」と訊ねた。

「僕はもう二つ持ってるので」と断った。

「そうかい?君は欲がないね?」とグランス様は空色の目を丸くして驚いたようだった。

「せっかくヴォルガ様が下さると仰ったのに…」と残念そうだ。

「うん。でもそれを譲りたい人がいるんです」

僕の提案に驚いたみたいだが、グランス様は穏やかな声で僕に質問した。

「《祝福》の権利を誰に譲渡するのかな?」

「アドニスに…僕が奪った《祝福》を返して欲しいんです」

「それは…」とグランス様が動揺した。

まぁ、そうなるよな、普通…

彼はオークランドの《英雄》だった人で、一度は敵として戦った相手だ。

信頼を得るにはまだまだ早すぎるだろう。

それでも僕は、自分を《亡霊》と呼んだ寂しい男に、一つでも取り返して欲しいと思う…

「彼は色々失ったけど、僕とアーケイイックのために戦ってくれたから…きっと大丈夫」

「…却下されたらどうするね?」

「その時は、もう《祝福》の話は無かったことにして下さい。

僕は不器用だから、三つもあったらグランス様が言った通り使いこなせないと思いますよ」

あればあるほど良いと言う人もいるかもしれないが、僕は使いこなせる自信が無い。

「それに、人を傷つけない《祝福》の方が気が楽で良いや」と笑った。

本心から出た言葉だ。

やっぱり戦うのって好きじゃない。

グランス様は困ったように笑って僕の肩に手を置いた。

「君は不憫なくらい優しくて不器用な子だね…

《祝福》の件は、私からヴォルガ様にお伝えしておくよ」

「みんなで寄って集って僕をバカにして…」

「だって君は魔力の調整が下手すぎて、十段階の0・1・10しか使えない体質だからね。

この間だって私が魔力を調整しなければ、《嵐》が真の力を見せることになっていたよ。

そうなればあの辺一帯が竜巻で吹き飛んでいたさ」

バカなの?極小と最大しかないとかポンコツ過ぎない?

今時、扇風機だってもうちょっと調節できるぞ…

「幸いなことに、君の先生である《錬金術師の王レクス・アルケミスト》は優秀な魔導師であり、魔法の第一人者だ。

彼なら、どうにもならない君の魔力調節の手助けになるんじゃないかな?」

今、どうにもならないってディスりましたよね…

そろそろ泣くぞ…

「まぁ、そういうことだから。

魔法の研鑽にも励たまえ。

機会があればまた会えるかもしれないね」

そう言ってグランス様は楽しそうに笑った。

「未来ある若者とは羨ましいものだ…

代わって欲しいくらいだよ」

「代わりますか?」と訊ねると、グランス様は「良いのかね?」と僕に確認した。

「じゃあ、ペトラも私が貰ってしまって構わないかね?」

「いっ!?」

「《風の愛子》と結ばれる良い機会だ。

私は喜んで君の魂と入れ替わるよ」

「だッ!ダメダメ!無しだよ!無し!」

慌てて発言を撤回した。

そんな鳶が油揚げ掻っ攫うみたいに良いとこだけ取られてたまるか!

僕だって結構頑張ったんだぞ!

グランス様は「残念だ」と口元を指で抑えて笑った。

「この世界は、悪い事、辛い事ばかりじゃないだろう?」

「…まぁ、そうだけど…」

「未来を頼んだよ」グランス様がそう言って、白い大きな身体で僕を包んだ。

死人とは思えないような、温かな体温が身体が僕の身体に染みこむ。

彼は、自分の干渉できない世界の未来を僕に託した。

グランス様の腕の中で柔らかな声を聞いた。

「君の名前を現実にしておくれ。

平和島へいわじまみつる》…

《勇者》に似合う、いい名前じゃないか?」

名前を褒められたのは初めてだ。 

グランス様に褒められて悪い気はしない。

「未来を頼んだよ」

彼はもう一度念を押すようにそう言って、霧のようにゆっくりと空気に溶けて消えた。

言いたいことだけ言って、僕の返事は聞かなくても分かってるらしい。

「仕方ないな」と苦笑いして、僕は残された双子「帰ろうか」と声をかけた。

僕の帰る場所は決まってる。

コロコロと表情の変わる、エメラルドみたいな瞳を思い出す。

意外と食いしん坊で、お転婆な黒い肌のエルフだ。

彼女はまた今日も、「今日のご飯は何ですかね?」と笑顔で言うんだろうな…

それってとても幸せな事だと思うよ。

✩.*˚

翌朝、朝食を取ったあと、帰り支度を済ませたワルター達を皆で見送った。

「世話になったね、ミツル」とヘイリーが親しげな様子で僕に笑いかけた。

彼の傍らには片時も離れないウィルの姿があった。

「私の城にも遊びに来ておくれよ。

待っているからね」

「アンバーの許可が出たらね」と答えた。

僕の隣でペトラが少しだけ眉を顰めて抗議した。

僕の腕を握る手に力がこもった。

そんなに心配しなくても良いのに…

友達の家に泊まりに行くだけのことだよ…

「元気でね。無理しない程度に頑張って」と手を差し出して彼と握手した。

「なんだか難しいことを言うね」とヘイリーが苦笑いする。

「なんだ、ヘイリー?《勇者》を連れ帰る交渉中か?」とヒルダが僕らの所にやってきた。

来た時と同じく、黒い男のような軍服に身を包み、昨日の面影は一切見当たらない。

唯一来た時と違うのは、《耳飾り》が増えたことだけだ。

「ヒルダ、侯爵の話を遮るのは無礼だ」とウィルが睨んだが、彼女は何処吹く風で、逆にウィルを見下ろして笑った。

「お前はヘイリーがミツルに取られて悔しいんだろう?あたしに八つ当たりすんなよ」

ハハッ、といつものように笑って、彼女は「またな、ミツル」と言って手を差し出した。

女の人とは思えない、大きな手と握手した。

「シャルルはあたしが預かる事になった。

あいつはちょいとお上品なところがあるから、ラーチシュタットで泥臭く叩き直してやるよ」

「ヒルダも元気でね」と言うと、彼は男のようにニヤリと笑った。

「何言ってんだよ?あたしは元気と丈夫が取り柄なんだ。

戦場で派手に暴れて、嫌でもあんた達の耳に《元気だ》って届けてやるさ」

「うわぁ…ほんとにやりそう…」手紙とかの方がありがたいんだけどな…

「全く、恥さらしだ…」とヘイリーやウィルも困った様子だ。

でもこれが彼女らしくて、いいのかもしれない。

「ヘイリー」とマリーの声がした。

彼女の肩にはミミズクみたいな鳥が乗っていた。

「カッパー君がウィルにお別れしたいって」

「あ、これカッパー君か?」

僕の言葉にフクロウは「うん、カッパーだよ」と懐っこく鳴いた。

「蛇の姿だとヴェストファーレン様が嫌がるのよね」とマリーがボヤいていた。

「ああ、親父殿は蛇嫌いだったな。

よくトリスタンとイタズラして叱られたっけ」とヒルダは思い出して笑っていた。

カッパーは羽ばたくと、マリーの肩からウィルの肩に飛び移った。

フクロウはウィルの顔を覗き込んで「また会える?」と訊ねていた。

「難しいだろうな。

忘れてもらって構わないよ」

フクロウの頭を撫でながらウィルが答えた。

彼らは知らないうちに随分親しくなったみたいだ。

「カッパー君はとても賢いから、貴方のこと忘れないわよ」とマリーの仮面が笑った。

「貴方が彼を大事にしてくれたのは、彼の口から聞いたわ。

寂しくないように毎日絵本を読んでくれたって言ってたわよ。

私のお友達を大切にしてくれてありがとう」

「閣下のためにしたことです」とウィルは素っ気なく答えたが、擦り寄るカッパーを撫でる手は優しかった。

「彼は素直じゃないからね」とヘイリーが笑った。

「薬は彼に取りに来させるよ」とヘイリーが彼を指名した。

「そうね、お願いするわ」と答えるマリーの仮面が笑った。

カッパーがウィルの肩で「また会える」と嬉しそうに鳴いていた。

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「閣下、動物相手にヤキモチ妬くなんてみっともないですよ」

「そんなに睦まじい姿を見せてよく言うよ。

私の代わりにカッパーを愛でていたのでは無いのかね?」

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貴方は貴方で、カッパーはカッパーだ」

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「あぁ、ミツル。また会おう」と彼は手を振って応えた。

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ウィルもマリーとカッパーに別れを告げて、旗を持つと飛竜に騎乗した。

カッパーを抱いたマリーが飛竜の背に乗ったヒルダの元に急いで走った。

「ヒルダ!約束した水薬ポーションが完成したら届けるわ!

