Re:Play—未来より—

月森朱音

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第一幕 第一場◆最初の違和感

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 軽井沢駅を過ぎた頃だった。
 雪が、ちらちらと舞い始めた。
 フロントガラスに当たっては、すぐに溶ける。水の粒がすっと流れて、視界を濡らす。

 ……思ったよりも、降ってない。
 もっと、どっさり積もってるもんだと思ってた。
 ちょっと拍子抜け。なんて思いながら、ぬるくなったコーヒーをひと口。

(この取材、やっぱりどこかおかしい)

 朝の5時に東京を出て、3時間半。途中、高坂と横川で休憩を挟んだけど、さすがに身体がバキバキだ。

「美月さん、わたしもコーヒー飲みたいです」

 運転席のしずくが、ぽそっと言う。

「次の信号で止まったらね」

 そう返したけど、この先に信号なんて、あるんだろうか。ナビの画面は、どんどん白い山の中へ吸い込まれていく。地図はちゃんと持ってきたけど、そういうの読むの苦手だ。ナビが頼り。いや、正直いちばん頼れるのは、しずく。

「いい時間に着きそうじゃない?」
「ですね。あーあ、早く休みたいです」

 腕の時計を見ると、8時40分を指していた。

「それにしても」

 ため息混じりに、しずくが言う。

「美月さんと一週間も一緒なんて」
「なにそれ、文句?」
「いえいえ! いやぁ、嬉しいなぁ!」

 棒読みだぞ、しずくよ。

 とはいえ、そこがこの後輩のかわいいところでもある。

「まぁ、あんたが受けてくれてよかったわよ。他の奴とだったら、まっぴらごめん」
「美月さん、友達少ないから……」
「うっさいわ!」

 突っ込んでみたけど、笑えない。その通りだからね……。

 とある富豪から特別な依頼を受けたのは、年明けすぐのことだった。カメラマンとともに、一週間の演劇合宿を取材してほしい——なんて、正直、ちょっと変な依頼だと思った。

「美月さん、演劇やってたんですか?」
「全然? ずっと陸上部だったし」
「じゃあ、なんで今回の依頼、受けたんです?」

 にんまり。

「そりゃあ、コレよ」

 親指と人差し指で輪を作る。

「つまり、金よ、かね!」
「……ですよねー」
「はぁ? ばかにした? あんただって話持ちかけた時、報酬に目の色変えてたくせに」
「それはまぁ、そうですけど」

 しずくが、ちょっと笑った。
 ハンドルを見つめる横顔は、思ったより真面目だった。

「わたし、実は、舞台観るの、好きなんですよね」
「え、意外」
「……なんか、心が動く瞬間? そういうの見るの、好きなんです。うまく言えないんですけど」
「じゃ、今回の劇団も知ってるの?」

 わたしは手元のタブレットを、もう一度開いた。ここには資料も入ってる。
 ――劇団『ミライ』、今回の取材対象だ。

「それは、知りませんけど……。ほら、劇団なんて、星の数ほどありますから」
「ふーん……そんなもんか」

 その返事に曖昧に頷きながら、私はタブレットの画面を指でなぞった。

 資料によれば、数年前に演劇祭で上演された『未来より、あしたの君へ』に強く感銘を受けたという人物——西園寺礼文。紹介文には「ある資産家で、現在は闘病中。余命わずかのなか、最期の願いとして再演を希望した」と書かれていた。

「死ぬ前にもう一度、あの舞台を観たい」

 そう綴られた依頼文は、淡々としていて、妙に整っていた。
 感情のこもった願いというより、読み上げるために書かれた挨拶文のような、そんな印象。

 劇場の手配、合宿先の確保、稽古日程の調整、そして取材班の同行まで――すべてがすでに決まっていた。依頼書は丁寧で、法的な書類も揃っていて、報酬の提示も明確。交通費・宿泊費・日当まで込み。しかも破格。

《病床の資産家の最期の夢》と聞けば、それらしい美談にはなる。
 でもそのわりに――どこか人の温度を感じない。

 肝心の依頼主とは、一度も直接連絡を取れていない。メールも電話もなく、届くのはすべて「関係者各位」宛の紙資料。宛名に《私個人の名前》が記されていたことは一度もない。

 出演者たちにどのように声がかかったのかも、私は知らなかった。
 けれど、ここまで準備を整えたとなると――よほど周到な段取りが裏で動いていたのだろう。

 正直、ちょっと気味が悪い。
 ただの演劇取材にしては、出来すぎている。

 それがどれだけ奇妙な話か。
 この時の私はまだ、本当の意味で気づいていなかった。

「まぁ、金持ちの考えることは、わかんないわねー」

 わたしは窓の外を眺めた。
 外の景色は、さっきよりも少しずつ、白さを増していた。

 山道はどんどん細くなっていく。両脇の木々が近づいてくるにつれて、空も狭くなる。道路脇のガードレールは雪に埋もれて、もはや存在感ゼロ。

「……え、これ、道? ほんとに道? ここ、地図にあった?」
「ありました。たぶん」
「たぶんって言ったな⁉ 今、たぶんって言ったぞ⁉」

 笑いながらも、しずくの手はちゃんと慎重にハンドルを切っている。
 さすが、雪国出身。
 でもいまは、その落ち着きっぷりに、こっちが逆に焦る。

 ハンドルを握るしずくの肩越しに、ナビの画面が見える。
 予定より、20……いや、30分近く遅れそうだった。

「ねえ……やばくない? これ、遅刻じゃん。完全なる遅刻じゃん」
「ですね……でも、飛ばせないです。道、凍ってるし」
「うぅ……そうだよね……」

 急ぎたいのに、急げない。焦れば焦るほど、タイヤが雪を踏みしめる音が鈍く聞こえる。

「……一回、ちょっとだけ止まっていい? 頭ん中、ごちゃついてきた」
「ちょうど広いとこ、あります。そこ、入りましょうか」

 車はゆっくりと路肩に寄って、静かに止まった。
 ドアを開けた瞬間、冷たい空気が一気に入り込んでくる。

「……さっっっっむ!」

 わたしは思わず叫んで、しずくは笑った。

「深呼吸すると、ちょっと楽になりますよ?」
「そういうの、ナチュラルに言うのズルいわ……」

 口の中に吸い込まれた空気が、肺の奥をきゅっと締めつける。
 それでも、目の前に広がる一面の雪景色に、ちょっとだけ肩の力が抜けた。

「……遅れるの、わたしのせいってことにされるんだろうなぁ」
「ふたりで着いたんだから、ふたりの責任です」
「いい子ぶりおってからに……。でもありがと」

 しばらくして、車に戻ったわたしたちは、再び、遅刻確定の山道を登りはじめた。
 時間は迫ってる。でも、ここではスピードを上げることは、許されない。

 そうして車は、ようやく最後の急な上り坂にさしかかった。白くて急で、しかもカーブしてて、怖すぎる三拍子。

「登れ~登れ~……よしっ!」

 無意識に両手を握りしめてたらしい。車がラストの坂を登りきったとき、わたしは小さくガッツポーズをした。

「着きました」

 しずくの言葉に、わたしは顔を上げた。

 そこにあったのは、雪に包まれた大きな建物だった。
 ――元・ホテル。二階建ての洋館風。古びてはいるけど、しっかりした造り。屋根には厚く雪が積もり、その重みで軒先が少し歪んで見える。ベージュ色の壁も、吹き付ける風雪にすっかり色を失っていた。正面玄関の大きな木製ドアには、黒ずんだ真鍮の取っ手がついていて、まるで《館》って感じの風格がある。

 でも、そこに灯りはない。

 カーテンが閉じられた窓。人気のない玄関ポーチ。すべてが、まるで長い間眠っていたかのように、静かだった。

 玄関の前には、一応除雪されたスペースが広がっていた。タイヤの跡も、足跡も、うっすらと残っている。

「……誰か、来たあとだね。なのに、こんなに静かって……」

 建物のまわりには、細い木々が点々と立ち並んでいる。白く染まった枝が、まるで天井のない礼拝堂みたいに空を縁取っていた。

 風が吹けば、木の枝からさらさらと粉雪が舞い降りて、足元の新雪と混ざりあう。どこからも音がしない。車のエンジン音が止まった今、この場所にあるのは――わたしたちと雪と、そして沈黙だけ。

「……え、こわ。なんか、ホラー映画の導入みたいなんだけど」
「でも、きれいですね。雪も、ふかふかで」

 しずくの声が響いて、ちょっとだけ空気が揺れた。
 車を降りて、足元の雪にズボッと足が沈む。

 あわてて引き上げたけど、もう靴の中がひんやりしてる。

「わー、靴、埋まった! やだこれ、長靴持ってくればよかった~」
「雪、なめてましたよね……」
「聞いてない~。記憶にない~」

 ふたりでそんなことを言い合っていると、ふと、視界の奥に何かが見えた。

 ――建物のさらに奥。

 木々の間から、もうひとつ建物の影が覗いていた。白い雪に溶け込みそうな、控えめな灰色の外壁。本館とは違って、あちらには窓もない。まるで、存在を気づかれたくないかのように、ひっそりとそこにある。

「……あれ、別館?」
「うん。たぶん、あれが……劇場、ってやつじゃない?」

 しずくが静かに頷いた。

 元は宴会場だった場所を、舞台用に作り替えたって話だ。けれど、あの静けさといい、佇まいといい、どこか異物感がある。
 白い風景の中にぽつんと現れた、物語の核心みたいな影。

 わたしは、なんとなく背筋を伸ばして、もう一度本館を見上げた。

 ここから、なにかが始まる。
 そんな気がした。


* * *


 重たい扉を押し開けると、そこは広い玄関ロビーだった。タイル敷きの床はところどころ濡れていて、誰かの足跡が乾きかけている。右手に設えられた靴棚には、きっちり七足、女性ものの靴が並んでいた。

「やっぱり、わたしたちが最後みたいですね」

 しずくが靴を脱ぎながら、少し苦笑する。わたしも続いてブーツを脱ぎ、一段高くなったフローリングへと足を乗せた。奥にはスリッパ立てがあったけど……使っていいのかな? と迷った瞬間。

 ロビーの左手、木製のドアが音を立てて開いた。

「やっと来たー! 待ってたんですよー!」

 勢いよく出てきたのは、身長150センチあるかないかというほどの小柄な女性だった。ぱっちりとした目に、明るいショートボブ。服装はラフだけど、ステージに立っていそうな空気を纏っている。

「記者さん、ですよね? はじめましてっ」

 キラキラ輝いているネイルは明るいピンク。親指には小さなラインストーン。たぶんサロン仕上げ。爪先まで手をかけてるあたり、見られる意識が高い。

 ……なるほど、舞台に立つ人だ。

「記者の朝比奈美月です。こっちは……」
「佐原しずくです。カメラを担当します」
「よろしくお願いします! わたしたち、30分くらい前に着いてて」

 にっこりと笑って、彼女はスリッパの棚を指さした。

「あ、スリッパ、ありますよ」
「ありがとうございます」

 室内履きは持参してたけど、いま出す余裕はない。おとなしくスリッパを借りた。

「遅れてしまって本当にすみません。この子の運転が、その……ちょっと慎重で」

 しずくが「え、ええ……」って顔をしてるのを無視して、軽く頭を下げる。

「気にしなくていいですよぅ! こんな雪道、怖いじゃないですかぁ」

 小柄な彼女は、コロコロと笑ってる。なんだろう、ノリのいいギャルって感じ。

  そのまま促され、ロビーへと進む。
 まず目に飛び込んできたのは、壁際の大きな暖炉だった。赤い炎が静かに揺れていて、そこだけ時間が止まっているみたいだった。

 ロビーは……どれくらい広いんだろう。ぱっと見ただけじゃ、端まで把握できない。天井は高く吹き抜けていて、見上げると二階に客室らしき扉が並んでいるのが見えた。点々と置かれたソファと、大きな丸テーブル。どれも重厚感があって、どこか古い。

 一歩踏み込んだだけなのに、まるで舞台のセットに迷い込んだみたいだった。

 そして――その《舞台》の中心に、七人の女性がいた。
 わたしたちを、じっと見ている。

「改めて、自己紹介しますねっ! あたし、鳥井かずさ、って言います」

 さっき出迎えてくれたギャルが、一歩前に出る。その足取りには軽やかさと、ほんの少しの試すような気配が混ざっていた。

「ほら、みんなもー!」

 その言葉を合図にしたように、女性たちは立ち上がり、または体をこちらに向けて、自己紹介をはじめた。

「あ……宮羽咲良です」
「戸越まこです、よろしくお願いします」
「藤井梨香、よろしく」
「中嶋千景」
「神原朱音です」

 一度に名乗られても、正直、全部は覚えきれない。

 でも、最初に『あ……』って戸惑ってた子――咲良、って言ったか。明るいブラウンに、ほんのりピンクを溶かしたような髪色。耳にかけたサイドの髪が整っていて、顔立ちの綺麗さが際立っていた。目を引くのに、本人は静かで。

 ……ああいうのって、舞台に立つ前から、もう完成されてる感じがする。

 気づかずに見つめていたのだろうか、咲良と目が合った。ニコリと微笑まれて、思わず目を逸らす。その笑顔は柔らかいのに、どこかわたしを知っているような気配があった。

 なんだ、わたし。照れているのか?

 改めて、笑顔を作って、言葉を返す。

「朝比奈美月です。今回は、記者として同行させていただきます。どうぞよろしくお願いします」
「カメラマンの佐原しずく、です」

 みんな、どこか緊張しているのか、表情が硬い。ま、わたしたちも似たようなものだけど。

 そのとき、眼鏡をかけた黒いニットの女性――名前、なんだっけ?――が、口を開いた。

「これで、箱を開けられますね」

 まるで、そのタイミングも、決まっていたかのような口ぶりだった。

 ……は? 箱?

 言われるままに視線を移すと、丸テーブルの上に、木箱が置かれていた。さっきまで気づかなかったのは、たぶん空気に飲まれていたせいだ。

 幅は30センチほど、高さは10センチ程度。しっかりした木でできた箱の蓋には、一枚の紙が貼られている。

『9人全員揃ったら、開けてください。――西園寺礼文』

 西園寺――依頼主の名前だ。

 わたしは反射的に、室内をぐるりと見渡す。
 1、2、3……9人。

 なるほど。わたしたちを待ってたのか。

「お待たせしちゃって、本当にすみません」

 乾いた笑いでそう言ったけど、誰も特に責める様子はなかった。

 ……むしろ、微妙な間が流れる。

 そのときだった。

「誰が開ける?」

 よく響く、低くて落ち着いた声が、空気を縦に引き裂いた。声の主は、グレージュのシャツに細身のパンツの女性――さっき名乗ってたけど、名前はまだ覚えてない。

 と、小柄ギャル――かずさが、明るく笑った。

「まこが開けなよ。リーダーなんだから」
「あ、う、うん。じゃあ、開けるね」

 まこ、と呼ばれた子が、おずおずと前に出る。
 ウルフ風のショートカットに、カーキのジャケット。落ち着いて見えるけど、目元には戸惑いがにじんでいた。

 ……この子が、リーダー? ちょっと意外。

 小さくうなずきながら、彼女は一歩ずつ前に出る。その動きは頼りなくも見えたけど、不思議と目を引いた。

 まこが、両手でそっと箱の蓋に手をかける。
 全員の視線が、そこに集まった。

「……なにこれ。宛名、書いてある」

 箱の中には、名前のラベルが貼られた白い封筒が、ずらりと並んでいた。明らかに、事前に準備されたもの。演出、仕掛け、順序――すべてが計算されてる。

 これは『記録』じゃない。
 『見せ場』だ。

「これ、梨香って書いてある」

 まこが封筒をひとつ手に取って、女性に手渡す。

 あ、さっきの声が印象的な……。よく響く低音ボイスを覚えてる。声に特徴がある人は、覚えやすい。梨香、っていうのか。

 梨香は、封筒を受け取るとすぐに開封し、鍵のようなものを取り出した。

「鍵だ。たぶん、部屋の鍵……それと、カードが入ってる」
「何が書いてあるの?」

 かずさが、すかさず問いかける。
 梨香は、カードを手に、淡々と読み上げた。

《藤井梨香様
 あなたが創り出す『嘘』が、どれほど人の心を震わせるか、わたしは知っています。
 再び、あの美しさに出会えることを、心から楽しみにしています。
 どうか、あの『光』を、舞台の上に。》

「これ、梨香の演った役のことじゃん!」
「ホントに観てくれてたんだ」
「え、なんか、嬉しいね」

 封筒とカードだけで、空気がざわっと揺れた。まるで、舞台のカーテンコールみたいに。場の温度が変わるのがわかった。

 そのときだった。
 彼女たちが盛り上がるなか、明らかにテンションの違う声が飛ぶ。

「ねえ、これ、全員分あるってこと?」

 ピンクのふりふりロングスカート。淡い茶色のロングヘアを揺らしたその子が、じっと箱をのぞきこんでいた。

「はい、千景の」

 まこが、彼女に封筒を渡す。

 千景と呼ばれたその子は、何も言わずに封筒を受け取ると、カードの文字を、まるで誰にも見せたくないみたいに、そっと隠すように読み始めた。

「……こういうの、好きじゃないのに」

 それは独り言だったのか、誰かへの釘だったのか。表情の奥は読めなかった。ただ、その静けさは、他の誰よりも強く、拒んでいるように見えた。

 誰も何も言わないまま、わずかな沈黙が流れる。
 けれど、箱の中身は順番どおりに配られていった。空気は少しだけ変わったけど、手は止まらない。

 ……この空気、何かを演じてるみたいだ。
 誰かが、どこかから、それを見ている気がした。

 やがて、封筒は、わたしのところにも届いた。

《朝比奈美月様
 あなたの視点が、この物語をどう切り取るのか。楽しみにしています。》
《佐原しずく様
 あなたのレンズが映すものは、わたしの知らない『真実』かもしれません。》

 ……短い。

 そう思った瞬間、自分でもちょっと驚いた。
 なんだろう、この、拍子抜け。

 いやいや。わたしはあくまで、取材で来てるだけの部外者だ。こうして名前を記されただけでも、充分すぎるくらい――

「わたしの名前も、ちゃんと入ってる……」

 隣で、しずくがぽつりと呟いた。その声のトーンに、ほんの少しのひっかかりが混ざっていた気がした。

 ……そういえば、しずくの名前を伝えたのって、ほんの数日前だった。それなのに、もう名前入りのカードまでご用意済み。

 西園寺、すげーな。……手回しが良すぎて、正直ちょっと怖い。

 これは演出なんかじゃない。最初から、すべてを支配するつもりで組まれてる。そんな、気がする。

 眼鏡をかけた女性が、黙ってカードを読み、ふっと笑った。

「……ふふ。すごい、ちゃんと演出されてる」

 その口ぶりは、誰かの仕掛けに気づいたというより、誰より先に全体像を見ていたような響きだった。

「これが、各自の部屋ってことだね」

 涼やかな声。

 顔を上げると、咲良が封筒から取り出した鍵を確かめながら、そう呟いていた。

 その咲良に、黒髪ショートの女性が尋ねる。

「咲良、何号室?」

 彼女のことをチラと見やり、咲良は静かに答えた。

「わたしは3号室」
「わたし、6号室。残念、離れちゃったね」

 黒髪ショートの女性が、笑いながら言った。

 アイボリーのカットソーに黒パンツ。地味だけど、あれはおそらく、埋もれるための選択だ。GUかユニクロあたり。でも、目だけが笑っていなかった。セリフも、笑顔も、間合いも――どこか慣れている。まるで、あらかじめ決められたセリフみたいに、スムーズすぎる。

 咲良は、それに自然に応じていた。表情を変えず、社交的に受け流していたけれど――わたしには、そのやりとり全体が嘘っぽく見えた。言葉も、表情も、まるで本音を隠す訓練でもしてきたみたいに。それでも、無理やり笑顔を保っているような咲良の雰囲気には、かすかに棘が含まれている気がする。

 ……こういう空気は、過去に何かあったときにしか生まれない。
 これは拾っておこう。
 取材メモ、ページ追加。

 誰もが言葉を飲み込んだまま、ほんの数秒、沈黙がおちた。ぎこちない笑顔がそのまま張りついたみたに、場の空気だけが取り残されている。

 そのとき――

「待って、まだ何か入ってる」

 声の主は、さっきの、眼鏡の女性。
 静かな語り口が、場の空気をすっと動かした。

「……封筒の中に……これ、なに?」

 視線が一斉に下を向く。

 そのとき、わたしもようやく気づいた。
 鍵とカードの下に、もう一枚。名刺サイズの厚紙。名前とQRコード。

「ミライプロジェクトのアプリをインストール……?」

 誰かが声に出して読んだ。

 ……つまり、これは『必要』ってこと?
 今回のために、ここまで用意してあった……?

 西園寺、どこまで仕込んでるの。

「あ、このロゴ、わたしがデザインしたやつ」

 咲良が、驚いたように呟く。

 その声に、黒髪ショートの女性が反応した。目が、笑ってない人。

「懐かしいね」

 それは一瞬、優しい響きに聞こえたけど、どこか作り物めいていた。
 ……いや、気のせいかもしれない。

 咲良は特に返事をしなかった。表情も変えずに、ただカードを指で撫でていた。
 無言の何かが、その間にあった気がした。

 わたしは目を逸らし、あらためて自分の封筒を見下ろす。
 名前とQRコードが印刷された名刺サイズのカード。

「これ、インストールするってことだよね?」

 ウルフヘアのリーダー――まこが、カードを見つめながら呟く。その隣で、かずさがさっそくスマホを取り出した。

「なんか本格的! ワクワクしちゃうー!」

 ネイルされた指で軽やかに画面を操作している。すぐに、ピコン、という音と同時に、画面に何かカラフルな表示が現れた。

「わ! すごい!」

 それを囲むように、何人かが身を乗り出す。わたしの位置からは画面がよく見えない。

 ……まあいいや。自分のも試してみよう。

 QRコードを読み込んで、画面をタップする。

「お!」

 ピンクと白をベースにした、カラフルでポップな画面が現れた。トップには、柔らかい筆記体で『ミライプロジェクト』のロゴ。その下には【ようこそ】と【あなたの物語が、ここから始まります】という文字。

 アイコンは、大きく3つ。
『タイムテーブル』『公演情報』『記録』。

 スクロールすると、舞台演出っぽいエフェクトがふわっと流れていく。

 ……すご。
 本当にこれ、ひとつのアプリなんだ。

「わあ……お金かけてますねぇ」

 となりで、しずくも唸っている。

 うん、これはすごい。

 改めてアプリを眺めてみる。可愛らしいデザインに、シンプルなメニュー。ログイン済みの画面には、すでに『朝比奈美月』と表示されていた。

 ……登録、されてた?

 どこまで事前に想定されてたんだ、この舞台。

「ねぇ、時間、平気?」

 誰もがアプリに夢中になっているなか、クールな声が響いた。咲良だ。

「アプリのタイムテーブルだと、そろそろ昼食だけど」

 言われて時計を見たら、11時40分だ。
 到着して、40分。ほとんど立ちっぱなしだった。そろそろ、座って落ち着きたい。

「荷物、部屋に置いて、食事にした方がいいんじゃない? どう? まこ」

 咲良が、まこに視線を送る。

「に、荷物置いたら、食堂に集合、です!」

 その一言で、全員が動き出した。
 それぞれが荷物を手にし、思い思いのテンポで階段を登っていく。誰かに、「次のシーン入りまーす」って言われたみたいに。演劇じゃないはずなのに、動き出すタイミングまで仕組まれているように思えた。

 ……でも。

 同じ方向へ進んでいるのに、空気はばらばらだった。わたしたちはまだ、『劇団』じゃない。呼吸も、歩幅も、まるで合ってない。ただ、それぞれが、配役されたかのように、呼ばれて、ここに来ただけの——登場人物たち。

 そして。
 この舞台の演出家は、まだ、顔を見せていない。

 
* * *

 
「いやー、意外と緊張したわ」

 そう言いながら、わたしは隣の10号室――しずくの部屋のドアをそっと閉めた。

 スリッパのまま、ほとんど無意識にここまで来てしまったけど……まぁいいか。荷物は、9号室に放りっぱなしだ。

 しずくの部屋は、わたしの部屋と同じ間取りだったけど、空気がちょっと違う。ちゃんと整えられていて、生活感がもうできていた。

「初対面とか、得意なはずなんだけどね。なんていうか……やっぱり、女優さんたちってことで緊張したのかな」

 ベッドに腰を下ろして、一気に吐き出す。
 さっきまで張りつめていた何かが、ぱちん、と切れた気がした。

 空気がふっと緩んで、背中から力が抜けていく。

「緊張、してました? 全然そんなふうに見えなかったですけど」

 床に膝をついて荷物を広げていたしずくが、呆れたように笑った。

「はぁー、そう見えたんなら大成功よ」

 記者たるもの、なめられたら終わり。
 それは、いつも肝に銘じている。
 ……まぁ、できてるかどうかは別として。

 視線を巡らせると、部屋の奥には、まだ開けていないスーツケース。その周囲には、充電器、ポーチ、着替え、ストール――すべてが几帳面に並べられていて、まるで舞台袖みたいだった。準備万端。

 しずくはカメラ機材もあるし、荷物が多い。それなのに、なんか全体が整っている。配置のひとつひとつに無駄がない。対してわたしは、9号室に放りっぱなしのボストンバッグと、肩がけの相棒バッグひとつ。

 そんなわたしに、しずくが問いかけた。

「美月さん、自分の荷物、整理しなくていいんですか?」
「わたし? わたしはコレでじゅうぶん」

 肩から下げたバッグを、大げさに掲げて見せる。

 使い慣れた、黒のショルダーバッグ。革じゃないけど丈夫で、ポケットが多いやつ。どこへ行くにも一緒で、ちょっとした相棒みたいな存在だ。中にはノート、レコーダー、ペン、モバイルバッテリー、文庫本、小さな懐中電灯、そしてチョコレート。

「……それ、七つ道具、ですか?」
「そう。記者のね」
「なんで七つなんですかね?」
「知らんわ。縁起とかじゃない?」
「役者さんにも、あるのかなー。七つ道具」

 しずくが無邪気につぶやく。わたしはその声を聞き流しながら、スマホを取り出した。

 そういえば、まだちゃんと見てなかったな――『ミライプロジェクト』の専用アプリ。

 ピンクと白を基調とした、妙に凝ったUI。起動画面の下部に、アイコンが3つ並んでいる。『タイムテーブル』『公演情報』『記録』。

 まずは『タイムテーブル』をタップしてみた。
 すると、今日からのスケジュールがざっくり表示される。

──────
 
《1日の基本スケジュール》

 7:00~8:30   起床・朝食
 9:00~12:00  午前稽古
 12:00~13:00 昼食
 13:00~17:00 午後稽古
 17:00~19:00 自由時間
 19:00~20:00 夕食
 20:00~22:00 自由時間
 22:00~23:00 ラウンジ閉鎖・消灯準備
 23:00 消灯
 
──────

「……なんか、きっちりしてんなぁ」

 思わずそうつぶやいた。

 取材っていうより、合宿って言葉のほうがしっくりくる。なんだか、高校のときの陸上部を思い出した。

 ……まぁ、これはこれで、ちょっと楽しみかもしれない。

「さてさて、他には?」

 座り直して、アプリに触れてみる。『公演情報』をタップすると、舞台タイトルと簡単なあらすじが出てきた。今回の演目だろう。

 タイトルは――
『未来より、あしたの君へ』

 星が堕ちた夜、世界は《名前》を失った。舞台は、時間が止まった劇場。記録者〈ミライ〉の語りとともに、記憶をなくした王女〈エリス〉が、失われた光と名を探してさまよう。

 ――みたいな話らしい。

 登場人物にはそれぞれ、巡察官とか芸術家とか、『役割』しか与えられていない設定で、その中で王女が本当の自分を取り戻す……って感じ?

 なんというか、演劇らしい演劇だなあと思った。あと、ちょっと中二っぽい。

 あらすじの下には、「初演時キャスト」として名前が並んでいる。

──────
 
 記録者ミライ:高槻まな
 王女エリス:宮羽咲良
 巡察官ライラ:中嶋千景
 芸術家サラ:藤井梨香
 情報屋ケイト:片桐由美子
 星読みミナ:戸越まこ
 踊り子ユリア:鳥井かずさ
 
──────

 一覧の中に、なぜか、見た覚えのない名前がひとつだけあった。

 ……高槻、まな?

 見覚えのない名前。
 というか、さっきの自己紹介には、そんな人、いなかったよね。

 気になって、もう一度キャスト一覧を見返す。
 けど、どの名前も聞き間違いじゃない。それなのに、誰もひとことも触れなかった。

 まるで――最初から《いなかったこと》にしてるみたいに。

 ぽつんとそこにある、知らない名前。
 ほんの数文字なのに、妙に目を引いた。

 ……なぜ、名前だけが残ってるんだろう。

 聞いてみたい。でも、この空気じゃ――聞いちゃいけない気がする。

 そのとき、小さく書かれた一行が目に入った。

──────
 脚本・演出:神原朱音
──────

 あ……あの眼鏡の子。

 地味で、喋らなくて、ずっと後ろにいたけど……脚本家で演出家だったんだ。

 なんか、納得した。目立たないのに、妙にタイミングだけは完璧だったし。

 でも――この『高槻まな』って人だけは、やっぱりよくわからない。

 キャスト表の一番上。名前だけ。何も語らず、何も知らされないまま。

 ……それだけなのに、どうしてだろう。
 そこから、目が離せなかった。

「美月さん、こっちにいたんだ!」

 明るい声がして、顔を上げる。ドアの隙間から、かずさがひょっこり覗いていた。手にはスマホ、足元はスリッパのまま。

「隣の9号室、誰もいないから。どこに消えたかと思っちゃいました」
「ごめんなさい、驚かせて」

 ――ていうか、わたしの部屋、開けたのか? 図々しいというか、フレンドリーというか。どっちかはわからないけど、遠慮って概念、持っていないタイプかも。

 そんなわたしの内心なんてまるで気にせず、かずさは部屋を覗き込んで、にこっと笑った。

「へぇ、この部屋も、わたしの部屋とちょっと違いますね」
「そうなんですか?」
「うん。なんか、わたしの部屋より、ちょっと広い気がします!」

 そういえば、彼女の部屋は……階段を上ってすぐのところだったはず。場所によって間取りが違うのは、まぁよくある話だ。

「今、公演情報、見てたんですよ」

 スマホの画面をかざしながら、軽く聞いてみた。

「ああ、アプリの?」
「今回、再演なんですよね。この……」
「『みらあし』の」
「みらあし?」
「『未来より、あしたの君へ』、だから、みらあし」
「あ、ああ、なるほど」

 一瞬、なんの呪文かと思った。

「そうやって略すこと、よくあるんですか?」
「ありますよー。人によっては嫌がるみたいですけど、朱音はそーゆーの気にしないし」

 脳内のメモ帳を、こっそり起動。

「朱音さんって、あの眼鏡の方ですよね?」
「そうですよ」
「脚本と演出、両方やられるんですか?」

 わたしの問いに、かずさは黙ってうなずく。

「すごいんですね」
「そうですか?けっこういますよ、そういう人」

 ん? と思った。なんだかおもしろくなさそうな口調だったからだ。

 気を取り直して、話題を変えてみる。

「それにしても、こんなに熱烈な再演希望があるなんて……よほど、素晴らしい舞台だったんでしょうね」
「ね、ありがたいです!」

 かずさは、笑顔のままだ。
 けれど、ほんの一瞬、その奥に揺れる影が見えた気がした。わずかに、緊張したような。

 ……気のせいか?

 もう一度、話題を変えてみる。

「かずささんは……踊り子、ユリア役ですよね」

 キャスト表をスクロールしながら尋ねると、かずさは少し背筋を伸ばして、声のトーンを上げた。今度はあからさまに嬉しそうだ。

「はい、そうなんです! 自分で言うのもアレですけど、セクシーで魅力的な役なんですよ!」
「じゃ、今回も楽しみですね」
「ですです~」
「皆さん、同じ役ってことで、思い入れも強いんでしょうね」
「まぁ、同じ役じゃない人も――いると思いますけどね~」

 ……意味深な口調だ。

 聞くなら、今だ。
 わたしは息を吸って、口を開いた。

「それって――」

 言いかけた瞬間、

「しずくさん、片付け終わりました? お昼、行きましょ~!」

 明るい声が、話の続きを押し流すように響いた。

 わたしは立ち上がりながら、胸の奥でぼそっと呟いた。

 ……ごまかされた?

 いや、きっと――今はまだ聞くべきじゃないんだろう。
 ていうか……聞ける空気じゃないな、これは。

 舞台が始まる前から、もう伏線だらけだ。
『再演』って言葉だけが、どうにも浮いているように感じる。

 真実は、まだセリフになっていない。

 わたしは二人と一緒に、食堂に向かった。
 廊下の奥、扉の向こうから漂う匂いだけが、妙に現実味を帯びている。

 窓の外では、雪が激しく舞っていた。
 

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