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三章 火野カブ漬け
三章 火野カブ漬け(5)
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三
事の発端は、今から三十年近く前のちょうどこの時期。叔母が二十二で、母が二十の頃に起こったのだそうだ。
「昔は仲が良かったくらいなの」
と、おばは懐かしむように言う。その頬は、わずかに綻んでいた。
「学年も違うのに、毎日毎日、べったり一緒にいたわ。結衣のお母さん、加奈子はあの性格じゃない? 頑固で、言いたいことは言えない。
だから姉として心配で。それに私もクラスに馴染めてなかったから」
「えっおばさんも?」
「うん、私もよ。子どもって残酷よね。地方出身ってだけで仲間外れにされたりもしたからさぁ。二人で過ごしたのは、言ったら傷の舐め合いね」
とくに災いしたのは、方言。どうにか合わせようとしたが、イントネーションまでは難しく、周りからはずれた存在として見られていたのだそう。
「そうやって二人で過ごしてきたから、大きくなってお互いに友達ができても本当に仲がよかったの。もちろん、喧嘩もたくさんしたけどね。今みたいな冷戦じみたものじゃなかった。それにいつも最後には私が譲ってたかな」
おかずの取り合い、テレビのチャンネル争い、と叔母が挙げるものは、たしかに姉妹ならありがちな微笑ましい小さな話だ。
そのまま寄り添うように大人になって、二人が大学生の頃、事件が起きたのだという。
「私はもうその時にはすっかりお酒の虜で、よく加奈子を飲みに誘ったの。ほらこの辺って飲み屋が多いじゃない? それで、上野の名店探しに付き合ってもらってたのよ。その時にね、小料理屋さんで出会っちゃったの。結衣もよく知ってる人よ」
まさか、と私は思う。
果たしてその予感は的中していた。
「結衣のお父さん。結衣が覚えてるのは、サラリーマン姿かもしれないけど、昔はね、料理人さんだったんだ。知ってた?」
「……ううん、全然」
スーツ姿を見送った覚えしかない。わざわざ母に習って、ネクタイを結んであげたこともあったっけ。
母が頑なに私が料理屋で働くのを嫌がったわけは、これだったわけだ。
「私はその時、彼氏がいたから、格好いいって思っただけだったの。でも、加奈子がすっかり惚れちゃってね。
そこからは私の新しいお店探しは中断、一人じゃ行けないからって私も一緒になってその人が働いてるお店に通った」
その頻度が上がるものだから、母に付き合っていた叔母は、当時の彼氏と別れるまでになったと言う。
そして、姪ないし娘としては、心持ちが複雑な話になっていく。
母との仲を取り持とうとするうち、叔母も私の父に惚れてしまったのだ。そして、姉妹での取り合いへと発展した。今までの小競り合いとは大違いの、真剣なものだ。
「大概のことは、加奈子に譲ってきたけど、その時は本気で取りに行った。ケーキ争奪戦とは話が違うもの。正直、恋愛で負ける気がしなかったわ。いつでも勝てると思ってたんだけどな。結果は、結衣がいることが全てね」
最終的に父の心を奪ったのは母ということになる。
「……それでお母さんと揉めて、そのまま?」
「ううん、もっとこじれたのは、そこから。簡単な話、私がちょっと引きずっちゃってね。だって散々妹の面倒見てきて、最後にその妹に好きな人持っていかれるのって結構癪じゃない? それに、珍しく彼のこと本当に好きだったから、ちょっとちょっかいかけちゃった」
「……それは、その行為というか」
お母さんと私が似ていない。
言われたばかりだけに引っかかる。じゃあ誰に似たと言われれば、目といい性格といい、叔母だ。
けれど、彼女はふるふると首を振る。
「安心して。ちゃんと結衣は加奈子の子どもよ。こさえた子どもを押し付けたかいうわけじゃない」
私は、なんだ、とにわかにざわついていた胸を押さえた。
「やったやらないに比べたら、可愛いちょっかいよ。一人でお店に顔出してみたり、こっそり手紙書いてみたり、そんなの。ちゃんと恋してたんだ、彼に。横恋慕だけどさ」
叔母は愛おしそうな声で言う。もしかすると、いまだに未練があるのかもしれない。
ともかくも、そんな手出しが積み重なり、段々とお母さんは叔母を完全に敵とみなすようになったのだそう。実家ともそこから折りが合わなくなっていった。
結婚して私が生まれてからは、叔母もさすがに身を引くようになったと言うが、母の方の納まりがつかなかったらしい。
亀裂は既に決定的なものになっていた。そして、その傷は家族の輪にも及んだ。
事の発端は、今から三十年近く前のちょうどこの時期。叔母が二十二で、母が二十の頃に起こったのだそうだ。
「昔は仲が良かったくらいなの」
と、おばは懐かしむように言う。その頬は、わずかに綻んでいた。
「学年も違うのに、毎日毎日、べったり一緒にいたわ。結衣のお母さん、加奈子はあの性格じゃない? 頑固で、言いたいことは言えない。
だから姉として心配で。それに私もクラスに馴染めてなかったから」
「えっおばさんも?」
「うん、私もよ。子どもって残酷よね。地方出身ってだけで仲間外れにされたりもしたからさぁ。二人で過ごしたのは、言ったら傷の舐め合いね」
とくに災いしたのは、方言。どうにか合わせようとしたが、イントネーションまでは難しく、周りからはずれた存在として見られていたのだそう。
「そうやって二人で過ごしてきたから、大きくなってお互いに友達ができても本当に仲がよかったの。もちろん、喧嘩もたくさんしたけどね。今みたいな冷戦じみたものじゃなかった。それにいつも最後には私が譲ってたかな」
おかずの取り合い、テレビのチャンネル争い、と叔母が挙げるものは、たしかに姉妹ならありがちな微笑ましい小さな話だ。
そのまま寄り添うように大人になって、二人が大学生の頃、事件が起きたのだという。
「私はもうその時にはすっかりお酒の虜で、よく加奈子を飲みに誘ったの。ほらこの辺って飲み屋が多いじゃない? それで、上野の名店探しに付き合ってもらってたのよ。その時にね、小料理屋さんで出会っちゃったの。結衣もよく知ってる人よ」
まさか、と私は思う。
果たしてその予感は的中していた。
「結衣のお父さん。結衣が覚えてるのは、サラリーマン姿かもしれないけど、昔はね、料理人さんだったんだ。知ってた?」
「……ううん、全然」
スーツ姿を見送った覚えしかない。わざわざ母に習って、ネクタイを結んであげたこともあったっけ。
母が頑なに私が料理屋で働くのを嫌がったわけは、これだったわけだ。
「私はその時、彼氏がいたから、格好いいって思っただけだったの。でも、加奈子がすっかり惚れちゃってね。
そこからは私の新しいお店探しは中断、一人じゃ行けないからって私も一緒になってその人が働いてるお店に通った」
その頻度が上がるものだから、母に付き合っていた叔母は、当時の彼氏と別れるまでになったと言う。
そして、姪ないし娘としては、心持ちが複雑な話になっていく。
母との仲を取り持とうとするうち、叔母も私の父に惚れてしまったのだ。そして、姉妹での取り合いへと発展した。今までの小競り合いとは大違いの、真剣なものだ。
「大概のことは、加奈子に譲ってきたけど、その時は本気で取りに行った。ケーキ争奪戦とは話が違うもの。正直、恋愛で負ける気がしなかったわ。いつでも勝てると思ってたんだけどな。結果は、結衣がいることが全てね」
最終的に父の心を奪ったのは母ということになる。
「……それでお母さんと揉めて、そのまま?」
「ううん、もっとこじれたのは、そこから。簡単な話、私がちょっと引きずっちゃってね。だって散々妹の面倒見てきて、最後にその妹に好きな人持っていかれるのって結構癪じゃない? それに、珍しく彼のこと本当に好きだったから、ちょっとちょっかいかけちゃった」
「……それは、その行為というか」
お母さんと私が似ていない。
言われたばかりだけに引っかかる。じゃあ誰に似たと言われれば、目といい性格といい、叔母だ。
けれど、彼女はふるふると首を振る。
「安心して。ちゃんと結衣は加奈子の子どもよ。こさえた子どもを押し付けたかいうわけじゃない」
私は、なんだ、とにわかにざわついていた胸を押さえた。
「やったやらないに比べたら、可愛いちょっかいよ。一人でお店に顔出してみたり、こっそり手紙書いてみたり、そんなの。ちゃんと恋してたんだ、彼に。横恋慕だけどさ」
叔母は愛おしそうな声で言う。もしかすると、いまだに未練があるのかもしれない。
ともかくも、そんな手出しが積み重なり、段々とお母さんは叔母を完全に敵とみなすようになったのだそう。実家ともそこから折りが合わなくなっていった。
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