双子協奏曲

渋川宙

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第32話 真実は天文台でー後編ー

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「薬は幻覚作用だけでなく痛覚も鈍らせるということは、最初の殺人ではっきりしていることだ。君は刺されても笑顔が当たり前との図式を持ってしまったのも無理はないかもね。それはともかく、坂井先生をある仕掛けで殺したところで、何の物音もなく、何なら自分で胸に刺さった刃物を引き抜いて絶命してくれるはずだった。しかしトリックが悪かったね」
 龍翔はそう言うと意地悪に笑みを浮かべた。実は何の物音もなくというのは嘘だ。その物音こそヒントだった。しかし本来ならば気づかれなかったというのは正しい。いくら部屋の中では大きな音として捉えられるそれも、廊下の一番端の部屋から全員のいるミーティングルームには、降りしきる雨の音もあって届かない。
「トリックって。そんな推理小説じゃあるまいし」
 しかし駆はそれで白状する気はないようだ。トリックというならばどういうものか説明してみろと龍翔を睨んでくる。その顔は初めて敵意に満ちたものだった。同じ穴の狢であったはずなのに、天翔が断罪する側に回っているのが許せないのだ。
「まあ、トリックという言い方が悪いかもね。あまりに単純な仕掛けだ」
「単純」
 駆はぴくっと片方の眉を吊り上げた。それは心外だとの意思表示なのか、すぐに見抜けたと馬鹿にされたと感じたためなのか。ただ、燃えるような目で龍翔を見ていることは確かだった。
「仕掛けに使ったのは、ここならば簡単に手に入るものだ。まずはペットボトル。これは下にある自販機コーナーで簡単に手に入れることが出来る。それともう一つはドライアイスだ。これは死体を保存するためにここに集められている。おかげで入手に苦労はしない。あの包丁を取りに行った時に、小杉君のところから奪えばよかったからね」
「――」
 その指摘に駆は悔しそうに舌打ちする。どういうトリックか完璧に解っていると気付いたのだ。
「さらにポイントとなるのがあの乱雑な本棚だ。一か所が乱れたところで誰も気にしない。むしろ初めからそうだったと勘違いしてくれるはずだった。そうだよね」
 龍翔はミーティングルームに行く前に見た恵介の研究室の本棚を見ていたので肩を竦めてしまう。というのも、乱雑さは悠大の机の上と同じくらいのものだったからだ。適当に物が積まれ、どこに何があるのか解らない。あれではトリックで乱れたかどうか、見分けることはまず無理だ。悠大の机と恵介の本棚は、一度散らかると元に戻ることが出来ないかのようである。それは物理学者からすればエントロピーの増大のように見えて、なかなか感慨深い。
「その二つ、本棚を含めて三つですか。それでどうしたって言うんです」
 しかし簡単にやったことを認めてなるものかと、龍翔に続きを述べろと要求する。一つでも穴があればこちらのものだと、そう考えているのだ。
「ああ、そうだね。でもこの三つだけでは駄目だ。少量の水。これがこの仕掛けの最大のポイントだ」
 龍翔はそこで一度、天体望遠鏡へと目をやっていた。別に意味はない。ただ、そうすることで気持ちが落ち着くような気がした。
「ドライアイスに水を加えると昇華するのは、誰もが知るところだ。あの白い煙だよ。まず、ペットボトルに砕いておいたドライアイスと水を入れる。そして蓋をするわけだが、ここで包丁を栓替わりにするのが大切だ。というのも、ペットボトル内の気圧が上がることで包丁が勝手に飛び出すことこそ、このトリックの要だからね。なぜ犯人がわざわざ包丁の再利用をしたかといえば、他の丁度いい刃物がなかったからというもの理由なんだ。ここにあった包丁は珍しく円形をした柄を用いたものだった。それが丁度よくペットボトルに差し込める大きさだったんだよ。さすがにそれだけでは不安だから、ガムか何かで周囲を埋める。これでオッケーだよ」
