白狐とラーメン

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五月 万の店の仕事

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 その店は、大通りを抜けていくつもの路地を横切った先に存在していた。
 高層ビルに囲まれた立地は、まさしく壁に囲まれた監獄のようでもあって僻地という印象しか受けない。
 こんな隠れも隠れたところに店があるなどいったいどれだけの人物が知っていよう。おそらく誰も知るまい。
 古ぼけた店構えはどこか明治大正といったそんな時代感を感じさせる。あまりにも古風な建物は、ジ〇リ映画の湯屋を思わせる造りである。
 天を見上げるほど巨大というわけではないが、小さな屋敷と言えばそれなりの大きさだとわかってもらえるかもしれない。
 生憎、わたしは大きさをはかるのが苦手なので正確ではないだろうが、それなりに大きな店ということだ。
 商店街などにある個人商店や八百屋という感じではないことだけわかってもらえればいい。
 果たしてどんな店なのだろうか。
「ここが?」
「はい、ここです」
 おそらくはスピリチュアルなお店なのだろう。伊津野さんが俺を連れてきたお店なのだから、それ以外だとは思えない。
 まさか、風俗店とかそういうことはあるまい。昔の楼閣と言われれば確かに少しばかりそういう趣は感じられるかもしれないが、そんなところに連れてこられたところでわたしに何が出来るというのか。
 なにも出来るはずがない。わたしは筋金入った童貞である。恋愛のれの字も知らない。
 そもそも好きとはどういうことなのだろうか、そんなことすら理解できないのである。
 恋も愛も、意味はわかるが、わたし自身の恋も愛も信じていない。
 他人の愛と恋は信じられるが、わたし自身のそれらはまったくもって信じられないのである。
 ここまでひねくれてしまった理由はいろいろとある。
 幼少期に本になんてうつつを抜かしてしまったことも一因であろう。
 コミュニケーションを放棄し、フィクションの世界に逃げ込んでしまったツケである。
 楽な道に逃げた結果だ。自業自得とはこのこと。
 しかし、それだけというわけでもない。
 わたしには幼馴染の男女がいたのだが、その告白を中継させられたのである。
 なぜ、両方わたしに電話してきて、わたしを介して告白をしたのか。これがわからない。
 わたしはいったいどういう感情を抱けばよかったのだろうか。しかもその二人、その数か月後には別れている。
 わたしが告白を中継した意味を問いたい。まったくの無意味であったのか、むしろわたしが中継したが故に別れたのか。
 そうなればわたしという存在にも一定の意味を持たせることが出来たのだが、そうではないとわかっている。
 つまり割とというか大部分でわたしは無意味であったということである。本当に中継した意味を問いたい。
 そういうわけでわたしはまっこと恋愛から遠ざかる人生を歩んできたのである。
 いや、今はそういう話をしている場合ではない。この店である。
「この店は?」
 こう問いかけるのにもかなりの勇気を振り絞る必要があった。わたしは勇気の持ち合わせはないため、精神力を勇気に変換する必要がある。
 精神的疲労は計り知れない。勇気はいったいどこで買えばいいのか、入荷待ちである。
「お店、というか相談所というか。何でも屋というのが近いかもしれません。万事屋というか」
 何とも歯切れが悪いが、それは彼女が何かやましいことを隠しているからというわけではないだろう。
 この店がおそらくそういうわかりにくい店なのだ。
 というのは、中に入ったわたしの第一印象が、訳が分からないに由来する。
 この店は、わけがわからなすぎる。
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