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第三章 ニセ耳とビークニャ
第三話 宴のあと
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宴会はフェードアウトするように終わった。子供たちがテントに引き上げ、女たちが後片付けをはじめる。宴会中はかき鳴らすように響いていた弦楽器が、トレモロを奏ではじめる。酔っ払いたちはまだ残り物をツマミに、盃を傾けている。
そう言えば女性のアカペラを聴きながら、ハザンがボロボロ泣いていたのが、微笑ましくて笑ってしまった。歌い終えた女性の元へ向かい、絶賛の嵐を贈っていた。
トレモロは地球で言うとマンドリンに代表される、ひとつの音やコードで、弦を連続して小刻みに鳴らし、長く伸ばす音に代用する技法だ。
俺はチョマ族の女性たちと鍋を洗いながら、何か足りないものを探すようなトレモロの音色に聴き入っていた。少し小さくなった焚火と、宴の後の淋しさの漂う夜にこの上なく似合っている。俺はすっかりこの楽器の音が気に入ってしまっていた。
なんとか譲ってもらえないだろうか。
俺は大急ぎで後片付けを済ませ、弦楽器を弾いているチョマ族の若い男の隣に座った。
「ソレ、気に入った、良い音」
弦楽器を指差して言うと、男は嬉しそうにコードをいくつか弾いてくれる。丸みを帯びたフォルムと刺しゅうの施されたフエルトの縁取りが、民族色豊かで楽しい。弦の並びやチューニングは、俺の知っているマンドリンに近い。
「弾かせて、少し」
男は快く楽器を渡してくれた。
見よう見真似のコードと、トレモロも試してみる。ああ、良いな!
「ひとつ欲しい、ダメか?」と聞いたら少し困った顔をされた。
「売り物ではない」
「他にないか?」
男は少し考えて席を立つ。しばらく待っているとテントから別の楽器をいくつか持って戻ってきた。小さな立琴のような楽器や笛、カスタネットを組み合わせたような打楽器もある。その中に男が持っているものよりひと回り小さな、同型の弦楽器があった。
俺はそれを指差し「同じか?」と聞いた。
「ああ、弟が使っていたラッカだ。もう長いこと、弾いていない」と言った。
「ラッカ?」
「この楽器の名前だ」
話の流れと男の表情から、何か事情がありそうだ。
俺はその事情には触れずに、弟の物だと言うラッカを弾いてみる。長い間放置されたにしてはチューニングも狂っていないし、弦《げん》も悪くなっていない。
「大切に弾く。譲ってくれ」と、改めて頼んだ。
男は複雑な表情を見せたが頷いてくれた。
値段を聞くと銀貨五枚だと言う。大切な家族の品にはしては安すぎる。もっと高くても買うと言うと、
「俺が持っていても弾かないから。楽器は演奏しなければただの物だ」と言った。
きっと男にとって楽器は、物ではないのだろう。俺もそう思う。
金を渡し、もう一度「ありがとう。大切にする」と言うと、男は嬉しそうに笑った。
そのあと簡単な手入れの仕方や、弦の交換について、いくつかのコードやチョマ族の歌を教えてもらった。
気がつけば焚火はすっかり小さくなっていて、俺と男の他はみんなテントへ戻ってしまっていた。
チョマ族は放牧地に鳴子を張り巡らせるので、夜番もいらないらしい。俺と男も、良い夢をと言い合ってお互いの寝場所へと戻る。
俺が馬車へと戻ると、ハルは寝袋で小さな寝息をたてていた。俺もハルを起こさないように寝袋に潜り込み、良い夜だったなと思いながら目を閉じた。
挿話 翼
男にはひとつ年下の弟がいた。気がつくといつも隣にいた弟と一緒に、男は野山を駆けて育った。時折り大人の目を盗んで、鳥の姿となって谷を飛んだ。谷から吹き上がる風を翼に受け、ゆっくりと円を描く。翼を、ピッタリと身体に沿うよに畳み、急降下する。子供だけで飛ぶ事は禁止されていたが、怖いとは思わなかった。ある日、弟が着いてきた。一緒に飛ぶと言い張った。仕方なしに連れて飛んだら、弟は呆気なく落ちた。翼を折り、二度と飛べなくなった。
弟は山を降りた。飛べないチョマ族に、山での暮らしは立ちゆかない。風の知らせで、ガラス職人の家の養子になったと聞いたが、男は会いに行くことが出来なかった。何を言えばいいのか、何と言いたいのか。それすらもわからなかったのだ。
これは語られる事のない物語。ほんの小さな出会いが、その欠片を垣間見ただけ。旅人が運んだほんの小さな変化が、続きがあるかも知れない、取るに足りない物語を紡いでゆく。
そう言えば女性のアカペラを聴きながら、ハザンがボロボロ泣いていたのが、微笑ましくて笑ってしまった。歌い終えた女性の元へ向かい、絶賛の嵐を贈っていた。
トレモロは地球で言うとマンドリンに代表される、ひとつの音やコードで、弦を連続して小刻みに鳴らし、長く伸ばす音に代用する技法だ。
俺はチョマ族の女性たちと鍋を洗いながら、何か足りないものを探すようなトレモロの音色に聴き入っていた。少し小さくなった焚火と、宴の後の淋しさの漂う夜にこの上なく似合っている。俺はすっかりこの楽器の音が気に入ってしまっていた。
なんとか譲ってもらえないだろうか。
俺は大急ぎで後片付けを済ませ、弦楽器を弾いているチョマ族の若い男の隣に座った。
「ソレ、気に入った、良い音」
弦楽器を指差して言うと、男は嬉しそうにコードをいくつか弾いてくれる。丸みを帯びたフォルムと刺しゅうの施されたフエルトの縁取りが、民族色豊かで楽しい。弦の並びやチューニングは、俺の知っているマンドリンに近い。
「弾かせて、少し」
男は快く楽器を渡してくれた。
見よう見真似のコードと、トレモロも試してみる。ああ、良いな!
「ひとつ欲しい、ダメか?」と聞いたら少し困った顔をされた。
「売り物ではない」
「他にないか?」
男は少し考えて席を立つ。しばらく待っているとテントから別の楽器をいくつか持って戻ってきた。小さな立琴のような楽器や笛、カスタネットを組み合わせたような打楽器もある。その中に男が持っているものよりひと回り小さな、同型の弦楽器があった。
俺はそれを指差し「同じか?」と聞いた。
「ああ、弟が使っていたラッカだ。もう長いこと、弾いていない」と言った。
「ラッカ?」
「この楽器の名前だ」
話の流れと男の表情から、何か事情がありそうだ。
俺はその事情には触れずに、弟の物だと言うラッカを弾いてみる。長い間放置されたにしてはチューニングも狂っていないし、弦《げん》も悪くなっていない。
「大切に弾く。譲ってくれ」と、改めて頼んだ。
男は複雑な表情を見せたが頷いてくれた。
値段を聞くと銀貨五枚だと言う。大切な家族の品にはしては安すぎる。もっと高くても買うと言うと、
「俺が持っていても弾かないから。楽器は演奏しなければただの物だ」と言った。
きっと男にとって楽器は、物ではないのだろう。俺もそう思う。
金を渡し、もう一度「ありがとう。大切にする」と言うと、男は嬉しそうに笑った。
そのあと簡単な手入れの仕方や、弦の交換について、いくつかのコードやチョマ族の歌を教えてもらった。
気がつけば焚火はすっかり小さくなっていて、俺と男の他はみんなテントへ戻ってしまっていた。
チョマ族は放牧地に鳴子を張り巡らせるので、夜番もいらないらしい。俺と男も、良い夢をと言い合ってお互いの寝場所へと戻る。
俺が馬車へと戻ると、ハルは寝袋で小さな寝息をたてていた。俺もハルを起こさないように寝袋に潜り込み、良い夜だったなと思いながら目を閉じた。
挿話 翼
男にはひとつ年下の弟がいた。気がつくといつも隣にいた弟と一緒に、男は野山を駆けて育った。時折り大人の目を盗んで、鳥の姿となって谷を飛んだ。谷から吹き上がる風を翼に受け、ゆっくりと円を描く。翼を、ピッタリと身体に沿うよに畳み、急降下する。子供だけで飛ぶ事は禁止されていたが、怖いとは思わなかった。ある日、弟が着いてきた。一緒に飛ぶと言い張った。仕方なしに連れて飛んだら、弟は呆気なく落ちた。翼を折り、二度と飛べなくなった。
弟は山を降りた。飛べないチョマ族に、山での暮らしは立ちゆかない。風の知らせで、ガラス職人の家の養子になったと聞いたが、男は会いに行くことが出来なかった。何を言えばいいのか、何と言いたいのか。それすらもわからなかったのだ。
これは語られる事のない物語。ほんの小さな出会いが、その欠片を垣間見ただけ。旅人が運んだほんの小さな変化が、続きがあるかも知れない、取るに足りない物語を紡いでゆく。
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