『二十六時のアオイヒカリ』

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逆光の兄と三度目の夜明け

第十一章 波打つ青光

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 十月の半ば、日永町に涼しい風が戻った頃、旧駅舎の仮ギャラリーでは「二十六時フォトフェス」のプレオープン展示が行われていた。教室から運び込んだプリントはすでに百点を超え、白壁は銀粒子の星座で埋まっている。照人は来場者の足取りを確認しつつ、中央に立つ大型ライトテーブルで新作のチェックを続けていた。  
 そのテーブルに置かれている一枚のプリント――深い夜のホームに青白い光条が波紋のように広がる写真――が、今回の章の主役だ。題して「波打つ青光」。モデルはもちろん幽光線の残像、だが撮影条件は真昼の欠片理論とは真逆。月齢十四夜、潮が満ちる前の干潟のように時間が張り詰める瞬間を捉えた作品だ。  
 「やっぱり実物の方がデータより息をしてる」茅乃がプリントを覗き込み、耳飾りを軽く触れた。彼女の耳元の粒は薄い青に脈を打ち、まるで写真の光と共振しているように見える。  
 「画面の真ん中で青が波打ってるの、露光ムラじゃなくリアルタイム干渉だよね」  
 「うん。センサーに降りた時点でもう揺れてた。青光そのものが水面みたいに伸縮して、光速なのに触れれば冷たい水の手応えがあった」  
 「振り子レンズをスローモーションに切り替えた時だっけ」  
 「そう。千分の一秒から一秒へ一気にシフトしたあの瞬間、光が時間をサーフィンしたんだと思う」  

◆ 青光の正体を探る  

 兄はプリントを透かし、背面からライトを当てた。すると波紋の縁に細かな干渉縞が見え、虹の最低波長側だけが残って青へ凝縮しているのがわかる。  
 「これは“時間干渉フリンジ”だね。真昼の欠片をゼロ露光した時に発生した白の余韻が、夜の青だけを引き寄せて振動している」  
 「じゃあ青光は欠片の裏返し?」  
「表でも裏でもなく“側面”だ。白を裏返せば黒になるが、光には方向がある。横から見れば層がある。青はその層の一枚目」  
 茅乃は目を細め、「ということは波打つ周期を測れば写真の裏側にある第二層、第三層……時間の積層を解析できるかも」と呟く。  
 兄が頷き、G―SHOCKのライトを二秒点灯。秒針が一点で震えるのを合図に、照人は赤外リモコンでプリントをマクロスキャナに送った。高解像度センサーが青光の縁をラインスキャンし、リアルタイムで波形に変換する。ディスプレイに現れたグラフは山と谷が七つ。中央が最も高く、両端へ行くほど振幅が減衰していた。  
 「七つの波――七層の時間かもしれない」  
 「真ん中が今で、外側ほど過去と未来?」  
 「あるいは別の誰かの時間が干渉している可能性もある」兄が指先で最後尾の微小なピークを示す。「この振幅……父さんのネガに残っていたノイズ値と合う」  

◆ 青光の波底へ  

 夜、三人は駅舎裏の資材置き場で簡易暗室を作った。ライトテーブルの上に波打つ青光のネガを載せ、重ね露光用の真昼フィルターを少しずらして置く。この操作で青の波を下へ“沈める”狙いだ。  
 振り子レンズの振幅を〇・三ヘルツに設定し、シャッターを三十秒開放。青光は肉眼では見えないが、センサーは水面下の波を掬い取り、画面の中心へゆっくりと集めていく。  
 「今、何か冷たい風が……」茅乃が肩をすくめる。  
 「青い波が熱を奪ってる。光なのに温度を持ってるんだ」照人は息を止め、シャッターを閉じた。ネガを定着液へ沈めると白だった乳剤が淡い水色へ変わり、波形だけが銀粒子として残った。  
 兄はフィルムを乾燥させつつ「深度マーカーが動いた。父さんのノイズ層が一段浮き上がったな」と呟く。  

◆ 線路守と青い潮  

 湿った風がドアを揺らし、光条の札が床へ滑る。裏面には〈青潮 警戒〉。札は影へ変わりかけたが光量不足で実体化せず、そのまま波紋の上に落ちた。  
 青光が札を吸い込み、波が一瞬荒れた。ネガ上の波形グラフが乱れ、八つ目の極小ピークが立つ。  
 「八層目が現れた……線路守自身の時間かも」  
 茅乃が札をトングで拾い上げると、札の周囲に水滴が付いていた。触れると冷たく、潮の匂いがした。  

◆ 波打つ青光を封じる写真  

 解決策は再び“ゼロ波露光”。青い潮を白へ戻すため、ライトテーブルに掛けた新しい印画紙へネガと真昼フィルターを同時接触。振り子レンズを一秒周期で往復させ、青波と白波を完全干渉させる。  
 プリントが現像液で像を上げる時、波は真ん中で静止し、青は紙白と同化して無色になった。しかしよく見ると光条の文字だけが銀粒子で浮いている。札は紙の中へ退避し、線路守の時間は写真の守り人として埋め込まれたようだ。  
 兄は安堵し、「これで波打つ青光は静かな湖になった」と呟く。  
 照人は完成プリントを掲げ、ギャラリーの壁に掛けた。遠目にはただの白い写真。しかし角度を変えると紙面が微かに波打ち、青い潮騒が耳の裏で聞こえる。  

◆ 波のリズムが未来を呼ぶ  

 数日後、フォトフェス本番。来場者は白い一枚を不思議そうに眺め、壁際に立つと青波のさざめきを感じたと口々に語った。アンケートの大半は「音が聞こえる写真」への驚き。茅乃は耳飾りを外し、プリントの前で微笑む。「青光は波になって、誰の時間にも優しく触れるようになった」  
 照人はファインダー越しに観客の驚く表情を撮影する。その場の空気が青い水面に似て揺れ、シャッター音がさざなみと重なって聞こえた。  

 展示が終わる頃、光条の札は真昼フィルターの中で静かに虹を返していた。波打つ青光は封じられたわけではない。次の観測者がやって来るまで、写真の奥で心拍と同じリズムを刻み続ける――新たな列車の汽笛のように。了
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