めざめの刻

紗樂

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目覚めの刻〜夕顔〜

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「夕顔は僕の一番大切な子だよ。僕たちはずっと一緒だ。」

 私の一番は彼で、彼の一番も私。彼は私で、私は彼。小さな小さな世界の中で、私と彼は二人で一つだった。
何も知らず、純粋にいつまでも変わらず一緒にいられるのだと疑わなかった。


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 私の兄である夕霧と私、夕顔は二卵性の双子だ。そのせいか外見はあまり似ていない。
母親譲りの栗色の柔らかそうな髪に、父親似の切れ長で涼しげな目元。
誰に対しても穏やかで声を荒げているところなど見たこともなければ、聞いたこともない。
見目麗しく優しい彼は、女子からはまるで王子様のようだと人気があり、また、裏表のない性格が好感を持てると男子からも人気がある。兄妹の贔屓目を抜かしても、彼は恰好良く私の自慢の半身だ。

 私と夕霧は小さい頃から何をするのも、どこに行くのも一緒だった。
楽しい思い出だけでなく、悲しいこと、辛いこと、全てを共有していた。
私達は二人で一つ。いつも一緒だった。
 それがある日を境に少しずつ変わってしまった。
第二性の診断結果。
これが学校から届いたその日の夜から、私と夕霧の部屋は別になった。お風呂も別々になり、夜寝る時も各自の部屋になった。
 両親から、夕霧はアルファで私はオメガなのだと教えられた。そして私達が男と女だから別にするのだと言った。夕霧がアルファで私がオメガだから別にするのだとも言った。
 納得がいかなかった。
男と女だとどうして一緒にいたらだめなのだろう。私達二人は今までいつも一緒だったではないか。小さい頃から何も変わってなどいないのになぜ、両親は急にそんなことを言うのだろう。
 そして私は、夕霧とバースが異なっていたことにもショックを受けていた。
自分がアルファだと思っていたわけではない。かといってオメガだとも思っていなかったけれど。
アルファやオメガ、ベータ。何であったとしても、漠然とだが夕霧と私は同じバースであると思っていたのだ。
それなのに結果は、夕霧はアルファで私はオメガだった。
 困惑して、自分自身でも助けなのか同意なのか分からないものを求めようと、隣で一緒に話を聞いていた夕霧の方へ目を向けた瞬間、私の胸の奥底に何か酷く冷たいものを押し当てられたかのような気がした。
 彼はうっすらとだが微笑んでいたのだ。
 私の視線に気付くと、微笑んでいたのが嘘のように悲しそうな顔をしてみせた。
そう、表面だけは。
少なくとも、彼からは私のように今このおかれている状況に対する困惑などは感じられなかった。
 バースの判明も両親の話も、私にはとてもショックなことだった。だから夕霧も私と同じように感じているはずだと思った。今まで何をするのも感じるのも全てを共有してきた私達だからこそ、そうなのだと疑わなかった。
けれど、そう思っていたのは私だけだったのだろうか。
この時初めて、自分の半身だと疑わなかった彼が見知らぬ人のように見えた。


 それから時が経ち、夕霧と私は同じ高校に進学した。
クラスは違えど、夕霧と同じ学校の制服を着て登下校できることはとても嬉しかった。
小学生くらいの頃は、夕霧と私の学力にそれほど差はなかったはずなのに、中学生になった辺りからその差が歴然となった。私はきちんと真面目に授業も聞いていたし、予習も復習も手を抜いたことなどなかったのに、テストでは彼は常に学年で上位にいたのにも関わらす、私は良くも悪くも真ん中辺りをさまよっていた。
何をするにも人より優れているアルファ。そして全てにおいて劣るオメガ。
そんな言葉が耳に入る度、夕霧と私は別のものだと言われているような気がした。
 夕霧から県屈指の難関校と言われている桜花学園に進学を考えていると教えられたのは中学一年の夏の暑さも落ち着きそろそろ秋にさしかかる、そんな頃だった。

 「もちろん夕顔も一緒に行くだろう?」

 嬉しかった。
夕霧だって私の成績を知らないはずないのに。それだと言うのに、彼は自分の行くところには私も行くのだと疑いもしていないのだ。その事実がとてつもなく嬉しかった。二人で一つ。未だそう思っていたのは私だけではなかったのだと。
 それからの私は、志望校を桜花学園に決めた。担任の先生からは無謀だと言われた。それでもどうしても行きたいのだと譲らない私に、先生も協力すると言ってくれた。週二回、放課後、希望者を集めて参加自由の勉強会を開いてくれることになった。その他の日は、家で夕霧に教わりながらみっちり勉強した。
その頑張りが認められたのか、晴れて私は夕霧と桜花学園に通うことが出来たのだ。

 高校生になっても私達は相変わらず一緒にいる。
クラスは違ってもお昼はいつも中庭で待ち合わせて一緒に食べているし、登下校も一緒だ。 
変わってしまったこともあるけれど、私と夕霧はそれでも一緒にいる。
私は嬉しかった。
部屋が別々になった時。お風呂が別になった時。バースが異なっていると判明した時。
本当は怖かったのだ。
私と夕霧の関係が変わってしまうような気がして。
なぜだか夕霧が遠くに行ってしまうような気がして。
でも、それも私の思い違いだったようだ。
彼は変わらず私の隣にいる。

 「夕顔は俺の一番だよ。」

 夕霧は昔と変わらない言葉をくれる。
私が不安がっていれば、すぐに気付き優しく抱きしめてくれる。
夕霧の腕の中は温かく、いつも良い匂いがする。私がそうされると安心する事を彼も知っているのだ。
今も昔も変わらない。私の一番安心できる場所だ。


 ある日のお昼休み、夕霧の待つ中庭へと向かう途中で一人の女の子から声をかけられた。
知らない子だった。
桜花学園は学年によって男女のネクタイとリボンの色が異なる。
赤なら一年、青なら二年、黄色なら三年。
因みに私と夕霧は一年だから赤いネクタイに赤いリボンをしている。
目の前の彼女の胸元のリボンは青。
私は特に部活も入っていないため先輩の知り合いもいないし、そもそも関わりがない。
そんな先輩が一体何の用だろうかと怪しむ私に、彼女は夕霧に渡してほしいのだと、私の手の中に無理やり何かを押し付け、用は済んだとばかりにさっさと走り去ってしまった。
あっけにとられながら押し付けられたものを確認すると、薄桃色の封筒に入った手紙だった。
可愛い丸文字で「夕霧くんへ」と書かれている。
 高校でも夕霧が女子から人気があることは風の噂で聞いて知っていた。
寧ろ、同じ校内にいればどうやっても耳に入ってくる。
つまりこれは夕霧へのラブレターなのだろう。
 --可愛い子だったなーーー
 こんな事は初めてだ。
なぜだろう。そんなはずはないのに手の中にある手紙がまるで鉛のように感じる。
これを私が夕霧に渡さないといけないのだろうか。
胸の奥がうずうずとして気持ちが悪い。
以前もこれと同じような気持ち悪さを感じたことがあったような気がする・・・。
あれはいつのことだっただろう。
 私は大きく深呼吸をすると、湧き出てくる不快さをその手紙と一緒に鞄の中に押し込み中庭へと足を向けた。

 「なに、これ」

 夕霧がお弁当を食べ終わるのを見計らって、預かった手紙を渡すと、彼は一瞬呆けたかと思うと、瞬時に不快そうな顔つきに変わった。

 「あ、預かったの…。」

 夕霧の顔を見ていられなくて、思わず下を向いてしまった。
彼のこんなに不快そうな顔なんて初めて見た。急に喉がカラカラに乾いているような気がして、さっき買ってきたペットボトルに入っているお茶をこくりと喉へと流し込む。
 下を向いているのに隣から強い視線を感じる。
夕霧は黙ったまま、視線だけを私によこしてくる。
空気が薄い。
喉が異様にかわく。
何でもいいから話してほしい。
今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。

…逃げ出したい?
 
 自分の思考に驚愕した。夕霧と一緒に居たいと思う事はあっても、彼から逃げ出したいと思った事は今の今まで一度たりともなかったと言うのに。
 
「夕顔…?」

 声を掛けられて彼の方を向くと、そこには心配そうな、だが何かを堪えているようにも見える不思議な目をした夕霧がいた。

「夕顔はどうしたい?」

  どうしたい?どう思うかではなく?

 「夕顔が決めて。」

 どうしてそんなことを言うのだろう。
どうと言われてもどう答えていいのか分からない。
何も答えられない私に夕霧はため息をつきながらも私から視線を外そうとはしない。
どうしたのだろう。
どうしてそんな目で私を見るのだろう。
今日の夕霧はどこかおかしい。
そんな目をする夕霧は知らない。
私の知っている夕霧ではない。
彼が何を考えているのか分からない。
 いつまでも答えられない私に彼はまた、一つ溜息をつくと、ふわりと私を抱きしめた。
ああ、いつもと変わらない夕霧の腕の中だ。私の唯一安心できる場所。
ほぉと息を吐く音が思いの外、耳に大きく響いた。自分で思うよりも身体に力が入っていたようだ。
何時もの夕霧の体温と匂いに安心していると、上からかけられた夕霧の言葉に私の身体はピシリと固まった。

 「俺が手紙の子と付き合ったら、この腕はこれからはその子のものだよ。」

 そんな私の状態に気付かないのか、夕霧は更に言葉を続ける。

 「俺の1番はその子になるよ」

 「俺が誰かと付き合ってそう言うことだよ。」

 夕霧は酷く優しい声で酷く恐ろしい言葉を吐いた。

 「ああ、そろそろ授業が始まるね。夕顔も遅れないようにしなよ。」

 そう、笑顔で去って行った彼の後ろ姿を私は午後の授業開始を告げるチャイムが鳴ったのにも気付かずに、只々茫然と眺めていた。


 あれから夕霧は何事もなかったかのように休み時間の度に私に会いに来たし下校も一緒にした。
ただし、あのラブレターの話題は一切出なかった。気にはなるのに私から聞く事は出来なかった。
一度押し込めて蓋をしたはずの胸の中のうずうずがまた表に出てきているような気がして、終始なんだか落ち着かなかった。

 その日の夜だ。私の身体に突如異変が起こったのは。
明日の授業の予習を終えて、温かいお茶でも飲んでから寝ようと、キッチンで茶葉を用意していたら、急に心臓がどくりと嫌な音をたてた。
運動もしていないのに勝手に息があがり、頭がぼおっとして身体の内側から熱が生み出されているような気配がする。
身体が痺れ、手足に力が入らない。
持っていた茶葉が床に散らばってしまい、片付けなくては…と思うのに身体が思うように動かない。
尋常ではないほどの汗が身体から吹き出してきて、視界がぐらぐらとぼやけてくる。
ああ、私は死んでしまうのだろうか。
もう夕霧に会えないのだろうか。
ぼやけだ視界に涙が加わり、もう何も見えないし、考えられない。
薄れる意識の中で最後に遠くで夕霧の声を聞いたような気がした。


 次に私が気付いたのは倒れてから一週間後のことだった。そして母親からついに私にも発情期が来てしまったのだと教えられた。
発情期。オメガには三ヶ月に一度、発情期と言うものがある。
知識としては知ってはいたが、自分には関係ないものだと思っていた。否、関係ないと思いたかった。
 
 「これで本当に大人の仲間入りね」

 母はそう言って嬉しそうに、でも少し悲しそうに笑った。
そうだ。あの時もそうだった。
私に初潮が来た時も母は言ったのだ。「これで大人の仲間入りの第一歩ね」と。
 あの時の私は何も嬉しくなかったし、母が喜ぶ姿が不快にすら感じた。
誰が大人になりたいと言ったのか。
私は今のままでいいのに。
変わりたくなんてない。
何時までも子供のままでいたいのに。
 毎月、お腹が痛くなるのが苦痛で仕方ない。私の中から流れ出る血を見るたびに、自分自身に嫌悪する。
 それでも、まだ発情期が来ない事に安心していた。私はまだ大丈夫なのだと。変わってなどいないのだと。
それなのに…。

 「夕顔…。」
 
 いつのまに私の部屋に入って来たのか、そこには心配そうな顔をした夕霧がいた。
母が出て行った事にも気付かなかった。
 夕霧は私が座るベッドまで来ると、私と目線を合わせるようにベッドに腰掛ける。

 「大丈夫?」

 頬にに触れる夕霧の手が冷たくて気持ちがいい。もっと触れてほしい。
そんな私の気持ちが伝わったのだろうか。夕霧は優しく微笑むと、私に向かって両腕を広げてくれる。

 「おいで。」

 私は夕霧の腕の中に飛び込むと、彼の背中に自分の腕を回し、ぎゅっと力を込める。
ぽんぽんと背中を優しく叩く夕霧に、我慢していた涙が後から後からこぼれ落ち、彼の胸元の色を変える。

 「大丈夫。夕顔は何があっても変わらない。昔も今も俺の一番だよ。」

 まるであやす様に背中を撫でてくれる夕霧に、溢れる涙が止まらない。

 「ごめんなさい」

 涙が止まらない。声が震えてしまう。
今まで本当は見えていたのに見えていないかのように、目をそらしていた多くの現実。
いつまでも二人だけの世界で一緒にいたかった。
夕霧と私は二人で一つ。私の大切な半身。
二人に異なった所などないのだ、と。
だけど、夕霧は男でアルファ。私は女でオメガだった。
幼い頃はそれでもまだ平気だった。自分を自分で誤魔化すことが出来た。
でも、成長するにつれ、目をそらしても気付かされていく現実。
同じ目線だったのに、気付けば私は何時も夕霧を見上げていた。
私を抱きしめる力強い腕に硬い身体。いつのまにか声も低く変わっていた。

 「もういいの?」

 涙を流し続ける私と目線を合わせるようにおでことおでこをくっつけながら聞いてくる夕霧の瞳の中には熱が孕んでいる。
 夕霧がそういう意味で女の子から人気があるのは知っていた。
同じクラスの子等が騒いでいるのも知っていた。時たま、校内で見かける夕霧の周りにはいつも綺麗な子等が彼を囲んでいた。そんな時彼と目が合うと、夕霧は一見微笑んで見えるのだが、その瞳の奥には今と同じように熱を孕んでいた。
その夕霧の目が私は怖かったのだ。全てを見透かしているようで、私を落ち着かせなくさせるのだ。

 「本当はその熱の正体に気付いているのだろう?」

 そう言われているような気がした。
気付いていて、私はずっと気付いていないふりをしていたのだ。
私が変わらなければ大丈夫なのだと。
だけど、私にも生理が来るとその内に身体つきも変わっていった。
もう、夕霧と似ても似つかない。
それでも、私は最後の悪足掻きをしていたのだ。生理が来ても私にはまだ発情期が来ていない。中途半端で、子供でも大人でもない私。オメガであってオメガではない私。
 こんなにも私は大好きな夕霧とかけ離れてしまっているのに、見たくない現実には重い重い蓋をしたのだ。
だけれど、それも今日で終わり。否、終わりにしなければいけない。
私は自分と賭けをしていたのだ。
このまま発情期が来なければ私は私が望むまま、昔のままの私で良い。
だけれど、もし、もしも来てしまったら…。

 「うん。もう…いいの。ずっと、ごめんなさい。待って…くれてたんだよね?」

 結果は私の負けだった。

 「うん。待ってた。」

 本当に嬉しそうに微笑む夕霧を見ていたら、分かっていたはずなのに今更罪悪感でいっぱいになる。
知りたくない。気付きたくないと夕霧の気持ちも、夕霧自身からも目を背けていたのは私。

 「実はもうダメかもって、少し思ってた。だから凄く嬉しい。」

 流れ落ちる涙を指で拭われ、頬を優しく撫でられる。

 「ごめんなさい。」

 夕霧の掌から伝わる体温が心地良い。

 「謝らないで。この先もずっと一緒にいてくれればそれで良いから。」

 「だからもう泣かないで」と微笑む夕霧は、こんなにも卑怯で狡い私に何処までも優しく甘い。

 「夕霧、好き…。大好きよ、私の半身。」

 「夕顔…。俺の一番。俺の唯一…。」

 ゆっくりと私の顔に夕霧の影が重なり、私達は初めてキスをした。
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