狙撃銃は女神の懐

荒井文法

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第三章 組立

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 暗い部屋の中、三台の液晶ディスプレイが光っている。ディスプレイの前に置かれた灰皿からは途切れることなく煙が立ち上っている。部屋に充満しているタバコの煙で拡散されたディスプレイの光が、弱々しく部屋の中を照らす。
 マウスに手を置きながらディスプレイを見つめるメグ。ディスプレイ画面には、いくつもの動画が同時に再生されている。メグの視点はひとつの動画に定まっておらず、すべての動画をぼんやりと眺めているが、身体は微動だにしない。灰皿に置かれている吸いかけのタバコの先に付いている灰が自重を支えきれずに崩れ落ちた。
 一週間前にシロウから『イリカさんに迷惑かけずに取材する方法が思い付かない』と言われたメグは、数秒で最適解を導いていた。ただ、それをシロウには伝えなかった。難しい解答ではない。平均的な大人がシロウと同じ状況になれば、誰でも思いつく解答だ。なぜシロウが思いつけないのか、その理由も、メグは把握していた。シロウは自分以外の誰かに労力をかけさせることができない、否、労力をかけさせるという選択肢がそもそもない。優しすぎる、とか、甘い、などの表現とは一線を画す性質だ。自己犠牲、という言葉が近いかもしれない。シロウは、仕事のできる上司にはなれないだろうな、とメグは思う。
 一週間前の電話以降、シロウとまったく連絡をとっていないメグは、一日のほぼ全てをパソコンの前で過ごしていた。目的は、警察と政府のネットワークに侵入し、今回の連続殺人事件について秘匿されている情報を見つけること。警察のネットワークへの侵入は二ヶ月前に成功しているので、同様の方法で、政府のネットワークへ侵入した。公的機関のセキュリティで一番脆い部分は、例外無く人間だ。年配の人間になるほどセキュリティ意識が低く、しかも、様々な権限を与えられた役職に就いている確率が高い。メグにとって、課長クラスの人間は、エレベーターガールのような存在だった。非常用階段を一段一段踏み締めて目的のフロアへ行くことも嫌いではなかったが、今は時間が優先である。遠慮なくエレベータを使い、ネットワークへ侵入した。
侵入したのは、少子対策法を管轄している外務省のネットワークである。外務省のネットワークに侵入したのち、外務大臣の個人パソコンを特定し、そのパソコンに保存されている文書データ、画像データ、動画データをすべて抜き取った。抜き取ったデータのうち、数が少ない動画データを最初にすべて見てしまおうとメグは考えた。
 突然、マウスを握っているメグの手が動き、メグの視点がひとつの動画に固定された。同時に、メグの視点が固定された動画の再生画面が最大化された。画面の中では、全裸の子供が二人立っている。子供たちの様子を見たメグに鳥肌が立つ。
 動画を見ながらメグが最初に考えたことは、外務大臣が職場のパソコンに自分の趣味動画を保存したのではないか、という可能性だった。メグにとって、その可能性が一番望ましかった。その可能性を検証するため、動画データが格納されていたフォルダの中に、他の動画データが格納されていたかどうかを調べたが、他の動画データは格納されていなかった。その代わりに、文書データが一つ格納されていた。その文書データを開き、内容を斜め読みしていくメグ。どうやら、この動画に関する調査が行われ、その報告書のようなものらしい。報告書の内容は、メグにとって一番望ましくないものだった。報告書には『国王直轄特別部隊 第四係』と、報告者の所属機関名のようなものも書かれている。メグは一度も聞いたことがない名称だったが、字面だけでも、メグにとって一番望ましくない可能性を裏付けるには充分だった。
 机の上にあるスマートフォンをとり、シロウへ電話するメグ。現在は夜中の二時だが、メグの動作に迷いはなかった。
 コール音がしばらく続き、留守番電話が応答する。すぐに電話をかけ直す。
 「もしもし」シロウの低い声が聞こえる。
 「悪いのは、重々承知してる。今すぐ、うちに来い」メグがゆっくりと言った。
 「ん……え?」
 「今すぐ、俺のアパートに来てくれ」
 「えっと……なんで?」
 「イリカさんの考えが、分かったかもしれない」
 「……電話じゃ、無理?」
 「無理というか、見てもらいたいものがある」
 「……んー……じゃあ……タクシーか」
 「ああ。待ってる」
