5 / 12
05:赤禰という男
しおりを挟む
「お名前は園部純さんで宜しいですか」
「はい」
「失礼ですが…性別は?」
「あ、女です」
「女性でいらっしゃいますね、大変失礼致しました、ありがとうございます」
俺の人生では、こういうやりとりが少なくない。純という名前も男寄りだし、外見も男そのもの。大概第一印象では男として扱われれる。女です、と言うと一瞬ビックリするんだ。最近ではその動作にも慣れちゃったけど。
電車に乗ってるとき、隣に女の人がいると、たまに不審そうな顔で見られることがある。俺は女だから、隣が女の人の場合、それほど気にせずに近づいてしまうんだけど、相手からしたら俺は男に見えるわけで、なんだこの男、近寄るなよ、というオーラが出ているわけだ。まあこれにもなれたけど。
休日に、久々に買い物へと出かけた。
服なんてまるで興味がないけど、文房具を買いに行く道の間にセレクトショップみたいのがあって、何の気なしに立ち止まってみたりする。
花柄のワンピース。ふりふりだ。
そういえば、アカネのバンドのファンの女の子がこんなのを着てたな。
「彼女へのプレゼントですか?」
寄ってきた店員を笑顔で交わして、俺はそそくさとその場から逃げる。
違う。
プレゼントなんかじゃない。
もし…もしもだよ?
俺があんなの着たらどうなっちゃうんだろうって…なんかそんなことを考えたんだ。気持ち悪くて笑っちゃうけどさ。
アカネはああいうワンピース着る子、好きかな?
小柄で、声も高くて、胸もふんわりあって、可愛らしく笑うような子。アカネに似合いそうだな。
「はは…馬鹿らし…」
俺には縁がないさ。
それは、ある日の夜のことだった。
いつものようにアカネの帰りが遅くて、俺は寝る準備なんかをしてて、もうそろそろ一時になろうかって時間のこと。アカネがようやく帰ってきて、俺は「お帰り」と言った。だけどおかしなことに、玄関先からはアカネ以外の声も聞こえてきたんだ。
あれ?
俺はTシャツにハーフパンツっていう味気ないいつもどおりの格好で玄関先に出向く。そして、衝撃映像を発見した。
「あ、ジュン。悪い、今日だけコイツ泊めてくれよ。俺の部屋から出さないし迷惑かけないからさ。ホント悪い」
アカネの横にいたのは…可愛い女の子。
彼女は結構酔ってるみたいで、両手でアカネの胸に抱きついてる状態だった。それを見た瞬間、俺の心はざわざわと揺れた。
アカネの部屋?
部屋から出さないって?
それ…どういうこと?
俺は呆然としながら、彼女を引きずって部屋に入り込むアカネを見送る。心臓がドキドキしてどうしようもない。これはいつものドキドキとは違う、もっと嫌な、すごく嫌なドキドキだ。
アカネの部屋のドアがパタンと閉まると、中から女の子の甘ったるい声と、それをけん制するようなアカネの低い声が響いてきた。
いつもだったら、部屋にこもる前にビールを飲んでリビングで一緒にダベるのに、今日はそれすらない。俺は、一人きりだった。同じ家の中でアカネと見ず知らずの女の子が一緒にいて、俺はただそれを見過ごすしかなくて…。
「やば…どうしよ…」
やば…。
馬鹿だなあ、俺。
すごい馬鹿だ。
なんだろ、何だか今すごく泣きそうなんだ。
なんか視界が潤んでて良く見えないや。部屋の中のもの全部、二重に見えるよ。視界はこんなにかすんでるのに、どうして耳だけはちゃんと聞こえるんだろう、不公平だよな。目がかすんだら、耳もかすむように作ってくれれば良かったのに。
『お前な…ほら、いい子にしてろよ?』
『はぁ〜い』
『よしよし、やればできるじゃん?』
『そ〜なの〜。ね〜ね〜アカネご褒美はぁ?』
『全く仕方ないヤツだなーほんと…』
俺は…。
俺は、この夜まで知らなかった。
今まで何度も、自分じゃ駄目だとか叶わないとか勝てないとかいろいろ思ってきたけど、これほど大きなショックがこの世にあるんだなんて知らなかったんだ。男と間違えられることなんてたいしたことない。痴漢疑惑とかからかわれて馬鹿にされることだって、ブスとか男女とかひどいこと言われることだって本当にたいしたことないんだ。だってそんなのどうだって良いことだから。
でも、アカネは違う。
俺はアカネと同居してる「男」ってだけで何もない。
だけど、こんなふうにアカネが女の子といちゃついてるシーンは辛くて辛くてどうしようもなかった。何だかもう、出て行きたくなった。この場から逃げたい。これってなんなんだろう?
