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人魚の卵【完結】
一、瞳の色
しおりを挟むシドは眠れずに、枕を抱えて書斎の扉をこっそり開けると、そっと中をのぞいてみた。
だが、探していた父親の姿はなかった。
その代わり、開け放たれていた窓から入り込んだ風がカーテンを揺らし、机上に置かれた紙がぱらぱらと舞い落ちるのを見た。
持っていた枕をソファに置き、片付けなきゃと慌てて窓に駆け寄る。背伸びをしてなんとかガラス戸を閉めると、床の上の紙を一枚一枚拾い始めた。
その紙には、くねくねとミミズが這ったような文字がたくさん書かれていたが、六歳のシドにはまだ読めなかった。
それよりも、所々に描いてある絵のほうがシドの興味を誘った。
『にんぎょさん……』
湧き出た好奇心が、シドの碧い瞳をキラキラと輝かせていた。
『シド? 何をしているんだい?』
『――パパっ』
コーヒーカップを持って書斎に戻ってきた父親に、シドは思い切り抱きついた。
『……っ!』
衝撃で中身がこぼれそうになったコーヒーカップをそっと机の上に置くと、ぎゅうっと足にしがみついてくるシドを父親はひょいと抱き上げた。
すると、シドは今度は首にしがみついた。
『本当に、お前は甘えん坊だね』
そう言いながら、父親は嬉しそうに微笑んだ。
『パパ。いっしょにねてもいい?』
『眠れないのかい?』
『うん……。こえがね、きこえるの』
『声? どこから?』
『わかんない……』
首を振るシドに、父親も首を傾げた。
書類を片付けて寝室へ向かうと、抱えていたシドを降ろし、自分のベッドに寝かしつけ自らも横になった。
包まるように抱きしめられていたシドは、しばらく父親の胸に顔を埋めていたが、眠れないのかそわそわしていた。
『パパ。にんぎょの、たま…ってなーに?』
『にんぎょの、たま?』
『ここに、かいてあるよ』
先ほど散らばっていた紙の一枚を、シドはポケットにしまい込んでいた。
『あぁ、人魚の卵か。これはパパが研究している書類だね。机から持ってきたのかい?』
『けんきゅう?』
『そうだよ。昔からこの地方、この土地に伝わる迷信や、口伝を調べるのが、パパの仕事。人魚姫は知っているね?』
『うん。えほんをよんでもらった』
『それとはまた少し違うんだが、その人魚の〈卵〉のことが、言い伝えられているんだよ』
『たまごから、にんぎょさんが、うまれるの?』
『さぁ、それはどうかな。本当に卵かどうかも分からないんだ。大きさもまちまちで、ただ、そう言われているだけのようだね。
そして、その〈卵〉を手に入れることができたら、どんな願いごとも叶えてくれると、そう言われている』
『ホントに? だったらボク、うみにねむってるママが、かえってくるようにおねがいするね』
無邪気にシドがそう言うと、父親は悲しそうな顔をした。
『……そうだね。もしも、手に入れることができたら……』
『パパ?』
辛そうにシドをぎゅっと強く抱きしめていた父親は、再び笑顔を見せると、シドを促した。
『さぁ、もうお休み。明日は楽しみにしていた海水浴だろう? 寝不足で行ったら危ない。眠りなさい、シド』
『うん。おやすみなさい。パパ』
温もりに包まれながら、シドは幸せそうにうなずいた。
* * *
「――シド……」
間近で名前を呼ばれ、少年は振り向いた。
「……父さん」
父親がいつ部屋に入ってきたのか分からなかった。
「また、海を見ていたのかい?」
窓際に置いてある椅子に腰を掛け、窓枠にもたれていた体を起こした。
海を眺めながら、いつの間にかうとうとと微睡み、幼いころの記憶を思い出していた。
「お前は本当に、海を眺めるのが好きだね。そんなにしょっちゅう眺めていると、ほら――」
言いながら、最愛の息子の頬を両手で包むと、その瞳を覗き込み面白そうに言った。
「海の色が、目に焼きついてしまっているよ」
ぽっと熱くなる顔を愛おしそうに見つめてくる父親に、シドは恥ずかしがったが、すぐに間違いを指摘した。
「父さん。僕の瞳の色は生まれつきだよ」
「そうだったかい?」
手を離しクスクスと笑って惚ける父親に苦笑しながらも、シドは優しく微笑んだ。
「ところで、夕食の支度ができたんだが、もうそろそろ下に降りてこないかい?」
「あ、はい。すぐに」
「急がなくていい。ゆっくり来なさい」
そう告げると、父親は扉を開けたまま部屋を出て行った。
「……」
シドは小さく息を吐いた。
父親の言ったことはあながち冗談とも言えない。実際、そう思わせてしまうほどにはよく眺めていた。
四六時中眺めていても飽きないのだ。ふと気付くと、視線が海の方を向いていることがよくあった。
(また、心配させてしまった……)
父親は隠していたが、振り向いたとき、淋しそうな顔をしていた。すぐに普段の優しい顔に戻っていたが、シドは気が付いていた。
「――あぁ、もう。早くいかないと」
考え事で、また夕食の時間を忘れてしまいそうになっていた自分を叱るように呟き、出入り口へと向かった。
だが、ふと呼ばれたような気がした。
廊下に出ようとしていた足を留め、振り返ってみる。開け放した窓から入る潮風が、カーテンを緩く揺らしていた。
「……」
出る前にもう一度息を吐くと、今度こそ気持ちを切り替え、ぱたりと扉を閉めた。
部屋にはシドが残したかすかな吐息と、潮風が運んだ囁きが余韻となって漂っていた。
『早く、おいで……』と――
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