 言い終えた瞬間、耳からスマートフォンを離すメグ。通話終了の赤いボタンを見るまでの間に、メグは考える。シロウは次に不満を言う。シロウの不満を聞いている時間はない。少しでも早くここへ来てもらい、次の行動を決めたほうが良い。シロウが来るのはおよそ四十五分後。その間に、他のデータをなるべく多く調べよう。
 メグは、赤く光るボタンの上に親指を乗せた。
 轟音、振動。
 爆発? 雷? 飛行機の墜落? 隕石の落下?
 突然の状況に混乱するメグ。メグの脳は、音と揺れの原因を無秩序に推測した。推測した原因の可能性を検証するまでもなく、メグは音と揺れの原因を把握した。なぜなら、再び轟音と振動が発生し、玄関のドアが狂ったように開き、そこに誰か立っているのを見たからだ。
 玄関に立っていた人間は、そのままメグへ走り寄る。メグの眼前に迫り、顔が認識できる距離になったが、メグにはまったく見覚えがない男の顔だった。男の目は見開かれ、白目の部分が際立っている。
 メグは恐怖と混乱で身動きがとれない。悲鳴を上げながら、走り寄ってくる男の右手が突き出す何かを反射的に防ぐのが精一杯だった。
 メグは左胸に衝撃を感じ、そのまま仰向けに倒れた。
 倒れたメグの足元に立つ男の右手には包丁が握られている。男の呼吸は荒く、倒れているメグを見ながら「ひとさし、ひとさし」と呟いた。メグの表情は苦痛で歪み、左胸を手で押さえながらうめき声を上げている。男はメグを数秒見ると、すぐに視線を移動させて、「パソコン、パソコン」と呟きながら、ディスプレイが乗っている机の周囲を調べ始めた。
 数分前に外務大臣のパソコンに保存されていた子供の動画を見ていたメグは、左胸の激しい痛みで脂汗を流しながらも安堵した。これ以上襲われることはない、と感じたからだ。ただ、その安堵感はすぐに消えた。シロウが来てしまう。シロウにも危険が及ぶかもしれない。
 メグが男の様子を見ると、男は机の下に潜っていた。パソコン本体に繋がっている全てのケーブルを引き抜いている。机の上のディスプレイ画面が黒くなり、入力信号が無くなった旨を伝えるメッセージが画面に表示されると、部屋の中が一気に暗くなる。男は、机の下からパソコン本体を引きずり出すと、「スマホ、スマホ」と呟きながら、ポケットからスマートフォン取り出して、スマートフォンのライトを点けた。男はライトで部屋の中を照らしながら何かを探しているようだが、目当てのものが見つからないのか、唸り声を出しながら、机やベッドの上の物を片端から掴んでいる。男の唸り声は徐々に大きくなり、行動も荒々しくなる。
 「くそが!」
 男は叫び、スマートフォンのライトでメグの顔を照らした。
 「スマホどこだよ!」
 苦悶の表情で脂汗を流しているメグの両頬を鷲掴み、男はメグの顔を揺さぶる。メグは、てめぇが今持ってるだろ、と皮肉を言いたかったが、うめき声しか出なかった。男の質問に答えようにも、自分のスマートフォンが今どこにあるのか、メグにも分からない。シロウへ電話したあと、男に襲われている間に落としたか、シロウ、今電話すんじゃねーぞ、と心の中で祈る。痛みが酷くなり、血の匂いも感じるようになったメグは、自分の死を意識しながら、シロウが安全になる方法を懸命に考えた。しかし、何も思い付かない。何もできない。時々現れるのは反省と謝罪ばかり。活かせない反省。伝えられない謝罪。メグの目から涙が溢れる。
 「んだよ、命ゴイかぁ?」
 苛立ちで歪んでいた男の表情が一変し、おぞましく柔和になった。
 「……ちょっとぐらい楽しんだっていいよなぁ?」
 男は、メグの頬から手を離し、ジャージのウェスト部分に指を引っ掛ける。
 「うるせーんだよ!」
 突然の怒声に反応して、男は玄関方向を見た。誰かが玄関の外に立っている。
 男は慌てて立ち上がり、パソコン本体を抱えると、玄関の外に立っている人間を突き飛ばしながら走り去っていった。突き飛ばされた人間は、走り去っていく男に対して「てめぇ殺すぞ」と叫んだが、追いかけることはなく、メグの部屋の中を覗いていた。そして、ゆっくりメグの部屋に入り、電気を点けると、声とも息ともつかない音を吐き出したあと、メグに駆け寄り、声を掛けた。
 メグは、男がいなくなったことは分かったが、痛みと失血で意識が混濁し始めていた。
 シロウは大丈夫だろうか。ここへ来ても大丈夫だろうか。自分のように殺されたりしないだろうか。シロウは関係ない。シロウは関係ないんだ。俺の行動で、俺の大切な人が不幸になるのはもう嫌だ。なのになぜ行動した。行動しなければお母さんも悲しまなかった。シロウも殺されなかった。

 「なぜ行動したの?」

 ……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……
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