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02 軍服とカラマンドゥンペ
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ソヨンとの初のまともな会話から一週間経過し、本日の語学学校の授業は再び上級A、リナとマークのクラスである。
千早が授業を終えて休憩スペースでコーヒーを選んでいると、帰り支度を終えた両名が並んで現れた。
「先生、お隣さんは元気?」
「どうだろうな。ここ数日、家に帰ってないみたいだから」
ソウル市内を横断して流れる漢江の南側、K-POPのヒット曲で有名になった江南の西側に位置する銅雀区の外れにある集合住宅。その一室が千早の住処だ。
年季の入った建物なので、金属製の扉の開け閉めは結構響く。ソヨンは普段から出入りの時間が不規則だったが、ここ数日は居室の気配さえなかった。
不覚にもソヨンの微笑みにときめいてしまってから、会いたいような会いたくないような悶々とする気持ちを抱えた一週間であった。
「帰ってないって、旅行とか出張とか?」
千早の向かいの椅子に腰を下ろし、リナは小首を傾げた。
「どうだろうな。元々、深夜早朝構わず出入りしてるみたいだったから」
「んー、不規則な職業となると、芸能人。もしくはお医者さん?」
宙に視線を巡らせるリナに次いで、マークが「報道関係、医療関係、運輸・航空関係、警察、軍人、ブラック企業」とつらつらと指を折った。
千早は「どれもピンと来ないな」と苦笑する。
どの職業もあり得そうだし、あり得なさそうでもある。
「個人的には警官か軍人希望。白衣も捨てがたいが禁欲的な制服が勝利」
リナはまたもや妄想ワールドを展開している。
「制服ねえ」
千早は、うろ覚えの韓国陸軍の制服を頭の中のソヨンに着せてみる。
身長は千早と同じくらいあったが、身体の幅や厚みは控えめだった。惣菜のビニール袋を受け取った指は長くて、爪は清潔に切り揃えられていた。その指先が、オリーブグリーンのかっちりとしたジャケットの、金のボタンをはずす仕草まで想像してしまい、千早は思わず突っ伏した。
脱がせてどうする! アホか俺は。
「先生? どうしたの?」
講師の奇行に引き気味のリナの横で、マークが「いけない想像でもしたんじゃないですか」と図星をついてくる。
「うるさい。ちょっと血迷っただけだ」
何か飲んで妄想を振り払おうと、千早は自販機で3人分の梨ジュースを買って、生徒達に分け与えた。
「他の生徒さんには内緒な」
講師が特定の生徒に便宜を計らうのは規則で禁止されているが、学生のこの2人には時々ジュースや菓子を奢ってやっていた。
「いつもありがと。チハヤ先生、口悪いけど実は優しいよね。そういうとこ好感度花丸」
「どこで覚えるんだ、そういう日本語」
「んー、ネット?」
「検定試験では使うなよ」
「承知つかまつった。あ、今のは時代劇からね。日本の時代劇はとってもクール、衆道万歳」
性格と趣味に難ありだが、難関の梨花女子大の生徒とあって、リナは頭の回転が早い。長い黒髪を耳にかけてジュースをほぼ一気に飲み干すと、ふと真面目な顔つきになった。
「先生は、どうして彼女も彼氏も作らないの?」
「俺がいつフリーだと言った?」
ささやかな反駁を華麗にスルーしてリナは続けた。
「先生、ちょっと目つき悪いけど普通に男前だし。SKY出身じゃないとしても普通にモテると思うんだけど。ミックスってポイント高いし、三カ国語喋れるし、教えるの上手だし」
「それはどうも。微妙にディスってんのは見逃してやろう」
「ちょっと前にイタリア語クラスのアンナ先生に告られてたの知ってるんだからねー。なんで断ったの?」
「誰が答えるか」
千早はわざとらしく明後日の方向に視線を逸らし、缶を煽った。すりおろされた梨の果肉がアルミ缶のフチに引っかかってもどかしい。
人を十把一絡げにする気はないし、千早が付き合った相手がそうだっただけかもしれないが、韓国女性は気性が激しいタイプが多い。以前、別れ話がこじれて公衆の面前でタピオカミルクティーを頭からぶっかけられて以来、韓国女性との恋愛に及び腰になっているなどとは生徒に言えたものではない。
「先生は、美人だけどちょっと勘違い系の子に告白されて流れで付き合ったものの、途中で面倒くさくなって蔑ろにした結果、こっぴどく振られるタイプ」
マークが眼鏡をきらりと光らせ分析を披露する。
見てきたように言ってくれるものである。
「二次元にしか興味ないのにご明察だな」
そう言うと、マークはふふんと鼻を鳴らした。褒めてはいないのだが。
「先生。もし彼氏が出来たら、私、全力で応援するからね!」
リナはリナで両手でガッツポーズを作って、妙な応援をしている。
「彼女の場合は応援してくれないのか」
