狐火の市 猫又ニア編

はなまる

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其ノ六 ニアの本心

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 ハルカの出産予定日まであと数日。

 そして、ハルカがニアの名前を呼んでくれなくなってから、一ヶ月が過ぎた。

 ニアは、だんだんと強くなる胸の痛みを持て余していた。

(何でにゃん! 何でこんなにツライにゃんか?!)

 自分で決めたことだ。後悔なんてしないはずだった。ハルカの望みを叶えてやろうと思った。

 それがニアの望みだと思っていた。

(すごく上手くいってるにゃん。ハルカは元気になったし、お腹の赤ちゃんも順調にゃ! なのに、何でにゃんよ!!)

 ハルカはダイスケにのことを、少しも考えない。

(当たり前にゃん! にゃーは飼い猫、ダイスケはつがいでお腹の赤ちゃんの父親。それが当たり前にゃん)

 第一、今は“それどころではない”はずだ。

 ハルカの身体は、全ての準備が整っていた。いつ陣痛が来てもおかしくない。

 ハルカが重いお腹を大事そうに抱えながら、入院準備をはじめた。ニアはその周りをウロウロと歩き回る。
 近頃はずいぶんと猫又が板について来たニアだが、こんな時はやはり、少しの役にも立てない。

「えーっと、こっちが入院中に必要な物で、こっちが赤ちゃんの物、コレが退院する時の荷物で……」

(こんなにたくさんの荷物、どうやって持って行くにゃん? 重い物は持ったらダメにゃんよ!)

 心配そうに、にゃんにゃんと鳴くニアに、ハルカが言った。

「タクシーの会社に話してあるから、荷物の積み下ろしは心配しなくて平気だよ。身寄りがないことも病院に言ってある」

 ハルカは初めてのお産なのに、たったひとりで病院へと向かう。早くに両親を亡くしたらしいハルカには、痛くても苦しくても、手を握って励ましてくれる人がいない。

「早めに入院させてもらうことになっているし、お医者さんも、看護師さんもいるから大丈夫! ちゃっちゃと産んで来るからね」

 不安がないはずがない。今も手が小刻みに震えている。

 この健気な魂に、何でもしてあげたい。
 猫又になってからニアは、ハルカを飼い主というよりは、妹かこねこのように思っていた。

(人間の……ダイスケの姿になって、病院へと着いて行きたいにゃん)

 ハルカの不安を、少しでも取り除いてやりたい。

 その切羽詰まった、胸を締め付けるような気持ちのすぐ後ろから、ニアの隠しきれない本心が顔を出す。

「元気な赤ちゃんと一緒に、帰って来るから!」

 ハルカの言葉が胸を刺す。

 にゃーはダイスケじゃない! ニアだにゃん!


(にゃーは……感謝されたいにゃんか? 手柄をダイスケに取られたから、嫉妬しているにゃんか?)

(ダイスケの仕草を真似して、ダイスケのふりをしているくせに、本当はニアだと気づいて欲しいにゃんか?)

(猫又になったのも……。ダイスケがいなくなって、泣いてばかりいるハルカに、にゃーを見て欲しかったからにゃんか?)


 違う違う違う!

(にゃーはハルカが……! ハルカのために!)


 違わない……。違わない! 全て、その通りだ。


(にゃーは……ハルカのためじゃなく、自分の欲のために、猫又になったにゃんね……)


 気づいてしまえば、認めてしまえば、今のままではいられない。ダイスケの身代わりはもう出来ない。


 ニアはハルカが寝るのを待って、そっと家を抜け出した。




   *  *  * *



 ニアは夜道を走った。

 猫岳へ行き、猫仙人さまに会おうと思った。ダイスケの魂を呼び出してもらうつもりだ。

(本当にしてしまえば良いにゃんよ! ダイスケの魂と同居する方法があるかも知れないにゃん!)

 猫仙人さまは猫又の中の猫又。きっとその方法を知っているに違いない。それでニアの心が消えてしまっても良いと思った。このままダイスケのふりを続けるよりは、その方がよほど楽だと思った。

 路地裏を駆け抜け、街路樹を渡り、橋の欄干を走り抜け、高速道路を飛び越えた。

 数ヶ月前にバスで通った道は、まだ微かな妖力を漂わせている。
 人の気配が少なくなり、山がけわしくなると、ニアは尻尾に火を灯し猫又モード全開で、その妖力を探りながら走った。

 猫岳は遠い。未熟な猫又のニアの足では、三日三晩走り続けてもたどり着けないかも知れない。

(今のハルカをそんなに長い間、一人に出来ないにゃん。第一、お産に間に合わなかったら何にもならない。急ぐにゃんよ!)

 ハルカの前では隠していた、ニアの猫又姿。尻尾が二股に割れ、妖力が赤い模様となって身体を彩る。


 その姿は、を満たしていた。

 あやかしが、求めるものと、捧げるものがあるならば、新月の晩に奥深い山へ入れば良い。
 妖力の赤い模様を身にまとい、尻尾に火を灯すべし。

 それは道が開く条件。求める者が守るべき作法だ。


 道は開き、そして繋がった。行手ゆくてにぼんやりとした薄明かりが見える。
 こんな奥深い山の中に、ましてやこんな真夜中に、あるはずのないたくさんの人の気配がする。

 それは狐火の市。

 あやかしたちが自慢の品を持ち寄り、新月の晩に取り引きをする場。

 時には事情のある人間も紛れ込む。作法さえ守れば、道は時間も空間も越えて繋がる。


 ニアは、知らず知らずのうちに、あやかしたちが開く狐火の市へと、誘われるように足を踏み入れて行った。

 それは偶然だったのか? それとも……。
 
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