2 / 45
第二話
しおりを挟むアリシア・デ・ヴェアトリーは、軍務卿ヴェアトリー侯の娘であり、令嬢の身でありながら剣術を学んできた過去がある。
ヴェアトリー家始まって以来の剣術の達人と謳われたヴェアトリー侯は、一人娘であるアリシアにも剣術を教えたのだ。
それは、一般の侯爵令嬢の教育とは大幅に異なるものであった。
齢が二桁にも到達しない少女が学ぶものでもない。
ダンスのレッスンよりも、戦での立ち回りが重要視された。
歴史や算術よりも、兵法を多く学んだ。
乗馬術も、戦場のように剣や矢が飛び交う中で走らせた。
社交界の空気に触れること以上に、血生臭い戦いの現場に赴いた。
領土内での野盗討伐や隣国との抗争において、後ろで指揮や指示を飛ばすのではなく、誰よりも前線で戦っていた。
令嬢らしからぬ言葉使いは、いずれは軍務卿として軍の中核を担う存在に相応しい、リーダーとしての言葉使い。
配下に舐められてはいけないためのもの。
常に堂々たる態度で戦いに挑むその姿は、自然と兵士や傭兵たちの間で“剣聖姫”の異名を囁かれるようになる。
幼少より、戦のなんたるかを学んでいたアリシア。
しかし、いかに令嬢らしくない物騒な異名を持ち、堂々たる振る舞いを行い、凄まじい剣術を身につけたとはいえ、侯爵の娘には違いない。
軍務卿にして、王国の懐刀と呼ばれたヴェアトリー家の娘として、貴族としての立場があった。
アリシア十二歳の誕生日の日。
「おい、ヴェアトリー侯の娘。このオレ様が新しい主人だ。頭を垂れよ」
それが初めて出逢ったヴィクトール王子殿下、初対面、十二歳の時の記憶である。
「この強く、美しく、賢いオレ様が、ヴェアトリーを我が王族の縁者にしてやろうと言うのだ。誉れ高かろう。我が王国に長年仕えてきたお前達に、ようやく、ようや~く、傭兵以上の待遇をしてやるのだからな! これほどの成り上がりはなかろう」
傭兵以上も何も、軍務卿であり、懐刀とまで称され、王国にとっての軍事の要とまで目されるヴェアトリー家に対して何たる暴言か。
「死肉喰らいの傭兵から、王族。大した出世話だな」
よほど、この男はヴェアトリーだけでなく傭兵という命をかけた仕事を馬鹿にしたいらしい。
カネのために嬉々として戦場に立つのが傭兵だと言いたいのであれば、この子供は貴族でありながら、政にかかわるべき存在ではない。
彼ら傭兵は、生きるためや治安、自警のために働く者たちだ。
貴族にバカにされる仕事ではない。
「お前は、なんだ? 何様のつもりだ?」
令嬢らしからぬ発言をしたアリシアに、ヴィクトールはギョッとしたのか、ムッとしたのか定かではない。
「何様だとォ? オレ様はこの国の王子だぞ!」
「寝言は寝て言え。王子が傭兵のなんたるかを語れないワケがない」
そこからは露骨だった。
ヴィクトールは人差し指をこちらに向けてきた。その顔は怒りに満ちている。
「キサマ! このオレ様を何者だと心得る! オレ様はヴィクトール・フォン・エスタージ。王位継承者、未来の国王であるぞ!」
それで満足したのだろう。怒りを収め、ふふん、と鼻を鳴らすヴィクトール。
恐らく、その王子という言葉を聞いて、アリシアに「失礼しました!」と頭を下げさせたいのだろう。
「お前が、王子? お前のジョークは理解に苦しむ」
呆れたように言ってやると、大層怒ったのだろう。
「このォ!」
ヴィクトールは、アリシアに対して拳を振り上げた。
「……っ」
多少暴力を振るわれようが、既に武術を極めつつあるアリシアにとって、いなすことは難しいことではない。
しかし、それ以上に。
戦場や軍人、賊の一味ですらない貴族がいきなり暴力を振るってくるなど、初めての経験で、衝撃的だった。
「オレ様はこの国そのものだと言っただろう!」
どうやら灸を据えなければいけないらしい。
アリシアは剣術だけではない。徒手での戦闘だって出来る。
しかし、
「よせ、アリシア!」
その一言が入り、アリシアは動きを止める。
父、ヴェアトリー侯爵である。
「そのお方は本当にヴィクトール王子殿下だ、アリシア」
つまり、この子供が言う、この国そのものという言葉に嘘偽りはないのだ。
「分かったか? オレ様はこの国そのものだと!」
アリシアにとって、全く手出しが出来ない人間であった。
ヴェアトリーは王国の懐刀。
ヴェアトリーは王国の軍事作戦の要。
ヴェアトリーは軍務卿として、王国を支えている。
つまり、アリシアが少しでも手を出せば、その全てを失うのだ。
しかも、
「ヴィクトール王子殿下は、アリシア。お前の婚約者だ」
その父の一言は、幼かったアリシアにはあまりにも残酷な一言であった。
それに今まで聞かされていた話とは点で違う。
「お父様。私は将来、ヴェアトリーを継ぐと聞いていましたが?」
アリシアは幼い頃からそう言い聞かされて育ってきたのだ。
