燕の軌跡

猫絵師

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親父

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『お父さん!』

『グスタフ様』

幼いワルターとエミリアが俺に手を振った。

これは夢だと分かっていた。

現実にはありえない。心の弱い俺の妄想だ…

それでも心地よい夢だった…二度と目覚めたくなくなるほど幸せな夢だ…

俺はずっとこの情景を望んでいたのだ。

『おかえりなさい!いっぱい悪い奴らをやっつけたんでしょう?!』

無邪気に笑いながら抱きつく子供を屈んで抱きしめた。

子供の楽しそうに笑う声が腕の中で溢れた。

『親父』

背後で声がした。腕の中にいた子供は大人になっていた。ワルターはツヴァイハンダーではなく、俺のハルバードを担いでいた。

『あんた程じゃないが、俺も一緒に戦うぜ』

青年になったワルターの傍らにはフリッツの妹がいた。

『俺たち結婚するんだ』

照れくさそうに二人が笑った。はにかみながら視線を交差させる二人を眺める俺の隣には、少し歳をとったエミリアがいた。

『そうか…おめでとう』素直に二人の門出を祝福出来た。

若い恋人たちは嬉しそうに礼を言った。

俺の隣にいたエミリアが急にしゃがんだ。

『あらあら、可愛らしい』小さなよちよちと歩く子供がエミリアの腕の中にいた。

彼女は小さな男の子を抱いて、俺に見せた。

金髪と空色の瞳の子供は俺に『じい』と手を伸ばした。

『おじいちゃんがいいの?』とエミリアは不満そうだ。

彼女の腕から子供を受け取った。

『じい』とワルターの子が手を伸ばして、小さな掌で俺の顔に触れた。

こんな未来があったのかと…夢の中で涙を零した。

この未来を、幸せを手放したのは俺だ…

諦めずに、この腕で守ってやればよかった…

もう遅い、遅すぎたんだ。悔いだけが残った。

夢の中ではみんな幸せそうに笑ってる。

これが現実だったら…そんな女々しい後悔を残して、幸せの残像を瞼に焼き付けた。

時間を巻き戻すことが出来たら、二度と同じ轍は踏まないのに…

そんな都合の良い魔法なんてない。

夢の中で、失った40年が滔々とうとうと目の前を流れていく。

次々見知った顔が現れて、ワルターを祝福した。

ワルターは何の障害もなく俺の跡目を継いだ。その傍らには彼の息子たちがいた。

息子に続く凛々しい若駒たちは皆立派な体躯をしていた。

隣で親友が俺の肩を叩いた。

『後は、若いヤツらに任せて、一緒に酒でも飲もう』

『…あぁ、そうだな』

そう答えて若者たちに居場所を譲った。

歳をとったエミリアが『お疲れ様でした』と俺にお辞儀した。

こんな風に人生を終えたかった…

なんの悔いも憂いもなく、親友と昔話をしながら余生を過ごして、暖かい家庭の中で命を終えたかった。

これは夢だ…

それでも、俺が何よりも欲しかったものだ…

『ワルター』夢の中の息子の背に声をかけた。

彼は『なんだよ』と振り返った。

『あとを頼む』と頼もしい息子に、守ってきたもの全てを託した。

息子は『応!』と力強く返事して拳を掲げた。

夢の中でも役目を終え、俺は心地よい夢の世界を後にした。

✩.*˚

暗い部屋で目を覚ました。

夜だろうか?締め切っているだけだろうか?

「グスタフ!」親友の声が聞こえた。

死神は俺の上を通り過ぎたらしい…

「分かるか?俺だ、ゲルトだ!」薄暗くて判別しにくいが、声は確かに懐かしい親友の声だ。

「聞こえてる…明かりをくれ、部屋が暗くて顔が見えん」

「何言ってる?昼間だぞ?」ゲルトの声が硬くなる。

こんなに暗いのに昼間だと?目を眇めたが視界は変わらず暗い。

「お前…まさか、目が…そんな」

ゲルトは信じ難い現実に言葉を詰まらせた。

ツェツィーリアの運んだ食事を口にして意識を失った。あの女に毒を盛られたのは間違いないだろう。

「団長…」ゲルト以外にも部屋に人の気配がある。

靴音が近づいて人影が近くに膝を着いた。

「ウェリンガーです、お加減はいかがでしょう?」

「ウェリンガーか…ワルターはどうした?」

「御安心を。クルーガー殿はヴェルフェル侯爵閣下の庇護下にあります。ウェーバーらも保護されております」

「俺の部下の精鋭30とお前の親衛兵50しか連れてきてねぇよ。それ以上は荷物になるから置いてきた」

「なるほど…迷惑をかけたな」

「全くだ!心配させやがって!」ゲルトの声は怒りに震えていた。壁を殴る音が部屋に響いた。

「…目は…全く見えんのか?」苦しそうに絞り出す声でゲルトが訊ねた。

「薄く影が見えるがその程度にしか見えん。本当に昼間か?どれくらい眠っていた?」

「まだ14時頃です。我々が戻ってから三日です。その間団長は昏睡状態でした。

視界以外はいかがでしょう?身体の違和感はありますか?」

「そうだな…少し痺れが残っている」

「失礼します」とウェリンガーは俺の身体に触れた。

手足の痺れが残るが、感覚もあるし動かない訳では無い。慣れれば問題なくなるだろう。

怪我の治療も終わっているようで、危険な状態は脱したようだ。

妻に殺されかけるなど笑えない話だ。

「ツェツィーリアはどうした?」とウェリンガーに訊ねた。

「…奥様はお亡くなりになられました。

ギュンター様は屋敷の離れにて謹慎中です」彼は淡々と事実を告げた。

俺が不在の間に何があったのか報告を聞いた。

最後まで迷惑な女だ…

彼女が持っていた植物片から毒が特定出来たので、解毒と処置が間に合ったそうだ。

「ブランド男爵は?」

「騒動には関わっておりませんが、責任は問われることかと…」

「…そうか」義兄殿にも迷惑をかけた。

「これからどうするつもりだ?」とゲルトが不機嫌そうな声で俺に訊ねた。

「そうだな…」暗い視界にも慣れてきた。

命が助かったのなら安いもんだ。

「皆に詫びて回らねばならんな…」と反省を口にした。

「全くだ」とゲルトの不機嫌な声が耳に痛い。

顔は見えてないのに、ゲルトの渋い顔がありありと浮かんだ。

「何笑ってんだ」親友は俺を見咎めたが、その叱責すら今は心地いい。しがらみから解き放たれた心は軽くなった。

「ワルターに会いたい」と素直に口にした。

普通の親子に戻れるとは思えない。夢のようには上手くはいかない。

それでも、あいつと他人のまま別れるのは寂しすぎる…

「俺は…あいつの親父になれるか?」と朧気な姿の親友に問うた。

「グスタフ、お前は馬鹿か?」

手厳しい返事は柔らかい響きを含んでいた。

「お前らそっくりだよ。

不器用で、頑固で、つまらねぇ意地ばかり張りやがってそっくりだ。誰がどう見ても親子だよ」

ゲルトはそう言って鼻を啜った。彼は泣いているようだった。

「…爺になると涙脆くなるってマジだな」と彼は自嘲するように笑った。

お互い様だ…

長い俺の意地っ張りな戦いはやっと終わった…

✩.*˚

グスタフが意識を取り戻した翌日、屋敷の前に豪華な馬車が着いたと門兵から報告があった。

「次から次に…」とボヤきながらカミルを連れて確認に行った。

馬車に似合わない、うるさい一行が屋敷に駆け込んできた。

「ゲルト!親父は?!」

「団長は?!」ワルターとフリッツが迫って矢継ぎ早に質問した。

「ねぇ!ちょっと!置いていかないでよ!」チビの姿もあった。

「うるせぇ見舞いだな」と俺がボヤくとカミルがハハッと面白そうに笑った。

二人は真剣な顔で俺に詰め寄って、グスタフの容態を訊ねた。

「手紙を読んだぞ!意識がないって…」

「団長の容態は?!」

詰め寄る二人の間にカミルが割って入ると、俺の代わりに二人に状況を伝えた。

「二人とも落ち着けよ。昨日の昼に意識が回復した。やばい状態は脱した。

まぁ、ちょっと問題も残ってるがな」

「何だよ、問題って?」

「毒の後遺症が残った。痺れが残ったのと、目に来てる。ほとんど見えてないみたいだ」

「大問題じゃねぇか!」

「全然見えないの?」とスーが訊ねた。

