会社をクビになった私。郷土料理屋に就職してみたら、イケメン店主とバイトすることになりました。しかもその彼はーー

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】

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三章 火野カブ漬け

三章 火野カブ漬け(6)

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「結衣の両親が離婚したのはね、加奈子がずっと私のことを目の敵にして気にするのに、結衣のお父さんが耐えられなくなったからなんだってさ。繊細な人だったから、怒りの感情が苦手だったわけね。
で、話し合いの末に、別れた。お父さんの方は子育てできる状態じゃないからって結衣は加奈子の元に残ったの」

そんな離婚理由だったとは、初めて耳にした。
具体的なことはなにも聞かされず、父だけが家からいなくなった記憶しかない。両親の仲が、特別悪いとも気付いていなかった。

当時、中学一年生に上がったばかりだった私は、終わってしまった初恋、新しい友達や部活だとか、自分のことにかかりきりだった。それに、その時の私はクラスの真ん中で馬鹿をやるようなキャラで、周りにはたくさん友達がいた。

だから、良くも悪くも、特別大きなショックは受けなかった。告げられた時は動揺したけれど、「そっか仕方ないね」と言えるぐらいの分別は身についていた。

ただ、苗字が大河原から佐田へ変わり、出席番号が少し後ろになった。

本当にそれだけの話だった、たまに思い出したように感じた、そこはかとない寂しさ以外は。
以来、父とは会っていない。母がパートで大学まで通えたからには、養育費の支払いは全うしてくれたのだろう。

「で、そんなことがあってからは、ほとんど縁切り状態。あの子ってば、結衣のおじぃちゃんの葬式にも顔を出したと思ったらすぐ帰っちゃった。結衣は高校生の頃かな、覚えてる?」
「……うん。私は残ったから。おばぁちゃん、寂しそうだったな」

祖母も、祖父を追うように翌年亡くなった。母と祖母が会ったのは、祖父の葬式が最後ということになる。

「同じ人取り合って、やっと捕まえたと思ったら、加奈子はその夫自体も、親との関係も失ったわけ。余計な姉の手出しのせいでね。まぁ、これが事のあらまし」

叔母は隣の私を慈しむかのような目で見る。

「だから仕方ないかな。加奈子に恨まれるのは。……それだけじゃないか、結衣にも憎まれて当然だね」
「私は別にもう、気にしてないよ」
「今言われるからよ。昔聞いてたらどうだったか。結衣も私に嫌がらせしてたと思うな」

私は、なにとも返せなかった。そう断定的に言われたら、否定したところでかりそめにしかならない。
母が叔母との関係について口を割らなかったのには、こんな過去があったからだった。たしかにどれだけ婉曲にしようとも、子供に話す内容ではない。

「……ごめん、はじめくん。変な話聞かせちゃったな」

叔母は上目に江本さんへ視線をやる。
彼は、一言も発さずに目を閉じたままだった。私が彼の立場でも、それしかできなかったと思う。人の家庭の込み入った話は、反応が難しい。
けれど、私と違うのはそこからだった。

「……結衣さんのお母様は、嫌がらせのために漬物を送ったわけではないかと存じますよ」
「えっと……? でも理由も明らかになったし」
「結衣さん、少しこちらへ来ていただけますか」

戸惑いつつも従って、私は手招きされるままにカウンターの奥へ回る。ついでに紹介しておきたい、と言って江本さんが開けて見せたのは、カウンター下の収納だった。
しかし、ただの物置ではなくて、ややひんやりとした空気が足首を撫でる。

「冷蔵庫ですか、これ」
「えぇ、匂いが移るといけないので、漬物専用でございます。そして、ここに」
「あっ、これ!」

あったのはまごうことなく、カナカブ漬けだった。

「はい。おひとついかがですか」
「遠慮しても……?」もう二度も味覚をやられている。
「まぁそう言わずに。どうぞ」

さらっと鬼だな、この人! じゃあ聞かないでよ!
私は抗議するが、江本さんは、もう小皿まで用意済みだった。器用にもまな板を使わないまま三人分切り分け、私と叔母へ配る。
率先して、彼が一つを口に運んだ。

「ちょっと、大丈夫ですか江本さん!」

またあまりの辛さに固まるかもしれない。
私は彼の袖を引くが、江本さんは平気そうにぽりぽりと噛むだけだ。脂汗は浮かんでこない。

「とてもまろやかで、いい味でございます」

また一つと、江本さんは箸を動かす。
もしかすると、これは激辛ではない……? 思ってしまえば、それまでだった。恐る恐る食べてみると、

「…………甘いくらいじゃん」

これが甘かった。
カブの持つ甘みが引き立っている。舌に残るは、母の手作りに感じた刺々しさとは対称的なほどのまろやかさだ。見た目は全く同じなのに。
叔母も私たちに倣って、「美味しいわね」と舌鼓を打つ。

「お母さんがすごい辛党だった……? 漬け汁を間違えたの?」
「いえ、カナカブは漬ける日数によって、味が変わる漬物なのです」
「……はぁ、というと?」
「漬けてすぐはたいそう辛いですが、二週間ほどでそれなりの辛さに落ち着き、三ヶ月ほど経過すると優しい味わいに、六ヶ月と経てば、その頃には甘くなるのです。お母様の作られたものは、漬けてすぐのものだったと考えられます」

つまり、昨日のカナカブは、さっきの話で言う食べ頃ではなかったということだ。
となれば、前提から変わってくる。

「……じゃあ嫌がらせじゃなかったの? ただ、お漬物を送っただけ?」
「そうですね。なかったと言えると思います。ただまぁ匿名というあたり、とても普通のやり方とは言えません」

たしかにそうだ。

別に悪いことをしているわけじゃないなら、正々堂々渡せばいい。どうして名前を伏せたか。
これはあくまで推測ですが、と江本さんは言葉を継ぐ。

「匿名にする理由は、普通はばれたくないから。ですが、この場合は気付いてもらえると思ったから名乗らなかったのではないでしょうか。
お母様は、佐田様なら、誰が送り主かわかる。そう踏んだのだと思われます」
「それは秋田の郷土料理だからってこと?」

叔母が言うのに、江本さんは首を縦に振る。

「はい。ですが、あなたは気づかなかった」
「……私、料理は全くしないの」
「それはお母様の誤算でしょう。それでも毎年送っているあたり、いつかは分かるだろうと考えたのかもしれませんね」

通じずとも、同じやり口を繰り返す。
私への愚痴と同じだ。

頑固な母なら、たしかにやりそうなことである。

「それから一考が必要なのは、なぜ贈り物に、あえてカナカブを選んだか。秋田の名産は他にも数多ある中から、お母様はこのカブを選んだのです。それは、この漬物の性質を考えれば、お母様の意図がわかるかもしれません」
「……だんだん甘くなっていくことかしら?」
「はい、左様でございます。これは他の漬物にもあまりない、珍しい性質なのです。だからこそ、こう考えられるのでは。お母様はそこに、佐田様へのメッセージを込めたと」
「えぇっと? もう年なのよ、頭回らない。もう少しヒントもらえる?」
「ただ怒っていることを示したいなら、うんと辛いものを送れば済むでしょう。そうでないなら──」

私は、そこでようやっと分かった。
カナカブはたしかに辛いけれど、待てば甘くなる。
それと同じように人も、どれほど仲違いをした相手であっても、時間が経てば許せるようになっていく。
母はとっくに、叔母を憎んでなどいなかったのだ。ただ、一言を言えなかった。だからカナカブに託したのだ。

「仲直りをしたい」という、短いけれど、近くて遠い相手へ届けるには、難しい本音を。
「もうお分かりになったのでは?」

江本さんが叔母に投げかける。

「……こんなことってある? 言ってくれればそれで済む話なのに」
「親御さんが亡くなられる時まで張ってしまった意地を折るのは、簡単なことではないのでしょうね」
「……だからってさぁ」

彼女は、こう呟くと、すぐあと。
なにかのつっかえが取れたように、ふふっと壊れたおしゃべり人形みたい、無邪気に笑いだした。小さな息をついたあと、ようやく止んだかと思えば、

「……ほんと頑固で遠回しよね、あの子ってば。こんなの姉だからって分からないわよ。バカみたい」

その細い目には、涙が潤んでいた。

「本来の旬と外れているのは、この時期に拘ったのかもしれませんね。喧嘩の始まりがこの頃だったのでしょう?」
「ほんとあの子はさぁ」

叔母はもう我慢がきかなくなったらしかった。
さめざめと泣きはじめる。

泣いたところで、過去へ遡れるわけじゃない。三十年前の出来事はどう悔やもうとも、そこにある。祖父も祖母も、どうしたってもう帰ってきやしない。もう会えない。

けれど、この先ならまだ間に合う。だから、私は願った。
その涙が彼女に染み付いた罪の意識を洗い流してくれるよう。それから、姉妹の間に走った長い長い断裂を、埋めてくれるよう。

「……ありがとうね、二人とも。ほんと依頼してよかった」

叔母は目元を指の背で撫でながら言う。
まだ涙を溜める彼女へ、江本さんが差し出したのはハンカチではなく

「こちらお返しいたします。もう少し漬けてからお召し上がりください」

母の送ったカブ漬けだった。開封したはずだが、パックに詰め直されている。
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