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4話 幸せな日常と忍び寄る悪夢
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電気ケトルがカチッと音を立てて沸騰を告げる。鈴音は用意していたふたつのコップにお湯を入れてコーヒーを作った。
「おはよう。いい匂いだね」
背後から声をかけてきた亮太に、朝の挨拶をしてコーヒーを渡す。
朝食の前に一緒にコーヒーを飲むのが、ふたりの日課だった。
鈴音にはコーヒーを飲む習慣はなかった。嫌いではないけれど、積極的に飲むほど好きでもなかったからだ。
だが、亮太と暮らし始めてから一緒に飲んでいるうちに好きになり、朝のコーヒーを淹れるようにまでなっていた。
こうして好きな人の影響を受けて変わっていくのは良いものだ。苦味を楽しみながらそう思う。
「鈴ちゃん? おーい。聞いてる?」
「え……あ。ごめん。なんだっけ?」
亮太は「その様子だと全然聞いてなかったね」と苦笑した。
「たいしたことじゃないんだ。……ただ、幸せだなと思って」
「……ふふ」
「? 僕、変なこと言った?」
「ううん。私も同じようなこと考えてたから。私も今、幸せだよ」
「……そっか」
亮太が微笑んだ。どこか切なさの滲んだ表情に、鈴音は違和感を持つ。
けれど、それを尋ねる前に、亮太が問いかけた。
「鈴ちゃんが出かけるのって、来週の金曜日だっけ?」
「そうだよ。友達と食事会。頼んでいたウェルカムボードができたから」
ハンドメイドが得意な友人が是非作りたいと申し出てくれたのだ。すごいものを作るからと張り切っていたから、完成するのを心待ちにしていた。
「帰る時に夕飯買ってくるよ。駅前に新しく出来たカレー屋さん、気になってたでしょ? あそこテイクアウトもあるから」
「鈴ちゃん。流石に日帰りで帰ってくるのは無理だと思うよ。僕ら、引っ越したから」
「……あ。そうだった」
まだ引っ越ししたばかりのせいか、どうも街にいた時の感覚が抜けきらない。
「一泊二日で楽しんでおいでよ。カレー……はちょっと怖いから、お土産はお菓子がいいな」
「とびきり甘いの選んでくるね。コーヒーに合いそうなやつ」
「ありがとう、楽しみにしてる」
そんな風に、日々を過ごした。
実家だっため生活にもすぐに慣れ、穏やかな日々を送っていた。
喧騒が聞こえる。たくさんの人でごった返した街中を、鈴音は亮太と一緒に歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えーー
「鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」
誰かが、自分の名を呼んでいる。ひどく切迫した様子だ。
鈴音が目を開くと、亮太が険しい顔を覗き込んでいた。
「鈴ちゃん! よかった、起きたんだね……」
ほっとした様子で、亮太が表情を和らげた。その目尻には涙が浮かんでいる。
「亮太……?」
「……鈴ちゃん、うなされてたから。怖い夢でも見てるんじゃないかって、思って」
「うん。……悪夢見てたかも。本当にあったことじゃないかってくらいリアルで……なんか、街にいたの。亮太と一緒に。それで、横断歩道を歩いてて……」
「ーー鈴ちゃん。悪い夢は思い出さない方がいいよ」
鈴音は顔を上げた。
まただ。また、亮太に言葉を遮られた。
だが、亮太はこれまでと違い、泣きそうな顔をしていた。心配して言ってくれているのだろう。
「そうだね……。ありがとう、亮太。もう大丈夫だよ」
「……うん」
亮太は泣きそうに顔を歪めると、鈴音を抱きしめた。
鈴音は困惑するが、縋り付くように自身を抱きしめる亮太に何も言えず、ただ慰めるように彼の背中を撫でた。
最近、亮太の情緒が不安定な気がする。マリッジブルーなのだろうか。男性でもなる人はいると聞く。
どうするべきかと考えながら、鈴音は震える亮太を慰め続けた。
亮太はしばらくして普段通りに戻った。だが、鈴音は安心できなかった。
今は落ち着いているだけでまた不安定になるのかもしれない。カウンセリングなどを受けられればいいが、この近辺にはない。
それに、亮太に薦めても自分は平気だと断られるかもしれない。子供の頃は泣き虫だったのに、中学生くらいからは鈴音に弱みを見せなくなったから。
「……壱様なら、なんとかできるのかな」
亮太がなんの憂いもなく過ごせますように。そう願ったら、叶えてくれるだろうか。
お堂への道は危険だと亮太は言っていた。だが、鈴音はおぼろげな意識でも自分の足で帰ってこられた。
亮太はちょっと大げさに言っているだけかもしれない。
山道を確認して、通れそうだったらそのまま進んで、無理そうだったら引き返そう。
鈴音が意気込んで山道に入ろうとした時だった。
「――何してるの?」
「おはよう。いい匂いだね」
背後から声をかけてきた亮太に、朝の挨拶をしてコーヒーを渡す。
朝食の前に一緒にコーヒーを飲むのが、ふたりの日課だった。
鈴音にはコーヒーを飲む習慣はなかった。嫌いではないけれど、積極的に飲むほど好きでもなかったからだ。
だが、亮太と暮らし始めてから一緒に飲んでいるうちに好きになり、朝のコーヒーを淹れるようにまでなっていた。
こうして好きな人の影響を受けて変わっていくのは良いものだ。苦味を楽しみながらそう思う。
「鈴ちゃん? おーい。聞いてる?」
「え……あ。ごめん。なんだっけ?」
亮太は「その様子だと全然聞いてなかったね」と苦笑した。
「たいしたことじゃないんだ。……ただ、幸せだなと思って」
「……ふふ」
「? 僕、変なこと言った?」
「ううん。私も同じようなこと考えてたから。私も今、幸せだよ」
「……そっか」
亮太が微笑んだ。どこか切なさの滲んだ表情に、鈴音は違和感を持つ。
けれど、それを尋ねる前に、亮太が問いかけた。
「鈴ちゃんが出かけるのって、来週の金曜日だっけ?」
「そうだよ。友達と食事会。頼んでいたウェルカムボードができたから」
ハンドメイドが得意な友人が是非作りたいと申し出てくれたのだ。すごいものを作るからと張り切っていたから、完成するのを心待ちにしていた。
「帰る時に夕飯買ってくるよ。駅前に新しく出来たカレー屋さん、気になってたでしょ? あそこテイクアウトもあるから」
「鈴ちゃん。流石に日帰りで帰ってくるのは無理だと思うよ。僕ら、引っ越したから」
「……あ。そうだった」
まだ引っ越ししたばかりのせいか、どうも街にいた時の感覚が抜けきらない。
「一泊二日で楽しんでおいでよ。カレー……はちょっと怖いから、お土産はお菓子がいいな」
「とびきり甘いの選んでくるね。コーヒーに合いそうなやつ」
「ありがとう、楽しみにしてる」
そんな風に、日々を過ごした。
実家だっため生活にもすぐに慣れ、穏やかな日々を送っていた。
喧騒が聞こえる。たくさんの人でごった返した街中を、鈴音は亮太と一緒に歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えーー
「鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」
誰かが、自分の名を呼んでいる。ひどく切迫した様子だ。
鈴音が目を開くと、亮太が険しい顔を覗き込んでいた。
「鈴ちゃん! よかった、起きたんだね……」
ほっとした様子で、亮太が表情を和らげた。その目尻には涙が浮かんでいる。
「亮太……?」
「……鈴ちゃん、うなされてたから。怖い夢でも見てるんじゃないかって、思って」
「うん。……悪夢見てたかも。本当にあったことじゃないかってくらいリアルで……なんか、街にいたの。亮太と一緒に。それで、横断歩道を歩いてて……」
「ーー鈴ちゃん。悪い夢は思い出さない方がいいよ」
鈴音は顔を上げた。
まただ。また、亮太に言葉を遮られた。
だが、亮太はこれまでと違い、泣きそうな顔をしていた。心配して言ってくれているのだろう。
「そうだね……。ありがとう、亮太。もう大丈夫だよ」
「……うん」
亮太は泣きそうに顔を歪めると、鈴音を抱きしめた。
鈴音は困惑するが、縋り付くように自身を抱きしめる亮太に何も言えず、ただ慰めるように彼の背中を撫でた。
最近、亮太の情緒が不安定な気がする。マリッジブルーなのだろうか。男性でもなる人はいると聞く。
どうするべきかと考えながら、鈴音は震える亮太を慰め続けた。
亮太はしばらくして普段通りに戻った。だが、鈴音は安心できなかった。
今は落ち着いているだけでまた不安定になるのかもしれない。カウンセリングなどを受けられればいいが、この近辺にはない。
それに、亮太に薦めても自分は平気だと断られるかもしれない。子供の頃は泣き虫だったのに、中学生くらいからは鈴音に弱みを見せなくなったから。
「……壱様なら、なんとかできるのかな」
亮太がなんの憂いもなく過ごせますように。そう願ったら、叶えてくれるだろうか。
お堂への道は危険だと亮太は言っていた。だが、鈴音はおぼろげな意識でも自分の足で帰ってこられた。
亮太はちょっと大げさに言っているだけかもしれない。
山道を確認して、通れそうだったらそのまま進んで、無理そうだったら引き返そう。
鈴音が意気込んで山道に入ろうとした時だった。
「――何してるの?」
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