偽りの島に探偵は啼く

渋川宙

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第8話 台風の朝

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 美樹はそう言ってずかずかと部屋を進み、窓辺にあった椅子にどかっと座って外を眺め始めた。
 勉強はどうしたと聞きたくなるが、普段とは違う環境で、しかもまだ六時前。注意するのは馬鹿馬鹿しい。
「今日から研究を始めるわけだが、何からやるべきだろうね」
「ああ、そうよね。高校生にしては難解なテーマに挑まなきゃいけないもんね。でも、別に全員で揃ってやるわけじゃないんでしょ。興味があることはバラバラなんだし」
「多くの場合はね。とはいえ、大きな目的は一つなわけだから、調整は必要だろう。ああ、初日はそれぞれの研究方針の説明とか書いてあったっけ」
「小宮山君って変なところでルーズよね。でも、そう言いつつ準備は万端だったりするんでしょ」
 変な性格だなと美樹は常々思っているが、ここでも変わらずその調子なんだと呆れてしまう。普段とは違う場所で違う人たちと研究するのだから、もう少し緊張感があってもいいのではないか。
「準備というか、普段やっていることの延長だしな。ああ、あった。日程表によると、朝ご飯の後は加速器の見学。そしてその後だな。それぞれの研究方針の説明ってあるよ」
「しかもちゃっかりパソコンに日程表入れているし」
 覚えないことを自覚しているからか、ちゃんと普段から持ち歩くノートパソコンに日程表を入れているところが凄い。美樹なんて、転送してもらったメールが、受信トレイの下の方にいってすぐに見れない状態だ。
「だって、プリントアウトして紙で持っているより確実だろ」
「そうだね」
 そういう意味じゃないんだけどと、美樹は説明するのも面倒なので同意した。そして自分も持って来ていたノートパソコンを開く。
「六時半になったらすぐにご飯だな」
「そうだね。といっても、その時間くらいに集まってくれって感じでしょ」
「それもそうか。寮じゃないもんな。あっ、そうだ。台風情報を見ておいてくれないか。俺はちょっと調べたいことが見つかったから、発表までに詰めておきたい」
「了解」
 こうしてしばらく二人で黙々とパソコンを操作し、コーヒーを飲む。そうしていると、小笠原諸島いるという事実さえ忘れそうだった。
「あっ、台風。かなり発達してるね。このままだと、佐久間さんの言っていた通り、この島に来る頃には八百くらいになっていそうよ」
「マジ?」
「マジね。この近辺の海水温が高いこともあって、急速に発達しているみたい。おかげでかなりの大型になってるわ。それにほら、ここって南の海上に浮かぶ島だから、本州と違って勢力が落ちないままに当たるからなあ」
「ああ、そうか。大体東京に来る頃には勢力が落ちているもんだからな。その感覚でいると駄目なんだ」
「うん。体験したことのないレベルのやつが来るってことね」
「ううむ。まあ、この建物の中でも研究できるだろうし、問題ないけどね」
「それを言ったら終わりよ」
 そんな馬鹿な会話を繰り広げていたら、コンコンっとドアをノックされた。ひょっとして朝っぱらから煩かったか。
「はい」
 そんな懸念を抱きつつドアを開けると、なんと倫明がいた。そして、ちょっといいかいと部屋の中に入ってくる。
「川瀬さん、悪いね。二人で話しているところに」
「いえ。台風についてしか話してなかったから」
「そうか。じゃあ丁度いい」
 倫明はそう言うと、かなり大きな台風なので困惑していると正直に告げた。
「しかも、当初の予定では最初の挨拶だけで、台風が接近する前に兄は帰るはずだったんだけど、それが無理になったんだよね」
「ああ。つまり、台風が通り過ぎるまでの数日は、常にお目付け役がいる状態になってしまったと」
「まあね。とはいえ、研究に口出ししてくることはないだろうし、ほとんどは部屋にいると思う。仕事は休めないからね。ここにもテレビ会議用のモニターを持ち込んでいるんだよ」
「それは凄い」
 まさか会議もここでやるのかと、朝飛は本気で驚いた。すると、佐久間の人間には普通なんだよねと倫明は苦笑する。
「そうなんだ」
「そう。仕事が最優先の人たちばかりだよ。だから、俺だけ理系なのを、親族はいつも不思議そうにするねえ。どうしてこいつは経営に興味がないんだろうって」
「へえ。じゃあ、お前は祖父さんの血を継いだってところか」
「かなあ」
 そうでもないと思うんだけどねと、倫明は困った顔になった。どうやら色々と問題があるらしい。
「今回の研究に関して、そのお祖父さんが全部仕切っているんだろ。ここには来ていないみたいだが」
「うん、そう。ここに来ないのは、面倒だからだろうね。今年九十一歳で年も年だし、周囲が心配するからさ。とはいえ、俺には逐一報告しろって命令が来ているから、完全に任せきりにするつもりはないんだろうね。それがまた、面倒で」
「板挟みか」
 朝飛はなるほどねえと同情してしまう。
 経営では一枚岩の佐久間一族も、このイレギュラーな宇宙に関する研究には意見が割れているというわけだ。そして阻止を目的として乗り込んできている聡明と、研究成果を待ちわびている繁明の間に倫明は挟まれている。
「まさにそのとおり。だからここに祖父が来ないのをいいことに、兄は自分の部下二人と、あの斎藤さんを連れて来ているからね。きっと、無駄があればすぐに本部に報告して、父に告げ口するつもりだ」
「うわあ。そういうの、フィクションの世界だけかと思ってた」
 それまで黙って聞いていた美樹が、凄いわと呆れて声を上げてしまった。それに朝飛がこらっと目で注意する。
「いや、いいんだ。って、話がずれているし。それで台風だけど、かなりの大型でしかも勢力が強い。ここでもそれなりの被害が出るかもしれないから、今から対策を考えておきたいんだ」
「ああ、そういうことか。でも、それこそあの斎藤さんがしっかりやってるだろ」
「まあね。でも、任せっぱなしにすると、後で何を言われるか解ったもんじゃないよ」
「なるほど。文句が来るんだな。お前たちでは何もできないんだろうとなるわけか」
 面倒臭いなと、朝飛は顎を擦った。剃り残しがあったのか、髭がじゃりっと当たった。朝食後にもう一度剃っておこうと、思考がずれる。
「でも、対策って」
 集中が途切れたことを見て取った美樹が、すかさずフォローするために質問を入れる。普段はそつのない朝飛も、面倒が重なる状況は苦手のようだ。
「ああ、そうそう。主に加速器と研究棟に関してだな。食料とかここのことは、斎藤さんに任せて大丈夫だろうけど、研究に関係している部分は自分たちで対策したいんだ」
「加速器って特殊な機械だもんね。規模もそれなりに大きいんだよね」
「もちろん。島だから外部からのノイズがあまり入らないこともあって、目一杯大きなものを作ってある。だから、本格的に稼働できれば、それなりの成果が上げられるのは確かなんだよね」
「ああ、それは歯がゆいな」
 ようやく思考がこちらに戻った朝飛が、意見が一致していないのは残念だなと本気で嘆く。加速器のような大型の実験器はそう簡単に建造できるものではないし、国家予算も付き難い。
 それに多くが多国間で作るものであって、こうやって日本独自に研究できる場なんて今やないのだ。ここはその点で非常に有意義な場なのだが、個人資産に頼っている弱みも見事に露呈している。
「祖父が亡くなった後は、大学か研究所に寄贈できればと兄も考えているから、ここが取り壊されるようなことはないだろうけどね」
「ううん。でも、これだけの規模だからな。維持するだけでも大変だろうし、さすがに無償でとはならないだろ」
「まあ、兄のことだから、何らかの見返りを求めるかもしれないね。ただ、ここの維持やら固定資産税を考えると、さっさとどっかに渡したいって思うかも。どちらにしろ、国外の大学が買い取る可能性も出てくるね」
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