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人魚の卵【完結】
終、死と生
しおりを挟む俯いたまましばらく黙っていたシドが、不意に呟いた。
「……これは、本当に、願いが叶うの?」
シドは持っていた〈卵〉を、卵だと思っていたものをじっと見つめていた。重さを感じないその塊から、奇妙な感覚を覚えていた。
「それは……。残念だけど、その〈卵〉では君の望みは叶わない。もっと力を、人の魂を吸い取ったものでなければね」
「……そうか、そうなんだね。思った、通りだ……」
シドは独り言のように呟いた。そして、
「僕は、一緒には行けない。行けないよ、カイン。僕にはできない。人の魂を取って生きるなんて」
「シド、大丈夫だ。君はボクと一緒に来るだけでいい。そうすれば、あとは――」
〈彼〉がシドの腕を掴もうとした。だが、それを振り払いシドは拒絶の言葉を口にした。
「僕は、人魚にはならない、なれないよ……。そして、人間にも……」
シドは表情を捨てた。もう、なにも繕う必要はなかった。けれど、それはすべてを受け入れ、否定する顔でもあった。
(どちらにもなれない僕が、生きていくことはできないだろう。僕に残された道は……)
静かに立ち上がると、シドは〈彼〉を見つめた。
「ねぇ。僕はいま、どっちなの。人間、それとも……」
シドの問いかけに、〈彼〉が目を見開いた。
「シド。まさか……、気づいたのか?」
「カイン。僕の望みを叶えて。君なら、きっと叶えられるはずだ。僕のすべてをあげるから……。だから、どうか僕の代わりに、父さんたちを……。哀しませたく、ないんだ」
シドがいなくなったあと、彼らが哀しむことがないように、身代りができるのは〈彼〉しかいないと。そう、シドは気付いていた。
(僕を愛していると言った君なら、きっと人間に……。僕と同じ顔をした、君なら……)
「シドっ、やめろっ」
〈彼〉が制止するのを待たず、シドは自分の〈卵〉を、小舟に向けて投げつけていた。
「シドっ」
どさりと砂浜に倒れ込んだシドの体を、〈彼〉は抱き起こした。
「――本当に、馬鹿な子だね……。シド、こんなことをしても、君の望みは叶わない。叶わないんだよ」
「……」
どうして……と言う、シドの声にならない声に、〈彼〉は悲しそうに答えた。
「人魚が、人間に戻る方法はないんだ。たとえ、一番愛している相手の魂を手に入れても……」
「……」
「〈卵〉がなにか、気づいたんだね。そうだよ。これは、人魚の命。心臓と言ってもいい。そんな大切なものを、君は……」
そう言って、シドが投げつけて壊したはずの〈卵〉を、〈彼〉は手にしていた。
体を動かすことも、言葉を発することもできないシドに、〈彼〉は静かに告げる。
「シド。ボクの、大切な弟」
(……弟。やっぱり、僕……たちは――)
シドは薄れていく意識の中、じっと〈彼〉を見つめた。
(僕の、兄さん……)
「ボクは、君を死なせない。母さんが、命をかけて守ったんだ。ボクも、家族を守る……」
シドは首を振ろうとした。だが、やはりできなかった。
(もう、いいんだ……。もう……)
涙が、自分の頬を伝うのが分かった。だが、滴るように上からこぼれたものは、自分のものではなかった。
「本当は、ボクも分かっていたよ。君が、一緒に来てくれないことは。だけど……」
その先に続く言葉を、辛そうな顔で呑み込んだ〈彼〉は立ち上がると、なにもないところから〈卵〉を出した。シドのものではない、〈彼〉の〈卵〉を。
「シド、もう時間がない。これで――」
シドの意識が途切れようとしていた。人魚の〈卵〉を失った今、人としての命も、もう尽きようとしていた。
『――さよなら、シド』
最後に、別れの言葉を聞いた気がした。そしてシドの意識は、暗い闇のなかへと沈んでいった――
* * *
赤ん坊の声が聞こえていた。
なにかに呼応するように、泣いているようだった。
寄り添う父親にそっと肩を抱かれながら、シドはすべてを思い出していた。
あの日、人間としての命を再びシドに与えてくれた〈彼〉を、同じ母親の子宮で出逢っていた〈彼〉を。そして、なぜ自分が、陸に流れ着いたのかを。
「僕は、逢いたかったんだ。父さんに……」
きっと〈彼〉も、同じ気持ちだったのだと、シドは今、ようやく分かった。
あの日を境に、シドの体は著しい変化を見せた。医師にも、誰にも理解できなかった。
身長が伸びたことはさしたる問題ではなかったが、徐々に髪と瞳の色までもが変わっていった。髪は茶色みが強くなり、碧かった瞳は今はグレーに近い。最近では、父親によく似てきたと言われていた。
どうして今、記憶が戻ったのかは分からない。だが、シドは確かに聞いたのだ。願うように告げられた、最後の別れの言葉を。
『――さよなら、シド。でも、覚えていて、ボクも君を、愛しているってこと……。忘れて、しまうだろうけど……、どうか……』
そう言いながら、命の代償に、シドの人魚の〈卵〉と〈彼〉に関する記憶をすべてもらっていくと言った優しい人魚の名を、シドは呼んだ。
「あぁ、カインっ……。カイン、僕も愛してる。愛してるよ」
あの日言えなかった言葉を、繰り返した。泣き止まないシドの肩を、父親は強く抱きしめた。
今は聞こえなくなった声を懐かしく思いながら、シドはこれから毎日、何度も口にするだろう。
きっと、今でも囁いている声に、答えるために。
『――愛して、いるよ』と――――
完
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