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6話
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シャーロットはその日から机にかじりついた。レオナルドの家から借りてきた本を片っ端から読みあさったが、彼の事象に類似したものは見つからない。
「あとはこの本だけね……」
シャーロットは怪奇集を手に取った。一番参考になりそうな本だが、何故か読む気にはなれなかったのだ。だが、他の本を読み終えた今、これ以上は避けて通れないだろう。
憂鬱な気持ちでページを開くと、窓がコツンと音を立てる。視線を向けると、そこには青い小鳥がいた。
小鳥はつぶらな目でシャーロットを見つめている。鈴の音のような鳴き声を上げて、もう一度窓を叩いた。
「可愛いお客様ね。何か御用かしら?」
愛らしい小鳥に微笑みながらシャーロットが窓に近づくと、小鳥は飛び立った。少し残念な気持ちになりながら、遠くなっていくその姿を眺める。
あっという間に小鳥が消えていった快晴の空は美しい青をたたえている。数日引きこもった身には眩しいくらいだ。風もないのか、他の鳥たちが楽しそうに飛び回っている。
「いい天気……たまには、外で読書するのもいいかもしれないわね」
シャーロットは本を手に取ると、別室で控えていたメアリーに外出の用意を頼んだ。
天気がいいからか、公園は人で賑わっていた。あちらで子どもたちが駆け回っているかと思えば、こちらで貴婦人たちがお喋りに興じている。
「あの方々は……」
並んで歩いている貴婦人たちには見覚えがあった。お茶会での悲惨な記憶が蘇り、シャーロットは固まる。
恐怖で動けないシャーロットに気づかず、彼女たちは去っていった。ガーデンの方向へ行ったので、そこで花を見ながら談笑でもするのだろう。
シャーロットは気持ちを切り替えるため、息を吐く。そして心配そうにしているメアリーに何でもないかのように微笑むと、目的地へと向かった。
辿り着いたのは湖だった。季節の彩りが美しいガーデンは賑わっているが、緑生い茂るここは人々の関心を引きにくいのか閑静だった。
近くのベンチに腰掛け、メアリーに日傘を渡して本を手にする。開放的な場所だからか、先ほどとは違い、ページを巡る手は軽かった。
怪奇集は荒唐無稽とも思われる話が多かった。淑女が好む恋愛小説では考えられないおどろおどろしい話もある。けれど、シャーロットには触れたことのない世界で興味深かった。
シャーロットは本に集中していた。だから、声をかけられるまで人が近づいたことにも気が付かなかった。
「あら。どなたかと思えば、グレイス男爵令嬢じゃありませんこと」
アクセントの綺麗な落ち着いた声が響く。聞き覚えのあるそれにシャーロットは顔を上げた。
「オルコット伯爵夫人……!」
透き通るような白い肌に映える艷やかな黒髪を持つ夫人がシャーロットを見下ろしている。華奢な体なのに放つ存在感は強く、たとえ彼女がみすぼらしい服を着ていたとしても貴族だと一目でわかるだろう。
シャーロットは慌てて立ち上がった。弾みで本を落としそうになり、抱きかかえる。みっともない姿を晒してしまって恥ずかしさがこみ上げるが、背筋を伸ばした微笑みを浮かべた。
「お久しぶりでございます。先日は招待していただき、ありがとうございました。とても素敵なお茶会でしたわ」
参加者はともかく、お茶やお菓子は一流のものだった。オルコット伯爵夫人も凛とした美しい人で、シャーロットをひとりの貴族令嬢として扱ってくれた。おかげで、参加者も夫人の前ではシャーロットに当たり障りなく接したのだ。夫人が席を外した時はひどいものであったが。
軽い世間話をして終わりかと思ったが、オルコット伯爵夫人はシャーロットの手元を見て、目を細めた。
「あなた……読書をしていたのね。本はお好き?」
「は、はいっ、好きです」
「そう」
上品に笑うと、夫人は別れの挨拶をして立ち去った。彼女の向かう先に、先ほど見かけた貴婦人たちの姿がある。会う約束でもしていたのかもしれない。
「いつ見てもお美しい方ですね。まさに、貴婦人って感じです」
「そうね……ほんとうに素敵な方よね」
