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3話 村の守り神
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「鈴音、随分久しぶりじゃないか。元気にしてたかい? 前に来たのは去年の夏だったかね? おや。あんた、バッサリ髪切ったのかい! 長いのも素敵だったけど、短いのも似合ってるよ」
鈴音の顔を見るなり、梅婆は矢継ぎ早に捲し立てた。
相変わらずだなと鈴音は微笑む。
「久しぶり、梅婆ちゃん。正月は仕事で帰れなかったから、会ったのは去年の夏だね。髪も思い切って切ったんだ。近所に腕の良い美容師さんがいたから、そこに通ってるの」
「いいことだ。ここら辺は美容院すらないからねぇ……。それより、鈴音、お腹は減ってないかい? あんたが好きそうなお菓子があるんだよ」
梅婆はたんまりとお菓子をテーブルの上に並べた。お堂に行けない代わりに、梅婆は自宅に神棚を作りよく壱様にお供え物をしていたため、いつも家にはお菓子を常備していた。
一緒にお菓子をつまみながら、ふたりは世間話に興じる。
独身で長年ひとり暮らしをしている梅婆は鈴音や涼太を自分の孫のように可愛がってくれた。ふたりにとっても梅婆は祖母のような存在で、幼い頃からよく遊びに来ていた。
「亮太は仕事で来れないって」
「そうかい。……あの子も色々大変だからね、仕方がない」
「立て込んでて忙しいみたい。久しぶりに村に戻ったから、一緒にあちこち見て回りたかったんだけど、しばらく後になりそう」
鈴音はロールケーキをひとくちかじる。
すると、梅婆が笑いながら自分の口元を指した。
「あんた、生クリームが付いてるよ」
「えっ」
「ほら、鏡」
梅婆ちゃんから手鏡を受け取って確認する。確かについている。
子どもみたいで恥ずかしいと、慌ててティッシュで拭く。恥ずかしさを誤魔化すように、鈴音は話を変えた。
「この鏡、綺麗だね。……あれ。この装飾って……」
「壱様の御神体を模したものさ。滅多にいけなくなったし、時間だけはあるから手を入れたんだ」
鈴音はまじまじと鏡を見た。大きさこそ違えど、御神体そっくりだ。鏡面も綺麗に磨き上げられて、よく手入れがされている。
「……あれ?」
鈴音はふいに違和感を覚えた。だが、その正体を掴む前に、梅婆が鏡を取り上げる。
「鏡に見入ってはいけないよ。鏡ってのはありのままの映すものでもあるが、どんなに現実に似ていても、そこにあるものは虚幻だからね」
梅婆は鏡をしまうと、鈴音に「もっと食べなさい」と菓子を勧めた。
「ありがたいけど、そんなに食べたら太っちゃうよ」
「あんた、よく歩き回るから大丈夫さ。壱様の参道は運動量も多いだろう」
「壱様のところはしばらく行けないんだ」
「どうしてだい?」
「道が荒れてて危ないからって」
鈴音は亮太に言われたことを簡単に話した。
「だから、数年は壱様のところに行けないかも」
進学で村を離れてからも、帰省する度に壱様に挨拶をしていた。数年も参拝しないのは初めてのことだ。
「……もしかして、山道が荒れたのって、私が正月帰省できなかったから? だから、壱様の力も弱って、あのあたりが荒れちゃったのかな」
壱様は水の神だ。山やこの付近の水を司っており、壱様のおかげで長年土砂崩れなどを防げたと言われていた。なのに、山が荒れてしまった。
それは、壱様の力が弱ってしまったせいではないだろうか。
「お堂とかって、長年誰も来なくなると神様の力が弱くなってしまうんだよね?」
「壱様の力は選んだ人間の信心が源だ。たとえ参拝できなくとも、あんたらが壱様を信じていれば問題ない。……だが、最近壱様は大きな力を使われることがあったからね、土砂崩れはそのせいだろう」
梅婆は熱いお茶を一口飲むと、しげしげと鈴音を見やった。
「あんたは本当に壱様を大切にしてくれているね」
「だって、壱様はずっと私たちの村を守ってくれていたから。平和に暮らせていたのも壱様のおかげだし」
「信心深い子だ。そんなあんたなら、壱様は願いを叶えてくれるだろう」
