短編・完結【人魚の卵】【時計屋『永遠時間』】

m.sei

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人魚の卵【完結】

五、呼ぶ声

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 突然、甲高い悲鳴が聞こえ、シドは我に返った。

「誰か、うちの子が……、うちの子を助けてっ」

 シドは立ち上がり、波打ち際の手前まで下りると、辺りを見渡した。

 母親と思しき人が叫んでいるのが最初に目に入った。その視線は、波で見え隠れしながら沖の方へと流されていく浮き輪にしがみついた子供を捉えていた。

(波が、高い……。沖の方が荒れている?)

「どうしたっ」

 事態に気づき、カーマンたちも走り寄ってきた。

「子供が流されてる。早く助けないと」

 シドがそう答えた直後、


『――連れて、いくよ?』


 背筋に冷水を浴びたように、ゾクリとなにかが突き抜けたのを感じた。

「くそっ、オレが行く」
「駄目だ。君まで流されてしまう」

 あの波は普通じゃないと、シドはカーマンを引き止めた。

(――あの場所だけ、流れが早いみたいだ)

「なに言ってんだよ、それじゃあ誰が行くって言うんだっ」

 ライフセーバーを待っている時間はなかった。このままでは、どんどん流されてしまう。迷っている時間もなかった。

「……僕が、行く――」

(そうじゃないと、僕の代わりに、あの子が……)

「シド? なに、言ってるの……」

 信じられないものを見るように、目を見開いたキャシーを安心させるために、シドは微笑んだ。

「大丈夫だよ、キャシー。すぐ、戻るから」
「待って……シド、だめよ……。だめっ、戻ってきてっ、シドっ!」

 咄嗟に腕を掴んで引き留めようとするキャシーを振り払うように、シドは走り出した。

「ごめん、誰か浮き輪を貸してっ」

 途中で浮き輪を借りると、そのまま海へと向かった。

 海水に足を浸けた瞬間、シドはどこか懐かしさを覚えた。知らないはずの感覚が、電気が流れるように、皮膚の下まで浸透し、五感を刺激していく。

 波に逆らわずその身を預け、温かさと冷たさが混じった海に入ると、思った以上に体が軽く感じた。まるで魚にでもなったかのように、容易に体が前に進んでいく。

(なぜだろう……。波が、僕の言うことを聞いてくれているみたいだ)

 そんな錯覚に襲われた。

 導かれるように、今にも泣き出しそうな子供のそばまで近づくと、シドはその子供の浮き輪に手を伸ばし引き寄せた。

「大丈夫だよ。すぐに、お母さんのところへ帰してあげるから」

 そう言いながら、シドは心の中で願った。

(お願いだから、この子は帰してあげて)

 波の動きが、穏やかになった気がした。今のうちにと、シドは海岸へと急いだ。

 足が砂を捉えられる場所まで辿り着くと、シドはライフセーバーに子供を預け、ほっと胸をなでおろした。

 陸に近づくにつれ、先ほどとは逆に体が重くなっていくのを感じた。

 自分の名前を呼んでいる声がした気がしたが、朦朧としていく意識を手放したシドには、それが誰だったのか分からなかった―――



  * * *


 水滴が跳ねる音がした気がした。

 暗闇で目を開けたシドは、自分がどこにいるのか分からなかった。ただ、体にまとわりつく海水のせいなのか、いつもより濃い潮の香りがした。

 横たわっていた体をゆっくりと起こし、そこになにかがあると、目を凝らした。

 真っ暗だと思われた先。けれどそれは、確かに目の前にいた。

「……誰?」

 答えるとは思わずに、シドは呟いていた。

「――ボク? ボクは×××」
「……」

 急に雑音が入ったかのように、声が聞き取れなくなった。

「――ずっと、呼んでいた」

(呼んで、いた? どこから……)

「――海だよ」

 心の中を読んだように、すぐに答えが返ってきた。

「……」

 奇妙だった。浮かび上がるように、うっすらと視認できた〈彼〉は確かに人の形をしていた。だが、シドの目にはどこか不自然に映って見えた。

 本能が危険を感じながら、シドの瞳は一点に集中していた。

 なぜ最初に気が付かなかったのか。そこに座っている〈彼〉は、その体から滴を垂らし、大事そうに何かを抱いていた。

 赤ん坊くらいの、大きな塊を。

 その塊の表面は海藻が巻かれたように、てらてらと光っていた。そして、ミミズ腫れのような筋が、時折動いているように見えるのは、錯覚だろうか。

(あれはまるで、何かの――)

「……たま、ご?」

 知らぬ間に、思ったことが口からもれていた。

「――これが、欲しい?」
「どう、して……」
「――君の考えていることは、ボクには手に取るように分かる。だって、ボクと君は×××から」

(っ、また……)

 頭の中に響く雑音に、シドはこめかみを押さえ気が付いた。電波の悪いラジオのように、シドの頭の中に直接、〈彼〉の声が聞こえていた。

 そう認識した瞬間、目の前の光景が現実味をなくしていく。


『――だから、一緒に……』


 それは、誘惑だった。けれどシドにも分かっていた。差し伸ばされたその手を掴んではいけない。

(でも……)

 幼い日の記憶が、頭をよぎった。


『――もう、×××ない。だから、早くおいで……』


 視界が再び、暗闇の中に戻っていく。遠のいていく声を聞きながら、シドはゆっくりと目を閉じた。


    
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