7 / 11
7話 虚幻
しおりを挟む
街は平日でも人で賑わっていた。
共に有給をとった鈴音と亮太は、はぐれないように手を繋いで歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
ウェディングドレスの試着を終えた鈴音は、ご機嫌だった。
結婚式の準備も着々と進んでおり、籍も無事に入れることができた。新居のマンションには来週引っ越し予定だ。
すべてが順調だった。幸せを噛み締めながら、鈴音は横断歩道の前に立つ。
車通りの多い場所で、なかなか信号は青にならない。ここは直線上の道のためか、時々スピードを出す車も多く、ひやりとする場面を目撃したこともあった。
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えた。
「――鈴ちゃん!」
亮太の叫び声。迫りくる車。強い衝撃が体に走った。
何が起きたかわからない鈴音の視界に、真っ赤な血が広がっていく。
目が覚めた時、鈴音は不思議と冷静だった。
どこかで分かっていたからかもしれない。今の幸せな日々が、虚幻であることを。
先程見た夢を反芻する。ひどく生々しい夢だった。
いいや。あれは夢ではない。過去の記憶だ。
あの悲劇は実際に起こったものだと、鈴音は確信している。
あの時、自分は車に引かれて死んだのだろう。ひどい出血量だった。あれでは助からないだろう。
それなら、何故自分はここに存在しているのだろう。
思いつく理由はひとつしかない。
――壱様だ。
壱様が、亮太の願いを叶えたのだ。
きっと、彼は鈴音と一緒にいたいと願ったのだろう。鈴音の死を受け入れられず、迎えるはずだった未来を望んだ。
死者は生き返らないのがこの世の理だ。無理に捻じ曲げれば、歪みが生じる。
亮太が不安定になっているのもそのせいだろう。
自分は既に死んでいる。亮太を苦しめてまで、傍にいてはならない。どんなに亮太と一緒にいたいと願っていたとしても。
鈴音はじっとしていられず、起き上がった。
「――鈴ちゃん?」
かけられた声に、びくりと体が震えた。
「大丈夫? 顔色が悪いけど……」
隣で眠っていた亮太が心配そうに鈴音を見ている。労るような声音だが、その目は注意深く鈴音の様子を伺っている。
亮太に、過去を思い出したことをバレてはいけない。そう直感した。
「ちょっと怖い夢見て。ほら、この前見たホラー映画のやつ。あれが夢に出てきて……」
「ああ、あのかなり怖かったやつ? 鈴ちゃん、あのあとコメディ映画見まくって忘れようとしてたね」
「そうそう。まさか夢に出てくるなんて思わなくて……」
しばらく雑談をし、朝になるまでもう一眠りしようと再び就寝した。
次に目を覚ました時には、亮太はいつも通りに戻っていた。鈴音も何事もなかったかのように振る舞うことができた。
仕事の気分転換も兼ねて亮太が買い物に行くのを見届けた鈴音は、梅婆の家を訪れた。
彼女なら鈴音の疑問の答えを持っているような気がしたからだ。
「そうだね、あたしはどうしてこうなったのか知っているよ」
鈴音を迎え入れた梅婆は、鈴音の話を聞いたあと、静かに語り始めた。
「あんたの予想通り、今のこの状況は壱様によるものさ。壱様が、選んだ者の願いに応えたんだよ」
「壱様は、人を生き返らせることができるの?」
「まさか。いくらなんでもそんなことできやしない。だが、望む世界を見せてやることはできる。現実で死者と生者が共に生きることはできないが、虚幻の中なら可能なんだ」
虚幻。聞き覚えのある言葉に、鈴音は目を瞬かせた。
「ここは……鏡の中なの?」
「そう。この世界は壱様の作り上げた虚構の世界。死者の魂と生者の魂を御神体の鏡に取り込んだのさ」
「生者の魂って……その間、肉体はどうなってるの?」
「眠っているよ。ただ、いつまでもそのままだと、やがて死ぬだろうけどね」
「そんな……!」
鈴音は血の気が引くのを感じた。自分のせいで亮太が死ぬなど、絶対に嫌だ。
「生者本人が望んだことだ。それに、好きな者同士一緒にいれるなら、いいことじゃないか」
「いいわけない! どうにか……どうにかできないの?」
梅婆はじっと鈴音を見つめた。今の幸せを失ってまで叶えたいのかと問われている気がした。
しばらく無言で見つめ合ったあと、梅婆は重い口を開いた。
「なら、御神体を壊すんだ」
共に有給をとった鈴音と亮太は、はぐれないように手を繋いで歩いていた。
「ウェディングドレス、やっぱりあれにして良かった」
「すごく似合ってたね。式が楽しみだよ」
ウェディングドレスの試着を終えた鈴音は、ご機嫌だった。
結婚式の準備も着々と進んでおり、籍も無事に入れることができた。新居のマンションには来週引っ越し予定だ。
すべてが順調だった。幸せを噛み締めながら、鈴音は横断歩道の前に立つ。
車通りの多い場所で、なかなか信号は青にならない。ここは直線上の道のためか、時々スピードを出す車も多く、ひやりとする場面を目撃したこともあった。