無理しないでね!」

「ありがとう、マリー」とヒルダが笑って飛竜の背から手を振った。

もう彼らとはお別れだ…

旗を掲げたウィルを先頭に飛竜が次々と飛び立った。

あっという間に一行の背が小さくなる。

「帰ったね」とアンバーの隣で皆を見送ると、彼は「そうだね」と頷いた。

「なんとも賑やかで、慌ただしい一ヶ月を過ごしたものだ…」

「確かに」と僕が笑うと、アンバーは腕を組んでため息を吐いた。

「落ち着いたと思いたいところだが、まだすることが沢山残ってるよ」

「まだなんかあるの?」と訊ねると、彼は「やれやれ」といった様子で肩を竦めた。

「オークランドとフィーアの戦争が始まる前に、我々もできるだけの準備をしなければならない。

略奪者の襲撃の対応中のオリヴィエもまだ戻ってないし、追加で国境の監視を強化せねばならん。

族長達を招集して議会を開く必要もある。

部族長達に君を紹介するのが後回しになってしまっているからね。

ペトラとの婚約もまだ《仮》だからね」

「え?」

「え?じゃない。

大変なのはこれからだよ」と彼は意地悪く笑った。

「なんの苦労もなしに《アーケイイック一の美女》が手に入ると思ったかい?

君のライバルを名乗る者など五万といるよ。

まあ、頑張りたまえ《勇者》よ」

ハハハ、と笑うアンバーにペトラが抗議の声を上げた。

「陛下、意地悪なさらないで下さい」

そう言って彼女は《耳飾り》に触れて見せた。

「私の心は決まってますから」

「む、そうかね?

全く、私が言うのもなんだが、この不器用で頼りない男のどこが良いのかね?」

わざと言ってるのは分かるけど、酷くね?

「ミツル様は《勇者》ですもの。必ず大成しますわ」

ペトラはそう言って僕の顔を覗き込んで、「ね?」と笑顔を見せた。

「おや?先行投資かね?

これは是が非にも大成してもらわねば困るよ、ミツル」

「これってめちゃくちゃプレッシャーなんだけど…」

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《耳飾り》が彼女の耳元で煌めいた。

その姿を見て、アンバーが思い出したように今更な事を口にした。

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「僕は魔力が使いづらい体質だからアンバーに何とかしてもらえってさ。

なんか一か十でしか魔力が使えないとか言ってた」

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「やれやれ…

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「陛下はまだまだお元気じゃありませんか?

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「そんな悠長な事を言って…私がある日ぽっくり死んでしまったらどうするつもりだい?」

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彼の不死者ジョークに、またペトラと顔を見合わせて笑った。

「またそんなこと言って…」

「アンバー、君はもう一回死んでるようなもんだろ?」

「やれやれ…

当分 《二クセ》の船には乗れそうにないな…」

彼はそう言って青く澄んだ空を見上げた。

一羽の鳥のシルエットが空を横切る。

高い声で鳴きながら遠ざかる鳥を見送って、僕らは僕らの生活に戻った。

✩.*˚

「悪い、ミア、出てくれ」

仕事から帰って、引越しの荷解きをしてる最中に、乱暴にドアを叩く来客があった。

二階ということもあり、手が離せないのでミアに頼んだが、玄関を開けた彼女が悲鳴をあげた。

「ミア!?」

荷物を放り出して玄関に駆けつけると、でかいシルエットがが二つ玄関に並んでいた。

「よお」と玄関先に立つ、男みたいな格好の、男みたいな女が笑った。

「あたしが知らない間に、あのちっさい家から引っ越したんだってな?

家がもぬけの殻だったから、てっきり死んだのかと思ったよ」

「何だお前、帰ってきたのか?」

「姉貴に向かってその口の聞き方は何だい?」とヒルダが眉を顰めた。

「しかし、あたしが知らない間に随分不抜けてるじゃないか?

このちっさいのが親父殿の言ってた《蜘蛛》か?」

そう言って、ヒルダが玄関先で腰を抜かしているミアを睨んだ。

「《蜘蛛》じゃねぇよ!

俺の女だ、手ぇ出すなよ!」

「フンッ…散々親父殿に念を押されたさ」とヒルダは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

ヒルダは高い位置からミアを睨めつけて、怖い声で彼女を威嚇した。

「あたしは《蜘蛛》は見つけ次第殺すって決めてんだ。

女子供でも容赦しないよ。

勿論、あんたが何か変な真似したら、その男を騙す可愛い顔もぐちゃぐちゃの挽肉にしてやるから覚悟しな。

今回はトリスタンと親父殿の顔を立てて見逃してやるだけだからね!」

大の男だってビビる気迫を正面から受けて、固まってしまったミアに駆け寄った。

「…お前何しに来たんだよ?」

すっかりビビっちまったミアを抱き寄せて、ヒルダを睨んだ。

彼女は「別に」と機嫌悪そうに呟いた。

「あんたにでかい借りがあったから、礼を言いに来たんだけど…

嫁みたいに出てきたこいつを見たらむかっ腹が立ったのでだけだ」

マジで何しに来たんだよ、お前…

言ってることとやってることが無茶苦茶だ。

ヒルダは自分の背後を指差して、「あと、こいつを紹介しようと思ってさ」とドアの前に立ったままの男を呼びつけた。

「シャルル・リュヴァンだ。

アーケイイックから留学であたしの預りになった」

ぬぅっ、と玄関のドアを屈むように入ってきたのはアーケイイックで見た狼男だ。

毛色と毛並みが少し違うのを除けば、ルイ王子と大して変わらない。

狼男は「シャルルです」と形式的に頭を下げたが、俺にあまり良い印象を持ってないのだろう。

愛想も取り付く島もない。

「何だよ?王子様じゃねぇのか」と俺が言うと、ヒルダはまたもや人も殺せそうな視線で睨んできた。

「あんたホントに懲りないね!」

「いやいや、ちゃんとあの後反省したろ?」

「その態度が反省した人間のものか?!」

「いや、お前が連れ帰るなら、あのキレイな王子様かと思っただけだ」

俺の弁を聞いたヒルダの顔が赤くなって怯んだ。

何だよ?女みたいな顔しやがって…

「とにかく、シャルルにちょっかいかけるなよ!」

「分かってるよ、お前もミア虐めるなよ」

「フンッ!随分ご執心じゃないか?」

鼻息を荒くしてる目の前のデカい女に「悪いかよ?」と開き直って、腕の中の彼女を見て笑った。

「お前と違って、ミアはちっさくて、可愛くて、気が利いて、抱き心地も良くて、あっちの具合も合うときたもんだ。

こんないい女手放せなくなるだろ?」

「あたしへの当てつけかい?」

「お前には関係ねぇよ」と笑ってミアを抱き上げた。

「ビビらせて悪かったな、ミア。

お前は二階に引っ込んでな」と二階に彼女を逃がした。

ミアの姿が無くなったことで、ヒルダも少しだけ緊張が解けたようだ。

「シュミットの事は聞いてる」と言うと、彼女は「そうか」と呟いた。

「けどよ、シュミットの事とミアは本当に関係ないだろ?」

「分かってるよ」と答えたが、ヒルダはまだ拗ねてるようだった。

「…まさか妬いてんのか?」

「違う!」

「何だよ…めんどくせぇ奴だな…」

いきなり押しかけてきて困った奴だ…

ポケットから煙草を出して咥えた。

「で?用はそれだけか?」煙を吐き出しながらヒルダに訊ねた。

「あれ?」とふと彼女の耳元に目が留まった。

「エラい良いもんしてるじゃねぇか?

装飾品アクセサリー》なんかして、随分女らしくなったんじゃないか?」

《耳飾り》を褒めると、ヒルダが耳を抑えた。

「…貰ったんだ」

「良いじゃねぇか?似合ってんよ」

女らしさを一切封印してたくせに、貰ったからって義理堅く着けてるのは惚れた男イールから貰ったからだろ?

「用が済んだら帰れよ?

見ての通り、引越しの荷物を片付けてる最中なんだ」

「…分かったよ。

じゃあこれはまた今度だな」とヒルダが少し笑ってワインボトルを見せた。

滅多にお目にかかれないボトルを見て、驚いて声を上げた。

「《赤鷲》じゃねえか?

親父殿からパクってきたのか?」

「人聞き悪いね、親父殿と賭けで勝った戦利品だよ」

「マジか?!大戦果じゃねえか!親父殿は大損だな!」と二人で笑った。

ガキの頃みたいに、二人でイタズラした後で悪さを共有した気分だ。

「仕方ないな、また明日にするか…」と彼女はワインをしまった。

残念だが明日のお楽しみだ。

「そうだな、明日にゃグラスも出てくるだろうよ」

「ちゃんと用意しておけよ!」

「分かってるって。

お前こそ一人で呑むなよ?」と釘をさして笑う。

やっと帰って来たんだな…

あのままアーケイイックに残ってても良かったってのに…

全く、不器用な女だよ、お前は…

「じゃあ、また明日な」と言って二人で別れた。
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