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三章 火野カブ漬け
三章 火野カブ漬け(7)
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「なに、もしかしてはじめから分かってたの~?」
「そういうわけではありません。ですが、ただならぬ思いが込められていることは。そのような料理を簡単には捨てられません」
「ほんと噂以上だなぁ。探偵っぷりも格好よさも」
叔母は、服と同じくらい赤く腫れた顔でにっこり微笑む。
化粧が落ちた箇所は、年相応のしわが目立っていた。ただ、それすらも大人の味になっている。
「ところではじめくん、年上はいける口?」
「……なっ!」
私は思わず、喉をつっかえてしまった。叔母は、そんな私を見て、今度は声を上げて笑った。
「……冗談はやめてくださいませ、佐田様」
「はいはい。分かったわよ。でもあんまり似てたからさぁ、はじめくんが。料理人でイケメンで優しいって。もう結衣のお父さんそっくり」
「おばさん。だから、なに?」
言葉尻がきつくなる。少し思いはしたが、いい出来事でもないので、重ねたくはなかった。
「姉妹がいなくてよかったわね。あー、私が二十五ならなぁ」
「倍だよ、倍! おばさん、もう五十!」
調子を取り戻したと言うべきか、叔母はいらぬことばかり言い散らす。
かと思ったらスマホに夢中になっていて、気を削いでくる。例にもよって、荒らされるだけ荒らされた。
二人だけになったあと、私は念のため、釘を刺しておく。
「姪が言うのもなんだけど、叔母はやめといた方が」
「まさか。思ってもみませんよ」
即答だった。私は、ほっと短い息をつく。
いや、待て。よく考えれば、どうして私が安心しているのだろう。江本さんと叔母が関係を持ったところで私には関係ない。けども、けれども、と葛藤をしていて、
「僕など、そもそも佐田様の方から願い下げでしょう」
「……えっ、私は全然願い下げじゃ……」
痛恨の誤解をしてしまった。
「あっ、叔母の話ですか」
「はい。結衣さんではなく、おばさまのお話でございます」
また名前だ。そのままこの先も呼んでくれたりしないかな、とふと思う。
──って……違う、そうじゃない。
そうではなくて、話をちゃんと聞かなければ。
「どうして叔母の方から願い下げってわかるんですか?」
「昨日今日と、服に化粧、どちらもしっかりとおめかしをされていました。それに、しきりにスマホを確認して時間だと帰っていくとなれば察しは付きませんか」
「もしかして、彼氏……?!」
「そうでしょうね。それも、行動から見ても本気かと。詳細は、ご本人にお尋ねください」
叔母にも春が来ていたらしい。年齢も季節も、少し遅めの。
そうなれば全力で応援しなければ。からかってやるのもいいかもしれない。想像すると、笑みがこぼれる。一方で、江本さんの表情は晴れなかった。分かりにくくはあるが、曇りがかっている。
「それより佐田さん、ご家庭の事情を色々と聞いてしまい、申し訳ありませんでした。……大変でございましたね」
「気を遣わないでください。私は大丈夫ですから」
本当の話だ。両親の離婚が私の心につけた傷は、もう疼かないほどには浅い。
けれど、もし全て癒えてしまったら、とはさっきしがた思った。
「江本さん。一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、どうぞ」
「すれ違って一度別れても、また寄りが戻ったり……ってあるものですかね」
もう会えない人を挙げた時、私は父の名前を挙げられなかった。
それはつまり、どこかでは三人家族の理想像を探し求めているからなのかもしれない。
「わかりません。でも、ないとは言えません。それが人というものです」
江本さんの答えは、明快ではなかったけれど誠実なもので、私をよく満足させてくれた。
「明るく過ごしていれば、奇跡は起こるものですよ。その点、佐田さんにならきっと起こります。あなたは太陽のようですから」
続いた言葉は、どこかで聞いたような少し臭い言い回しだったけれど。
♢
それから二週間ほどして、佐田家の食卓にカナカブ漬けがのぼった。
どれくらい甘くなったかな。
そう一つを食べると、まだ相応に辛かった。ぎゅっと目を瞑っていると、向かいの席で母がくすりと笑う。
「まだ結構辛いでしょ?」
最近、母は機嫌がいい。そのわけは、叔母から聞いていた。
数日前に叔母から誘って、二人で上野のランチに行ったらしい。これまでが嘘のように打ち解けたそうで、今度、三十年越しの上野名店探しを再開することも決まったのだとか。
「辛いけど、食べられるよ」
「美味しい?」
「……まだ辛い」
「そこは嘘でも美味しいって言うのよ。そんなんで料理屋さんのバイト務まるの?」
「お店のご飯は、はずれないもん」
母は変わらず私のバイトを快くは思っていない。けれど、少しずつではあるが、態度が柔らかくなっている気もする。
そこで、はっと繋がった。
カナカブは、三ヶ月もすれば優しい味わいになる。それに私への想いも込められているのだとすれば……。
「お母さん。私、頑張って三ヶ月やり通すよ、バイト」
母は頭ごなしに否定していたのではない。やり抜いたなら、認めてくれるつもりだったのかもしれない、最初から。
「あんたがそう言ってやり切ったことが何回あるのよ」
母の言葉は、いつも遠回しだ。
でも娘の私には、なにを言いたいかちゃんと分かる。やり切ってみなさい、とはっぱをかけてくれたのだ。私は嬉しくなって、またカブをつまむ。
「か、辛い……!」
今はまだ辛いけれど。
でも、いつかきっと甘くなる。
「そういうわけではありません。ですが、ただならぬ思いが込められていることは。そのような料理を簡単には捨てられません」
「ほんと噂以上だなぁ。探偵っぷりも格好よさも」
叔母は、服と同じくらい赤く腫れた顔でにっこり微笑む。
化粧が落ちた箇所は、年相応のしわが目立っていた。ただ、それすらも大人の味になっている。
「ところではじめくん、年上はいける口?」
「……なっ!」
私は思わず、喉をつっかえてしまった。叔母は、そんな私を見て、今度は声を上げて笑った。
「……冗談はやめてくださいませ、佐田様」
「はいはい。分かったわよ。でもあんまり似てたからさぁ、はじめくんが。料理人でイケメンで優しいって。もう結衣のお父さんそっくり」
「おばさん。だから、なに?」
言葉尻がきつくなる。少し思いはしたが、いい出来事でもないので、重ねたくはなかった。
「姉妹がいなくてよかったわね。あー、私が二十五ならなぁ」
「倍だよ、倍! おばさん、もう五十!」
調子を取り戻したと言うべきか、叔母はいらぬことばかり言い散らす。
かと思ったらスマホに夢中になっていて、気を削いでくる。例にもよって、荒らされるだけ荒らされた。
二人だけになったあと、私は念のため、釘を刺しておく。
「姪が言うのもなんだけど、叔母はやめといた方が」
「まさか。思ってもみませんよ」
即答だった。私は、ほっと短い息をつく。
いや、待て。よく考えれば、どうして私が安心しているのだろう。江本さんと叔母が関係を持ったところで私には関係ない。けども、けれども、と葛藤をしていて、
「僕など、そもそも佐田様の方から願い下げでしょう」
「……えっ、私は全然願い下げじゃ……」
痛恨の誤解をしてしまった。
「あっ、叔母の話ですか」
「はい。結衣さんではなく、おばさまのお話でございます」
また名前だ。そのままこの先も呼んでくれたりしないかな、とふと思う。
──って……違う、そうじゃない。
そうではなくて、話をちゃんと聞かなければ。
「どうして叔母の方から願い下げってわかるんですか?」
「昨日今日と、服に化粧、どちらもしっかりとおめかしをされていました。それに、しきりにスマホを確認して時間だと帰っていくとなれば察しは付きませんか」
「もしかして、彼氏……?!」
「そうでしょうね。それも、行動から見ても本気かと。詳細は、ご本人にお尋ねください」
叔母にも春が来ていたらしい。年齢も季節も、少し遅めの。
そうなれば全力で応援しなければ。からかってやるのもいいかもしれない。想像すると、笑みがこぼれる。一方で、江本さんの表情は晴れなかった。分かりにくくはあるが、曇りがかっている。
「それより佐田さん、ご家庭の事情を色々と聞いてしまい、申し訳ありませんでした。……大変でございましたね」
「気を遣わないでください。私は大丈夫ですから」
本当の話だ。両親の離婚が私の心につけた傷は、もう疼かないほどには浅い。
けれど、もし全て癒えてしまったら、とはさっきしがた思った。
「江本さん。一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、どうぞ」
「すれ違って一度別れても、また寄りが戻ったり……ってあるものですかね」
もう会えない人を挙げた時、私は父の名前を挙げられなかった。
それはつまり、どこかでは三人家族の理想像を探し求めているからなのかもしれない。
「わかりません。でも、ないとは言えません。それが人というものです」
江本さんの答えは、明快ではなかったけれど誠実なもので、私をよく満足させてくれた。
「明るく過ごしていれば、奇跡は起こるものですよ。その点、佐田さんにならきっと起こります。あなたは太陽のようですから」
続いた言葉は、どこかで聞いたような少し臭い言い回しだったけれど。
♢
それから二週間ほどして、佐田家の食卓にカナカブ漬けがのぼった。
どれくらい甘くなったかな。
そう一つを食べると、まだ相応に辛かった。ぎゅっと目を瞑っていると、向かいの席で母がくすりと笑う。
「まだ結構辛いでしょ?」
最近、母は機嫌がいい。そのわけは、叔母から聞いていた。
数日前に叔母から誘って、二人で上野のランチに行ったらしい。これまでが嘘のように打ち解けたそうで、今度、三十年越しの上野名店探しを再開することも決まったのだとか。
「辛いけど、食べられるよ」
「美味しい?」
「……まだ辛い」
「そこは嘘でも美味しいって言うのよ。そんなんで料理屋さんのバイト務まるの?」
「お店のご飯は、はずれないもん」
母は変わらず私のバイトを快くは思っていない。けれど、少しずつではあるが、態度が柔らかくなっている気もする。
そこで、はっと繋がった。
カナカブは、三ヶ月もすれば優しい味わいになる。それに私への想いも込められているのだとすれば……。
「お母さん。私、頑張って三ヶ月やり通すよ、バイト」
母は頭ごなしに否定していたのではない。やり抜いたなら、認めてくれるつもりだったのかもしれない、最初から。
「あんたがそう言ってやり切ったことが何回あるのよ」
母の言葉は、いつも遠回しだ。
でも娘の私には、なにを言いたいかちゃんと分かる。やり切ってみなさい、とはっぱをかけてくれたのだ。私は嬉しくなって、またカブをつまむ。
「か、辛い……!」
今はまだ辛いけれど。
でも、いつかきっと甘くなる。
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