女神は真価を問う

あやさと六花

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8話

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 三週間ぶりに顔を合わせたレオナルドは、最後に話した時よりも幾分回復しているように思えた。クマは遠目だとわからないほどに薄くなり、こけていた頬も健康を取り戻しつつある。翳りの消えた瞳はシャーロットの姿に驚きを浮かべていたが、すぐに冷え冷えとした色が混じり始め、シャーロットはさり気なく目を伏せた。

「君もここに来ていたんだな……」
「……はい。お久しぶりです、レオナルド様。だいぶ顔色がよくなられましたようで、安心しました」
「これも君のおかげだ、礼を言う。まさか、ストレスでああなるとは……。メアリー、君も驚かせてしまったようで申し訳ない」

 やつれたレオナルドを見たメアリーは帰宅後に病気ではないのかと心配していた。真実を告げられないため、シャーロットはとっさに甥っ子が可愛すぎて離れるのが辛かったのかもしれないと誤魔化したのだ。

 すれ違いが起きては困るので、レオナルドにも謝罪とともに手紙でそのことを伝えていた。彼はそれに合わせてくれているのだろう。申し訳なくて、シャーロットは早々に話題を変えた。

「レオナルド様が女神像の所まで来られるのは珍しいですね」

 ラナ教は国教と定められ、生活や文化に根付いてはいるが、関心のない国民も多い。レオナルドもそのひとりだ。こうして大聖堂に来るのは神父に用があるからで、祈りを捧げる姿は見たことがなかった。

「なんとなく……気がついたら足が向いていたんだ。今日は人がいないから、ゆっくり見れるしな。……しかし、よくできてる」

 レオナルドに倣い、シャーロットは美しいステンドグラスを背にした女神像を見上げる。慈愛に満ちた微笑みや長くしなやかな髪、滑らかな質感を思わせる衣服、どれもが細部まで精巧だ。大陸一と謳われた鬼才の最高傑作との評判も頷ける。

「この女神は身の潔白を証明したあとのものか」
「私も最初そうだと思ったのですが、元々は両目とも存在したそうです。ですが、二百年前の洪水で教会ごと流された時に、左目の宝石が流れてしまって今の姿になったと聞いています」

 王都に壊滅的な被害を与えた洪水は当初、神の天罰かと人々を震え上がらせた。だが、後に発見された女神像によりそれは払拭される。

 女神ラーラは夫に不貞を疑われた際に、天の審判を受けた。彼女が無実であれば右目が残り、有罪であれば左目が残る。その結果が、あの姿だ。

 右目のみの女神は潔白の象徴。人々に罪は無いと女神はその身で示してくれたのだ。

「不思議な瞳をしている。……女神だからか?」

 レオナルドが食い入るように女神の顔を見つめるのを、シャーロットは微笑ましく思った。初めて女神像を目にした者はよくこの様に見入る。彼女の気高さと誠実さを現している深みを帯びた青い瞳はそれだけ人を魅了するのだろう。

「君がここを好きな理由も、わかる気がする。……祈りを捧げたくなるような美しさだ」
「それは嬉しいですわ。でしたら、ご一緒に祈りませんか?」
「……そうだな、たまには祈ってみるか」

 シャーロットはレオナルドの隣に立った。わずかに、レオナルドの体がピクリと動く。うっかりいつもの距離感で並んでしまったと後悔しながら、シャーロットは感情を表に出さずに祈りを捧げる。

 レオナルドの身に降り掛かった不可思議な現象が解決するように。再び彼と愛し合える日が来るように。そのためにはどうしたらいいか教えてほしいと、物言わぬ女神に願う。

 慈悲深き女神の返答の変わりに返ってきたのは、慌ただしい足音だった。姿は見えないが、神官たちがバタバタと走り回っているようだ。

「何事だ……?」

 ただならぬ状況に、レオナルドがシャーロットを庇うように前に出る。

「そう警戒せんでいい。ちょっとしたトラブルだ」

 穏やかな笑みをたたえながら、老齢の男が現れた。威厳ある大神官服に負けないほどの貫禄を持つ彼は、この大聖堂の大神官だ。

「大神官様、一体何があったのですか? 暴動でしょうか?」
「落ち着きなさい、レオナルド。……何、可愛い来客がいたずらをしてくれてね。大聖堂のあちこちの窓が割られてしまったんだよ」
「まあ……! 一大事じゃありませんか」

