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終奏
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二人が最後に訪れたのは、丘の上にあるルカトーニの墓だ。
吹き抜ける夜風が、木の葉を、そよそよと揺らす。
青白い月の薄明かりが、並び立つ無数の墓碑を淡く照らし出していた。
「一つ、教えて下さい。なぜ、貴方は音楽ではなく奇術の道を選ばれたのでしょう?」
「おもしろくもない話ですよ。音楽一家に生まれ、それなりの才はあったと自負していますが、周囲が僕に求めてたのは〝魔法〟だったのです」
「魔法……ですか?」
「えぇ、彼らは僕が書いた楽譜にはすべて魔法が宿ると、本気で信じていたのです。その時の彼らの目には、僕の父や祖父が映っていたのでしょうね」
アンジェリカは口を挟むことなく、彼の隣で星々が瞬く夜空を静かに見上げていた。
「そんな折、レンハイムで世界各国から著名な奇術師達を集めた祭りが開かれましてね。本当に驚きましたよ、彼らの扱う奇術は、魔法とは違い、〝種〟がある――つまりは〝嘘〟です。しかし、それは人を幸せにするための優しい嘘でした」
「人を、幸せにする嘘ですか……」
「はい、それは魔法よりも、よほど僕には信頼できるものでした。この道ならば、自分のままに人を幸せにできるとね」
「それも貴方の仰っていた点と線のひとつですね。光を失った鳥のように道に迷い、寄り道をたくさんしても……気がつけば、その翼で再び自由に蒼穹を飛んでいる」
アンジェリカは腕を背で組みながら、ゆっくりと墓地を歩いてゆくと、一つの墓碑の前で足を止めた。
そこにはルカトーニが眠っている。
彼女は花を供えると、愛おしむようにその墓碑を見つめた。
「彼は今では、国内外から愛される音楽家になりました。ですが、名誉が人を幸せにするわけではありません。彼の人生が、果たして満ち足りたものであったのか――それを知る術は残念ながら、もう永遠にありません」
「僕は、彼は幸せだったと信じています。生涯に渡って、これだけ愛せる女性と巡り逢えたのですから。それはきっと――彼にとっては、かけがえのない宝物のような記憶だったでしょう」
ロレンツォは胸元から、紺色の小さな箱を取り出し、彼女へと差し出した。
箱の中には、ダイヤの両端に紫水晶があしらわれた指輪が収められていた。
「どうして……」
瞳が見開かれ、彼女の顔を明確な同様が駆け抜ける。
口元を両手で押さえ、彼女はその場に崩れ落ちた。
瞳からは抑えきれず、涙が一滴、また一滴と、星のような輝きを放ちながら地面へと落ちてゆく。
「僕は貴方に一つ、嘘をつきました。僕の本当の名は――ロレンツォ・ディ・ルカトーニ。えぇ、ジュゼッペ・ディ・ルカトーニの〝孫〟です」
ロレンツォはジレの内側から懐中時計を取り出し、その蓋を開いた。
そこには彼と瓜二つの若き紳士と美しい女性――アンジェリカの姿があった。
「貴方が……そう、これは彼が私にプロポーズをしてくれた指輪だわ」
「祖父はこの時計と指輪を、とても大切にしていました。僕がまだ幼い頃に彼は亡くなりましたが、この指輪をたまに眺めていた時の彼の横顔は、いつも幸せそうなものでしたよ。どんな形にせよ、彼の人生には、貴方との一瞬が必要だったのです」
その言葉が、彼女への慈悲であり、赦しだった――。
地面に崩れ落ちる彼女は、指輪を愛おしそうに両手で包み込み、空へと感謝と愛の言葉を叫んだ。
◆◇◆◇
「Sig.ルカトーニ、本日は素敵な夜をありがとう」
「僕のことは、ロロと呼んでくれませんか」
「ふふ、わかったわ、ロロ。貴方もアンジェと呼んでくれると嬉しいわ。もうすぐ、この魔法と奇跡の時間も終わりね。貴方に出逢えて、本当に良かった」
「僕もだ。最後に、こんな特別な夜ということを言い訳にして、ひとつだけ――僕の罪を許してほしい」
「えっ――」
アンジェリカは、それ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。
彼女の唇をロレンツォが、自分のそれにより塞いでいたからだ。
「……さっきの嘘を許した分で、貴方への温情は使い果たしたのだけれど」
「手厳しいね。次に会った時に、また文句は聞くさ」
やわらかな風が二人の間を吹き抜け、街の時計塔から零時を告げる鐘が鳴らす。
鐘が鳴り終わり、静寂が訪れたとき――アンジェリカの姿は、既にそこには無かった。
◆◇◆◇
ロレンツォは、もうひとつの嘘をついていた。
胸元から取り出した紺色の箱の中にはさきほど、彼女に渡したのと同じ意匠の指輪が収められていた。
だが、それは――もっと深い年季を感じさせるものだった。
ロレンツォが彼女に渡したのは、途中で立ち寄った宝石店で購入した、同じメーカーの現行のものだった。
人気のあるデザインのために、今も販売されていたのは幸運だった。
ロレンツォはジレから、今度は懐中時計を取り出すと、そっと開いた。
「お爺様――貴方への義理は、これで果たしましたよ。今度は僕が、彼女を口説いても良いですよね?」
アンジェリカは、その写真を初めて見た瞬間から、ロレンツォにとっても、初恋で今も変わらずに想い続けている女性なのだ。
この〝奇術〟と呼ぶのもくだらない、嫉妬心からの小さな〝嘘〟に気がついた時、来年のPrimo d'Aprileに不機嫌そうな表情を浮かべた彼女が、再び自分の前に現れてくれるかもしれない――。
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