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人魚の卵【完結】
六、母と子
しおりを挟む気が付くと、自室のベッドに寝かされていた。
天井をぼうっと眺めていると、部屋の外でかすかにキャシーと父親の声が聞こえてきた。
「おじさん。本当にごめんなさいっ。こんなつもりじゃ、なかったのに……」
泣いていた。泣き顔など見たこともなかったが、キャシーが泣いているのが分かった。
(気の強い彼女が取り乱し、僕のせいで泣いている)
「キャシー、シドは気を失っただけだ。子供を無事に助けて気が抜けたんだろう。大丈夫、今日一日ゆっくり休めば――」
「でもっ……。私、本当は怖かった。子供のころのことを気にしていたのは、本当はっ……」
無理もないと、シドは思う。幼馴染のキャシーは一番近くで、シドを見てきたのだ。
(髪や、爪は伸びるのに……)
いつからか、歳を重ねてもシドの体は成長を見せなくなった。そして――
「君の不安は、私にも痛いほどよく分かるよ。けれど誰もが、いつかはいなくなる。人は永遠の命を持っていないんだ。いつかを考えるよりも、今を見つめてごらん。シドはまだ、ここにいる。それだけで、私は幸せだよ」
父親は静かに告げた。キャシーに言い聞かせるというよりも、自身に対する言葉のようだと、シドは思った。
「キャシー、君も疲れているようだ。帰って、ゆっくり休みなさい」
「おじ……さん」
「気を付けてお帰り」
キャシーはためらいながらも、促されて帰って行ったようだった。
部屋の扉が開き、父親はベッドに近づくと、シドの頬に触れ、慈しむように髪をなでた。
その動作を、シドは眠ったふりで感じていた。父親の優しさを、そして、深い哀しみを。
(誰も、哀しませたくないのに……)
けれど、シドにはどうしても聞かなければならないことがあった。
「――父……さん」
「シド? 起きていたのかい」
ほっとしたように、父親が息を吐いたのが分かった。
「……父さんは、昔、言ったよね。僕が、海に連れて行かれるって。あれはどうして……?」
「急に、どうしたんだい。シド」
脈絡もなく唐突に問われ、父親は訝しんだ。
「僕は、知っているんだ。父さんが……本当の、父親じゃないってこと」
「……」
淡々と話すシドの言葉が信じられないのか、父親は目を見開いた。
「お母さんは、海に眠っている。父さんはそう、教えてくれたね。だったら、なぜ僕はここにいるんだろう……。確かに、子供はいた。でもそれは、お母さんの、お腹のなかだったはず……」
「……」
シドはずっと以前から、そのことに気づきながらも隠していた。真実を知りたくなかった、父親を愛していたから。けれど今は、真実が知りたい。
気持ちが伝わったのか、父親は窓際に置かれた椅子をベッドの脇に置くと、そこに腰を下ろし、静かに語りだした。
「突然の、暴風だった。ついさっきまで穏やかだった海が、急に荒れ始めた。私と妻が乗っていた客船が高波にのまれて転覆し、多くの人たちと妻は、船と一緒に……」
その先の言葉を、父親は呑み込んだ。だが、シドの顔を見て続ける。
「お前の言う通り、お腹の子と、一緒にね」
辛そうな父親の顔を見ながら、シドは静かにうなずいた。
「私は独り生き残り戻ってきた。けれどもう、生きる希望は失せていた……。
あの日も、浜辺を歩いていた。もしかしたら、妻が流れ着いてくるのではないかと、毎日、海岸に……。狂っていたのかもしれない。いっそ死のうかと思っていた。でも――」
言葉を区切ると、手元を見ていた視線をシドに向けた。
「お前を見つけた。これは奇跡かと思った。それまで濁った色にしか見えなかったものが、突然鮮やかに、光と共に色づいた。
おそらく、船の残骸と共に打ち上げられたんだろう。岩と岩の間に守られるように挟まり、鳴き声を上げている赤ん坊がそこにいた」
黙って聞いていたシドは、父親と視線を合わせながら尋ねた。
「なぜ、息子だと?」
シドが言おうとしていることが分かったのか、父親は言葉を遮る。
「シド、聞いて欲しい。たとえ、どんなことがあろうと、お前は私の子供だ」
物心がつくころには、シドは自分が他人とは違うことに気づいていた。成長するにつれ、なおさらその違いに不安を感じていた。
だが、父親の哀しむ顔を見たくないと、日ごとに自分を呼ぶ声を感じながら耳を塞ぎ、ただ微笑むことを選んだ。
シドはいつも優しく穏やかに微笑むことで、すべてを包み隠していた。まるで、喜びと楽しさ以外は無縁の存在のように。だが、その姿はより一層、今にも消えてしまいそうな儚さに映っていたのだろう。
「私は、お前の苦しみに気付いてやれなかったのか……。淋しい思いを、させてしまっていたんだね」
違うと、シドは首を振って否定した。
「僕は、幸せだったよ。とても、幸せだったんだ……」
泣きたくなるほど幸せだった。だから、ここを離れることができなかった。
海に焦がれながら、海を畏れた。
(僕を呼ぶ、〈彼〉を……)
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