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時計屋『永遠時間』 【完結】
1-3 父親の記憶
しおりを挟むこの店内で正確に時間が合っているものは、入口の扉の上に据えられているものしかない。他の売り物の時計はそれぞれ別の時刻を刻んでいるか、止まっていた。
この場所にいると、度々自分がどこか別の世界に迷い込んでいる錯覚に襲われる。この店内もまた、店主と同じように不思議な雰囲気を醸し出していた。
外とは違った、独立した秩序を持っている空間に、様々な時が存在している。流れるような時間の波が、光となって押し寄せてくるようだ。
そしてそれをすべて一つにまとめているこの世界は、例えるなら宇宙そのもの。それがもし目に見えるものならば、とても綺麗な光景だろうと、セルビクスは思った。
店主の黒い瞳が、きらきらと輝いているように見えたのは、それを映し出していたからだろうか。けれどそこは、きっと一人では居たたまれない。そう感じた。
なんとなく落ち着かずに、全部揃えたらどうかと言ってみたが、それぞれがそれぞれの時間を刻んでいるから、そのままでいいのだと言われた。針を合わせるのは、時計を買った客の仕事だと。
どこから手を付ければいいものかと思案しながら、壊れた懐中時計を見つめていると、そういえば、同じようなことを昔、言われた記憶があることを思い出した。
父親の店にもいくつか時計があった。この店のように高価な品物はなかったが、すべて零時を指して止まっていた。
本来なら、黄金比というものがあるらしく、ほぼ全ての時計店は十時十分頃を指しているようだが、この店同様に、父は父なりにこだわりがあったのだろう。
そんな売り物の腕時計を、子供のころ、こっそりはめて遊んでいたことがあった。そのうち、いつも静止している針を動かしてみたくなって、竜頭を回してみた。
当時は部品の名前すら知らなかったが、そこを回せば動くことは知っていた。
動いている針を見るのがなんだか嬉しくて、友達に自慢して歩いた。それを父親に見つかり、叱られた。
わんわん泣き止まないセルビクスを見て、父親は自分の懐から懐中時計を取り出すと、小さな手に握らせた。
『セルビー。父ちゃんはな、お前が売り物の時計を持ち出したから怒ってるんじゃねぇ。お前のものじゃねぇ、時計の針を動かしたことに怒ったんだ。
時計はな、ゼンマイを巻いてくれる人を待ってる。毎日毎日、自分の針を動かしてくれる人を待ってるんだ』
『……』
『針が動いたとき、どう思った?』
『すごく、うれし、かった』
『そうか。それは時計だって同じだ。だがな、お前はあの時計の持ち主じゃあねぇ。毎日ゼンマイを巻いてやることはできねぇ。
一度動かしてやった針を止めちまうのは、可哀想だと思わねぇか』
『……うん』
『ほら、聞こえるか?』
そう言って、セルビクスに握らせた時計を耳元に近づけさせた。
シャカシャカという音と、チッチッチッと動く音が聞こえた。
『お前の胸ん中にある心臓と変わらねぇ。時計は持ち主と同じ時間を、一分一秒を、一緒に生きて見守ってくれるんだ。
いいか、毎日毎日、ゼンマイを巻いてやるんだ。そうしないと、時計の心臓が止まっちまう。
これは今日からお前のもんだ。父ちゃんの代わりに、大事にしてやんな』
『……うんっ』
そう言うと、ぐりぐりと頭をなでられた。
その時は、子供すぎて父親の言っている意味をすべて理解することはできなかったが、それでも、普段あまり喋らない父親が話してくれた言葉が嬉しくて、心が熱く満たされた。
仕事ばかりで、暇があれば時計の修理をするだけで構ってくれない父親が、それまで大嫌いだった。
だが本当は、父親の目を向けさせたくて、あんなことをしでかしたのだと、今なら分かる。
メッキが少し剥がれた鎖のない古い懐中時計は、そのときから一番の宝物になった。
毎日毎日、ゼンマイを巻いて。
毎日毎日……
あの時計は、どこにやったのだろうか?
(――思い、出せない……)
懐中時計に触れていた手を止める。頭の中の深く濃い霧が、記憶を覆い隠しているようだった。
それでも、今は考えても答えは出ないのだと、頭の片隅で悟った。止めていた手を再び動かす。それがおそらく、一番の近道なのだと。
それほど太くもない指は、器用そうに見えて実はかなりの曲者だった。
けれど、細かい作業に苦労しながらも、初めてとは思えないほど、思ったよりもスムーズにことを進ませていく自分に驚きながら、不器用な手を再び作業に没頭させた。
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