リアルに、アカネが誰かを選ぶところなんて、やっぱり見たくないよ。
アカネ、その女の子を選ぶのか?
可愛い女の子。
可愛い…アカネに良く似合ってる、女の子。
「も、だめだぁ…」
もうやだ。
もうやだ。
こんな気持ちって無いよ。
このままアカネの隣の部屋で、アカネと女の子のやらしい声とか聞くハメになるんだって思ったら、俺はもう此処にはいられないって思った。
やだ。
やだ。
やだ。
俺の頭はその言葉をリピートする。リピートしすぎてバカの一つ覚えみたいになった。どうしようもない。麻痺してる。
だけど、そんな俺の脳に呼びかけるように、ふと響いてきた声があった。
「おい、ジュン」
「アカネ…?」
ふと見ると、ドアを静かに閉めて忍足でこっちにやってくるアカネの姿があった。俺はそんなアカネを呆然と見てる。アカネは服もちゃんと着てるし、特にあやしいカンジじゃない。
「いや、ほんと悪かったな…って、オイ!ちょっと待て、お前何泣いてんだよ!?何かあったのか?」
「ばっ…アカネが悪いんだろ!」
弁解しなきゃいけないところなのに、俺は何だかもういっぱいいっぱいで、わけも分からないままそんな言葉を口にしてた。最悪だ。
アカネは「え!?」って驚いてる。そりゃ当然だよな。だって、アカネが女連れ込んだってだけで泣くなんてありえない話だし…。
「ちょ…おいジュン、泣くなって。ゴメンって、な?そりゃ女連れ込んだ俺が悪かったよ。そりゃ誰だって人のやってる声なんて聞きたくないもんな。だけど違うんだ。そういうつもりとかないから。ホントに。怒るならまだしも泣くとかって…ちょっとマジにさ…そんなにショックなもんかな、こういうのって…」
アカネは明らかに混乱してた。
俺は、そういうつもりはないんだっていうアカネの言葉にすごくホッとして、ものすごくホッとして、ホッとしたらまた涙腺が弱ってしまって本当に困ってしまったもんだ。泣くのなんて嫌だったし、アカネに見られるなんてもっと嫌だったけど、なんだかとまらなかったんだ。
恥ずかしい…。
最悪だよ…。
「あのな、あの子、バンドマンキラーなんだよ。ライブの後って打ち上げってことで飲みとかやるんだけどさ、必ず出没して泥酔して、バンドマンの家まで付いてくるんだ。そういうの繰り返してやりまくってるらしくて、とうとう俺にも白羽の矢が立ったってわけ。いやーモテない俺もとうとうこの日が来たかってなー」
「そうだったんだ…」
そうとは知らず、俺はアカネを疑ってしまった…悪いことしたんだな、俺…。だけどあのシチュエーションじゃ仕方ないって思う。仕方ないけど、俺はアカネのこと、本当に責める資格なんてどこにもないんだ…。なのにアカネは謝ってくれる。
何だか俺、すごい我儘だよ…。
何様なんだよ、俺…。
何だか自分がものすごく嫌だ。むかつくよ。
「ぶっちゃけた話さ、ウチのメンバーもあの子とやっちゃっててさ、ほんと馬鹿だよアイツラ。狭い業界に穴兄弟だらけってマジ洒落にならないよな」
「アカネはどうしてやらないんだよ」
「え?俺?そりゃだって、別に好きな女じゃないからさ。誘われたってやらねーよ。やりたくないし」
うわ…。
アカネって何か…。
意外だ。いや、意外じゃないのかな?
アカネは、他の男とはちょっと違うみたいだ。誘惑に負けないなんて、なんか良く分からないけどスゴイって思う。裏を返せば、好きな女の子とだったらやるってことなんだろうな。でもそれは当たり前だよな。
そっか…アカネってきっと、一途ってことなんだ。
「にしてもなーまさかジュンが泣くとは思わなかったな」
「その…ご、ごめん…」
「別に良いんだけどさ。あっ、分かった!そうかそうか、お前ってばヤキモチやいたんだろー?」
「ばっ馬鹿かよ!そんなわけないだろ気色悪いな!」
…まったくその通りです。はい。
とは言えるはずも無く…。
「あはは!そっかー何だーヤキモチかー」
「だから!違うって言ってんじゃん!耳かっぽじって聞けよ!」
「よしよし、いい子だなー。俺そんな節操なしじゃないから安心して良いぞー。あはは」
「こん…のやろー…」
アカネは俺の頭をポンポン叩きながらまるで子ども扱いだ。それはそれでムカつくんだけど、アカネに触られてるってことが何だか嬉しかったりするあたりが複雑だ。何だよもう…わけわかんないよ…。
嬉しかったり、むかついたり、苦しかったり…。
人を好きだってことは、こんなに大変なことなんだ。
「はは、なんかおもしれーなー」
アカネは、首をひょいともたげて、俺の顔を覗き込んでくる。それは俺の好きなアカネの仕草で、俺は思わずドキッとしてしまった。
近い、近すぎる!
顔が近いんだよ!!
「なんかジュンって女の子みたいだな。なんか可愛い」
「は…」
ちょ…。
この至近距離でその言葉はヤバイだろ…。
マジに…。
っていうか女の子みたい、じゃなくて女だから。
アカネ、気づいてないけど。
「なんか俺、ジュンが女だったら襲ってたかもしんない。やっばいなー。こんなこと言ったら危ないヤツじゃんな俺」
「あは、はは…」
笑えん。笑えんて。
まじ笑えないからソレ。
「…なあ」
「え?」
「キスして良い?」
「えっ!!?」
俺の心臓はあきらかに1メートルほどぶっとんだ。キ、キキキキキス!?俺と?アカネが?キス!?ええええええええええええええーーーー!!!!!
「ちょ、ちょい待て!ア、アカネ、それはそのっ…」
「俺マジだよ。どうする?」
「え、えっ、ちょ、ちょっと!ええっ…!」
「ジュン…」
何なんだよこの展開!ちょ、ちょっと!俺やばい!ついていってない!
嘘だろ!?マジなのか!?
ええええーーー!!!
アカネの顔が、ものすごく近くにある。
大好きな顔が、じっと俺を見てる。
アカネの低い声がちょっとかすれ気味に耳に響いて、異様にドキドキした。めちゃくちゃドキドキしてるのが、もしかしてバレてんじゃないかって不安になって仕方ない。
アカネは俺の肩に腕を回してて、これってアカネの体温なんだって思ったらもうどうしようもない気分だった。
キスなんかしたら…失神しそうだよ…。
救急車で運ばれるんだ、きっと俺…。
駆けつけた親が「何が原因ですか」って聞いたら、医者が「どうやらキスされて倒れたようです」って…あー笑えない…馬鹿丸出しだ…。
真面目なアカネの顔、すごいカッコイイ。というか、こんなふうに見られて落ちない女の子なんていんのかよ?絶対落ちるよ。落ちないほうがどうかしてるよ。
アカネ…俺どうしよう…。
すごい好きだ…。
「……なーんちゃってな!」
「……は?」
「嘘だよ、嘘!さすがにジュンには手出せないって。もしかしてドキドキした?」
「ばっ…バカかお前はああああああああ!!!!!!!」
ドゴッ!
俺はグーで思いっきり殴ってやった。
グーだ、グー!パーなんか甘いぜ!この野郎!!
「うおぉーマジかー!これは効いたぜ…青タンくるなこれは…!」
「アカネなんて女と寝てろ!!!」
「おっ、言ってくれるな。本当にそれで良いのかよ?」
「……」
やばい…墓穴掘った…。
俺が言葉に詰まってると、アカネはいつものあの笑顔になって、ふいに俺の肩をポンと叩いた。
「バーカ、何でもかんでも本気にすんなよ。そんなことするわけないだろ。だってお前さっき泣いてたし。しねーよ、そんなこと」
アカネは俺から手を離すと、あー疲れたーなんて良いながら適当に床に腰を下ろした。それが何だか妙に普通どおりで、俺はどうして良いか分からなくなってしまう。
暫く呆然としてると、アカネが「今日俺こっちで寝るから」と言い出した。
俺の心臓はまたしてもピンチだ。
といって、アカネの部屋には返したくない。
「床しか貸さないからな」
「えーベット入れてくれないのかよ?」
「誰が入れるか!」
そんなドキドキすることできるわけないだろうが!!!
アカネはちょっと笑った。それから、嘘だよ、と言った。
何なんだよもう…今日は嘘が多すぎるよ。何でもかんでも嘘嘘って…俺のことからかいやがって。
だけど俺は、まんざらでもなかった。
だってアカネは、自分の部屋には戻らず俺の部屋にいてくれたんだ。本当だったらリビングっていう選択肢だってあったのに、それでも俺の部屋にいたんだ。
俺はアカネのことが好きで、バカだから、変な期待をしてしまいそうだ。そんなこと絶対にあるわけないのに。バカだな、俺。
だけど俺は、アカネがどういうやつなのか、少し分かった気がした。
「はい」
「失礼ですが…性別は?」
「あ、女です」
「女性でいらっしゃいますね、大変失礼致しました、ありがとうございます」
俺の人生では、こういうやりとりが少なくない。純という名前も男寄りだし、外見も男そのもの。大概第一印象では男として扱われれる。女です、と言うと一瞬ビックリするんだ。最近ではその動作にも慣れちゃったけど。
電車に乗ってるとき、隣に女の人がいると、たまに不審そうな顔で見られることがある。俺は女だから、隣が女の人の場合、それほど気にせずに近づいてしまうんだけど、相手からしたら俺は男に見えるわけで、なんだこの男、近寄るなよ、というオーラが出ているわけだ。まあこれにもなれたけど。
休日に、久々に買い物へと出かけた。
服なんてまるで興味がないけど、文房具を買いに行く道の間にセレクトショップみたいのがあって、何の気なしに立ち止まってみたりする。
花柄のワンピース。ふりふりだ。
そういえば、アカネのバンドのファンの女の子がこんなのを着てたな。
「彼女へのプレゼントですか?」
寄ってきた店員を笑顔で交わして、俺はそそくさとその場から逃げる。
違う。
プレゼントなんかじゃない。
もし…もしもだよ?
俺があんなの着たらどうなっちゃうんだろうって…なんかそんなことを考えたんだ。気持ち悪くて笑っちゃうけどさ。
アカネはああいうワンピース着る子、好きかな?
小柄で、声も高くて、胸もふんわりあって、可愛らしく笑うような子。アカネに似合いそうだな。
「はは…馬鹿らし…」
俺には縁がないさ。
それは、ある日の夜のことだった。
いつものようにアカネの帰りが遅くて、俺は寝る準備なんかをしてて、もうそろそろ一時になろうかって時間のこと。アカネがようやく帰ってきて、俺は「お帰り」と言った。だけどおかしなことに、玄関先からはアカネ以外の声も聞こえてきたんだ。
あれ?
俺はTシャツにハーフパンツっていう味気ないいつもどおりの格好で玄関先に出向く。そして、衝撃映像を発見した。
「あ、ジュン。悪い、今日だけコイツ泊めてくれよ。俺の部屋から出さないし迷惑かけないからさ。ホント悪い」
アカネの横にいたのは…可愛い女の子。
彼女は結構酔ってるみたいで、両手でアカネの胸に抱きついてる状態だった。それを見た瞬間、俺の心はざわざわと揺れた。
アカネの部屋?
部屋から出さないって?
それ…どういうこと?
俺は呆然としながら、彼女を引きずって部屋に入り込むアカネを見送る。心臓がドキドキしてどうしようもない。これはいつものドキドキとは違う、もっと嫌な、すごく嫌なドキドキだ。
アカネの部屋のドアがパタンと閉まると、中から女の子の甘ったるい声と、それをけん制するようなアカネの低い声が響いてきた。
いつもだったら、部屋にこもる前にビールを飲んでリビングで一緒にダベるのに、今日はそれすらない。俺は、一人きりだった。同じ家の中でアカネと見ず知らずの女の子が一緒にいて、俺はただそれを見過ごすしかなくて…。
「やば…どうしよ…」
やば…。
馬鹿だなあ、俺。
すごい馬鹿だ。
なんだろ、何だか今すごく泣きそうなんだ。
なんか視界が潤んでて良く見えないや。部屋の中のもの全部、二重に見えるよ。視界はこんなにかすんでるのに、どうして耳だけはちゃんと聞こえるんだろう、不公平だよな。目がかすんだら、耳もかすむように作ってくれれば良かったのに。
『お前な…ほら、いい子にしてろよ?』
『はぁ〜い』
『よしよし、やればできるじゃん?』
『そ〜なの〜。ね〜ね〜アカネご褒美はぁ?』
『全く仕方ないヤツだなーほんと…』
俺は…。
俺は、この夜まで知らなかった。
今まで何度も、自分じゃ駄目だとか叶わないとか勝てないとかいろいろ思ってきたけど、これほど大きなショックがこの世にあるんだなんて知らなかったんだ。男と間違えられることなんてたいしたことない。痴漢疑惑とかからかわれて馬鹿にされることだって、ブスとか男女とかひどいこと言われることだって本当にたいしたことないんだ。だってそんなのどうだって良いことだから。
でも、アカネは違う。
俺はアカネと同居してる「男」ってだけで何もない。
だけど、こんなふうにアカネが女の子といちゃついてるシーンは辛くて辛くてどうしようもなかった。何だかもう、出て行きたくなった。この場から逃げたい。これってなんなんだろう?
リアルに、アカネが誰かを選ぶところなんて、やっぱり見たくないよ。
アカネ、その女の子を選ぶのか?
可愛い女の子。
可愛い…アカネに良く似合ってる、女の子。
「も、だめだぁ…」
もうやだ。
もうやだ。
こんな気持ちって無いよ。
このままアカネの隣の部屋で、アカネと女の子のやらしい声とか聞くハメになるんだって思ったら、俺はもう此処にはいられないって思った。
やだ。
やだ。
やだ。
俺の頭はその言葉をリピートする。リピートしすぎてバカの一つ覚えみたいになった。どうしようもない。麻痺してる。
だけど、そんな俺の脳に呼びかけるように、ふと響いてきた声があった。
「おい、ジュン」
「アカネ…?」
ふと見ると、ドアを静かに閉めて忍足でこっちにやってくるアカネの姿があった。俺はそんなアカネを呆然と見てる。アカネは服もちゃんと着てるし、特にあやしいカンジじゃない。
「いや、ほんと悪かったな…って、オイ!ちょっと待て、お前何泣いてんだよ!?何かあったのか?」
「ばっ…アカネが悪いんだろ!」
弁解しなきゃいけないところなのに、俺は何だかもういっぱいいっぱいで、わけも分からないままそんな言葉を口にしてた。最悪だ。
アカネは「え!?」って驚いてる。そりゃ当然だよな。だって、アカネが女連れ込んだってだけで泣くなんてありえない話だし…。
「ちょ…おいジュン、泣くなって。ゴメンって、な?そりゃ女連れ込んだ俺が悪かったよ。そりゃ誰だって人のやってる声なんて聞きたくないもんな。だけど違うんだ。そういうつもりとかないから。ホントに。怒るならまだしも泣くとかって…ちょっとマジにさ…そんなにショックなもんかな、こういうのって…」
アカネは明らかに混乱してた。
俺は、そういうつもりはないんだっていうアカネの言葉にすごくホッとして、ものすごくホッとして、ホッとしたらまた涙腺が弱ってしまって本当に困ってしまったもんだ。泣くのなんて嫌だったし、アカネに見られるなんてもっと嫌だったけど、なんだかとまらなかったんだ。
恥ずかしい…。
最悪だよ…。
「あのな、あの子、バンドマンキラーなんだよ。ライブの後って打ち上げってことで飲みとかやるんだけどさ、必ず出没して泥酔して、バンドマンの家まで付いてくるんだ。そういうの繰り返してやりまくってるらしくて、とうとう俺にも白羽の矢が立ったってわけ。いやーモテない俺もとうとうこの日が来たかってなー」
「そうだったんだ…」
そうとは知らず、俺はアカネを疑ってしまった…悪いことしたんだな、俺…。だけどあのシチュエーションじゃ仕方ないって思う。仕方ないけど、俺はアカネのこと、本当に責める資格なんてどこにもないんだ…。なのにアカネは謝ってくれる。
何だか俺、すごい我儘だよ…。
何様なんだよ、俺…。
何だか自分がものすごく嫌だ。むかつくよ。
「ぶっちゃけた話さ、ウチのメンバーもあの子とやっちゃっててさ、ほんと馬鹿だよアイツラ。狭い業界に穴兄弟だらけってマジ洒落にならないよな」
「アカネはどうしてやらないんだよ」
「え?俺?そりゃだって、別に好きな女じゃないからさ。誘われたってやらねーよ。やりたくないし」
うわ…。
アカネって何か…。
意外だ。いや、意外じゃないのかな?
アカネは、他の男とはちょっと違うみたいだ。誘惑に負けないなんて、なんか良く分からないけどスゴイって思う。裏を返せば、好きな女の子とだったらやるってことなんだろうな。でもそれは当たり前だよな。
そっか…アカネってきっと、一途ってことなんだ。
「にしてもなーまさかジュンが泣くとは思わなかったな」
「その…ご、ごめん…」
「別に良いんだけどさ。あっ、分かった!そうかそうか、お前ってばヤキモチやいたんだろー?」
「ばっ馬鹿かよ!そんなわけないだろ気色悪いな!」
…まったくその通りです。はい。
とは言えるはずも無く…。
「あはは!そっかー何だーヤキモチかー」
「だから!違うって言ってんじゃん!耳かっぽじって聞けよ!」
「よしよし、いい子だなー。俺そんな節操なしじゃないから安心して良いぞー。あはは」
「こん…のやろー…」
アカネは俺の頭をポンポン叩きながらまるで子ども扱いだ。それはそれでムカつくんだけど、アカネに触られてるってことが何だか嬉しかったりするあたりが複雑だ。何だよもう…わけわかんないよ…。
嬉しかったり、むかついたり、苦しかったり…。
人を好きだってことは、こんなに大変なことなんだ。
「はは、なんかおもしれーなー」
アカネは、首をひょいともたげて、俺の顔を覗き込んでくる。それは俺の好きなアカネの仕草で、俺は思わずドキッとしてしまった。
近い、近すぎる!
顔が近いんだよ!!
「なんかジュンって女の子みたいだな。なんか可愛い」
「は…」
ちょ…。
この至近距離でその言葉はヤバイだろ…。
マジに…。
っていうか女の子みたい、じゃなくて女だから。
アカネ、気づいてないけど。
「なんか俺、ジュンが女だったら襲ってたかもしんない。やっばいなー。こんなこと言ったら危ないヤツじゃんな俺」
「あは、はは…」
笑えん。笑えんて。
まじ笑えないからソレ。
「…なあ」
「え?」
「キスして良い?」
「えっ!!?」
俺の心臓はあきらかに1メートルほどぶっとんだ。キ、キキキキキス!?俺と?アカネが?キス!?ええええええええええええええーーーー!!!!!
「ちょ、ちょい待て!ア、アカネ、それはそのっ…」
「俺マジだよ。どうする?」
「え、えっ、ちょ、ちょっと!ええっ…!」
「ジュン…」
何なんだよこの展開!ちょ、ちょっと!俺やばい!ついていってない!
嘘だろ!?マジなのか!?
ええええーーー!!!
アカネの顔が、ものすごく近くにある。
大好きな顔が、じっと俺を見てる。
アカネの低い声がちょっとかすれ気味に耳に響いて、異様にドキドキした。めちゃくちゃドキドキしてるのが、もしかしてバレてんじゃないかって不安になって仕方ない。
アカネは俺の肩に腕を回してて、これってアカネの体温なんだって思ったらもうどうしようもない気分だった。
キスなんかしたら…失神しそうだよ…。
救急車で運ばれるんだ、きっと俺…。
駆けつけた親が「何が原因ですか」って聞いたら、医者が「どうやらキスされて倒れたようです」って…あー笑えない…馬鹿丸出しだ…。
真面目なアカネの顔、すごいカッコイイ。というか、こんなふうに見られて落ちない女の子なんていんのかよ?絶対落ちるよ。落ちないほうがどうかしてるよ。
アカネ…俺どうしよう…。
すごい好きだ…。
「……なーんちゃってな!」
「……は?」
「嘘だよ、嘘!さすがにジュンには手出せないって。もしかしてドキドキした?」
「ばっ…バカかお前はああああああああ!!!!!!!」
ドゴッ!
俺はグーで思いっきり殴ってやった。
グーだ、グー!パーなんか甘いぜ!この野郎!!
「うおぉーマジかー!これは効いたぜ…青タンくるなこれは…!」
「アカネなんて女と寝てろ!!!」
「おっ、言ってくれるな。本当にそれで良いのかよ?」
「……」
やばい…墓穴掘った…。
俺が言葉に詰まってると、アカネはいつものあの笑顔になって、ふいに俺の肩をポンと叩いた。
「バーカ、何でもかんでも本気にすんなよ。そんなことするわけないだろ。だってお前さっき泣いてたし。しねーよ、そんなこと」
アカネは俺から手を離すと、あー疲れたーなんて良いながら適当に床に腰を下ろした。それが何だか妙に普通どおりで、俺はどうして良いか分からなくなってしまう。
暫く呆然としてると、アカネが「今日俺こっちで寝るから」と言い出した。
俺の心臓はまたしてもピンチだ。
といって、アカネの部屋には返したくない。
「床しか貸さないからな」
「えーベット入れてくれないのかよ?」
「誰が入れるか!」
そんなドキドキすることできるわけないだろうが!!!
アカネはちょっと笑った。それから、嘘だよ、と言った。
何なんだよもう…今日は嘘が多すぎるよ。何でもかんでも嘘嘘って…俺のことからかいやがって。
だけど俺は、まんざらでもなかった。
だってアカネは、自分の部屋には戻らず俺の部屋にいてくれたんだ。本当だったらリビングっていう選択肢だってあったのに、それでも俺の部屋にいたんだ。
俺はアカネのことが好きで、バカだから、変な期待をしてしまいそうだ。そんなこと絶対にあるわけないのに。バカだな、俺。
だけど俺は、アカネがどういうやつなのか、少し分かった気がした。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─
あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」
没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。
しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。
瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。
「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」
絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。
嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる