燕の軌跡

猫絵師

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晩餐会

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「はぁ…僕も行きたかったなぁ…」

ケヴィンがため息を吐いた。

彼はブルームバルトで弟たちと留守番だ。

ケヴィンは、テレーゼの侍女として着いて行った妹を羨ましがっていた。

「いいじゃないか?おかげでヨナタンに勉強教えて貰えたろ?」

「何故か俺はこき使われてるけどな…」と同じテーブルで帳簿を確認していたヨナタンがボヤいた。

彼はブルームバルトの会計の確認と、ロンメル家の出納からテレーゼの学校の寄付金の流れの確認を押し付けられていた。

「しかし、まぁ、どれも割とよくできてるよ。

強いて言うなら、もう少し詳しく書いた方が後々面倒にならずに済むだろうな…

わざわざ俺に確認させる必要なんてあったのか?」

「お父さんは、『トゥーマン殿が来た時に見て貰えたら』と言ってましたよ。

数字に強い方が少ないので、会計はお父さんが一人でやってますから」

「オークランドの騎士様がいるだろ?」

「アーサーはやりたがらないですし、アダムも数字は苦手だそうです。

お父さんの話だと、本当はあと一人か二人、経理ができる人間が欲しいそうですが、田舎ではなかなか…」

「あいつも苦労してるな…」

「僕も早くお手伝いできるようにならないと…」とケヴィンは健気に勉強を続けた。

残った彼には、父親に教えられた通りに領収書等を分けて、出納を記録するという、地味だが大切な役割を任されていた。

「まぁ、お前はその歳の割によくやってるよ。

アルドもやっと少し使えるようになってきたところだ。まぁ、似たようなレベルだな」

ヨナタンはそう言って、隣に座っていたアルドに視線を向けた。

「アルドが一人前の会計士になったら、俺の後釜に据える気だ。フリッツやブルーノも後釜が居れば少しは安心だろう」

「へぇ、君がそう言うなら優秀なんだろうね」とアルドに視線を向けた。

アルドはヨナタンに褒められて嬉しそうだ。

アルドは不思議な少年だった。ヨナタンが認めるくらいだから、頭も良いのだろう。字も読みやすい綺麗な字だし、育ちはいいはずだ。

相変わらず分からないことは多いが、彼が良い子なら大した問題じゃないように思えた。

アルドは、時々俺の顔を伺うように見つめては、目が合うと、逃げるように顔を逸らしてしまう。

別に虐めたりしないのに…

まだ、慣れてないだけだろうけど、そんなに避けられるといい気はしない。

まぁ、避けられてるのは俺だけじゃないけど…

アルドにアーサーとアダムを紹介した時、名前を聞くなりフードの下に顔を隠して震えていた。

ヨナタンが訊ねても理由は教えてくれなかったらしい。それからはアーサーもアダムも極力顔を合わせないように気を使っていた。

俺と同じ理由でオークランド人が嫌いなら同情する。

「煙草を吸ってくる」とヨナタンが少し席を外した。

すぐに戻ってくると分かっていても落ち着かないのだろう。アルドは空になったヨナタンの椅子をチラチラと見ては落ち着かない様子だった。

「アルド、何に怯えてるんだよ?」

お節介だと分かっていても、見ていられなくて声をかけた。

「ヨナタンならすぐに戻ってくるからさ、心配しなくていいよ。

それより紅茶でも飲む?それともミルクの方がいい?」

俺の問いかけに、アルドは持っていた紙と鉛筆で答えた。

《ありがとう。今は結構です》

「アルドの字は見やすいね」とケヴィンが筆談を覗き込んで彼の字を褒めた。

「アルドは幾つなの?」とケヴィンが懐っこく訊ねると、彼は筆談で《16》と答えた。

「そうなんだ。僕より年上だ」

ケヴィンがそう言って笑ってみせると、アルドもフードの下で少し微笑んだ。

その微笑みは上品で、ケヴィンの少年らしいものとは違っていた。

ケヴィンの簡単な質問に、アルドは筆談で答えていた。

「誰に字を教えてもらったの?」

ケヴィンの問に、アルドは一度はサラサラと文字を書いたが、慌てて鉛筆で何かを塗りつぶした。

そして代わりに《親戚》と書いてケヴィンに見せた。

「あ、そうなんだ…

僕は両親から教えてもらったよ。途中から先生が付いたんだけど、『癖のある字ですね』って言われちゃった」

ケヴィンは塗りつぶした文字を指摘せずに、上手に自分の話にすり替えた。

それが良かったのか、アルドはまた元のように筆談に戻った。ケヴィンは父親の良いところを受け継いでいた。

相手を緊張させない話の仕方はハンス譲りだ。

警戒心の強そうな少年は、少しずつケヴィンに心を開いていた。

「君もトゥーマン様とお墓参りに行くの?」と何気ない会話の中でケヴィンが訊ねた。

その言葉に、アルドは驚いた表情で首を傾げた。

「あれ?そのために来たんじゃないの?」とケヴィンは俺の顔を見た。

俺もそう思ってたから、肩を竦めて《分からない》と無言で答えた。

「オーラフって、君の前のヨナタンの恋人の墓だよ。毎年必ず来てるんだ」とアルドに教えると驚いていた。

言わない方が良かったのか?

何でヨナタンはアルドに教えなかったのだろう?

アルドは紙に鉛筆を走らせては塗りつぶして、最終的に《貴方じゃないの?》と書いた紙を俺に見せた。

「は?俺に会いに…何で?」

古い友人として、ワルターにではなく、俺に会いに来る意味が分からない。

アルドの必死な顔を見て、ケヴィンが「あぁ!」と声を上げた。

「もしかして…アルドはスーがトゥーマン様の恋人だと思ってたの?」

「はぁ?!何で!」とつい大声をあげてしまった。

そこに丁度煙草を吸い終えたヨナタンが戻ってきた。

「何だ?何かあったのか?」

「ヨナタンのバカ!」

戻ってくるなり俺に罵られて、ヨナタンは訳が分からないといった様子だった。彼は気まずい顔をしたケヴィンと、紙を握って俯いたままのアルドを交互に見た。

「何だ?何の話だ?」

「君って奴は!ちゃんと話さないから俺が誤解されたじゃないか!

アルドは俺が君の元恋人だと思ってたんだぞ!」

「は?」ヨナタンは珍しく惚けたような顔で固まってしまった。その姿が被害者ぶっててムカつく!

「だから、何でちゃんと目的を言わないんだよ!

オーラフの墓参りだろ?

そのついでにテレーゼに彼の傷を治療してもらうんだって、何で言わないんだよ!」

「いや…前の男の話なんてしないだろ普通…

それに、変に期待させるのも可哀想だろ?」

「そうだけど!そうだけど!」

正論すぎてムカつくわ!何も言い返せない!

ヨナタンは小さくなってしまったアルドに歩み寄って、彼の背中を撫でた。

「もしかして気にしてたのか?」と訊ねると、アルドは俯いたままヨナタンに頷いた。

「悪かったな、言わなくて」と謝ったヨナタンにアルドがしがみついた。

ヨナタンは驚いた顔でアルドを見下ろして、優しい顔になると彼の背中に手を添えた。

「悪かったな、アルド…

お前も訊かないし、言う必要ないと思ってたんだ」

「言えなかったんだろ?君って頭良いくせに意外とバカだよね?」

「辛辣だな」アルドを抱いたヨナタンは、他人事のようにそう言って苦く笑った。

「君のせいで誤解されたんだよ!文句の一つでも言うだろ!普通!」

「何だよ?アルドと仲良くしたかったのに、避けられて拗ねてたのか?

アルド。スーは俺のダチだ。恋人でもなんでもないから、仲良くしてやってくれ」

ヨナタンの言葉にアルドは頷いて、俺に視線を向けた。

目を潤ませた少年は、紙に鉛筆を走らせると俺に見せた。

《ごめんね。許してくれる?》

「いいよ」と彼を許して手を差し出した。

アルドは俺の手を取ろうとして、思い直して手を引っ込めた。

彼は紙に新しい文字を綴って俺に見せた。

「あぁ、うん。よろしくな」と彼の声の代わりの文字を読んで応えた。

アルドは嬉しそうに微笑んで、俺と仲直りの握手をしてくれた。

彼の気持ちを綴った紙に視線を向けて小さく笑った。

《ありがとう。友達になれるかな?》

アルドは少しだけ俺にも心を許してくれた。握った彼の手は温かかった。

✩.*˚

イタズラは大好きだ。

この王子と一緒にいると飽きないし、ワクワクする。

「ロンメル男爵夫人にお花は届かなかったんですね」と呟くと、私の主は忌々しげに舌打ちした。

ロンメル男爵が触って無駄になったらしい。

手紙を挟んだ萎れた花束だけが帰ってきた。

帰ってきた花束にコースフェルト伯爵は憤慨したが、既に王室より《ロンメル男爵夫妻》に構うなとお達しが出てるので事を荒立てることもできない。

男爵夫人から挨拶に来るのであればセーフだと解釈していたようだが、それも失敗して悔しがっていた。

「この私を馬鹿にして…」と苛立つ若い伯爵に苦笑いを返して、「アーベンロート伯爵夫人からお返事です」と届いたばかりの手紙を主の前に置いた。

待てもできない犬のように手紙を確認すると、王子は機嫌を治した。

「賢い夫人だ」

どうやら色良い返事だったようだ。

彼は分かりやすく、子供のように自分の欲に純粋な青年だ。

私を、落ちぶれた地獄のようなキュンツェルの家から拾い上げてくれたこの王子には感謝しかない。

彼の退屈を紛らわすために私は存在している…

彼の望みが例え人の道から外れていても、私は喜んでその望みを叶えるつもりだ。

「アルバ、お前にも仕事があるぞ」とコースフェルト伯爵は読み終えた手紙を私に差し出した。

「殿下のお役に立てるなら光栄です」と答えて手紙を確認した。

なるほど…

「ロンメル男爵を夫人から引き離すお手伝いをすればよろしいのですね」

ロンメル男爵が夫人から目を離した隙に、アーベンロート伯爵夫人がロンメル男爵夫人を王子に引き合せる手筈だ。

そんなに上手くいくかは分からないが、私の《祝福》なら問題ない。

どんな人物だろうと、そう簡単に私の《祝福》を見破ることはできない。

なんせ《見えない》のだから…

インチキ臭い能力ではあるが、私も主もこの《祝福》を楽しんでいた。

「できるな、アルバ」とコースフェルト伯爵は私に訊ねた。

「もちろんです、殿下」

当たり前のように答える私に、彼は満足気に頷いた。

彼は純粋に美しいものを愛でたいだけだ。ロンメル男爵夫人の迷惑など考えてもいないだろう。

しかし、それが彼らしくていい。

「私の《祝福》なら可能です。

誰の目にも留まることなく、私たちは目的を達せられます」

「どうせなら、あの忌々しい貴族の薄皮を被った傭兵が粗相するように仕向けてやれ。

どうせ王宮のことなど何も分かりはしないだろう?

卑しい生まれだ。何処か適当な部屋に案内して、罪人にでも仕立てあげてやれ」

「ふふっ…悪いお人ですね」

「お前だって楽しんでいるだろう?」と悪びれることも無く、彼は他人を陥れる算段を楽しんでいた。

「ヴェルフェル侯爵にも恥をかかせられる。

上手く行けば夫人は私の愛妾に迎え入れられるだろう?いい事しかない」

悦に入る主人に「左様でございます、殿下」と彼の望むであろう言葉を贈り、悪さを共有した。

退屈しない、楽しい宴になりそうだ…

✩.*˚

着替えを済ませると、馬車が到着したと知らされた。

玄関に向かうと、先に到着したリューデル伯爵一行の姿があった。

「おう!ロンメル男爵、見違えたぞ!」

スーが大爆笑した衣装を見て、リューデル伯爵は大袈裟に褒めた。

嘘だぁ…だって《カーテン》だぜ…

「初めて見る意匠ですね。なかなか興味深いですわ。布地も珍しいし、さすが王室から下賜された衣装ですね」と服飾を専門で扱うアダリーシア嬢も興味深々だ。

でも俺はただの前座だ…

同じく知らせを受けて階段を降りてきたテレーゼの姿に、リューデル伯爵らの視線は釘付けになった。

「おお!これは…」

「テレーゼ様もいつもに増してお美しいですわ!」

二人は本心からテレーゼの美しさを絶賛していた。静かに控えていた無口な男が、小さく「女神だ」と呟くほどだ。

ラウラめ…少しは手加減しろってんだ…

「変ではありませんか?

ワルター様は何も仰ってくれなくて…」と彼女は不安を口にした。

そりゃ機嫌も悪くなる…

アダリーシア嬢から貰った化粧品に大興奮の女性陣は、あーでもないこーでもないと試行錯誤しながらテレーゼを美女から《絶世》の美女に仕立て上げた。

これじゃ目立って仕方ない。誰もが釘付けになるの間違いなしだ。

俺は少し劣化させて、並にするくらいがいいと思ったのに…これじゃ都合が悪い…

「照れてるのだろう?なぁ、婿殿!」

「褒めるための語彙力が足りないだけですわ」

リューデル伯爵らは好き勝手言っていた。

俺の傍らに来たケッテラーがこっそりと本音を漏らした。

「…カナルの岸の方が楽でした」

「俺もだよ…」

アダリーシア嬢も相当な美人だし、なんなら大金持ちで名の通ってるリューデル伯爵家の一人娘だ。ケッテラーがやっかみを買うのは間違いない。

「お前も背中を刺されないように気を付けろよ」

「何です?それ?」

「いや、こっちの話…」と話を濁した。

テレーゼがやってきて、俺の隣に立った。

「ゲリン、貴方も素敵ね」とテレーゼはケッテラーの臙脂色の礼服を褒めた。

「ありがとうございます、奥様。

アダリーシア嬢に選んで頂きました」

ケッテラーはそう答えて、リューデル伯爵家で仕込まれたであろう、完璧なお辞儀を披露した。

こいつは真面目だから、彼女に釣り合うようにと懸命に学んでいるのだろう。

若いし、男前だから仕込む方もやりがいがあるだろう…

いい歳して覚えが悪い、不器用なおっさんとは比べ物にならんな…

つまらないことを考えていた俺の袖を、テレーゼが摘んで引いた。

「ワルター様も素敵ですよ」と俺を慰めて見上げる目は眩しい。

「お前も物好きな…」

「そんなことありませんわ。素敵です」

彼女はそう言って子供みたいに頬をふくらませた。

彼女の目には俺はよく写っているのだろうか?

それならこの馬鹿げた衣装も我慢出来るのだが…

リューデル伯爵に遅れて、パウル様たちの乗った馬車も屋敷に到着した。

パウル様がガブリエラ様をエスコートしながら現れた。

相変わらず様になる夫婦だ。

ガブリエラ様はテレーゼの贈った扇子を手にしていた。

「すまん、道が混んでいたから遅くなった」とパウル様は詫びたが、予定より少し早いくらいだ。

パウル様は俺たちを眺めて「二人ともよく似合っている」と世辞を寄越して夫人にも同意を求めた。

「本当に二人とも素敵よ。

国王陛下もトリシャ妃殿下もお喜びになるわ」とガブリエラ様も笑顔で俺たちの衣装を褒めた。

「アダリーシア嬢。貴女方もとてもお似合いよ。若いって良いわね。ねぇ、パウル様」

「そうだな。だが、私の隣にも素晴らしいパートナーがいる。

君は年月で磨かれた宝石のように素晴らしいよ」

「うふふ、お上手ね」とガブリエラ様は夫の褒め言葉に機嫌を良くした。

さすが、パウル様…女性の扱いが上手い…

俺には真似できそうにない。

イチャつくヴェルフェル侯爵夫妻に、テレーゼとアダリーシア嬢が羨ましそうな視線を送っている。

女の子はあれが良いのか?

ケッテラーと二人で視線を交わしたが、彼も俺と同じ思いだろう…

「兄上、もう出発せねば遅れます。義理姉上を口説かれるのでしたら、個人的に時間のある時にお願い致します」

「うむ。そうだな。それでいいかな?」

「そう致しましょう。

ロンメル男爵とテレーゼはヴェルフェル家の馬車にお乗りなさい。

リューデル伯爵に先を行って頂きましょう」

「かしこまりました、義理姉上。

ゲリン。馬車までアダリーのエスコートを頼む」

リューデル伯爵に呼ばれて、ケッテラーはアダリーシア嬢に右腕を差し出した。

仲睦まじい恋人たちを見て、テレーゼが期待の眼差しを俺に向けた。

「行くか」と声をかけて彼女に利き腕を差し出した。

気の利いた台詞なんて言えないし、歯の浮くような甘い台詞とも無縁だ。

それでもテレーゼは嬉しそうに俺を見上げて、俺の腕に細い指先を絡めた。

彼女に見つめられて苦く笑った。

あーぁ、参ったな…お前ってば、とんでもない美人だよ…

「どうですか?」と彼女はドレスを摘んだ。

まだ、ちゃんと褒めてない。本心から喜べない心の狭い自分を呪った。

他に言うことも無く、「綺麗だよ」とぎこちない返事になる。

彼女はそれが不服だったようだ。

「お嫌ですか?」

「んー…嫌ってのもなんか違うけど…」

「我儘ですね」

彼女は拗ねた子供のように頬を膨らませた。その仕草がいつもの気取らない彼女で安心する。

外見が変わっても、中身はいつものテレーゼのままだ。

「俺はドレスで着飾ったお前より、安っぽい服にエプロンして、子供たちと遊んでるお前が一番好きだよ」

「ワルター様も物好きですこと」

「そうか?結構マジだぜ」

そう言って、ため息を吐く彼女に笑って見せた。

彼女は俺を見上げると、華奢な指先を口元に運んでクスリと笑った。

「私も、その私の方が好きですわ」

彼女は俺の返事に満足したようだ。

「ブルームバルトに戻ったら、ワルター様の大好きなテレーゼに戻ります。

だから、この魔法にかかった姿も楽しんでくださいな」

テレーゼは上手い言い方をして、眩しい微笑みを見せた。美しさに磨きがかかった彼女の笑顔は本当に魔法みたいだ。

迷惑な魔法があったものだ。

これは魔法なのだと、無理やり自分を納得させることにした。

でもな、俺一つだけ嘘ついてるわ…

やっぱり一番好きなのは、俺の隣で無防備に寝てる寝巻き姿のお前だよ。

でもそんなの言ったらロマンチックじゃないだろう?魔法が解けちまう…

本心に蓋をして、彼女と一緒に城行きの馬車に乗り込んだ。

✩.*˚

新年会の《挨拶》と《功労会》、《表彰式》は滞りなく終わった。

とりあえず黙って、パウル様に言われた通りに国王から与えられた物を頂戴するだけの簡単な仕事だ。

俺が口を開いていいのは、貰った時に、「謹んで頂戴致します」の一言のみだ。

こんなのガキでもできるだろう。

問題は話が長くて眠くなりそうな事…

何度欠伸を噛み殺したことか…

テレーゼが疲れないかと心配だったが、ちゃんと席が設けられていたということもあり、大丈夫そうだ。

しかしすごい面子だな…

王族はもちろんだが、七大貴族を含め、各地から名のある貴族たちが顔を揃えている。

本当なら俺みたいな田舎のなんちゃって男爵が呼ばれる場所ではない。

新年会の出席者はその年の税が四分の一も免除される。

それに加え、《功労》やらなんやらで《賞与》まで頂戴したし、男爵として貰ってる貴族年金も上がった。

文句はないが複雑な気分だ…

俺は面倒を引き受ける気は無いんだがな…

金を貰った以上、それなりの仕事はしなきゃならん…

舞台が晩餐会に移ると、今度は待ち構えていた参列者に囲まれた。

「おめでとう、ロンメル男爵」とまず声をかけてきたのは七大貴族の筆頭のワーグナー公爵だ。

公爵は宰相として《新年会》を取り仕切っていた。年齢は60をとうに越えているだろう。

真っ直ぐ伸びた背筋と、歳を重ねても色を失わない赤毛は、彼を若々しく見せていた。

「これだけの貴族を前に堂々たるものだ。さすが《英雄》、肝が座っている」

「勝手が分からないので言われた通りにしただけです」と、そのまま答えると、ワーグナー公爵は笑って「謙遜を」と呟いた。

「しかし、誠に惜しいですな…

私がロンメル男爵を存じ上げていれば、《錆銅》の孫娘を与えて、我が家に迎えていたというのに…実に惜しい」

「宰相閣下。ロンメル男爵を誘惑するのはお止め下さい」

俺の傍らでパウル様が苦言を呈した。

「おや、嫉妬かね?ヴェルフェル侯爵?」と若々しい出で立ちの老人は笑った。

「本心さ。彼はこの国の《英雄》だ。

彼を麾下に加えたいのは私だけではないはずだがね?

彼の気を引けるなら、我が家で最も貴重な《錆銅の乙女》だって惜しくはないよ。

だが、彼女を見たらそうも言ってられないな…」

ワーグナー公爵テレーゼを見下ろして笑った。

「いくら私でも、彼女より優れた女性は用意できそうにない。どう頑張っても軍配は上がりそうにない」

この国で最も高位な貴族はそう言って、テレーゼの容姿を褒めた。

「こんばんは、ロンメル男爵夫人。今宵、美姫と名高い《白鳥姫》を間近に見ることが出来て私は幸運だ」

「勿体ないお言葉です、閣下。

賢臣として陛下をお支えするワーグナー公爵閣下よりお言葉を頂戴し、光栄の極みです」

「おやおや、嬉しいね。

ヴェルフェル侯爵。君も人が悪いね…

私に隠し事など酷いでは無いか?」

「何のことでしょう?」と恍けるパウル様にワーグナー公爵はあくまで柔らかい口調で指摘した。

「他に取られないように、ロンメル男爵も夫人も隠していたのだろう?

少しずるいところは父上に似てきたのではないかね?

二人とも喉から手が出るほど欲しいが、今の南部は問題が山積みだ。

それに今回の援軍の件で君には厄介な問題を押し付けてしまったからね。

あの件に関しては、私も陛下も私も申し訳なく思っている。

ロンメル男爵夫人にも心労をかけて申し訳なく思っている。改めて二人に謝罪させて頂きたい」

ワーグナー公爵はことはを濁していたが、恐らく第三王子の件だろう。

本来なら公爵は俺たちに頭を下げるような人物ではないにも関わらず、柔らかい物腰の老人は自分の采配の責任を取って謝罪した。

「当家にもご招待したいのだが、孫娘たちの婚姻の件で立て込んでいてね。

また後日ご招待させて頂けないだろうか?」

「ありがとうございます、宰相閣下」

「ふむ。して、ロンメル男爵。貴殿にはお子は何人おいでかな?」

自然な流れで公爵は子供について訊ねた。

「娘が一人です。まだ、一歳と六月程です」

「そうか。母親に似ればさぞかし愛らしいであろうな」と公爵は上機嫌で頷いた。

「他にお子は?」

「まだ、これから授かればと思っております」

「なるほどな。ロンメル家に子宝が恵まれるよう、ヴォルガ様に祈りを捧げておこう」と親切を口にして、ワーグナー公爵は次の招待客の元に向かった。

「フィーが一人っ子で助かったな…」とワーグナー公爵を見送ったパウル様がこっそりと呟いた。

「…何がです?」

「子供の数を確認したのは縁組のためだ」と教えられてギョッとした。テレーゼも慌てて、立ち去った公爵の背に視線を向けた。

あの爺さん、相当なタヌキだ!あの人の良さそうな仮面の下で恐ろしいことを考えている…

「親族に《英雄》が居れば、それだけで箔が付く。もし男の子がいたら、縁組を勧めるつもりだったろうな…」

「でも…まだフィーは一歳ですよ?」

「だからこそだ。まだ、縁組の話は無いだろう?あの子はヴェルフェル侯爵家の血も引いているし、《英雄》の子供で、母親も美人で知られている。

これからこんな話は五万と来るぞ。覚悟することだ」とパウル様は俺たちに釘を指した。

確かに…

フィーだって大人になる…結婚だってするだろう…

テレーゼに似たら美人だろうし、それを期待して寄ってくる連中がいてもおかしくない。

でも、それじゃあまりに可哀想だ…

一緒になるなら、あの子が選んだ、好いた相手と添わせてやりたいのが本心だ。

そうじゃなきゃ、俺だって納得できない。

不安そうなテレーゼの様子に、ガブリエラ様が慰めるように提案した。

「お二人共、もし縁談があれば、ヴェルフェル家を通すように仰い。

パウル様も私も、勝手にフィリーネ嬢の縁談を決めたりはしませんからご安心なさい」

「しかし、子供のうちに決めておく事も大事だ。

相手がどんな者か見極める時間ができるし、子供同士で伴侶となる人物をよく知ることができる。

いきなり結婚しろと言われるより、ずっと気が楽だろう?」

「パウル様。まだ、それはまだ先に致しましょう。

ロンメル家が二人目を授かってからでも遅くは無いのですから…

まだ、フィリーネ嬢がロンメル男爵家を継ぐ可能性も捨てきれません。

徒に二人を不安にさせるのは宜しくありませんわ」

「ふむ」とパウル様はガブリエラ様に頷いた。

夫人に注意され、パウル様は困ったように

「すまんな二人とも。

しかし、まぁ、よくある話だロンメル男爵。

フィーは手離したくないくらい可愛いだろうが、この程度で目くじらを立てないことだ」と言ってパウル様は俺の肩を叩いた。

まぁ、確かに…と頷いた。

これで問題を起こせば、今度は嫁の貰い手が無くなるかもしれない…

その後も、他の参列者から同じ話を何度となく聞かされた。

中には具体的に子供の名前を出す親もいたが、侯爵夫妻が上手く躱してくれた。

多くの参加者の中から、テレーゼとは別の意味で目立つ令嬢が現れた。

彼女は、先日見た時とは対象的な明るい黄色のドレスを着ていた。

「やっと合流出来ましたわ」と高い位置で笑うベルヴァルト伯爵令嬢の傍らには、細い印象の少年がいた。

「ご紹介しますわ。

私の婚約者で、西山侯ローヴァイン侯爵家の嫡男イーゴン公子様です」

「こんばんは。ヴェルフェル侯爵と《英雄》ロンメル男爵にお会いできて光栄です」と微笑みながら少年は俺に手を差し出した。

男にしては細く長い指に女のような印象を受けた。剣を握った事も無さそうだ。

「イーゴン公子様はロンメル男爵の武勇伝に興味がおありなんですって」とベルヴァルト伯爵令嬢が言うと、「身体が弱いもので…」と少年は寂しげに笑った。

「今晩はロンメル男爵がいらっしゃると聞いて、無理を言って参加させて頂いたのです。

彼女が同伴することを条件に、父上からお許し頂けました」と言って、少年は婚約者に笑顔を向けた。

この二人はこれでバランスが取れているように見えた。

「何かあれば、私が命に変えてもイーゴン公子様をお守り致しますわ!」と息巻く彼女を見てテレーゼが小さく笑った。

「お二人共仲良しですね」とテレーゼは二人の様子を祝福した。

ローヴァイン公子は、テレーゼの言葉にはにかむような笑顔を見せて、婚約者であるベルヴァルト伯爵令嬢を自慢した。

「彼女ほど頼りになる方はいません。僕が頼りなくて申し訳ないくらいです。

彼女は女性ですが、ヴァルベルト家の名に相応しい、優れた魔導騎士としての才能をお持ちです。それにとても優しくてかっこいいのです。

彼女がロンメル男爵夫人とお友達になったと聞いて、僕も嬉しく思いました。

彼女のおかげで、こうやってご夫妻とお話する機会に恵まれました」と少年は嬉しそうに語った。

「私も公子様とお話する機会に恵まれて嬉しく思っています。

ところで、不躾ですがお身体はどちらがお悪いのですか?」

「心臓が…詳しくはわかりませんが、負担になるような激しい運動は禁じられています。

お恥ずかしいですが、階段も休みながらでないと登れないのです」

「あまり長い間立っているのもよくありませんわ。また足が浮腫んで辛くなってしまいます」とベルヴァルト伯爵令嬢が少年の身を案じていた。

大変な時に面倒な事に巻き込んで申し訳ない。

テレーゼもイーゴン公子の容態を気遣っていた。

治せるものなら治してあげたいのだろう。それでも《白い手》を使うのは侯爵に禁じられている。

話をしているところに、リューデル伯爵家の三人が合流した。

「兄上、こちらにいらっしゃったのですか?

おや、ローヴァイン公子様にベルヴァルト伯爵令嬢ではありませんか?」

「こんばんは、イーゴン公子様」とアダリーシア嬢が挨拶すると、少年も挨拶を返した。

「お父上のローヴァイン侯爵閣下とは先程お話をしてきたところです。

再開発の鉱山は順調なようですな」

「お陰様で。リューデル伯爵の勧め通り、ハン鉱山を手放さなくて正解でした。

おかげで侯爵家は良質な鉄を確保することが出来ました」

「なんの。途中で投げ出すには惜しい山でした。要らぬお節介を焼きました」とリューデル伯爵は明るく笑い飛ばした。

「ローヴァイン侯爵には鉄鉱石を買い付ける権利を頂戴しましたし、私としても良い話でした!

どうぞ、今後もよろしくお願い致します」

「良い取引先があって助かります。父の代が変わっても、よろしくお願い致します」と少年は巨漢と約束するように握手を交わした。

幼くて儚げな少年はなかなか肝が据わっている。

西山侯の子息というのは肩書きだけでは無さそうに思えた。

「イーゴン公子様、あまり無理されませんよう。お体に障ります」

ベルヴァルト伯爵令嬢が公子に声をかけた。

「ありがとう、ウィルメット嬢。少し休むよ。

男爵、また後で僕にお時間を頂戴できますか?」

「どうぞ、お好きなように」

どうせ暇だしな…この少年の相手くらいなら構わないだろう。

「子供には愛想がいいのだな」

立ち去る二人を見送って、パウル様は俺をからかった。

「さて、私達も挨拶があるので、少し席を外させて頂こう。

カール、後を頼む」

「お任せを。見張っておきます」と彼らは役割を交代した。

「テレーゼ様。ヴェルフェル侯爵夫人がお戻りになるまで私が付き添います。

ゲリン、男爵から目を離さないでね。男爵もつまらないからって勝手に抜けないでくださいよ?」

俺は子供か!

俺の不機嫌を見透かして、リューデル伯爵が面白そうに笑った。

「懐かしい。

初めてアダリーを連れてきた時は迷子になって探し回った」

「お、お父様?!」恥ずかしい失敗談を持ち出されて、アダリーシア嬢が慌てて父親を黙らせようとしたが、父親は懐かしげに娘の恥を暴露した。

「おかげでベルヴァルト伯爵と懇意になったがな。

妻に叱られても平気な顔で、『迷子のお世話をしてたのよ』と答えていたな。

その迷子も同じ事を言っていたがな…」と笑いながらリューデル伯爵は娘の親友の立ち去った方にに視線を向けた。

なるほど…どうやらその迷子があの目立つご令嬢らしい…

恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、アダリーシア嬢は父親を睨んでいた。父親は悪びれる気配もない。

リューデル伯爵は娘の婚約者に「私の娘は可愛いだろう?」と自慢した。

話を振られたケッテラーはアダリーシア嬢に視線を向けた。

へぇ、お前そんな顔できたんだ…

「とても可愛いお嬢様です」と答えるケッテラーの表情は柔らかく、恋人に向けられる男の表情だ。

「…からかわないでよ」

あのアダリーシア嬢が耳まで赤くして、それしか言えなくなっていた。

✩.*˚

「ヨアヒム殿下」

友人らと話をしている最中に、シュタインフェルト子爵に呼ばれた。

「何か?」と訊ねると、彼は小声で嫌な報告をした。

「すまない、用事が出来た」と友人らに告げて、シュタインフェルト子爵を連れて、陛下と妃殿下の姿を探した。

「失礼致します、トリシャ妃殿下」

晩餐会の参加者と話をしていた王妃に声をかけた。母上は私の無礼に眉を顰めたが、耳を貸してくれた。

「何事ですか、レーヴァクーゼン伯爵?」

「大事なお話が…」と声を潜めて、先程シュタインフェルト子爵から聞いた話を伝えた。

「…なんて事…それを知ってるのは?」

「まだ、我々と妃殿下のみです。

騒ぎになる前に収めますのでご安心を…しばし席を外します」

「分かりました。私の名を使うことを許可します。任せましたよ、ヨアヒム」

「ありがとうございます、妃殿下」

勝手をする許可を貰い、頭を下げて下がった。

まずはロンメル夫人を探さねば…

広間に足を向けた。

「申し訳ございません、殿下…」

後ろに着いてくるシュタインフェルト子爵が詫びた。

「言っても詮の無いことだ…

それより、ロンメル男爵夫人と愚弟はどこにいる?」

彼を責めるのは容易いが、こんなことが起こると想定する方がはるかに難しい事だ。それなら今分かる情報が欲しかった。

シュタインフェルト子爵を連れて、足早に広間を横切る私を苦手な男が呼び止めた。

こんなの時に、面倒な…

「レーヴァクーゼン伯爵、どこに行くのだ?」と問いかけたのは兄であるハインツ王太子だ。

彼の赤毛は僅かに緑を含んだ色合いをしている。彼にはワーグナー公爵家の特徴が顕著に出ていた。彼は兄弟の中で飛び抜けて魔力が高かった。

「用事ができたので、これから片付けるところです」と答えてその場を離れようとした。

立ち去ろうとした私の背中に、兄のため息と独り言のように呟く声が刺さった。

「また母上の機嫌取りか?全く、つまらん男だ」

その言葉に足が鈍ったが、立ち止まる事も出来ずに無視した。

そんなこと、言われずとも分かっている!

どうせ私は凡夫だ。

魔法の才能も、愛される特質も、ずば抜けた容姿も何も無い。

ただ、与えられた役目を果たすだけの存在だ。

愛されないと分かっていても、上にも下にもならぬ中途半端な人生でも受け入れて、コツコツと点数を稼ぐしかないつまらん男だ…

結局、母上の名前を借りねば、何も出来ない男だと自分が嫌という程分かっている。

『お兄様をお支えして、弟の面倒を見て、立派にフィーアとしての任を全うするのが貴方の役目です』

母上の願いは幼い頃から変わらない。

私は自我を持ちそこねた、中途半端な人間だ…

不健康な思想に侵食されそうになっていると、シュタインフェルト子爵が私を呼んだ。

「殿下。あれは…ロンメル男爵夫人では?」

彼の視線の先を見ると、人の垣根の向こう側の小柄な女性を見つけた。

衣装後ろ姿しか見えないが、功労会でロンメル男爵の傍らにいたのを見ていた。同じドレスだ。

彼女は貴婦人に誘われて頷くと、彼女の後に着いて行った。

慌てて呼び止めようとしたが距離があるし、周りの目もある。

「シュタインフェルト、男爵夫人の隣にいるのは誰だ?」

「恐らく、アーベンロート伯爵夫人かと…

ヴェルフェル侯爵閣下の長女と記憶しております」

「…姉か…なら良いが…」

姉が一緒なら問題が起きても守ってくれるはずだと思った。

それなら先に彼女の夫の問題を片付けねばならない。

「全く、夫人を放り出してどこに行ったのだ?」

苦い思いを乗せた視線で会場を見渡した。

会場から忽然と消えたロンメル男爵を探す方が先に思えた。
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