 これで認めるかと、龍翔は天体望遠鏡から駆へと目を転じた。しかし駆は挑むような目を向けたままだ。いや、その鋭さは先ほどよりも増している。
「なぜそんなもので包丁を飛ばすことが可能なのか。これはドライアイスが液体にならずにすぐに気体になる。つまり昇華することに関係している。ドライアイスの昇華温度はマイナス七八.五度。しかも昇華することで体積は七五〇倍となる。もちろん、単に密閉したペットボトルの中で昇華したというのでは、そう簡単に飛び出す現象は起こらない。きっかけが必要だ。そのきっかけを得るためにも、仕掛ける場所は本棚である必要があった」
 それこそが乱雑さと関係してくるのだ。エントロピーではないが、戻ることは不可能。つまり本が崩れればいい。
「予めバランスを崩した形で本を並べ、ブックエンドの代わりにここでもドライアイスを挟んでおく。こちらはペットボトルより先に溶けては困るから水を使っていないだろう。そしてその先にペットボトルを仕掛けておいた。煙が出ることになるが、坂井先生が研究室で煙草を吸っていることを知っている君からすれば、これは問題のないことだった。坂井先生に新しいのをどうぞと、薬を勧めておけば確実に部屋の中は白くなる。ちょっとの煙が下の方に溜まっていたからといって気にならないことだろう。そう、証拠を一切残さず、たった一人でいる瞬間に命を奪うことが可能なんだ。時間が来てドライアイスが完全に溶けると、辛うじて止まっていた本が一気に雪崩れる。それが膨張してパンパンになっているペットボトルを押した。それによりペットボトルの中の空気圧のバランスが崩れ、蓋を押し飛ばす。ここでは包丁だな。あれがセラミックで出来ているために軽く、飛ばすのに問題はない。勢いよく飛んだ包丁は、酩酊状態で座っている坂井先生の胸を貫く。坂井先生がどういう向きを取るかは、日頃から灰皿が置いてある方向で解るしね」
 そこで龍翔は一度言葉を切った。駆はもう反論するつもりもないようで、じっと龍翔を見つめたままだ。その視線に正体がばれたかと不安になるが、ここまで話してしまった後だったらばれても問題はない。
「さて、ここまで完璧に考え抜かれたトリックだったが一つ盲点があった。それは音だ。そうだよね」
 わざと龍翔は同意を求める。それに、駆は無意識に唇を噛んだ。そう、あのトリックは大きな破裂音がするのだ。本が崩れる音は、恵介のあの本棚であれば日常的に起こっていたはずなので驚かなかったが、ペットボトルのキャップが飛ぶ瞬間の音は別だ。バンッと驚くほど大きな音が部屋に響き渡ったことだろう。いくら薬でしたたかに酔っていたとしても、これには本能的に驚くことになる。
「――どれも、俺がやったとの証拠にはならない」
 総てが明らかにされたところで、駆はそう呟いた。たしかに今までのところ誰がやっても成り立つことしかない。それに気づいた駆は笑った。そう、ここでにやりと笑ったのだ。それは断罪されないとの確信が含まれている。
「はあ。解っていないね。君、俺のことを勘違いしているんだろ。違うかい」
 しかしそれは通用しないと龍翔は溜め息を吐いた。なぜならばここまでの犯罪は総て誰でも可能だが、ある勘違いがなければここまでのことになっていない。それは天翔にも指摘したことだ。
「勘違い。何ですか。俺はあなたのことを勘違いしたことなんてありませんよ」
 しかし絶対的な自信を得た駆はふんぞり返って訊く。もちろん、その勘違いもより強く出られる理由だ。結局は同じ穴の狢ではないか。ここまで見抜かれたのならば立場の弱さを突いて脅すだけだ。そう開き直っている。もう、天翔のためだったとの言い訳は忘れているのだ。
「いいや。大きな勘違いをしているよ。俺が薬をやっている。そういう勘違い」
「――」
 勘違いわけあるかと、駆は龍翔を睨み付ける。それは推理を披露していた時よりもきつい眼差しだ。
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