「彼女の場合は……、考慮しておきます」
「即答しろよ」
愉快な生徒達との会話を切り上げるべく、千早は飲み終わったカップを潰してゴミ箱に投げ込んだ。
千早が授業を終えて休憩スペースでコーヒーを選んでいると、帰り支度を終えた両名が並んで現れた。
「先生、お隣さんは元気?」
「どうだろうな。ここ数日、家に帰ってないみたいだから」
ソウル市内を横断して流れる漢江の南側、K-POPのヒット曲で有名になった江南の西側に位置する銅雀区の外れにある集合住宅。その一室が千早の住処だ。
年季の入った建物なので、金属製の扉の開け閉めは結構響く。ソヨンは普段から出入りの時間が不規則だったが、ここ数日は居室の気配さえなかった。
不覚にもソヨンの微笑みにときめいてしまってから、会いたいような会いたくないような悶々とする気持ちを抱えた一週間であった。
「帰ってないって、旅行とか出張とか?」
千早の向かいの椅子に腰を下ろし、リナは小首を傾げた。
「どうだろうな。元々、深夜早朝構わず出入りしてるみたいだったから」
「んー、不規則な職業となると、芸能人。もしくはお医者さん?」
宙に視線を巡らせるリナに次いで、マークが「報道関係、医療関係、運輸・航空関係、警察、軍人、ブラック企業」とつらつらと指を折った。
千早は「どれもピンと来ないな」と苦笑する。
どの職業もあり得そうだし、あり得なさそうでもある。
「個人的には警官か軍人希望。白衣も捨てがたいが禁欲的な制服が勝利」
リナはまたもや妄想ワールドを展開している。
「制服ねえ」
千早は、うろ覚えの韓国陸軍の制服を頭の中のソヨンに着せてみる。
身長は千早と同じくらいあったが、身体の幅や厚みは控えめだった。惣菜のビニール袋を受け取った指は長くて、爪は清潔に切り揃えられていた。その指先が、オリーブグリーンのかっちりとしたジャケットの、金のボタンをはずす仕草まで想像してしまい、千早は思わず突っ伏した。
脱がせてどうする! アホか俺は。
「先生? どうしたの?」
講師の奇行に引き気味のリナの横で、マークが「いけない想像でもしたんじゃないですか」と図星をついてくる。
「うるさい。ちょっと血迷っただけだ」
何か飲んで妄想を振り払おうと、千早は自販機で3人分の梨ジュースを買って、生徒達に分け与えた。
「他の生徒さんには内緒な」
講師が特定の生徒に便宜を計らうのは規則で禁止されているが、学生のこの2人には時々ジュースや菓子を奢ってやっていた。
「いつもありがと。チハヤ先生、口悪いけど実は優しいよね。そういうとこ好感度花丸」
「どこで覚えるんだ、そういう日本語」
「んー、ネット?」
「検定試験では使うなよ」
「承知つかまつった。あ、今のは時代劇からね。日本の時代劇はとってもクール、衆道万歳」
性格と趣味に難ありだが、難関の梨花女子大の生徒とあって、リナは頭の回転が早い。長い黒髪を耳にかけてジュースをほぼ一気に飲み干すと、ふと真面目な顔つきになった。
「先生は、どうして彼女も彼氏も作らないの?」
「俺がいつフリーだと言った?」
ささやかな反駁を華麗にスルーしてリナは続けた。
「先生、ちょっと目つき悪いけど普通に男前だし。SKY出身じゃないとしても普通にモテると思うんだけど。ミックスってポイント高いし、三カ国語喋れるし、教えるの上手だし」
「それはどうも。微妙にディスってんのは見逃してやろう」
「ちょっと前にイタリア語クラスのアンナ先生に告られてたの知ってるんだからねー。なんで断ったの?」
「誰が答えるか」
千早はわざとらしく明後日の方向に視線を逸らし、缶を煽った。すりおろされた梨の果肉がアルミ缶のフチに引っかかってもどかしい。
人を十把一絡げにする気はないし、千早が付き合った相手がそうだっただけかもしれないが、韓国女性は気性が激しいタイプが多い。以前、別れ話がこじれて公衆の面前でタピオカミルクティーを頭からぶっかけられて以来、韓国女性との恋愛に及び腰になっているなどとは生徒に言えたものではない。
「先生は、美人だけどちょっと勘違い系の子に告白されて流れで付き合ったものの、途中で面倒くさくなって蔑ろにした結果、こっぴどく振られるタイプ」
マークが眼鏡をきらりと光らせ分析を披露する。
見てきたように言ってくれるものである。
「二次元にしか興味ないのにご明察だな」
そう言うと、マークはふふんと鼻を鳴らした。褒めてはいないのだが。
「先生。もし彼氏が出来たら、私、全力で応援するからね!」
リナはリナで両手でガッツポーズを作って、妙な応援をしている。
「彼女の場合は応援してくれないのか」
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「即答しろよ」
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