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第七話 俺と克哉は同一人物じゃない
しおりを挟む「……ってことは、あたしと克っちゃん……いつかは別れるってことだよね?」
ニコニコと人懐こい顔で笑う美咲。質問の内容と表情が噛み合っていない。
必要以上に愛想よく振る舞ってしまうのは、あまり親しくない人と話す時の美咲の癖だ。自分の感情を隠したい時ほどテンションが上がる。
『デレツン』。当時俺はそう呼んでいた。優等生の仮面を脱いだ美咲は途端に天邪鬼になる。非常に面倒くさい女なのだ。
つまり美咲は今、かなり無理している。心を許していない相手に、必死で本心を隠して対峙しているということだ。
(バレてないわけないだろう? 俺は……克哉なんだぞ)
ついさっき自分で『同一人物じゃない』と宣言したくせに、まるで矛盾したことを思ってしまう。
同時にそのよそ行きの顔を向けられているのが、自分だということにショックを受ける。
自分の感情が暴走している自覚はある。以前元カノの結婚式に呼ばれた時にだって、こんな気持ちにはならなかったのに。
相手は女子高生! 二十歳も年下! この美咲は、俺の美咲じゃない!
「君が克哉と別れるかどうかは、二人で決めることだろう? 俺の過ごした二十年と、君たちがこれから過ごす二十年は、たぶん別物だ」
内心を隠して、ことさらゆっくりと話す。二十の年の差を、見せつけるように。でも、思い知らなければいけないのは、きっと俺の方だ。
「未来は変わるってこと?」
ここは『分岐点』だ。
俺という異物が混じったことで分岐し、恐ろしい数の『if』が発生して、この時間軸は元の……俺が過ごした二十年後と、加速度的にかけ離れていっている。
つまりこの時間軸で美咲が死なずに済んで、俺が元の時間に戻れたとしても……。
そこで生き返った美咲に会えるわけじゃない。
なぜなら、美咲が死んだあとの時間が『今の俺』を形作っているから。
「変わると思う。どう変わるかは、俺にもさっぱりわからない」
「うーん、そっか……。ねぇ、イチさんは何であたしと別れちゃったの? いつごろ?」
「勘弁してくれよ。悪趣味だぞ」
まさか『君が死んでしまったんだ』とも言えずに苦笑する。
「だって、同じ道筋を辿る可能性はあるわけでしょ? だったら聞いておかなきゃ!」
「ぜってー教えねぇ……」
作り話をする気にもなれず、在らぬ方向を向く。不吉な予感さえ、美咲に抱かせたくない。
「今の言い方、克っちゃんにそっくり! イチさん、ほんとに『克っちゃんだった人』なんだねぇ」
クスクスと笑いながら、からかうような目を向ける。
「……面白がってるよな?」
「えー、だってめちゃくちゃ面白いよ。SFかファンタジー小説みたい! ねぇねぇ! 未来のこと教えて欲しい!」
「君と克哉に直接関係のないことなら……」
いいのか?
「えー、それ難しいよ。何なら教えてくれるの?」
「うーん。これから流行るデザートとか?」
「すっごい当たり障りのないヤツ!」
あははと美咲が笑う。眉が八の字になり、笑っているのに少し困ったみたいな顔になる。俺はこの顔が好きで、もっと見たくて……よく下らないことを言っていた。
「タピオカブームがまた来る」
「へぇーっ!」
「SMAPが解散した」
「えっ、嘘!」
「ディズニーシーってのが、出来るぞ」
「もうあるよ!」
「任天堂とスクエニが合併した」
「それすごい前!」
美咲の興味のありそうなことを、適当に言ってみる。
「イチさん、適当過ぎるよ!」
クスクスと笑う。この顔が見られただけで、二十年の時間を越えたのも悪くないと思う。
「北海道にダンジョンが見つかって、冒険者ギルドが出来た」
「絶対、嘘!」
「犬と猫の翻訳ツールが開発されて、意志の疎通が可能になった」
「えー、ほんと?」
「空飛ぶバイクが流通してる」
「えっ、すごい! 乗ってみたい!」
美咲の表情がクルクルと変わる。当たり前だ。俺が最後に見た……目を閉じた、冷たくて固い美咲じゃない。
「……さ、気が済んだだろう? 子供は帰って寝る時間だ。克哉に電話して、迎えに来てもらえ」
「えー、ひとりで帰れるよ……」
美咲がコップの底に残った、薄くなったアイスココアをストローでズゾゾゾーと音を出して啜る。
「ダメだ。こんな夜遅くに、女の子がひとりで歩くもんじゃない」
「喧嘩しちゃった……」
目を三白眼にして、俺を睨んでくる。克哉と喧嘩したのに俺を睨むなよ……。
「携帯貸して」
「あたし謝らないよ! 克ちゃんがわからんちんなんだもん!」
わからんちんって……。この時代でも死語だろう?
「謝らなくていいから、携帯貸して。これ以上遅くなったら、親御さんに申し訳が立たない」
美咲が『イチさん、じじむさい』とか『お父さんみたいな言葉使い』とか、地味に傷つくセリフを吐きながらも、携帯を投げて寄越した。
そういえば、この時代のガラケーって頑丈だったよな。スマホはこんな扱いはとても出来ない。
克哉に電話して美咲を迎えに来るように頼むと、二つ返事で自転車をかっ飛ばして秒で来た。ハアハアと荒い息のまま、ホテルのロビーをツカツカと歩いて来る。
美咲が俺の背中に隠れると、三歩離れた場所にムッとした顔で立ち止まった。
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