予想もしていなかった人物との邂逅に気を取られ、その後の読書は捗らず、早めに帰宅することになった。
その非常事態はオルコット夫人と会った四日後に訪れた。グレイス家に、一通の美しい封筒が届いたのだ。
封蝋の印章を見てシャーロットは驚いた。オルコット家のものだったからだ。
頭をよぎるのは公園での出来事だ。つつがなく交流できたと思っていたのだが、何か失礼なことでもあったのだろうかと戦々恐々としながら、封を切る。
中身は招待状だった。来週頭に少人数でのお茶会を開催するので来ないかというものだ。
格上の伯爵家からの誘いだ、参加以外の選択はない。シャーロットはすぐに出席の返事を書くと、オルコット家に届けるようメアリーに頼んだ。
メアリーが退席したのを確認すると、シャーロットは頭を抱えた。何故、自分がお茶会に呼ばれたのかわからない。オルコット婦人のことだから、他の貴婦人たちのような陰険なことはしないだろう。だが、前回は母と一緒に誘われたのに、今回はシャーロットひとりなのが気になる。
不安が渦巻くが、シャーロットは気持ちを切り替えて本日届いたもうひとつの手紙を手に取る。レオナルドからの手紙だ。まだふたりが両想いだと思っているメアリーの前ではなんとなく読みづらかった。
レオナルドはあれから二日ほど眠り続けて回復し、既に仕事にも復帰している。生活に支障がない範囲で調べ物も継続しており、こうしてシャーロットと手紙で情報交換をしている。
以前は週に二度は一緒に出かけたりお茶をしていたのに、今は文面でのやり取りしかしていない。会いたいと思うこともあるが、あの温度のない瞳に映るのが怖かった。
シャーロットに会うのを躊躇しているのか、彼の方も誘ってくれることはない。まだ病み上がりで体調が万全でなく、心配をかけたくないと配慮してくれているのかもしれない。彼は嫌いな人間にも優しくできる人だから。
「こんな状況でも新たに好きなところを知れるなんて、さすがレオナルド様だわ……」
窓際に置かれた花瓶台に目をやる。柔らかなピンク色のバラは今日レオナルドが手紙と一緒に贈ってくれたものだ。
レオナルドが初めて贈ってくれたのもバラの花だった。あの時もこうして花瓶に飾り、暇さえあれば眺めていたものだ。
今も彼を恋い慕う気持ちは変わらない。年月を経て、さらに増したくらいだ。けれど、あの頃にはなかった痛切な感情も伴うようになってしまった。
強い風が室内に吹きいる。花を散らそうとするその凶暴さに晒されながらも、繊細な花弁は揺らぐ気配も見せずただそこにあり続けた。
玄関の扉をくぐる前に、シャーロットは自分の身だしなみを確認する。服装も化粧も貴族令嬢として問題ないだろう。見送りに来た母も大丈夫だと太鼓判を押してくれた。
「オルコット伯爵夫人は寛容な方だけれど、くれぐれも失礼のないようにね」
「わかってますわ、お母様。グレイス家の恥とならないよう、しっかりと役目を果たしてまいります」
そう意気込んでオルコット家に来たのはいいものの、シャーロットは早々に怖気づいてしまった。
「あの……他の方はまだいらしてないんでしょうか?」
色彩豊かなガーデンに設えられたテーブルまで案内されたシャーロットは目の前のオルコット伯爵夫人に困惑の視線を向けた。これが愚問なのは自覚していた。なぜなら、二人分の座席しか用意されていなかったのだから。
「いいえ。今日はあなたしか呼んでいないの。ふたりきりでお話したかったのよ。……さあ、座って頂戴」
おずおずと席につく。前回とは違う種類の上質なお茶を出されたが、緊張のあまり、香りも味も感じられなった。
オルコット伯爵夫人はシャーロットとゆっくり話したいからと、メアリーも給仕も離れたところに待機させた。
話題は最近の天気や社交界での出来事だった。一言一句、些細な仕草も失礼のないようにと神経を張り詰める。そのせいで、喉の乾きがひどく、紅茶を口にする回数が多くなってしまう。
それに気づいた夫人が給仕にお替りの指示を出し、シャーロットに微笑んだ。
「最初に緊張を解してからの方がいいと思ったのだけれど、逆に警戒させてしまったわね」
「いえ! そんなことはありません」
「ふふ、ありがとう。もう本題に入りましょうか。……あなた、あれを持ってきて頂戴」
一体何を持ってくるのだろうかと落ち着かないシャーロットは、夫人の侍女が運んだきたそれを見て、目を見開いた。
「あとはこの本だけね……」
シャーロットは怪奇集を手に取った。一番参考になりそうな本だが、何故か読む気にはなれなかったのだ。だが、他の本を読み終えた今、これ以上は避けて通れないだろう。
憂鬱な気持ちでページを開くと、窓がコツンと音を立てる。視線を向けると、そこには青い小鳥がいた。
小鳥はつぶらな目でシャーロットを見つめている。鈴の音のような鳴き声を上げて、もう一度窓を叩いた。
「可愛いお客様ね。何か御用かしら?」
愛らしい小鳥に微笑みながらシャーロットが窓に近づくと、小鳥は飛び立った。少し残念な気持ちになりながら、遠くなっていくその姿を眺める。
あっという間に小鳥が消えていった快晴の空は美しい青をたたえている。数日引きこもった身には眩しいくらいだ。風もないのか、他の鳥たちが楽しそうに飛び回っている。
「いい天気……たまには、外で読書するのもいいかもしれないわね」
シャーロットは本を手に取ると、別室で控えていたメアリーに外出の用意を頼んだ。
天気がいいからか、公園は人で賑わっていた。あちらで子どもたちが駆け回っているかと思えば、こちらで貴婦人たちがお喋りに興じている。
「あの方々は……」
並んで歩いている貴婦人たちには見覚えがあった。お茶会での悲惨な記憶が蘇り、シャーロットは固まる。
恐怖で動けないシャーロットに気づかず、彼女たちは去っていった。ガーデンの方向へ行ったので、そこで花を見ながら談笑でもするのだろう。
シャーロットは気持ちを切り替えるため、息を吐く。そして心配そうにしているメアリーに何でもないかのように微笑むと、目的地へと向かった。
辿り着いたのは湖だった。季節の彩りが美しいガーデンは賑わっているが、緑生い茂るここは人々の関心を引きにくいのか閑静だった。
近くのベンチに腰掛け、メアリーに日傘を渡して本を手にする。開放的な場所だからか、先ほどとは違い、ページを巡る手は軽かった。
怪奇集は荒唐無稽とも思われる話が多かった。淑女が好む恋愛小説では考えられないおどろおどろしい話もある。けれど、シャーロットには触れたことのない世界で興味深かった。
シャーロットは本に集中していた。だから、声をかけられるまで人が近づいたことにも気が付かなかった。
「あら。どなたかと思えば、グレイス男爵令嬢じゃありませんこと」
アクセントの綺麗な落ち着いた声が響く。聞き覚えのあるそれにシャーロットは顔を上げた。
「オルコット伯爵夫人……!」
透き通るような白い肌に映える艷やかな黒髪を持つ夫人がシャーロットを見下ろしている。華奢な体なのに放つ存在感は強く、たとえ彼女がみすぼらしい服を着ていたとしても貴族だと一目でわかるだろう。
シャーロットは慌てて立ち上がった。弾みで本を落としそうになり、抱きかかえる。みっともない姿を晒してしまって恥ずかしさがこみ上げるが、背筋を伸ばした微笑みを浮かべた。
「お久しぶりでございます。先日は招待していただき、ありがとうございました。とても素敵なお茶会でしたわ」
参加者はともかく、お茶やお菓子は一流のものだった。オルコット伯爵夫人も凛とした美しい人で、シャーロットをひとりの貴族令嬢として扱ってくれた。おかげで、参加者も夫人の前ではシャーロットに当たり障りなく接したのだ。夫人が席を外した時はひどいものであったが。
軽い世間話をして終わりかと思ったが、オルコット伯爵夫人はシャーロットの手元を見て、目を細めた。
「あなた……読書をしていたのね。本はお好き?」
「は、はいっ、好きです」
「そう」
上品に笑うと、夫人は別れの挨拶をして立ち去った。彼女の向かう先に、先ほど見かけた貴婦人たちの姿がある。会う約束でもしていたのかもしれない。
「いつ見てもお美しい方ですね。まさに、貴婦人って感じです」
「そうね……ほんとうに素敵な方よね」
予想もしていなかった人物との邂逅に気を取られ、その後の読書は捗らず、早めに帰宅することになった。
その非常事態はオルコット夫人と会った四日後に訪れた。グレイス家に、一通の美しい封筒が届いたのだ。
封蝋の印章を見てシャーロットは驚いた。オルコット家のものだったからだ。
頭をよぎるのは公園での出来事だ。つつがなく交流できたと思っていたのだが、何か失礼なことでもあったのだろうかと戦々恐々としながら、封を切る。
中身は招待状だった。来週頭に少人数でのお茶会を開催するので来ないかというものだ。
格上の伯爵家からの誘いだ、参加以外の選択はない。シャーロットはすぐに出席の返事を書くと、オルコット家に届けるようメアリーに頼んだ。
メアリーが退席したのを確認すると、シャーロットは頭を抱えた。何故、自分がお茶会に呼ばれたのかわからない。オルコット婦人のことだから、他の貴婦人たちのような陰険なことはしないだろう。だが、前回は母と一緒に誘われたのに、今回はシャーロットひとりなのが気になる。
不安が渦巻くが、シャーロットは気持ちを切り替えて本日届いたもうひとつの手紙を手に取る。レオナルドからの手紙だ。まだふたりが両想いだと思っているメアリーの前ではなんとなく読みづらかった。
レオナルドはあれから二日ほど眠り続けて回復し、既に仕事にも復帰している。生活に支障がない範囲で調べ物も継続しており、こうしてシャーロットと手紙で情報交換をしている。
以前は週に二度は一緒に出かけたりお茶をしていたのに、今は文面でのやり取りしかしていない。会いたいと思うこともあるが、あの温度のない瞳に映るのが怖かった。
シャーロットに会うのを躊躇しているのか、彼の方も誘ってくれることはない。まだ病み上がりで体調が万全でなく、心配をかけたくないと配慮してくれているのかもしれない。彼は嫌いな人間にも優しくできる人だから。
「こんな状況でも新たに好きなところを知れるなんて、さすがレオナルド様だわ……」
窓際に置かれた花瓶台に目をやる。柔らかなピンク色のバラは今日レオナルドが手紙と一緒に贈ってくれたものだ。
レオナルドが初めて贈ってくれたのもバラの花だった。あの時もこうして花瓶に飾り、暇さえあれば眺めていたものだ。
今も彼を恋い慕う気持ちは変わらない。年月を経て、さらに増したくらいだ。けれど、あの頃にはなかった痛切な感情も伴うようになってしまった。
強い風が室内に吹きいる。花を散らそうとするその凶暴さに晒されながらも、繊細な花弁は揺らぐ気配も見せずただそこにあり続けた。
玄関の扉をくぐる前に、シャーロットは自分の身だしなみを確認する。服装も化粧も貴族令嬢として問題ないだろう。見送りに来た母も大丈夫だと太鼓判を押してくれた。
「オルコット伯爵夫人は寛容な方だけれど、くれぐれも失礼のないようにね」
「わかってますわ、お母様。グレイス家の恥とならないよう、しっかりと役目を果たしてまいります」
そう意気込んでオルコット家に来たのはいいものの、シャーロットは早々に怖気づいてしまった。
「あの……他の方はまだいらしてないんでしょうか?」
色彩豊かなガーデンに設えられたテーブルまで案内されたシャーロットは目の前のオルコット伯爵夫人に困惑の視線を向けた。これが愚問なのは自覚していた。なぜなら、二人分の座席しか用意されていなかったのだから。
「いいえ。今日はあなたしか呼んでいないの。ふたりきりでお話したかったのよ。……さあ、座って頂戴」
おずおずと席につく。前回とは違う種類の上質なお茶を出されたが、緊張のあまり、香りも味も感じられなった。
オルコット伯爵夫人はシャーロットとゆっくり話したいからと、メアリーも給仕も離れたところに待機させた。
話題は最近の天気や社交界での出来事だった。一言一句、些細な仕草も失礼のないようにと神経を張り詰める。そのせいで、喉の乾きがひどく、紅茶を口にする回数が多くなってしまう。
それに気づいた夫人が給仕にお替りの指示を出し、シャーロットに微笑んだ。
「最初に緊張を解してからの方がいいと思ったのだけれど、逆に警戒させてしまったわね」
「いえ! そんなことはありません」
「ふふ、ありがとう。もう本題に入りましょうか。……あなた、あれを持ってきて頂戴」
一体何を持ってくるのだろうかと落ち着かないシャーロットは、夫人の侍女が運んだきたそれを見て、目を見開いた。
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