――壱様を信仰し、丁重に祀れば、壱様が願いを叶えてくれるよ。
梅婆は昔からよくそう言っていた。
幼かった鈴音と亮太はそれを信じ、毎日のようにお堂に通って掃除をしたものだ。特に御神体である鏡は丁寧に磨き上げた。
「それなら、山道を通れるようにしてほしいな」
「おや。もっと個人的な願いはないのかい?」
「思いつかないよ。亮太と一緒になれて幸せだから」
一番叶えてほしい願いが叶っている鈴音には他に願い事はなかった。
「梅婆ちゃんは壱様に願い事したことあるの?」
「ないね」
「即答だね」
「まあ、あたしはただ毎日平和に過ごせればそれで良かったからね。壱様のおかげで災害や飢饉には無縁だったし」
梅婆は饅頭をひとつ頬張る。
鈴音は内心首を傾げた。彼女はあんこが嫌いだったはずだ。いつの間にか好きになったのだろうか。
梅婆は饅頭を食べ終えると、鈴音を見た。
「鈴音。あんたにひとつ、面白い話をしてあげよう。なに、壱様のことだよ。……壱様が祀られるようになったのは、今から三百年前のことでね」
壱様は生前、ただの村娘だった。ある年、異様な降水量のせいで川や雨が荒れて村に大きな損害をもたらした。
多くの人名も失われ、村は生贄を捧げることにした。病弱なひとりの男に白羽の矢が立てられた。それは壱様の好きな男だった。
「だから、壱様は自分が身代わりになることを選んだのさ。彼女は身寄りがなかったからね、すぐに壱様が生贄となった」
壱様が荒れ狂う川に飛び込んだ翌日、雨は止んだ。人々は壱様を水神様だと讃え、山の上にお堂を作って祀った。
「それ以来、この地域では水害や日照りに悩むことはなくなったのさ」
話し終え、梅婆は再び湯呑みに口をつけた。
鈴音は困惑しながら、問いかけた。
「壱様って、人間だったの……?」
そんな話、聞いたことない。梅婆は『長年村で祀られてきた水神様』としか言ってなかったのに。
「そうさ。長い年月の間にすっかり忘れ去られてしまった」
「……生贄になった上に、ずっと村を守り続けるのってつらくないのかな」
「どうだろうね。……でも、愛した男やその子孫を守れてるのはそう悪くないと思うよ」
「そっか……そうかもね」
もし、と鈴音は思う。
亮太や亮太の子どもたちを守れるなら。鈴音も壱様と同じ選択をするのかもしれない。
鈴音の顔を見るなり、梅婆は矢継ぎ早に捲し立てた。
相変わらずだなと鈴音は微笑む。
「久しぶり、梅婆ちゃん。正月は仕事で帰れなかったから、会ったのは去年の夏だね。髪も思い切って切ったんだ。近所に腕の良い美容師さんがいたから、そこに通ってるの」
「いいことだ。ここら辺は美容院すらないからねぇ……。それより、鈴音、お腹は減ってないかい? あんたが好きそうなお菓子があるんだよ」
梅婆はたんまりとお菓子をテーブルの上に並べた。お堂に行けない代わりに、梅婆は自宅に神棚を作りよく壱様にお供え物をしていたため、いつも家にはお菓子を常備していた。
一緒にお菓子をつまみながら、ふたりは世間話に興じる。
独身で長年ひとり暮らしをしている梅婆は鈴音や涼太を自分の孫のように可愛がってくれた。ふたりにとっても梅婆は祖母のような存在で、幼い頃からよく遊びに来ていた。
「亮太は仕事で来れないって」
「そうかい。……あの子も色々大変だからね、仕方がない」
「立て込んでて忙しいみたい。久しぶりに村に戻ったから、一緒にあちこち見て回りたかったんだけど、しばらく後になりそう」
鈴音はロールケーキをひとくちかじる。
すると、梅婆が笑いながら自分の口元を指した。
「あんた、生クリームが付いてるよ」
「えっ」
「ほら、鏡」
梅婆ちゃんから手鏡を受け取って確認する。確かについている。
子どもみたいで恥ずかしいと、慌ててティッシュで拭く。恥ずかしさを誤魔化すように、鈴音は話を変えた。
「この鏡、綺麗だね。……あれ。この装飾って……」
「壱様の御神体を模したものさ。滅多にいけなくなったし、時間だけはあるから手を入れたんだ」
鈴音はまじまじと鏡を見た。大きさこそ違えど、御神体そっくりだ。鏡面も綺麗に磨き上げられて、よく手入れがされている。
「……あれ?」
鈴音はふいに違和感を覚えた。だが、その正体を掴む前に、梅婆が鏡を取り上げる。
「鏡に見入ってはいけないよ。鏡ってのはありのままの映すものでもあるが、どんなに現実に似ていても、そこにあるものは虚幻だからね」
梅婆は鏡をしまうと、鈴音に「もっと食べなさい」と菓子を勧めた。
「ありがたいけど、そんなに食べたら太っちゃうよ」
「あんた、よく歩き回るから大丈夫さ。壱様の参道は運動量も多いだろう」
「壱様のところはしばらく行けないんだ」
「どうしてだい?」
「道が荒れてて危ないからって」
鈴音は亮太に言われたことを簡単に話した。
「だから、数年は壱様のところに行けないかも」
進学で村を離れてからも、帰省する度に壱様に挨拶をしていた。数年も参拝しないのは初めてのことだ。
「……もしかして、山道が荒れたのって、私が正月帰省できなかったから? だから、壱様の力も弱って、あのあたりが荒れちゃったのかな」
壱様は水の神だ。山やこの付近の水を司っており、壱様のおかげで長年土砂崩れなどを防げたと言われていた。なのに、山が荒れてしまった。
それは、壱様の力が弱ってしまったせいではないだろうか。
「お堂とかって、長年誰も来なくなると神様の力が弱くなってしまうんだよね?」
「壱様の力は選んだ人間の信心が源だ。たとえ参拝できなくとも、あんたらが壱様を信じていれば問題ない。……だが、最近壱様は大きな力を使われることがあったからね、土砂崩れはそのせいだろう」
梅婆は熱いお茶を一口飲むと、しげしげと鈴音を見やった。
「あんたは本当に壱様を大切にしてくれているね」
「だって、壱様はずっと私たちの村を守ってくれていたから。平和に暮らせていたのも壱様のおかげだし」
「信心深い子だ。そんなあんたなら、壱様は願いを叶えてくれるだろう」
――壱様を信仰し、丁重に祀れば、壱様が願いを叶えてくれるよ。
梅婆は昔からよくそう言っていた。
幼かった鈴音と亮太はそれを信じ、毎日のようにお堂に通って掃除をしたものだ。特に御神体である鏡は丁寧に磨き上げた。
「それなら、山道を通れるようにしてほしいな」
「おや。もっと個人的な願いはないのかい?」
「思いつかないよ。亮太と一緒になれて幸せだから」
一番叶えてほしい願いが叶っている鈴音には他に願い事はなかった。
「梅婆ちゃんは壱様に願い事したことあるの?」
「ないね」
「即答だね」
「まあ、あたしはただ毎日平和に過ごせればそれで良かったからね。壱様のおかげで災害や飢饉には無縁だったし」
梅婆は饅頭をひとつ頬張る。
鈴音は内心首を傾げた。彼女はあんこが嫌いだったはずだ。いつの間にか好きになったのだろうか。
梅婆は饅頭を食べ終えると、鈴音を見た。
「鈴音。あんたにひとつ、面白い話をしてあげよう。なに、壱様のことだよ。……壱様が祀られるようになったのは、今から三百年前のことでね」
壱様は生前、ただの村娘だった。ある年、異様な降水量のせいで川や雨が荒れて村に大きな損害をもたらした。
多くの人名も失われ、村は生贄を捧げることにした。病弱なひとりの男に白羽の矢が立てられた。それは壱様の好きな男だった。
「だから、壱様は自分が身代わりになることを選んだのさ。彼女は身寄りがなかったからね、すぐに壱様が生贄となった」
壱様が荒れ狂う川に飛び込んだ翌日、雨は止んだ。人々は壱様を水神様だと讃え、山の上にお堂を作って祀った。
「それ以来、この地域では水害や日照りに悩むことはなくなったのさ」
話し終え、梅婆は再び湯呑みに口をつけた。
鈴音は困惑しながら、問いかけた。
「壱様って、人間だったの……?」
そんな話、聞いたことない。梅婆は『長年村で祀られてきた水神様』としか言ってなかったのに。
「そうさ。長い年月の間にすっかり忘れ去られてしまった」
「……生贄になった上に、ずっと村を守り続けるのってつらくないのかな」
「どうだろうね。……でも、愛した男やその子孫を守れてるのはそう悪くないと思うよ」
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