この世界の最後の冬――S.E.C研究機関で死んだはずの俺が、雪の異世界で生き直す話

theito

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プロローグ — この世界の最後の冬-

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僕はひとりで歩いていた。
夜空というより、まるで凍りついた海が街の上に浮かんでいるようだった。

雪は静かに降り、通りを薄い神秘の幕で包んでいた。
世界全体が、何かを待ちながら息を止めているように感じた。

「今夜は今年一番の寒さだ」
人々はそう言っていた。
けれど僕が感じていたのは、ただの寒さではなかった。

足音が乾いた音を立て、舗道に反響する。
風も、声も、音も――何もない。
街灯さえも、灯ることを拒んでいるようだった。

視線を上げると、霧の向こうに影が見えた。
鉄とガラスでできた巨大な建物。
無言のまま、そこに立っていた。

看板には、かすかに光る文字。
「INSTITUTE S.E.C.」

――僕の母校だった。

卒業してから、もう何年も経つ。
けれど、そんなことはどうでもよかった。

あの場所で一つの人生が終わり、
そして――もう一つの人生が始まろうとしていたのだから。

二階の窓に、ふと光が灯った気がした。
目を凝らしたが、すぐに闇に戻る。

「……気のせいか」

ため息をつき、歩き続けた。
一歩、また一歩。
足取りは重くなっていく。

あの学校は、普通の場所ではなかった。
心を鍛え、体を鍛え、恐怖を授業に変える――実験的な学園。

生き残る術は教えられた。
けれど、何のために生き残るのかは誰も教えてくれなかった。

建物に近づくほど、空気が重くなっていく。
静寂が、まるで別のものに変わったように感じた。

その時、聞こえた。
かすかな音――まるで誰かの吐息のような。

「……?」

立ち止まり、耳を澄ます。
音は、校舎の奥から聞こえた気がした。

逃げるべきだった。
でも、僕はそのまま進んだ。

吐息が白く浮かび、心臓が知らないリズムを刻む。
錆びた扉を押し開けた瞬間、確信した。

――まだ、終わっていなかった。

何かが僕を待っている。
そして、その何かが、世界そのものを変えようとしていた。

校舎の中に入った瞬間、空気が変わった。
重く、濃く、息をするのも難しい。

廊下には二つの灯りがちらちらと揺れ、
床の埃がその光を反射していた。

「……最後に、ここに来たのはいつだ?」

声が自分の耳に不自然に響く。
歩いても、歩いても、廊下の終わりが見えない。

まるで、校舎そのものが伸びているようだった。

その時、再びあの音が聞こえた。
弱い息遣い――。

立ち止まり、ゆっくりと振り向く。
音は、壁際のロッカーから聞こえた。

「……ロッカー?」

扉の隙間から、白い光が漏れている。
まるで、生きているかのように。

手をかけて引いた。
固く閉ざされていたが、力を込めると――ギィッ、と軋む音。

そして、見た。

眩しいほど純白の光。
雪よりも白く、すべてを包み込むように広がっていく。

壁が消え、床が溶け、
僕の足元から世界そのものが消えていった。

――気づけば、そこは白い空間だった。
形も方向もない、ただの「無」。

歩いても、音は空に吸い込まれるだけ。
呼吸は浅く、意識が遠のいていく。

その時、耳元に冷たい息が吹きかかった。

「……っ!」

振り返る。
誰もいない。
白だけが続く。

けれど確かに、すぐそばで――誰かが笑った気がした。

首に、冷たい手が触れた。
その瞬間、頭に浮かんだ言葉は一つだけ。

「冷たい……」

その手は、まるで氷そのもの。
指がゆっくりと締まっていく。

暴力的ではなく、計算された力。
呼吸はできる。
けれど、体は動かない。

眠気が襲い、意識が闇に沈んでいく。

最後に浮かんだのは――

「これで終わりか……」

そして、闇。

「……おい」

遠くから声がした。
水の底から響くような声。

「おい、じいさん……大丈夫か?」

今度は温かい手が僕の肩を支えた。
瞼を開けると、黄金色の光の中に人影が立っていた。

何度か瞬きをすると、輪郭がはっきりしてくる。

三十歳前後の男。
黒髪、短い髭、落ち着いた瞳。
背は中くらい――たぶん百七十五センチほどだろう。

心配と好奇心が混ざったような表情で僕を見ていた。

「ほら、息しろ。さっきまで死んでたぞ」

男は苦笑しながらそう言った。

そして、その時ようやく気づいた。

――ここは、僕の世界じゃない。
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