だから令嬢らしからぬ、軍人らしい生活や考えを学んできた。
「ワシもそのつもりでいた。しかし、国王陛下はこれまでのヴェアトリー家の貢献の歴史を顧みて、アリシアを婚約者として招き入れるとの事だ」
それは父にとっても、ヴェアトリーの一族から見ても、破格の扱いであった。
王国の懐刀とまで呼ばれたヴェアトリーの歴史。
長い年月、王国に忠を捧げていた一族が、遂に王族の一員となれる日が来たのだと。
それを喜ばずしてどうする。
これほど誉れ高いことはない。
アリシアが王子との子を成せば、ヴェアトリーも王家の一員となれるのだ。
もっとも……それが意味するのは。
「アリシア。聡明なお前であれば、分かっているな?」
父がヴィクトールに聞こえないよう、耳元で囁いてきた。
「私に婚約者としての役割を全うしろ……と?」
それは聞かされていた将来とは全く違う内容であった。
令嬢らしからぬ物言いも、全ては戦場に身を置くため。
「その通りだ。だが、相手はあのような王たる器には程遠い男」
屋敷内の果物に勝手に手をつけているヴィクトールを、傍目に見ている父。
その忌々しそうに睨み付けているのは、内心、良く思っていないのだろう。
「アリシア。我が家訓を忘れてはいまいな?」
静かにアリシアは頷く。
「ヴェアトリーの家訓……。目的のためならば手段を選ぶな」
「ウム。その通りだ」
だから、この好機を利用すべきだ。
しかし、父はただただ目先の利に目が眩む愚かな男ではない。
戦を知り、命を奪い、奪われる環境で育ったがゆえの、相手を裏を読む術をよく心得ている。
その目にはどこか、末代まで誇れる功績に目が眩んでいるようには見えない。
むしろ、末代までの恥とならぬか、強い警戒の色が見える。
「だが、心せよ。お前に暴力を振るうような愚かな子供だ。ロクな大人になれはせぬ」
王子と呼ぶにはあまりにも愚かなヴィクトールの態度。
父はヴィクトールを全く信頼していないのだろう。
きっと、アリシアのような令嬢でなければ、将来は気に入らない者に手を掛ける、愚かな男に成り下がるだろう。
「お前はこれまで通り武を究めればよい。何をされても良いようにな」
王子に嫁ぐ淑女に相応しい教育は必要ない。
暗にそう言われているようだった。
「分かりましたお父様」
アリシアは再び頷く。
「鍛錬を続けて、この男くらいは殺そうと思えばいつでも殺せる。だから、手出ししない。そう心に留めておきます」
「……間違っても殺すなよ。相手は王子だぞ」
汗を一筋流すヴェアトリー侯。
だが、この当時の父の警戒は、最悪の形で的中してしまったのは、言うまでもない。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
リリゼットの学園生活 〜 聖魔法?我が家では誰でも使えますよ?
あくの
ファンタジー
15になって領地の修道院から王立ディアーヌ学園、通称『学園』に通うことになったリリゼット。
加護細工の家系のドルバック伯爵家の娘として他家の令嬢達と交流開始するも世間知らずのリリゼットは令嬢との会話についていけない。
また姉と婚約者の破天荒な行動からリリゼットも同じなのかと学園の男子生徒が近寄ってくる。
長女気質のダンテス公爵家の長女リーゼはそんなリリゼットの危うさを危惧しており…。
リリゼットは楽しい学園生活を全うできるのか?!
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
婚約破棄された宰相です。 正直、婚約者も宰相も辞めたかったので丁度よかったです
鍛高譚
恋愛
内容紹介
「婚約破棄だ! そして宰相もクビだ!」
王宮の舞踏会で突然そう宣言したのは、女性問題を繰り返す問題王太子ユリウス。
婚約者であり王国宰相でもあるレティシアは、静かに答えた。
「かしこまりました」
――正直、本当に辞めたかったので。
これまで王太子の女性問題の後始末、慰謝料交渉、教会対応、社交界の火消し……
すべて押し付けられていたレティシアは、婚約も宰相職もあっさり辞任。
そしてその瞬間――
王宮が止まった。
料理人が動かない。
書類が処理されない。
伝令がいない。
ついにはトイレの汚物回収まで止まり、王宮は大混乱。
さらに王太子の新たな女性問題が発覚し、教会は激怒。
噂は王都中に広がり、王宮は完全に統治不能に。
そしてついに――
教会・貴族・王家が下した決断は、
「王太子廃嫡」
そして。
「レティシア、女王即位」
婚約破棄して宰相をクビにした結果、
王宮を止めてしまった元王太子の末路とは――?
これは、婚約破棄された宰相が女王になるまでの
完全自業自得ざまぁ物語。
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる