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一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ
一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ(8)
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四
それからのお店は、少しだけ忙しくなった。
新規のお客様はほとんど来なかったけれど、既にいた方からの追加注文が増えたのだ。とくに、ほうとう、おっきりこみは店にいたほとんどの人が頼んでいたと思う。
いももちパワー(?)で復活した江本さんは、それら注文の調理全てを一人で捌いていた。私は、代わりにホール回りを担当した。
慌てることはないけれど、手持ち無沙汰にもならないちょうどいい塩梅の仕事量だった。たまに時計を見ては、時間が経つのが早いなと思っていたら、あっという間に閉店時間の十時になる。
教えてもらいながら締め作業を手伝って、もう半刻。一日だけの臨時バイトは、終わりになった。
更衣室で和服からスーツへ着替える。ちょうちょう結びの割烹着から、チャックのついた黒のスカートへ。それは夢もなにもない日常に戻る行為そのもののようで、なんだか寂しかった。そのせい、少し時間を要してしまう。
久しぶりのバイトだったけれど、かなり楽しかった。充実感もある。できれば、ここでバイトをしたい、そうなおさら強く思う。でも──。
葛藤しつつも、私はホールへ出ていく。江本さんがテーブル席の前で待っていた。
「今日はありがとうございました」
深々と頭を下げるので、私も腰を折る。
「お疲れのところすいませんが、こちらお書きいただけますでしょうか」
江本さんがそういって指したのは、雇用契約書だった。単発でも取り交わしが必要なのだとか。その横の封筒は今日の分の給料だろう。
あくまで江本さんは機械的だった。私の感じているセンチメンタルは、どうも私一人のものらしい。
でもだからこそ、割り切ることができた。向かい合わせに席に着く。江本さんに見守られながら、私は早々と書き進めていった。書き終えて二枚目をめくると、サラの履歴書がでてきた。
「単発ですが、一応いただいておこうかと」
「そういうものですか」
契約書と同じような項目を埋めていく。私のペンは、経歴欄の真ん中で止まった。
書けば、知られてしまう。私が今、どういう境遇なのか。別にいいのだけれど、とはいえ。ボールペンが下りた先、黒のインクが塊になっていく。
「大学生さんじゃないことなら、分かっていますよ」
だが、そんな悩みはそもそも無用のものだったようだ。「お料理探偵」の前では。
「……そんなに老けてます?」
「全くそうは思いません」
じゃあなぜ、とは聞くまでもなかった。
「あなたは数年前にバイトリーダーをしていたとおっしゃっておりました」
「それがなにか?」
「わざわざ数年というのですから、一年や二年ではないのでしょう。三年以上前だと考えるのが妥当です。とすれば、どうでしょうか」
私は指をひふみと指を折っていき、中指が手のひらにつかずに止まる。
もし私が大学生ならば、一回生でバイトリーダーをしていた計算になる。それは、たしかにあまり考えづらい。
「それに、靴。三月に就職活動を始めたにしては、使い込んでいるように見えました」
私は、椅子の下に折っていた足をばっと上げる。そうだ、パンプスにガタがき始めていたのだった。少し傷んで、靴先からはうっすらひげが生えている。
そんな細かいところまで見られていただなんて。
「言葉遣いなども、要所では丁寧でいらっしゃいましたところから考えると、社会人を経験され、やめられて、転職活動中。そんなところでは?」
「……ほんとになんでも分かるんですね」
「いいえ、店に関係のあることだけでございます」
いよいよもって私は、隠しているのがバカらしくなってきた。そうだ、別に内に秘めておく決まりはない。地元の友人やタツキには言いがたいけれど、この人になら正直に告白しても、別にいい。よしんば共通の知人がいたとして、この人がリークすることはまずないだろう。
「クビになったんです。やめたんじゃなくて」
だから、言った。
そしてこれだけで終わればいいものを、一度開いた口は閉まってくれなかった。
それからのお店は、少しだけ忙しくなった。
新規のお客様はほとんど来なかったけれど、既にいた方からの追加注文が増えたのだ。とくに、ほうとう、おっきりこみは店にいたほとんどの人が頼んでいたと思う。
いももちパワー(?)で復活した江本さんは、それら注文の調理全てを一人で捌いていた。私は、代わりにホール回りを担当した。
慌てることはないけれど、手持ち無沙汰にもならないちょうどいい塩梅の仕事量だった。たまに時計を見ては、時間が経つのが早いなと思っていたら、あっという間に閉店時間の十時になる。
教えてもらいながら締め作業を手伝って、もう半刻。一日だけの臨時バイトは、終わりになった。
更衣室で和服からスーツへ着替える。ちょうちょう結びの割烹着から、チャックのついた黒のスカートへ。それは夢もなにもない日常に戻る行為そのもののようで、なんだか寂しかった。そのせい、少し時間を要してしまう。
久しぶりのバイトだったけれど、かなり楽しかった。充実感もある。できれば、ここでバイトをしたい、そうなおさら強く思う。でも──。
葛藤しつつも、私はホールへ出ていく。江本さんがテーブル席の前で待っていた。
「今日はありがとうございました」
深々と頭を下げるので、私も腰を折る。
「お疲れのところすいませんが、こちらお書きいただけますでしょうか」
江本さんがそういって指したのは、雇用契約書だった。単発でも取り交わしが必要なのだとか。その横の封筒は今日の分の給料だろう。
あくまで江本さんは機械的だった。私の感じているセンチメンタルは、どうも私一人のものらしい。
でもだからこそ、割り切ることができた。向かい合わせに席に着く。江本さんに見守られながら、私は早々と書き進めていった。書き終えて二枚目をめくると、サラの履歴書がでてきた。
「単発ですが、一応いただいておこうかと」
「そういうものですか」
契約書と同じような項目を埋めていく。私のペンは、経歴欄の真ん中で止まった。
書けば、知られてしまう。私が今、どういう境遇なのか。別にいいのだけれど、とはいえ。ボールペンが下りた先、黒のインクが塊になっていく。
「大学生さんじゃないことなら、分かっていますよ」
だが、そんな悩みはそもそも無用のものだったようだ。「お料理探偵」の前では。
「……そんなに老けてます?」
「全くそうは思いません」
じゃあなぜ、とは聞くまでもなかった。
「あなたは数年前にバイトリーダーをしていたとおっしゃっておりました」
「それがなにか?」
「わざわざ数年というのですから、一年や二年ではないのでしょう。三年以上前だと考えるのが妥当です。とすれば、どうでしょうか」
私は指をひふみと指を折っていき、中指が手のひらにつかずに止まる。
もし私が大学生ならば、一回生でバイトリーダーをしていた計算になる。それは、たしかにあまり考えづらい。
「それに、靴。三月に就職活動を始めたにしては、使い込んでいるように見えました」
私は、椅子の下に折っていた足をばっと上げる。そうだ、パンプスにガタがき始めていたのだった。少し傷んで、靴先からはうっすらひげが生えている。
そんな細かいところまで見られていただなんて。
「言葉遣いなども、要所では丁寧でいらっしゃいましたところから考えると、社会人を経験され、やめられて、転職活動中。そんなところでは?」
「……ほんとになんでも分かるんですね」
「いいえ、店に関係のあることだけでございます」
いよいよもって私は、隠しているのがバカらしくなってきた。そうだ、別に内に秘めておく決まりはない。地元の友人やタツキには言いがたいけれど、この人になら正直に告白しても、別にいい。よしんば共通の知人がいたとして、この人がリークすることはまずないだろう。
「クビになったんです。やめたんじゃなくて」
だから、言った。
そしてこれだけで終わればいいものを、一度開いた口は閉まってくれなかった。
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