信号が青になる。鈴音たちは横断歩道を渡り始めた。
だが、その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
鈴音は顔を上げる。一台の車が、猛スピードでこちらに近づいてくるのが見えた。
「――鈴ちゃん!」
亮太の叫び声。迫りくる車。強い衝撃が体に走った。
何が起きたかわからない鈴音の視界に、真っ赤な血が広がっていく。
目が覚めた時、鈴音は不思議と冷静だった。
どこかで分かっていたからかもしれない。今の幸せな日々が、虚幻であることを。
先程見た夢を反芻する。ひどく生々しい夢だった。
いいや。あれは夢ではない。過去の記憶だ。
あの悲劇は実際に起こったものだと、鈴音は確信している。
あの時、自分は車に引かれて死んだのだろう。ひどい出血量だった。あれでは助からないだろう。
それなら、何故自分はここに存在しているのだろう。
思いつく理由はひとつしかない。
――壱様だ。
壱様が、亮太の願いを叶えたのだ。
きっと、彼は鈴音と一緒にいたいと願ったのだろう。鈴音の死を受け入れられず、迎えるはずだった未来を望んだ。
死者は生き返らないのがこの世の理だ。無理に捻じ曲げれば、歪みが生じる。
亮太が不安定になっているのもそのせいだろう。
自分は既に死んでいる。亮太を苦しめてまで、傍にいてはならない。どんなに亮太と一緒にいたいと願っていたとしても。
鈴音はじっとしていられず、起き上がった。
「――鈴ちゃん?」
かけられた声に、びくりと体が震えた。
「大丈夫? 顔色が悪いけど……」
隣で眠っていた亮太が心配そうに鈴音を見ている。労るような声音だが、その目は注意深く鈴音の様子を伺っている。
亮太に、過去を思い出したことをバレてはいけない。そう直感した。
「ちょっと怖い夢見て。ほら、この前見たホラー映画のやつ。あれが夢に出てきて……」
「ああ、あのかなり怖かったやつ? 鈴ちゃん、あのあとコメディ映画見まくって忘れようとしてたね」
「そうそう。まさか夢に出てくるなんて思わなくて……」
しばらく雑談をし、朝になるまでもう一眠りしようと再び就寝した。
次に目を覚ました時には、亮太はいつも通りに戻っていた。鈴音も何事もなかったかのように振る舞うことができた。
仕事の気分転換も兼ねて亮太が買い物に行くのを見届けた鈴音は、梅婆の家を訪れた。
彼女なら鈴音の疑問の答えを持っているような気がしたからだ。
「そうだね、あたしはどうしてこうなったのか知っているよ」
鈴音を迎え入れた梅婆は、鈴音の話を聞いたあと、静かに語り始めた。
「あんたの予想通り、今のこの状況は壱様によるものさ。壱様が、選んだ者の願いに応えたんだよ」
「壱様は、人を生き返らせることができるの?」
「まさか。いくらなんでもそんなことできやしない。だが、望む世界を見せてやることはできる。現実で死者と生者が共に生きることはできないが、虚幻の中なら可能なんだ」
虚幻。聞き覚えのある言葉に、鈴音は目を瞬かせた。
「ここは……鏡の中なの?」
「そう。この世界は壱様の作り上げた虚構の世界。死者の魂と生者の魂を御神体の鏡に取り込んだのさ」
「生者の魂って……その間、肉体はどうなってるの?」
「眠っているよ。ただ、いつまでもそのままだと、やがて死ぬだろうけどね」
「そんな……!」
鈴音は血の気が引くのを感じた。自分のせいで亮太が死ぬなど、絶対に嫌だ。
「生者本人が望んだことだ。それに、好きな者同士一緒にいれるなら、いいことじゃないか」
「いいわけない! どうにか……どうにかできないの?」
梅婆はじっと鈴音を見つめた。今の幸せを失ってまで叶えたいのかと問われている気がした。
しばらく無言で見つめ合ったあと、梅婆は重い口を開いた。
「なら、御神体を壊すんだ」
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
離れて後悔するのは、あなたの方
翠月るるな
恋愛
順風満帆だったはずの凛子の人生。それがいつしか狂い始める──緩やかに、転がるように。
岡本財閥が経営する会社グループのひとつに、 医療に長けた会社があった。その中の遺伝子調査部門でコウノトリプロジェクトが始まる。
財閥の跡取り息子である岡本省吾は、いち早くそのプロジェクトを利用し、もっとも遺伝的に相性の良いとされた日和凛子を妻とした。
だが、その結婚は彼女にとって良い選択ではなかった。
結婚してから粗雑な扱いを受ける凛子。夫の省吾に見え隠れする女の気配……相手が分かっていながら、我慢する日々。
しかしそれは、一つの計画の為だった。
そう。彼女が残した最後の贈り物(プレゼント)、それを知った省吾の後悔とは──とあるプロジェクトに翻弄された人々のストーリー。
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる