4 / 11
4話 幸せな日常と忍び寄る悪夢
しおりを挟む
電気ケトルがカチッと音を立てて沸騰を告げる。鈴音は用意していたふたつのコップにお湯を入れてコーヒーを作った。
「おはよう。いい匂いだね」
背後から声をかけてきた亮太に、朝の挨拶をしてコーヒーを渡す。
朝食の前に一緒にコーヒーを飲むのが、ふたりの日課だった。
鈴音にはコーヒーを飲む習慣はなかった。嫌いではないけれど、積極的に飲むほど好きでもなかったからだ。
だが、亮太と暮らし始めてから一緒に飲んでいるうちに好きになり、朝のコーヒーを淹れるようにまでなっていた。
こうして好きな人の影響を受けて変わっていくのは良いものだ。苦味を楽しみながらそう思う。
「鈴ちゃん? おーい。聞いてる?」
「え……あ。ごめん。なんだっけ?」
亮太は「その様子だと全然聞いてなかったね」と苦笑した。
「たいしたことじゃないんだ。……ただ、幸せだなと思って」
「……ふふ」
「? 僕、変なこと言った?」
「ううん。私も同じようなこと考えてたから。私も今、幸せだよ」
「……そっか」
亮太が微笑んだ。どこか切なさの滲んだ表情に、鈴音は違和感を持つ。
けれど、それを尋ねる前に、亮太が問いかけた。
「鈴ちゃんが出かけるのって、来週の金曜日だっけ?」
「そうだよ。友達と食事会。頼んでいたウェルカムボードができたから」
ハンドメイドが得意な友人が是非作りたいと申し出てくれたのだ。すごいものを作るからと張り切っていたから、完成するのを心待ちにしていた。
「帰る時に夕飯買ってくるよ。駅前に新しく出来たカレー屋さん、気になってたでしょ? あそこテイクアウトもあるから」
「鈴ちゃん。流石に日帰りで帰ってくるのは無理だと思うよ。僕ら、引っ越したから」
「……あ。そうだった」
まだ引っ越ししたばかりのせいか、どうも街にいた時の感覚が抜けきらない。
「一泊二日で楽しんでおいでよ。カレー……はちょっと怖いから、お土産はお菓子がいいな」
「とびきり甘いの選んでくるね。コーヒーに合いそうなやつ」
「ありがとう、楽しみにしてる」
そんな風に、日々を過ごした。
実家だっため生活にもすぐに慣れ、穏やかな日々を送っていた。
喧騒が聞こえる。たくさんの人でごった返した街中を、鈴音は亮太と一緒に歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えーー
「鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」
誰かが、自分の名を呼んでいる。ひどく切迫した様子だ。
鈴音が目を開くと、亮太が険しい顔を覗き込んでいた。
「鈴ちゃん! よかった、起きたんだね……」
ほっとした様子で、亮太が表情を和らげた。その目尻には涙が浮かんでいる。
「亮太……?」
「……鈴ちゃん、うなされてたから。怖い夢でも見てるんじゃないかって、思って」
「うん。……悪夢見てたかも。本当にあったことじゃないかってくらいリアルで……なんか、街にいたの。亮太と一緒に。それで、横断歩道を歩いてて……」
「ーー鈴ちゃん。悪い夢は思い出さない方がいいよ」
鈴音は顔を上げた。
まただ。また、亮太に言葉を遮られた。
だが、亮太はこれまでと違い、泣きそうな顔をしていた。心配して言ってくれているのだろう。
「そうだね……。ありがとう、亮太。もう大丈夫だよ」
「……うん」
亮太は泣きそうに顔を歪めると、鈴音を抱きしめた。
鈴音は困惑するが、縋り付くように自身を抱きしめる亮太に何も言えず、ただ慰めるように彼の背中を撫でた。
最近、亮太の情緒が不安定な気がする。マリッジブルーなのだろうか。男性でもなる人はいると聞く。
どうするべきかと考えながら、鈴音は震える亮太を慰め続けた。
亮太はしばらくして普段通りに戻った。だが、鈴音は安心できなかった。
今は落ち着いているだけでまた不安定になるのかもしれない。カウンセリングなどを受けられればいいが、この近辺にはない。
それに、亮太に薦めても自分は平気だと断られるかもしれない。子供の頃は泣き虫だったのに、中学生くらいからは鈴音に弱みを見せなくなったから。
「……壱様なら、なんとかできるのかな」
亮太がなんの憂いもなく過ごせますように。そう願ったら、叶えてくれるだろうか。
お堂への道は危険だと亮太は言っていた。だが、鈴音はおぼろげな意識でも自分の足で帰ってこられた。
亮太はちょっと大げさに言っているだけかもしれない。
山道を確認して、通れそうだったらそのまま進んで、無理そうだったら引き返そう。
鈴音が意気込んで山道に入ろうとした時だった。
「――何してるの?」
「おはよう。いい匂いだね」
背後から声をかけてきた亮太に、朝の挨拶をしてコーヒーを渡す。
朝食の前に一緒にコーヒーを飲むのが、ふたりの日課だった。
鈴音にはコーヒーを飲む習慣はなかった。嫌いではないけれど、積極的に飲むほど好きでもなかったからだ。
だが、亮太と暮らし始めてから一緒に飲んでいるうちに好きになり、朝のコーヒーを淹れるようにまでなっていた。
こうして好きな人の影響を受けて変わっていくのは良いものだ。苦味を楽しみながらそう思う。
「鈴ちゃん? おーい。聞いてる?」
「え……あ。ごめん。なんだっけ?」
亮太は「その様子だと全然聞いてなかったね」と苦笑した。
「たいしたことじゃないんだ。……ただ、幸せだなと思って」
「……ふふ」
「? 僕、変なこと言った?」
「ううん。私も同じようなこと考えてたから。私も今、幸せだよ」
「……そっか」
亮太が微笑んだ。どこか切なさの滲んだ表情に、鈴音は違和感を持つ。
けれど、それを尋ねる前に、亮太が問いかけた。
「鈴ちゃんが出かけるのって、来週の金曜日だっけ?」
「そうだよ。友達と食事会。頼んでいたウェルカムボードができたから」
ハンドメイドが得意な友人が是非作りたいと申し出てくれたのだ。すごいものを作るからと張り切っていたから、完成するのを心待ちにしていた。
「帰る時に夕飯買ってくるよ。駅前に新しく出来たカレー屋さん、気になってたでしょ? あそこテイクアウトもあるから」
「鈴ちゃん。流石に日帰りで帰ってくるのは無理だと思うよ。僕ら、引っ越したから」
「……あ。そうだった」
まだ引っ越ししたばかりのせいか、どうも街にいた時の感覚が抜けきらない。
「一泊二日で楽しんでおいでよ。カレー……はちょっと怖いから、お土産はお菓子がいいな」
「とびきり甘いの選んでくるね。コーヒーに合いそうなやつ」
「ありがとう、楽しみにしてる」
そんな風に、日々を過ごした。
実家だっため生活にもすぐに慣れ、穏やかな日々を送っていた。
喧騒が聞こえる。たくさんの人でごった返した街中を、鈴音は亮太と一緒に歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えーー
「鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」
誰かが、自分の名を呼んでいる。ひどく切迫した様子だ。
鈴音が目を開くと、亮太が険しい顔を覗き込んでいた。
「鈴ちゃん! よかった、起きたんだね……」
ほっとした様子で、亮太が表情を和らげた。その目尻には涙が浮かんでいる。
「亮太……?」
「……鈴ちゃん、うなされてたから。怖い夢でも見てるんじゃないかって、思って」
「うん。……悪夢見てたかも。本当にあったことじゃないかってくらいリアルで……なんか、街にいたの。亮太と一緒に。それで、横断歩道を歩いてて……」
「ーー鈴ちゃん。悪い夢は思い出さない方がいいよ」
鈴音は顔を上げた。
まただ。また、亮太に言葉を遮られた。
だが、亮太はこれまでと違い、泣きそうな顔をしていた。心配して言ってくれているのだろう。
「そうだね……。ありがとう、亮太。もう大丈夫だよ」
「……うん」
亮太は泣きそうに顔を歪めると、鈴音を抱きしめた。
鈴音は困惑するが、縋り付くように自身を抱きしめる亮太に何も言えず、ただ慰めるように彼の背中を撫でた。
最近、亮太の情緒が不安定な気がする。マリッジブルーなのだろうか。男性でもなる人はいると聞く。
どうするべきかと考えながら、鈴音は震える亮太を慰め続けた。
亮太はしばらくして普段通りに戻った。だが、鈴音は安心できなかった。
今は落ち着いているだけでまた不安定になるのかもしれない。カウンセリングなどを受けられればいいが、この近辺にはない。
それに、亮太に薦めても自分は平気だと断られるかもしれない。子供の頃は泣き虫だったのに、中学生くらいからは鈴音に弱みを見せなくなったから。
「……壱様なら、なんとかできるのかな」
亮太がなんの憂いもなく過ごせますように。そう願ったら、叶えてくれるだろうか。
お堂への道は危険だと亮太は言っていた。だが、鈴音はおぼろげな意識でも自分の足で帰ってこられた。
亮太はちょっと大げさに言っているだけかもしれない。
山道を確認して、通れそうだったらそのまま進んで、無理そうだったら引き返そう。
鈴音が意気込んで山道に入ろうとした時だった。
「――何してるの?」
1
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
離れて後悔するのは、あなたの方
翠月るるな
恋愛
順風満帆だったはずの凛子の人生。それがいつしか狂い始める──緩やかに、転がるように。
岡本財閥が経営する会社グループのひとつに、 医療に長けた会社があった。その中の遺伝子調査部門でコウノトリプロジェクトが始まる。
財閥の跡取り息子である岡本省吾は、いち早くそのプロジェクトを利用し、もっとも遺伝的に相性の良いとされた日和凛子を妻とした。
だが、その結婚は彼女にとって良い選択ではなかった。
結婚してから粗雑な扱いを受ける凛子。夫の省吾に見え隠れする女の気配……相手が分かっていながら、我慢する日々。
しかしそれは、一つの計画の為だった。
そう。彼女が残した最後の贈り物(プレゼント)、それを知った省吾の後悔とは──とあるプロジェクトに翻弄された人々のストーリー。
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる