私の感情が行方不明になったのは、母を亡くした悲しみと別け隔てない婚約者の優しさからだと思っていましたが、ある人の殺意が強かったようです

珠宮さくら

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「アデライード様、何か食べませんか?」
「……」
「お好きな飲み物も、ご用意してあります」
「……」


アデライードのことを昔から世話している乳母やメイドたちが必死になって話しかけていたが、アデライードは何の返事もすることなかった。

オーレリアが来る前にジェルメーヌが何度か訪れていたが、アデライードはあまりよく聞いていなかった。ただ……。


「手紙を書くからね」


そんなことを言っていたはずだが、その前に何を話してくれていたかをアデライードは思い出せなかった。

それから、ジェルメーヌがここにやって来てはいない。

新たに王太子となった第2王子のバスティアンは、アデライードのところに見舞いに来るようになったのは、ジェルメーヌが来なくなってからだったはずだ。

王太子となったのだから、何かと忙しいはずなのだが、ふらっとやって来て乳母やメイドが止める間もなく、用意されている食事を口にして、眉を顰めることが多かった。

それこそ、乳母たちからすれば、バスティアンのために用意したわけではないと言いたいはずだが、王太子となった彼にそれを言えずにいるようだが、それすらアデライードは見ていなかった。


「婚約解消でなく、破棄にしたんですよ。知ってましたか?」
「……」


この日はジェルメーヌたちが、婚約を破棄した話を教えてくれた。突然、話が始まるところはリシャールによく似ている。でも、第1王子よりもイラッとすることはない。同腹の弟だからかもしれない。弟がすることに腹が立ったことは、これまで一度もない。


「姉上。続きをお聞きになりましたか?」
「……」


アデライードは、毎日顔を見せに来て返事もしないのにペラペラと話す同腹の弟に何も言うこともしなかった。彼の方を見ることもなく、ただぼんやりと外を眺めてばかりいた。何もやる気が起きないのだ。

オーレリアとの婚約が解消となってから、益々やる気がどこかに行ってしまっていた。

こんな日をどれだけ過ごしているのかもわからなくなっていた。今日が何日かも、曜日も、時間すらわからなくなっているが、それで困ることはなかった。


「第1王子の元婚約者の令嬢、婚約したそうですよ」
「……」


ややこしい言い方にアデライードは、目だけでパチクリさせた。

バスティアンの方を向いていないから、アデライードがどんな顔をしているかなんて見えないはずだが、わかりにくい話し方をし続けるのをやめなかった。


「名前は忘れましたが、隣国の公爵だとか」
「……え?」


アデライードは、久しぶりに声を出した。でも、バスティアンは驚くことはなかった。

乳母たちがアデライードの声に反応していたが、バスティアンはなんてことない顔をして続けた。


「姉上は仲良くなさっていたみたいですし、あの手紙の山の中にその報告もあるんじゃないですか?」
「……」


アデライードは、初めて気付いたかのようにテーブルの上の手紙を見た。

それこそ、そんなに届くくらい日にちが経っていることにも気づかなかった。倒れてから、どれだけ経っているんだろうか?

だが、アデライードの疑問がわかるわけもなく、バスティアンは更に続けた。


「姉上の元婚約者は、何を思ったのか。留学しに行ったその令嬢を追いかけて行って、あぁ、そうだ。公爵である王弟殿下と婚約したのに納得いかないと騒ぎ立てて大変だったみたいですよ。何をやってるんでしょうね」
「……」


しかも、元王太子の側近もやめていたのも、サラッとバスティアンは教えてくれたが、何でもないことのように話すせいで、アデライードは何に驚いたらいいのかがわからなくなりそうだった。


「いの一番で側近をやめたそうですよ。第1王子は、それによほどショックを受けたのか。どうにかしようとして、二度と側近はやらないって書類にサインしたのを持ち出されてからは、拗ねて、部屋から出て来なくなってます。……静かでいいですよ」
「……」


毎日のように来ているのに第1王子がどうしているかをそんな風に話して聞かせたのにアデライードは驚いていた。

バスティアンは、いつ振りに目があったかもわからない姉に何でもないかのように続けた。彼は、アデライードに笑いかけるなんてする弟ではない。


「手紙を読むなら、探すの手伝いますよ」
「……」


何でもないかのようにサラッと言うバスティアン。そういうのをすると言い出したのは、初めてだった。

それを聞いていたアデライードは、こくりと頷いた。それを見て乳母やメイドたちは、反応があることに嬉しそうにしていたようだが、バスティアンは一喜一憂することはなかった。


「えっと、名前なんでしたっけ?」
「……ジェルメーヌ。侯爵家の令嬢」
「ジェルメーヌ嬢か。どうにも名前を覚えるの苦手で」
「……」
「姉上は、名前で呼ぶことないから楽です」


どうやら、わざとらしい言い方をして名前も言いたくないほど嫌いなのかと思っていたが、そうではなかったようだ。

アデライードが、言わんとしていることがわかったらしく、そんなことを言われた。

弟が手伝ってくれたおかげで、ジェルメーヌからのを何通か見つけられた。それを日付順に読むことにした。


「姉上。これ、美味しいですよ」
「……」


その間も、弟はアデライードのベッド横の椅子に座っているだけでなくて、アデライードのためにあれこれと消化にいいものが用意されているのをバスティアンが食べながら、美味しいと言ったのをアデライードの口にいれた。

乳母やメイドたちは、同じスプーンで食べさせるのにぎょっとしていたが、アデライードがものを食べたのに複雑な顔をしていた。


「美味しい」
「ですよね。……ジェルメーヌ嬢が、探してくれたようですよ。もっと食べますか?」
「……うん」


どうやらバスティアンの味覚とアデライードは似ているようだ。

乳母たちは、来るたび好き勝手に食べて、話していなくなるバスティアンに苛ついていたようだが、美味しいものを探していただけだとわかったのは、この時だった。

王妃は、色々と用意したのもあり、やっと少し食べたと聞いて王妃は喜んだ。そこに王妃の用意したものでなく、ジェルメーヌが用意したものとあえて訂正しなかった。更には姉弟が仲良くしている報告を受けた父も、アデライードのことを聞いてホッとしていた。


「そうか。やはり心配していたんだな」


そのことがリシャールの耳に入り、何もかもアデライードのせいだと乗り込んで来るまでは平和だった。

ちなみにオーレリアは、隣国の王弟とジェルメーヌの婚約に物申すなんてことをしたせいで、彼は公爵から勘当された。

どんなに優秀な子息だったとしても、アデライードとの婚約の解消も公爵夫妻は息子から相談もなくされたらしく、逆にアデライードが気にしているから解消すると言っていたようだ。

それが、蓋を開ければオーレリアから解消したいと言っていたことに激怒した。

それだけでも腹を立てていたのに留学したジェルメーヌを追いかけて行って、隣国の王弟相手に色々やったのだ。勘当されないわけがなかった。

でも、アデライードにバスティアンはその話をしなかった。婚約している間も目に余るようなことをしていた子息のことなど、あれこれ言いたくなかった。

そのため、アデライードがこのことを知ったのは、だいぶ後になってからだった。


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