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時計屋『永遠時間』 【完結】
1-2 深夜の店番
しおりを挟む「――なんてね」
青年は驚き、目を開けた。いつの間にか目を閉じていたらしい。
「……えっ?」
ぺろりと舌を出した店主に気を取られ、すぐには対処しきれなかった思考が、言葉の意味にようやく気付いた。
「大抵自分にとって興味がないものには、目の端に捉えても意識しないからね。客が来なくてひがんでいる、僕の戯言です」
店主は唇を尖らせ、すねた言い方をした。
時々子供っぽい仕草をするのは、この人の癖なのだろうか。いや、むしろ常識という固定観念に囚われていない、自由奔放な子供がそのまま大人になっただけなのかもしれない。
けれど、黒く濃い瞳が、戯言ではない真理を語っているような気もした。
青年はおもむろに口を開いた。
「父が……、同じ時計屋を……」
父親が同業者だったから、馴染み深いだけにふらりと足が向いてしまったのかもしれない。
「ですが、別に、時計屋ならどこでも。たまたま、偶然、この店に入っ、た、だけで……」
静かな、黒みの濃い大きめの瞳にまじまじと見つめられ、しどろもどろになる。どうして自分は、この人にこんな話をしているのだろうか。
「君は……偶然とは、一生の中に何度訪れるものだと思いますか?」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
店主は質問には答えず、意味深な微笑みを浮かべた。
「君の迷いは、君自身が解決するしかないでしょう。けれど、何らかのきっかけを作ってあげることはできますよ。君が、それを望むのならばですが」
言っている意味が理解できなかった。なぜこの人はそんなことを言うのか。分からないことが多すぎて、青年はさらに深みへとはまった。
再び、頭の中に霧がかかっていくような錯覚が青年を包み、視界をぼやけさせていく。どこか遠くでエコーが響くのを、ぼんやりと感じた。
「しばらく、この店で働いてみませんか。この店は二十四時間営業です。人手があると僕も助かる。どうですか?」
どうですか? が、頭の中でリフレインし続けて、頭蓋骨を割るような耳鳴りが襲ってきた。
気持ち悪さに耐え切れず、咄嗟に差し出された手に助けを求めるようにすがると、ぼやけていた視界が再び明瞭さを取り戻した。そして、不思議なことに耳鳴りもぴたりと治まった。
青年はほっと安堵したのも束の間、握った手に視線が引きつけられた。まるで、見えない糸に絡め取られたような……
「では、よろしくお願いしますね。セルビー君」
店主は親しみを込めて、にこやかに青年の名を呼んだ―――
* * *
緩いカーブを描く眉の下には細めの眼と、それほど高くもない鼻に薄い唇の多少神経質そうな外見。だが、話せば誠実さが滲み出てくる青年の名は、セルビクスという。親しい人には、セルビーと呼ばれていた。
退屈な時間をただ過ごすというのは不本意だったが、致し方ないと、ただぼうっとカウンターに座り、ちらちらと牡丹雪が降る外をセルビクスは眺めていた。
こんな深夜に客も来ないだろうに、この店は営業中。普通ならば大抵の人間は眠っているはずの時間帯。
しばらくして、本当にすることがないので、カウンターの脇に置かれていた保温ポットとカップを取り出した。店主が用意してくれたものだ。
お茶をカップに注ぎ、ひとくち口に運ぼうとしたとき、足元のストーブの火がボボッと消え入りそうな音を発した。少しぬるくなったお茶をいっきに飲み干して、灯油缶を取りに奥の部屋へと赴く。
ガタンッ、ドンッ。ガラガラガラ……
「痛っ……」
薄暗い空間の中でじんじんと痛み出した脛を手で押さえ、その場にしゃがみ込んだ。いつの間にか奥まで入ってしまったらしい。何かに足を取られ、転んでしまった。
転がったランプを拾い上げ、ぶつかったものを確認してみると、空の灯油缶が倒れていた。と、その奥に何かがあるようだった。
近づいて確かめてみる。
ひと目見て、商品とは違うものだということがすぐに分かった。よく見ると、一つ一つがどこかしら破損してしまっているようだったからだ。
おそらく修理に出されたものなのだろうが、床から天井までの大きな棚の中にはたくさんの多種多様な時計が置かれていた。その中の一つに、誘われるように視線が留まる。
小さな懐中時計。
メッキが剥げて、蓋がひしゃげている。中のほうも壊れているだろうことは一目瞭然だった。
だが、無性に引きつけられる。
「……」
自分でも知らぬ間に、導かれるように静かに腕が伸びていった―――
深夜の店番を終えた翌日。青年はなぜか、時計を修理することになってしまった。
「僕は売るほう専門だから、修理するのは君に任せるよ」
店主はにこにこと、とんでもないことを口にした。
「私が?」
「大丈夫、君ならできるよ」
「そんなこと……」
どこにそんな確証があるのか、自信満々に言われても困るのだが。
「では聞くけど。君がその時計を、あの棚から持って来たのはなぜ?」
「そ、れは……なんとなく、です」
答えに詰まる。自分でもよく分からないのだ。
「答えは、君の中にあるはずだよ。それを探してみるといい」
トンッと指先でセルビクスの胸を突くと、謎掛けを残して立ち去ろうとする。
「あぁ、修理道具と部品は揃えてあるから、自由に使ってもらって構わないよ」
そう言うと、さっさと二階に上がって行った。
セルビクスはカウンターに置かれている、昨日の懐中時計をまじまじと見つめた。
「本当に、私が直せるのか?」
我ながら自信はなかったが、やるだけのことはやりたいと、なぜだか心が訴えていた。
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