 大聖堂の窓ガラスは強度が高い。それを何枚も割ったのだから、その来客は相当力が強いのだろう。
 
「その不届き者はどこですか? 俺が捕まえましょう」 
「必要ない。満足して飛び立っていったからな」

 シャーロットは目を瞬かせた。飛び立つ、ということは騒動の原因はひとつに絞られる。

「鳥、ですか……? でも、窓ガラスを割ることができる程力のある鳥なんていましたか?」
「おらん。が、今回のことは導きだろう。ならば、問題あるまい」

 導きとは、かつて女神ラーラを導いた鳥がもたらす報せのことだ。ここでいう鳥とは特定の種ではなく、鳥類全般を指している。彼らは状況が良くなるように、信心深い迷い子を導くことがあるのだ。

 定かではないが、二百年前の洪水でも導きにより多くの者が助かったと言われている。そのため、ラナ教徒は異常事態であっても導きだと判断すれば、冷静に対処する。

「レオナルド、時間があるのなら修復を手伝ってくれんか? あちこち割られてしまって人手が足らんのだ。シャーロット嬢たちも彼の補助をしてやって欲しい」

 シャーロットたちは二つ返事で引き受けた。ふたりに割り振られたのは、図書室だった。

「あ……」

 調べられる本はすべて調べたと思い込んでいたが、まだ大聖堂の゙図書室が残っていた。一般には出回らない古い書物もたくさんあり、通常は協会関係者以外立ち入ることは許されない場所だったため、無意識に選択肢から除外していた。

「安心しなさい、図書室への立入は私の許可が出た者ならば問題ない」
「わかりました。……修復が終わったら、図書室の本を読んでも良いでしょうか?」
「ああ。持ち出さないなら、閉館までいて構わない」

 大神官に礼をいい、シャーロットは何か手がかりが掴めるのではないかと期待に胸を膨らませ、レオナルド達と図書室へ向かった。



「なかなか見つからないわね……」

 児童向けの絵本を閉じ、シャーロットはぼやく。
 
 修理は雨が振り込まないように板で塞ぐ応急処置で、小一時間ほどで作業は終了した。

 その後、三人で手分けして探しているのだが、数時間経っても手がかりは掴めなかった。

 鳥の襲撃から免れた窓から、西日が射し入る。もうこんな時間かとシャーロットは絵本を仕舞った。

 最後にもう一冊だけ調べようと本棚に目を走らせると、ある本が目に止まった。夕日のような温かみがあるオレンジ色の本だ。

 手にとってページをめくる。どうやら誰かの日記らしい。天気や当時の自治ニュースなどの情報から、嬉しかったことや悲しかったことなどが綴られる日々の記録の中に見逃せない単語があった。

「呪いの財宝……」

 日記の持ち主は五十年ほど昔のラナ教徒の男で、彼はある日、美しい宝を手に入れた。青い宝石が埋め込まれた指輪だ。彼は喜び、早速身につけた。

 それから男はおかしくなった。日常生活には問題はない。だが、結婚を考えていた恋人を見た途端、突然嫌気がさしてしまい、別の女性と浮気に走った。恋人とは揉めに揉めた上で破局し、浮気した相手との関係も手ひどく振られて終わる。

 そこで男はようやく目が覚めた。そして、深く後悔した。幼い頃から相思相愛だった恋人を失い、ラナ教では重罪となる浮気まで犯してしまった。

『あの指輪をつけたからだ。あれは人の心を狂わせる、恐ろしい呪いの財宝なのだ』

 荒い字で書き殴られた文章を辿るシャーロットの指が震える。

 身につけた者の心を狂わす呪いの財宝。人を魅了する青い宝石。

 ――シャーロットがレオナルドに贈ったペンダントに酷似していた。
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