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第六話 俺の左手に指輪はない
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シャワーを浴びて、ホテルの備え付けの部屋着を着る。いつも思うのだけれど、なぜこんな手術着みたいなデザインなのだろう。せめてTシャツと短パンにしてくれれば良いのに。
二十年経っても変わらないということは、マストデザインということなのだろうか? 解せぬ。
髪の毛の水気を備え付けのタオルで拭き取りながら、冷蔵庫からツマミと飲みかけのビールを取り出す。少し気が抜けたビールも俺は嫌いじゃない。
フロントから借りた電話帳をめくる。さすが二十年前だけあってけっこう分厚い。印刷と紙の臭いが、なんだか懐かしい。最近は電子書籍ばかりで雑誌すら買わなくなった。
『蓮水』の苗字はすぐに見つかった。市内に三件のみだ。これなら総当たりしたとしても、二、三時間あれば回れる。
でもそれよりも……。
部屋着を着替え、住所のメモを取り部屋を出る。
ホテルのロビーで公衆電話を使う。元の時間軸ではとんと見かけなくなった緑の電話だ。姉貴の番号をプッシュする。姉貴も確かずっと番号を変えていないはずだ。
「あ、俺」
短く伝えると『克哉?』と返ってきた。
「うん、そう俺」
まるでオレオレ詐欺のような受け答えになる。姉貴の言う『克哉』は俺ではないのだろうが、それでも返事は『違う、克哉だよ』なので大して変わらない。
「イチさんなのね、克哉かと思った……。なんで番号知ってるの?」
「姉貴の番号、二十年後も変わってないからな。あのさ、頼みがあるんだ」
『蓮水達彦』は二十二歳。姉貴と同級生だ。住所から通っていたであろう中学校は予測できる。卒業アルバムがあれば、顔写真付きで『蓮水達彦』を特定できるはずだ。
「手に入れて欲しいものがある」
声を潜めて言ったら『なんなの? そのスパイ映画みたいなセリフ!』と吹き出された。公衆電話を使うのなんて十年数年ぶりで、やけに人の目が気になってしまうのだ。
「中学の卒アル……うん、なんとかなると思う。桜坂中と、梅田中と、桃山中ね。急ぐんだよね?」
「ああ、出来れば明日の昼過ぎまでには欲しい。あまり時間はないんだ」
「えっ、ほんとに急ね……。でもそうよね……なんとかするわ」
「ああ、頼むよ」
電話を切ったらガチャンと使わなかった分の十円玉が戻って来た。そういえばこんな仕様だったな。懐かしい。
部屋に戻って部屋着に着替え、ぬるくなったビールを口にする。妙に慌ただしくて落ち着かない。身の置き所に困る感じだ。
これは俺がこの時間軸の住人じゃないせいなのか? いや、この気持ちは馴染みのものだ。毎年夏の終わり頃になると感じていた。祭り囃子を聞いたり、浴衣を着た女性を見るたびに湧き上がる。後悔と、罪の臭いだ。
時が過ぎるつれて薄れていたはずのその感覚は、はっきりとした輪郭を伴ってしまっている。まるで足元から這い上がるように。
ふと自分の足元に視線を移すと、ホテルの部屋着からニョッキリと生える中年男の脛が見えた。
気の抜けたぬるいビールが気管に入り、ゲホゲホと咽せ込む。
ビジホの部屋着はシリアスには不向きだな。細く息を吐いて、気分を切り替える。
スマホを取り出し、充電しながらスケジュール帳を開き、明日から三日分の俺の知っている出来事を細かく記入する。
* * * *
テレビを点けて、眠くなるまでの時間を潰す。二十年前の番組が懐かしくてつい見入っていると、『トントン』と部屋のドアが控えめにノックされた。
電話帳の回収に来たフロントの人だろうと思い、部屋着のまま細くドアを開けた。
「イーチさん!」
細い隙間から顔の半分を覗かせて、ニコニコと笑う美咲がいた。思わず時計を確認すると、もう夜の9時を回っている。
当然克哉も一緒だと思い、招き入れると美咲一人だった。
「どうした?」
狭い部屋の中で立ったまま用件を聞く。若干素っ気ない口調になってしまったのは、俺の倫理感がこのシチュエーションを危機的状況と判断しているせいだろう。
「それ、ホテルの部屋着なの? 浴衣じゃないんだね」
美咲がくすりと笑いながら言った。こんな格好が似合うアラサー男はいない。
「フロントで待ってて。着替えて行くから」
こんな時間にわざわざ一人で来たということは、克哉に内緒の話でもあるのか? 何にしても部屋に二人っきりはヤバイ。この格好もヤバイ。
『えー、外は暑いよ!』などと渋っている美咲を部屋から追い出し、急いで着替えてフロントへと向かった。
「こんな時間に、一人で男の部屋になんか来るもんじゃないぞ」
ロビーに併設されている小さな喫茶店で向かい合い、開口一番、説教してしまった。
「だって、どうしても聞きたいことがあったんだもん」
美咲が口を尖らせて言った。
「それに……イチさんは克っちゃんでしょう?」
「俺と克哉は同一人物じゃない」
「えっ、違う人なの?」
そうじゃなくて……。くそっ! 自分でもよくわからないことを人に説明するのは難しい。
「二十年も経てば、別人みたいなもんだ」
「そう……なんだ?」
「じゃあ、俺にキス出来るか?」
俺に少しの警戒心も抱いていない美咲に、少し意地の悪い質問をしたくなる。女子高生相手に大人気ないな。
「えっ、うーん。どうだろう、イケるかも……」
「えっ⁉︎」
てっきり拒絶されると思っていたので、俺の方が慌ててしまう。危うくコーヒーを吹きそうになった。
「イチさん、けっこうイイよ。甘えさせてくれそうだし……。包容力っていうの? 克ちゃんにはない魅力だよね!」
「おまえ……それ克哉に言うなよ? 可哀想に……。包容力がなんて17歳の子供にあるわけないだろう? 美咲に大人の色気がないのと同じだ」
「えー! イチさん、ひどい。私、色気あるもん!」
「そういうところだ」
「えへへ! でもさ、克ちゃんがそんな風に、頼れる感じの大人になるなんてびっくりだよ! お腹も出てないし、ハゲてなくて良かった!」
どんどん話が逸れてゆくな。もういいやめんどくせぇ。
「で……、聞きたいことってなんだ?」
「う……ん。イチさんって結婚してるの?」
チラチラと左手を見ながら言う。結婚指輪を探しているのだろう。
「してないよ」
「……ってことは、あたしと克っちゃん……いつかは別れるってことだよね?」
ヤバイ質問が来た。
二十年経っても変わらないということは、マストデザインということなのだろうか? 解せぬ。
髪の毛の水気を備え付けのタオルで拭き取りながら、冷蔵庫からツマミと飲みかけのビールを取り出す。少し気が抜けたビールも俺は嫌いじゃない。
フロントから借りた電話帳をめくる。さすが二十年前だけあってけっこう分厚い。印刷と紙の臭いが、なんだか懐かしい。最近は電子書籍ばかりで雑誌すら買わなくなった。
『蓮水』の苗字はすぐに見つかった。市内に三件のみだ。これなら総当たりしたとしても、二、三時間あれば回れる。
でもそれよりも……。
部屋着を着替え、住所のメモを取り部屋を出る。
ホテルのロビーで公衆電話を使う。元の時間軸ではとんと見かけなくなった緑の電話だ。姉貴の番号をプッシュする。姉貴も確かずっと番号を変えていないはずだ。
「あ、俺」
短く伝えると『克哉?』と返ってきた。
「うん、そう俺」
まるでオレオレ詐欺のような受け答えになる。姉貴の言う『克哉』は俺ではないのだろうが、それでも返事は『違う、克哉だよ』なので大して変わらない。
「イチさんなのね、克哉かと思った……。なんで番号知ってるの?」
「姉貴の番号、二十年後も変わってないからな。あのさ、頼みがあるんだ」
『蓮水達彦』は二十二歳。姉貴と同級生だ。住所から通っていたであろう中学校は予測できる。卒業アルバムがあれば、顔写真付きで『蓮水達彦』を特定できるはずだ。
「手に入れて欲しいものがある」
声を潜めて言ったら『なんなの? そのスパイ映画みたいなセリフ!』と吹き出された。公衆電話を使うのなんて十年数年ぶりで、やけに人の目が気になってしまうのだ。
「中学の卒アル……うん、なんとかなると思う。桜坂中と、梅田中と、桃山中ね。急ぐんだよね?」
「ああ、出来れば明日の昼過ぎまでには欲しい。あまり時間はないんだ」
「えっ、ほんとに急ね……。でもそうよね……なんとかするわ」
「ああ、頼むよ」
電話を切ったらガチャンと使わなかった分の十円玉が戻って来た。そういえばこんな仕様だったな。懐かしい。
部屋に戻って部屋着に着替え、ぬるくなったビールを口にする。妙に慌ただしくて落ち着かない。身の置き所に困る感じだ。
これは俺がこの時間軸の住人じゃないせいなのか? いや、この気持ちは馴染みのものだ。毎年夏の終わり頃になると感じていた。祭り囃子を聞いたり、浴衣を着た女性を見るたびに湧き上がる。後悔と、罪の臭いだ。
時が過ぎるつれて薄れていたはずのその感覚は、はっきりとした輪郭を伴ってしまっている。まるで足元から這い上がるように。
ふと自分の足元に視線を移すと、ホテルの部屋着からニョッキリと生える中年男の脛が見えた。
気の抜けたぬるいビールが気管に入り、ゲホゲホと咽せ込む。
ビジホの部屋着はシリアスには不向きだな。細く息を吐いて、気分を切り替える。
スマホを取り出し、充電しながらスケジュール帳を開き、明日から三日分の俺の知っている出来事を細かく記入する。
* * * *
テレビを点けて、眠くなるまでの時間を潰す。二十年前の番組が懐かしくてつい見入っていると、『トントン』と部屋のドアが控えめにノックされた。
電話帳の回収に来たフロントの人だろうと思い、部屋着のまま細くドアを開けた。
「イーチさん!」
細い隙間から顔の半分を覗かせて、ニコニコと笑う美咲がいた。思わず時計を確認すると、もう夜の9時を回っている。
当然克哉も一緒だと思い、招き入れると美咲一人だった。
「どうした?」
狭い部屋の中で立ったまま用件を聞く。若干素っ気ない口調になってしまったのは、俺の倫理感がこのシチュエーションを危機的状況と判断しているせいだろう。
「それ、ホテルの部屋着なの? 浴衣じゃないんだね」
美咲がくすりと笑いながら言った。こんな格好が似合うアラサー男はいない。
「フロントで待ってて。着替えて行くから」
こんな時間にわざわざ一人で来たということは、克哉に内緒の話でもあるのか? 何にしても部屋に二人っきりはヤバイ。この格好もヤバイ。
『えー、外は暑いよ!』などと渋っている美咲を部屋から追い出し、急いで着替えてフロントへと向かった。
「こんな時間に、一人で男の部屋になんか来るもんじゃないぞ」
ロビーに併設されている小さな喫茶店で向かい合い、開口一番、説教してしまった。
「だって、どうしても聞きたいことがあったんだもん」
美咲が口を尖らせて言った。
「それに……イチさんは克っちゃんでしょう?」
「俺と克哉は同一人物じゃない」
「えっ、違う人なの?」
そうじゃなくて……。くそっ! 自分でもよくわからないことを人に説明するのは難しい。
「二十年も経てば、別人みたいなもんだ」
「そう……なんだ?」
「じゃあ、俺にキス出来るか?」
俺に少しの警戒心も抱いていない美咲に、少し意地の悪い質問をしたくなる。女子高生相手に大人気ないな。
「えっ、うーん。どうだろう、イケるかも……」
「えっ⁉︎」
てっきり拒絶されると思っていたので、俺の方が慌ててしまう。危うくコーヒーを吹きそうになった。
「イチさん、けっこうイイよ。甘えさせてくれそうだし……。包容力っていうの? 克ちゃんにはない魅力だよね!」
「おまえ……それ克哉に言うなよ? 可哀想に……。包容力がなんて17歳の子供にあるわけないだろう? 美咲に大人の色気がないのと同じだ」
「えー! イチさん、ひどい。私、色気あるもん!」
「そういうところだ」
「えへへ! でもさ、克ちゃんがそんな風に、頼れる感じの大人になるなんてびっくりだよ! お腹も出てないし、ハゲてなくて良かった!」
どんどん話が逸れてゆくな。もういいやめんどくせぇ。
「で……、聞きたいことってなんだ?」
「う……ん。イチさんって結婚してるの?」
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「してないよ」
「……ってことは、あたしと克っちゃん……いつかは別れるってことだよね?」
ヤバイ質問が来た。
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