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人魚の卵【完結】
二、診療所
しおりを挟むシドは心優しい少年だった。そして少年でありながら、可憐な少女のようでもあった。
サラサラと風に遊ばれるブロンドの髪は、陽の光を浴びてキラキラと輝く。長いまつ毛の奥には、深い海の色のような碧い瞳。バラの蕾のような紅く艶やかな唇と、淡いピンク色の頬が、いっそう愛らしさを誘った。
けれど、十六歳になったというのに、その容姿は小学生と間違われるほど幼く、シドは密かにそんな自分を嫌っていた。
* * *
「――はい。もう上着を着てもいいよ」
シドの背中に聴診器を当てていた医師が、おもむろに離すと静かに言った。
言われたとおり上着を着たシドは、体を医師の正面へと向き直した。
「どこか、痛むところはあるかい?」
「いいえ」
「最近、おかしなこととかは?」
「……いいえ」
一瞬、言葉をつまらせるシドをちらりと見たが、医師は何もなかったように視線をそらした。
「ふむ。それじゃあ、異常なし……と」
さらさらとカルテに何やら書き込んで、なぜかいつもより散らかっている机の上に置いた。
シドは月に一度、この診療所に定期検診に訪れていた。特にどこが悪いというわけではないが、幼い頃から通い続けていた。
今日は診療所は定休日で普段は休みだが、こうしてシドのために特別に開かれるのは、医師とシドの父親が幼馴染で友人同士だからなのだろう。
少し中年太りぎみの医師は、自分の胸ポケットを探ると、すぐさま顔をしかめた。机の上の灰皿から吸い殻を一つ摘んで、ひょいと口に咥えた。だが、シドがいる手前、火は付けなかった。
角張った顎には普段はない無精髭。のりが効いていない少しよれよれの白衣に、素足にサンダル履き。
「――先生。また、奥さんいないんですか?」
悪気もなく聞いたのだが、熊みたいな顔をしかめられた。
「また、ってところは嫌味か?」
「え? そんなつもりじゃ……」
「ハハッ。分かってるさ。そう毎日毎日、ケンカしてるわけじゃないんだがなぁ。あいつは怒るとすぐ実家に帰るって言うんだ。困ったもんだ」
それほど困っている様子には見えなかったが、いつも折れるのは医師のほうで、迎えに行けば奥さんはすぐに帰ってくる。結構仲はいいほうなのだが、よくケンカをしているようだ。
時々、仲睦まじい夫婦を目にすると、シドの父親も、妻が生きていればこんな風に幸福だったに違いないと考えてしまう。
「ところで、最近ぼうっとしてることが多いみたいだが、何かあったかね?」
がっしりした腕を組んだまま、おそらく父親に聞いたのだろう、医師はそう尋ねてきた。
「いいえ」
「他人には言えないことかい?」
「そんなんじゃ……。なんでもないんです」
シドは微笑んでいたが、つい俯いてしまった。
ふ~っと息を吐くと、医師は話題を変えた。
「学校のほうはどうだね。楽しいかい?」
「はい」
「それはよかった。友達はたくさん作るといい。おっと、もうそろそろ行かんと遅刻するぞ」
「え?」
散らかった机の上に置いてある時計を見ると、始業ベルまであと二十分だった。自転車で、ここから学校まで十五分弱で着く。
「先生。それじゃあ、また」
「あぁ、また来月おいで」
ぺこりとお辞儀をすると、シドは診療所を出た。
(――誰かが、僕を呼んでいる……)
シドは口にできなかった言葉を、そっと胸の内にこぼした。
こんなことを言ったら、また、父親を心配させてしまうことは分かっていた。
(あのころとは違うんだ。何も知らなかった、あのころとは――)
何も知らずにいた、六歳のころとは違うのだと、シドは自分自身に言い聞かせると、自転車に跨り、迷いを振り切るように力強くペダルをこぎ出した。
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