「医者にも見せたが、正直、かなり悪いようだ…」

「レプシウス師なら治せる?」

「馬鹿たれ!お前は簡単に言うがな、レプシウス魔導師は第一級の治癒魔導師なんだぞ!そう簡単に…」

「来てるよ」とスーは馬車を指さした。

御者の手を借りて、馬車を降りる老人の姿を見て言葉を失った。

「やれやれ…、馬車とはいえ、さすがに腰にきますね…久しぶりの長旅でしたよ」と彼は腰を摩った。

「患者は何処でしょうか?」と彼は柔和そうな顔で微笑んだ。

「ほ、本物…?」

「オリヴァー・テオ・フォン・レプシウスと申します。専門は治癒です。死体以外ならだいたい何とかなります」

「こいつは驚いた」とカミルが俺の代わりに呟いた。

そりゃそうだ、魔導師号を持った魔法使いなんてそうそうお目にかかれるもんじゃない。

治療どころか、診察だけでも金貨が必要な相手だ。

「侯爵閣下より、できる限りの処置をするよう仰せつかっております。

して、患者は何処に?」

レプシウス師はそう言ってグスタフの元に案内するように促した。

カミルに、スーとレプシウス師の案内を任せ、ワルターとフリッツの二人に「話がある」と告げた。

「親父より大事なことか?」

「まあ、そうだな…お前ら二人にとって大事な事だ…」と言って、グスタフの書斎に二人を連れて行った。

机の上には、赤い背表紙の本があった。ウェリンガーが夫人の部屋で見つけたものだ。

「四年前の夫人の日記だ」と告げると、二人の表情が固くなった。

「胸糞悪い話だが、お前らに教えてやらにゃいかんと思ってな…」そう前置きをして印を挟んだ頁を開いた。

俺も昨日ウェリンガーに教えられて気分が悪くなった。それでも真実は知らされるべきだ。

「エマを殺したのは夫人だ」

そう伝え、開いた日記をワルターに差し出した。

ワルターとフリッツは目を見開いて絶句していた。

ワルターは震える手で俺から日記を受け取った。

日記を読み進めたワルターは、その場に崩れるように膝を折った。

「エマ…エマ…すまん、許して…俺が悪かった…」人目もはばからずに咽び泣くワルターに、フリッツが「何て書いてある?」と訊ねた。

「…エマは…お前たちの帰りを待ってた…」

ギュンターらに乱暴されたのも事実だが、彼女は死ぬ気などなかった。

ワルターとの約束を守るために、強く生きていた。

彼女は、許して貰えなくても、辱められた事を正直に話して、ワルターを裏切ってないと証明したかったのだ。健気な娘だ…

そんな事が表沙汰になれば、ギュンターの立場が悪くなる。自分たちも大恥だ。

夫人はエマを脅して黙らそうとしたが、彼女は屈しなかった。逆に、グスタフに相談すると夫人に告げた。

不都合な事実が露見する前に、夫人はエマに毒を盛って殺したのだ。

あの外道女、紅茶に毒を混ぜて飲ませたと、誇らしげな記録まで残していた。

後は偽装工作をして、死体が見つかるまであの家に放置したのだ。

残された遺書は、夫人が用意したものだった…

フリッツは文章が読めないから、日記の内容を抜粋して教えてやった。

兄貴にも酷な話だろう。

それでもフリッツは少しだけ安堵していた。

「…自殺じゃなかったんなら」と言って、フリッツはワルターの背を撫でた。

蹲って涙を流すワルターに、優しく言い聞かせるように口を開いた。

「良かったじゃねぇか…あいつは…お前が帰ってくるのを待ってたんだ…」

「お…俺の…俺のせい…」嗚咽混じりに自分を責めるワルターに、フリッツは「違う」とハッキリ言った。

「お前はあいつの希望だったんだ。

エマが死んだのは夫人が殺したからだ。

それ以上も、それ以下もない。

夫人が殺さなかったら、あいつは生きていた。

生きてりゃ、俺やお前が何とかしてくれるって信じてたんだ。お前があいつを捨てたりしないって、お前が自分を愛してるって信じてた。

エマはお前のことを、心から愛してた」

フリッツの目にも涙が滲んだ。

真実は残酷だが、フリッツは妹が絶望のまま命を絶ったのが嘘だった事に安堵していた。

最後まで兄貴と恋人を信じて生きようとしてたという事実が知れて、フリッツは満足していた。

「な、言ったろ?いい娘だって…」

フリッツは誇らしげだった。

咽び泣く義理の弟の背を撫でながら、彼は涙を拭った。フリッツは次にすべきことを見据えていた。

「ワルター、泣くのも謝るのもエマの墓の前でしろ。

俺たちには、まだエマのためにすべき事が残っている」

そう告げて、フリッツは俺に手を伸ばした。

ギュンターの悪事の動かぬ証拠が彼らの手に渡った。

✩.*˚

「失礼しやす、団長」入室するカミルの声がした。

複数の足音が重なった。客か?

ぼんやりと暗い視界の中に三人の影が映った。

「やあ、団長」聞き覚えのある無遠慮な子供の声が聞こえた。意外な客に驚いたが、同時に息子の姿を期待した。

しかし、期待に反し、聞こえてきたのは穏やかな男の声だ。

「お邪魔致します、ビッテンフェルト殿」

柔らかい響きを含んだ声に覚えはなかった。

「どちら様かな?」と訊ねると同じ声が名乗った。

「南部侯ヴェルフェル家にお仕えしております治癒魔導師のオリヴァー・テオ・フォン・レプシウスと申します。

侯爵閣下の命により推参致しました」

「侯爵家の…?」貴族のお抱えの治癒魔導師が何故ドライファッハに?

「娘婿の父上にできる限りの処置をするよう仰せつかっております」とレプシウス師は告げた。

これはまた随分と気に入られたものだ…

苦笑いが漏れた。息子だと思っていた男は、随分遠くの存在になってしまったらしい。

「団長、本当に目が見えないの?」

スーの質問は子供のように明け透けで無遠慮だ。

まあ、話が早くて助かるが…

「昼間でも夜みたいだ。ぼんやり影が分かるくらいだ」と答えると、痺れの残る手に女みたいな小さな手が重なった。

「これじゃワルターの顔も見れないよ」とスーは不満そうな声で言った。

「ワルター随分変わったよ、髪も目の色も変わっちゃった。会ったら驚くよ」

「聞いてる。《神紋》が出たそうだな」

「彼は特別なんだよ」とスーの嬉しそうな声は身内を自慢する子供のようだ。

「…そうだな」

「嬉しくないの?」

「嬉しいさ。あいつは自分で自分の居場所を手に入れたんだ」

「全然嬉しそうじゃないよ」

「こら、《妖精》それ以上団長を困らせるなよ」カミルの声がして、スーの手が離れた。

見かねたカミルがスーを引き剥がしたようだ。

「いいんだ、カミル。そいつはガキだ、悪気はねぇよ。

スー、ここに来い。少し話を聞いてくれ」そう言ってスーを呼び寄せた。

「何の話?」

「《不器用で酷い親父》の話しさ」と笑って話を始めた。スーは俺の手を擦りながら話を聞いていた。

俗に言う《懺悔》と言うやつだ。

我ながら酷い話だ…

長い昔話を終えた俺に、スーは呆れたようにため息を吐いた。

「君たちそっくりだね」と子供の声がゲルトと同じ感想を述べた。

「そうか?」

「そうだよ、お互い意地っ張りで素直じゃないところがそっくりだ」

「ゲルトも同じ事を言っていた」

「ほら、やっぱりそうなんだよ」とスーの声は笑っていた。

「君たちは親子だ」と嬉しい言葉をくれた。

スーの握った手が少しだけ引っ張られた。姿勢を変えたのだろう。スーはそのまま誰かに笑いかけた。

「ねぇ、君もそう思うだろ?」

誰に言ってる?カミルでもレプシウス師でも無さそうだ…

「こっちに来て、仲直りしなよ」とスーは言った。

いつの間にか増えた人影が視界の端で動いた。動かないと人影なのかすら分からない。

「…親父」不意に聞こえた声に心臓が跳ねた。

声は息遣いが聞こえるほど近くから聞こえた。

居たんなら言えよ…黙って聞いてるなんて卑怯だろうが…

「その話…あんたの本心か?」と震える声が呟いた。

「…あんたは、俺たちなんか要らなかったんじゃないのか?望んでないガキなんて邪魔だったんだろ?」

息子は今、どんな顔で俺を見ているのだろう?

憎い仇を見るような顔だろうか?

都合のいい事をかす俺を呆れた顔で見下しているのだろうか?

憎まれて、信用されなくても仕方ない…

俺は、ワルターにそれだけの事をしたのだ…

「…悪かったな、酷い親父で…」

今更、愛してたなんて言えるわけない…気持ち悪いだけろう?

それでも謝罪はさせて欲しかった。勝手に言葉を続けた。

「エミリアとお前を守ってやれなくて悪かった。

これは俺の本心だ。すまんかった…」

「ちが…お袋は…俺が…」

「いいや…全部俺のせいだ。お前は何も悪くないんだ。エミリアもお前も、俺が不甲斐ないばかりに苦しめた…恨むなら恨んでくれ」

目が見えないってのはいいこともあるもんだな…

相手の顔が見えない分、少しだけ素直になれた…

「エマの事も、気付かず、守ってやれずすまなかった…いい娘だったのに、ギュンターが無茶苦茶にしちまった…

何も、誰も助けてやれなかった…酷い男だ、俺は…

すまん、本当にすまなかった…」

歳を追うごとに恥ばかり増えた。

それでも、お前が居たから…希望を持てた…

俺の手を握っていたスーの手が離れた。代わりにそれより広い、硬い手のひらが包むように手を握った。

あの日抱いた子供は、こんなにも大きくなってしまったのか…

俺に怯え、母親に助けを求めた手はあんなに小さく頼りなかったのに、もう俺と変わらない大きさだった。

それもそうだ…あれから40年近い時間が過ぎたのだから…

「…お前ばかり苦労させてすまなかった」

硬い手のひらを握り返した。

すぐ傍で、嗚咽が聞こえた。

鼻を啜る音まで鮮明に聞こえるのに、肝心な息子の顔が見えないのは少し残念だ。

「《英雄》になったお前の姿を見たかったが…残念だ…」

「俺は…あんたの事…」ワルターは嗚咽混じりに恨み言を口にした。

「俺たちを捨てた事…後悔させたかったんだ…

あんたはずっと、俺を見ぬ振りして…

憎かった…俺も、あんたの子なのにって…思って…

俺が、あんたが無視できない男になれば…あんたに復讐できるって…」

「そうか…」ポツポツと溢れる恨み言を聞きながら息子の手を握った。

そんなのずっと後悔してる。お前を愛してやれなかった事を、死にたくなるほど後悔してる…

「それなら、お前の復讐は完成してるな。

お前の父になれなかった事を、俺はずっと後悔してる」

何度でも詫びる。この場を逃せば、もう伝えることができない気がした。

俺は不器用なんだ…

それこそ、どうしようもないくらい生きるのが下手くそなんだ。

なぁ、お前もそうだろう?俺の息子だ…

「俺が親父と名乗るのは嫌か?」

「…いいよ」ワルターは思ったよりあっさり俺を受け入れてくれた。

「俺はあんたの子だ」鼻を啜りながらワルターはそう言った。握っていた手が離れ、覆い被さるようにワルターは俺を抱きしめた。

手を伸ばして、それに応えた。

俺は息子を抱けた。

時間を無駄にした分、子供は大きくなってしまった。

「立派になったな」

息子を褒めた。ワルターは少し照れくさそうに笑った。

「もういいおっさんだ」

「そうだな…俺も爺になった」

ゲルト、歳を取ると涙脆くなるのは本当らしいな…

でも、いい涙だ…

今日という日は、俺の人生で一番いい日となった。

✩.*˚

「なんだこれは…」

何が起きているのか分からないとでも言いたそうに、ギュンターは青い顔で声を絞り出した。

親父の寝室に呼ばれたギュンターは、両脇を憲兵に囲まれ、罪人として枷を嵌められた。

「父上!なんだこれは!なんの冗談だ?!」

「お前が今までしてきたことの償いだ。

身に覚えがないとは言わさん」

親父の姿は、まだ寝台から動けずにいたが、背筋を伸ばし、威厳のある父親として振舞っていた。

その固く握った拳は感情を堪えるように震えていた。

「お前がワルターにしてきた事、俺が気付いてないとでも思っていたか?

義姉エマ・ウェーバーの件、ブラントの名で嘘の密告の手紙を出した事、今回の騒動…全て重罪だ、言い逃れできんぞ」

「俺はビッテンフェルト家の嫡男だぞ!

こんなことをして恥ずかしくないのか?!」

「恥だと?」フリッツの瞳に一瞬で怒りの炎が燃え上がった。

開き直るギュンターに雷のような怒号を放った。

「恥を知るのは貴様だろうが!

俺の妹にした事を忘れたとは言わさんぞ!」

「そんな話知らんな。お前らの妄想だ!」

ギュンターはそう言って被害者面をした。

あいつの中に、僅かにでも人の心が残っているなら、俺だって親父を悲しませずに済んだと言うのに…

俺の中で、感情を抑えていた何かが切れた…

「これを見てもそれが言えるのか!?」

そう言ってあの忌々しい日記帳を出して見せた。

ギュンターはそれが何か分からなかったらしい。少し眉を顰めて「それが何だ?」と鼻で笑った。

「初めてお前のお袋さんに感謝したよ。几帳面ないいお袋さんだ…」

「…お前…ワルターか?」ようやく目の前の男が誰か分かったらしい。

分からないのも無理はない。髪も目の色も変わった。

身なりも小汚い傭兵から、貴族の装いに変わった。

もう、ギュンターには馬鹿にされるものか!遠慮もしない!

俺の過去と、この男の罪に引導をくれてやる!

「やっとエマの…俺の妻の仇が討てる」

件の頁を捲って、継母と異母弟の悪事を晒した。

さっきまで威勢よく言い訳をしていたギュンターの顔がみるみる青くなった。

それもそうだろう。一番の味方だった母親に足元を掬われたのだから…

「関わった連中の名前まである。

お前の周りを探せば、こいつらから言質も取れるはずだ」

「ま、まて!母上と話をさせてくれ!」

「ツェツィーリアは死んだ」親父が重い口を開いた。

その一言にギュンターは固まって言葉を失った。

「ツェツィーリアはやりすぎた…

彼女はブラント家から記録ごと抹消される。つまりお前は、どこの誰とも分からぬ女の子供と言うわけだ」

「そんな事!あっていいわけが無い!」ギュンターは必死になって吠えたが、親父はさらに言葉を続けた。

「俺の妻はエミリア・クルーガー。息子はワルター一人だ。

ワルターの義理の兄であるフリッツに俺の跡を継がせる。

俺はこの身体なのでな…」

「俺は…俺はどうなる!」

最後まで自分の心配しかしないのか…

この男らしいといえばらしいが…

この男のために心を痛めている親父が不憫でならない。親父の目が見えなくて良かったと思った…

フリッツも同じ気持ちなのだろう。

見かねた様子で頭を振ると、ギュンターに告げた。

「お前は沙汰があるまでグローセンハング監獄に収容される。

裁判の日まで、牢の中で自分のした事と向き合うのだな。

…連れて行ってくれ」

「待て!待ってくれ!

こんなの正しくない!俺は自分の権利を守ろうとしただけだ!

これは俺自身の《自力救済フェーデ》だ!」

「それなら裁判でそう主張しろ!」

「父上!良いのか!俺はあんたの息子だぞ!」

親父に近づこうとしたギュンターを憲兵が静止した。

「父上!」

なおも父に縋ろうとするギュンターの醜い姿に、目の見えないはずの親父も手のひらで顔を覆った。

「もう…これ以上は…」苦しそうに声を絞り出す親父の背に手を添えた。

親父は真面目な男だ。息子の痴態など耐えられないだろう。

「分かってる、俺たちも同じ気持ちだ…」

「何している!早く連れて行け!」フリッツがギュンターを部屋から連れ出すように指示した。

手枷に腰紐を結ばれた罪人の姿を見送った。

異母弟は、最後まで諦め悪く不愉快な言葉を吐き続けたが、その声も遠くなる。

窓から、ギュンターを乗せた護送用の馬車が走り去ったのを確認して、親父に「…終わったよ」と伝えた。

寝台の上で、苦しそうに呻く親父の背をさすった。親父の背は縮んだように思えた。

もっと広く逞しかったのにな…いつの間にか縮んでしまった…

「辛かったろう?少し休んでくれ」

「…俺がギュンターを真っ直ぐに育てられなかった…」親父は懺悔と共に涙を零した。

ギュンターは自分でも気付けないほど歪んでいた。

夫人の毒の土壌で、腐って歪んで育ってしまった。

「あいつだってもう大人だ。

あいつの歪みはあいつ自身の問題だ」とフリッツは切り捨てたが、俺自身、逆の立場だったらと思うと素直に頷くことも出来なかった。

寝台に預けようと支えた腕を親父が掴んだ。

「頼む、ワルター…」

「親父?」俺に縋る腕は、頼りなく小刻みに震えていた。

「ギュンターにやり直す機会を与えてくれ…」

親父は俺に、涙ながらに異母弟の助命を請うた。

「許せないのは分かってる…あいつは罪を償うべきだ…

でも、それでも俺はあいつの父親だ…俺自身の責任であるとこも事実だ」

「団長…あんたの願いでも、それは…」戸惑うフリッツと顔を見合せた。

俺もフリッツも、親父の願いを受け入れる程の度量はなかった。

それでも親父の必死の嘆願を無下にできるほど冷淡になることも出来ない…

「すまん…すまん、許してくれ…あんな碌でなしのバカ息子でも、俺は…俺は…」

それ以上は言葉にならなかった。

親父は俺たちに遠慮して、その先の言葉を飲み込んだ。

あんたはあんたで、妻も子供も愛そうとしたんだろう?そうでもなけりゃ、こんなにも長い間、苦しむ事もなかったはずだ…

「ギュンターは、あんたに感謝しないぜ。最悪、あんたや俺たちへの逆恨みで一生を終えるかもしれん。

下手すれば、あんたはあの男に命を狙われるかもしれないんだぞ」

「それでもいい…」と親父は言った。

「それも間違ってない…俺はギュンターを正せなかった…

このままじゃ、あいつは…自分のした事に向き合うことすら出来ずに終わっちまう…」

「あいつが正しくなれる保証も無い。

また罪を重ねるかも知れない…それでもか?」

親父は答えることが出来ずに俯いた。

俺はため息を吐いてフリッツに視線を向けた。

フリッツは肩を竦めた。お前に任す、と譲ってくれたようだった。

本当なら自分で殺してやりたいくらい憎いはずなのに、フリッツは親父の顔を立ててくれた。あいつの方が俺より大人だ…

俺だけ子供みたいに振る舞うなんてできないだろう?

「俺たちが目を瞑るのは一度だけだ…」

「すまん…」

「謝んなよ。こんなの嫌な話終いにしよう」

疲労感の滲んだ親父の背を撫でた。少しだけ親子みたいになれた…

親父を休ませ、フリッツと部屋を出た。

「少し出かけていいか?」

「行くのか?」何処に行くのか察したのだろう。フリッツはまた俺に先を譲った。

「花くらい用意しろよ」

「分かってるよ」

「ホントか?お前は女の気持ちも分からん朴念仁だからな、心配だ」

「そうか?」

「そうさ」

二人で少しだけ笑った。

フリッツは「行ってこい」と俺の背を叩いた。心も身体も軽くなった感じだ。

花屋に寄って、店の女将に花束を注文した。

「二つ頼む。母親と妻に謝らなきゃなんねぇんでな」

「じゃあ良いのを用意しないとね」と女将は応えて、手際よく花束を用意した。

慣れた大通りを、綺麗な花束を持って歩いた。

墓地に向かう足取りにしては軽い。

お袋の墓を訪ね、報告を済ますと、その足でエマの元に向かった。

もう彼女は《二クセの舟》に乗れたのだろうか?

夢で会った彼女の小言も覚えてる。

『暖かくしてね。ちゃんとご飯食べて、それから部屋も掃除して』

ガキかよ…俺の方が年上だぞ…

「終わったよ、エマ…」白い墓の前に腰を下ろし、声を掛けた。

白い墓石は太陽の光を浴びて、笑うようにキラキラと輝いた。

供えた花束は、白い石によく映えた。

「今までありがとうな…さよならだ…

俺はドライファッハを出て、ヴェルフェル侯爵の元に行く…あの人に恩ができたからな…」

あのちょっと面倒臭い侯爵様のおかげで、俺はお前の仇を討てた。親父と本当の親子になれた。

全てにケジメをつけて、まっさらな気持ちでこの街を出る。お前への想いは置いていく…悪いな…

「『忘れろ』ってお前は言ったけど、忘れるのは無理だ。

でも、ロンメルになるなら、彼女の事はちゃんと大事にするよ。俺は不器用だけど、そのくらいはできるはずだ…」

クローバーを喜んでくれた少女を、妻として愛せるかは自信が無い。それでも、妹か娘くらいには可愛くは思っていた。

「俺の所に《巡って》来てくれ…

お前を、ずっと待ってる…」

身勝手な願いを呟いて、顔を上げた。夏の風に乗って、燕の番が交差しながら飛んで行った。

熱を帯びた日差しに手を翳し、手のひらのひさしの下で燕を見送った。
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